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「ねぇねぇねぇねぇ、初花ちゃーん」
放課後、ホームルームが終わるとすぐに下校する私のルーティンを知ってか知らずか、担任が教室を出るのとほぼ同時に花野子が愛らしい笑顔で、私の背後から腕を回して絡み付いてきた。
過剰なスキンシップは私の心臓に悪いので、辞めて頂きたい。死因が羞恥心と診断書に書かれては、棺桶で眠る私も恥じの上塗りである。
「なぁに、花野子」
私の造形を確かめるようにぴたりと張り付く花野子を尻目に、机に入れた教科書を無造作にスクールバッグへ投げ込んだ。
私なんかの下等生物に名前を呼ばれるのがよほど気に入ったのか、花野子は「えへへへ」とだらしない笑い声を零す。
そんな可愛い顔をしても、花野子のストーカーという罪は消えません。めっ。
「今日、あそぼーよー」
……生まれて初めて同級生に、放課後のお誘いを受けた。感激のあまり口が震える。い、いいのか。こんな座敷童子みたいな、日本人形みたいな髪型のみじんこが幸せに身を寄せてもいいんだろうか。いいよね? いいんだよなぁ!?
「お、おおお、おおお、おうっ」
私は緊張すると男らしい返答をしてしまうらしい。
気持ち悪すぎないか、私。
「本当に!? 本当の本当の本当に!? 嘘いったら監禁しちゃうよ!? 手加減できないよ!? 大丈夫かな!?」
でも、そんな私は気にかける様子もない花野子。むしろ、鼻息を荒くして酷く興奮してらっしゃる。親戚のペットに餌を見せたとき、こんな感じで犬がはしゃいでいたな。
いやいやそんなことより!
大丈夫じゃないよ。なんで大丈夫だと思うの。声が大きいんだよ、白森くんが監禁っていうワードにめちゃくちゃ反応してるじゃん。やめてよ、私の平穏な生活を壊さないで。
「……とりあえず教室でよっか」
手を引っ張るような、自ら身体的接触を図るなんて私には出来っこないので、花野子の制服の袖を多少乱暴に引っ張った。教室から出るように促す。
白森くんの視線が痛い。違うんです、ごめんなさい、違わないけど、違うんです、ええ。
「遊びって、どこ行くの?」
「私は初花ちゃんとだったら、どこでもいいよ。なんなら、いつもみたいに一緒に帰るのでもいいよ!」
「…………いつもみたいに?」
ぴたりと花野子の笑顔が凍り付く。
「ねぇ、花野子。いつもみたいにって」
「今日は花野子ツアーにご招待しようかな!」
「ねぇ、それよりいつもみたいにって」
「そうと決まれば、レッツゴー!」
どうやら今だけ彼女に、私の言葉は通用しないようだ。まるで私の言葉が重さを持ったように、彼女の耳に届く前に失落してしまう。無念。
大きく手を振って、うきうきと廊下を突き進む、花野子隊長。
「はぁ、まるで夢のようだよ〜」
私を置いてけぼりにして、嬉々たる花野子は某ネズミ王国に行っているような光悦とした表情を浮かべた。
「そんな……私と、遊ぶくらいで、大袈裟だよ……」
「何言ってるの? 頭大丈夫?」
そっくりそのまま、その台詞をぶち返したいのですが。
「初花ちゃんの近くにいられるなんて、私、誘拐以外では叶わないと思ってたのに!」
「声が大きい!!」
流れるような動作でバッバッと周りを見渡す。数人の生徒が目を皿にしてこちらを見ている。すみません、違うんです、この子頭がおかしいんです、悪い子じゃないんです、許してやって下さい、お願いします。
花野子はと言うと、そんな私の気苦労は知らずにうっとりと夢の世界へ誘われていた。当分は帰ってこないで大丈夫です、どうぞ。
っと、あれは。
「糸葉さん?」
廊下の奥にいる糸葉さんは、しぃっと長い人差し指を口元に当てた。遠目から見ても艶やかしさが伺える。なんだなんだ、それが大人の色気か? 私と一つしか年齢が違わないはずだが?
そんな事より、私に用があるのかな。
思い当たる節ならたくさんある。主に屋上の扉関係で。
ん? ジェスチャー?
その子に、内緒で?
こっちに来い?
…………仕方が無いか。
「花野子、ごめん」
「ん?」
「ちょっと用事思い出したから、何処かで待っててくれないかな? そんなには待たせないと思うんだけれど」
「うん、大丈夫だよ! 校門で待ってるね、初花ちゃんが来るまでずぅっと、ずううううっと、いつまでも、永遠に……」
うん、一々重いね?
「お、おっけー。じゃあ、また後でね」
軽く手を振って別れを告げる。
ちょいちょいっと遠くで手招きする、優しい笑顔の糸葉さん。切れ長な目のせいでクールに見えるけど、意外と可愛い人なのかもしれない。
「お待たせしました、糸葉さん」
「…………………………うん」
なんだ……私の爪先を見ている。いや、膝、太股、お腹、……胸、顔。
舐めるようにべろりと爪先から頭まで見られた。
口元がにやりと吊り上がる。なんだか怖い。
「ど、どうかしましたか?」
「え、あぁ、制服の着方が綺麗だなって。スカートの長さも、校章の位置もバッチリよ」
「ありがとうございます」
それであんなにねっとりと見ていたのか。少し身構えてしまった自分が恥ずかしい。
「あ、それでね、誰かと用事あったかしら?」
「はい、友達とこの後……」
「あぁ、そっか。あの子よね、屋上であった笑顔が可愛い……」
「そうです」
「…………そう」
短く口を開くと、また黙りを決め込んでしまう。何かを考えるように瞼を伏せる。睫毛が長い。これ化粧してるんじゃないんだよね? すっごい美人だ。しかも生徒会長とか。才色兼備は糸葉さんの為の言葉ですね、わかります。
それにしても、私になんの用なのだろうか。
わざわざこんな廊下の端っこで、隠れるように。
なにか見られたり、聞かれたりしたら不都合なことがあるのかな。
「あの、糸葉さん?」
「え、あぁ。ちょっと待っててね」
私の言葉でハッとした表情を見せた糸葉さんは、胸元のポケットからペンと生徒手帳を手に取り、私に渡してくれる。
「え、あの、これは?」
「これに、阿達さんの携帯番号書いてくれる?」
「う、は、はい」
な、なんで私なんかの電話番号を……
あれか? 扉の代金とか請求されるのか!?
考えても考えても分からない!
「あの、書きました……けど」
「ありがとう、今度都合がいい時に連絡するから」
「は、はい」
「じゃあね」
「……失礼します」
ニコッと柔らかな笑みを向けてくれて、颯爽と去っていく。カッコイイ……
それにしても、なんの用事だったのだろうか。
様子からして屋上関係では無かった気がする。最初、値踏みをするように私を見ていたのに関係があるのかな。そうだとしたら、なんだか怖いのだけれど。
まぁ、とにかくだ。
「持ってきて良かった、消臭スプレー」
花野子に内緒で女性と二人きりで会っていたとバレたら堪ったものじゃない。嘘はつかないと約束したからには、嘘をつかずに済む方法を模索するしかない。
三回ほど消臭スプレーを制服に吹きかけて、校庭を見る。よし、切り替え完了。
なんだかんだ私も初めて出来た友達と遊ぶのに、心が弾んでいるのだ。少なくとも、気を抜くと頬が弛みそうなほどには楽しみなのである。




