004
「教師だったらぶっ殺すしかないな」
鋭い舌打ちと共に、いとも容易く殺人を予告する乙女さん。基本的に彼女は『殺す』と『ぶっ殺す』の二択しかない模様だ。とんだスプラッシャーである。
そんな彼女はバキバキと白魚のような細く美しい指からは到底、想像出来もしない音を鳴らす。もはや『ぶっ殺す』気満々のようだ。
「まだ見つかるって分からないじゃないですか、それに先生じゃないかもだし……ほら、乙女さんもうちょっとこっち入って下さい」
用具庫の後ろにある僅かな隙間に乙女さんを引っ張り、身を寄せる。ふわりと甘い匂いがした。
「他の人……もしかして白森くんがアンタを追ってきてたんじゃ……」
「はぁ? そんなわけないじゃないですか、ていうか乙女さんって白森くん狙ってる人みんなにこんな感じなんですか……?」
「アオキだけに決まってんじゃん」
「なんでよりにもよって私だけ……」
「……だってアンタ、美人じゃん」
「……………………は?」
美人? 美人ってあの美人? 美しい人と書いて美人? 微人の方? 微妙な顔ってこと? あ、そういう事?
「その反応、嫌味かよ」
「えぇ……あの、えぇ?」
「ま、この乙女様には敵わないけどね」
「そんなの当たり前じゃないですか」
「はぁ!?」
「しっ。誰か来ますよ!」
下らない話をしていると扉がばたんと倒れた。それもそうだ、その扉の鍵も蝶番も全て壊れているのだから。某ゴンザレスさんによって。南無。
「あれって……」
乙女さんが目を凝らして、扉の奥に佇む人物を注視した。逆光でよく見えないが、すらっと高い身長で腰あたりまである長い髪がシルエットで見える。
「乙女さんの知り合いですか?」
「……白森生徒会長でしょ」
「え、生徒会長……?」
生徒会長と呼ばれた人物が扉を避けるようにひょいっと身軽にジャンプする。濡鴉のような美しく長い黒髪を靡かせた生徒会長は、屋上に凛とした緊張感を張り巡らせる。気を抜くと息をするのさえ忘れてしまいそうだった。
「誰かいるの?」
辺りをぐるりと見回して、私達を探す生徒会長。辞めてください、どうぞお帰り下さいませ。ここにはコミュ障と鉄扉を折り曲げる化物しかいませんよ。
そんな思いも届かず、殺風景な屋上に隠れられるところなんてココくらいしかない訳で。しらみつぶしといった様子でこちらに生徒会長が歩み寄ってきた。
「ちょっと、アオキ! こっちくるわよ!」
「え、え……と。どうしましょうかね」
「ああ、もう白森くんに嫌われちゃう」
大袈裟に頭を抱えて身を縮める乙女さん。
どうして白森くんに嫌われるのだろうか。まさか本当に私達は停学になって、社会から不良の烙印を押されてしまうのだろうか。それって白森くん所じゃないよね?
乙女さんは思考がフリーズしかけている私の顔を一瞥すると、呆れたように口を開いた。
「白森生徒会長の弟が、白森くんね」
「え、姉弟?」
「知らないの? 有名な話だけど」
「知らなかった……姉弟揃って、美男美女とは流石だね」
「言ってる場合かよ、どうしよ……白森くんにこの事告げ口されたら、私もう生きていけないんだけど……」
冗談ではなく、本気で乙女さんは瞳を潤わせる。
と言うより、涙を流し始めた。あぁ、もう!!
「じゃあ、これで白森くんと話したこと許してね、乙女さん」
「え?」
私は物陰から勢いよく飛び出して、近付いてきた生徒会長にぺこりと挨拶をする。急に飛び出したせいか、寝不足で目のクマが際立つ私の三白眼に怖気付いたのか(前者出会って欲しい)、生徒会長は一歩たじろいだ。
「白森生徒会長、すみません。勝手に屋上に入ってしまいました」
急に飛び出してきた私に虚をつかれた形の生徒会長
は、切れ長の目を少し丸めたて驚いている。
花野子や乙女さんとはタイプが違う、一言で言うなれば『大和撫子』という言葉が似合う彼女に私は思わず身構えずにはいられなかった。
美人には闇があるのだ。私は学んでいる。
「……貴女、学年とクラスは?」
「二年五組、阿達初花です」
「阿達、初花……」
名前を反復して、考え込むようにじっと私の顔を見つめてくる。物凄く気恥しい。
そういえば、格好つけて物陰から一人で飛び出したのはいいものの、これからどうしたらいいのか分からない。出ればなんとかなると思ったけど、生徒会長に動きはない。となると、私からアクションを起こさなければいけないわけか。
この世界は私が生きていくには、レベルが高すぎる。
「あ、あの……生徒会長……」
「白森糸葉」
「はい?」
「糸に葉で、糸葉。“生徒会長”と呼ばれるのは好きじゃないから、“糸葉”って呼んで」
「は、はい。糸葉さん」
やってしまった。機嫌を損ねさせたか。切れ長な目が怖すぎる。あっちからしたら私の三白眼も怖く見えるのだろうけど。自己嫌悪。
「それで、貴女一人なの?」
「もちろんです!」
「即答ね」
見透かされている。確実に私の嘘を見透かされている。じっと私を射るようなその目は、花野子の闇の深い瞳を思い出してしまう。
あぁ、花野子の幻影まで見えてきた。扉の奥で、花野子が狂おしい目でこちらを凝視している気がする。じとっとした重い目つきで、今にも私と話している人に襲いかかりそうな殺気を放って――
「やっほぉ、初花ちゃん」
瞳孔が開いた最終兵器彼女は手を振ってきた。
「は!?」
何故、本物!?
幻影だった彼女はしっかりと実体を持ち、能天気にこちらへ手を振ってくる。能天気に彼女は殺気と瘴気で屋上を満たす。背筋が長い舌で舐められたように、ぞくりとした。
「……貴女は誰かしら」
雰囲気をぶち壊す花野子に少し訝しげに糸葉さんは言葉を投げ掛ける。
「……白森先輩初めまして。私は二年四組の宮岸と言います。私の初花ちゃんがどうかしたんですか?」
貴女の初花ちゃんになった覚えはないのだけれど、目が本気なのが恐ろしいよ。冗談ですよね。嘘だと言ってよ花野子。
「どうかしたって、見ての通りよ。立ち入り禁止の屋上に“一人で”入っていたから、理由次第では……ね」
「あぁ、立ち入り禁止だったんですか!」
花野子はぽんっと、胸の前で手を合せた。
「すみません、白森先輩。実は私、初花ちゃんに告白しようと思ってたんですが、屋上が使用禁止ならまた後にします」
「は、はい? 告白? 貴女、何言ってるの?」
ごもっともです、糸葉さん。むしろ、宇宙人の言う事は聞き流して頂いて構いません。
「おかしいですか?」
今まで細めていた糸目を大きく見開いて、かくりと小首を傾げる。思わず私がたじろいでしまった。
二人は見合ったまま、微動だにせず。不動明王とはこの二人を指す言葉なのかもしれない。もちろん、嘘だ。
「…………いや、別におかしくないわよ。でも、ここは使用禁止。ちゃんと調べておきなさいね」
沈黙を破ったのは糸葉さんだった。にこりと笑顔を浮かべると、応えるように「すみません」と花野子は口元を緩ませた。
「阿達……初花ちゃん、だっけ」
「あ、はい」
突然名前を呼ばれて心臓が高鳴る。すっと私の耳元に口を避けてきた。顔が近い。めっちゃ美人。死ぬ。
「……いいお友達持ったわね。扉の方は生徒会で直しておくから、後ろで隠れている友達にも宜しくね」
こそっと耳打ちをして、微笑みかけてくれる。
……めちゃくちゃ良い人だ。そして、普通の人だ。初めて会った普通の人。感激だ。お父さん、都会にも普通の人が存在したよ! 都市伝説なんかじゃなかったんだ!
「は、はい! ありがとうございます!」
「声が大きいわよ、宮岸さんもじゃあね」
「ご迷惑おかけしました」
ぺこりと花野子はお辞儀をする。
糸葉さんは軽く手を振って、階段を降りていった。
何はともあれ、私達は助かったわけだ。
「はぁぁ、助かったよ花野子!」
「ううん、いいんだよ初花ちゃん。乙女ちゃんも出てきていいよぉ」
「な、なんで乙女ちゃんいるのバレてるのかなぁ?」
ぶりっ子モードに切り替えた乙女さんは、私の背中に隠れるように花野子に張り付かせた笑顔の仮面を向ける。花野子に対する苦手意識はどうにも消えないようだ。
「あはははっ」
笑いで場を濁して花野子は屋上を出ていく。
いや、本当になんで屋上に私達いたのを花野子は知っているのだろう。誤魔化さないで教えて欲しい。
私達も花野子の背を追うように続いていく。
「ねぇ、花野子。ほんとに何で私達がいたの知ってたの?」
「ふふふふっ」
「ねぇ、花野子!?」
この子は本当に計り知れない。主に闇が。
緊迫の昼休みは、一難去ってまた一難と問題を抱えてやってくる。
でも、友人達と過ごす騒々しい昼休みに、どこか胸を高鳴らせている自分がいるのも事実だった。




