飢えた子
「ライラック。そんなにしかめっ面してると、しわになっちゃうわよ。」
茶化すように言うシャーンの笑みは、ますますライラックの機嫌を悪くしてしまう。
「・・・ったく、反吐が出る。」
ライラックはぼそっと悪態をつく。
というのも、今日はシャーンの長兄・ラーマの皇太子即位式だ。
貴族という貴族が城に集まり、美酒を味わう。
「おお、シャーン様ではありませんか!」
ライラックは盛大に、悪意のこもった溜息を吐いた。
シャーンは陶器のような笑みで、その貴族を迎えた。
「いやはや、大きくなれて。御母上に似て、お美しくなられた!」
「恐れ入ります、ゴール卿。」
ゴール卿は人のよい笑みを浮かべ、でっぷりと太った腹を撫でていたと思ったら、突然声音を変えた。それは、違法商人さながらだった。
それと同時に、シャーンの瞳は何かを感じ取ったかのように、影がかすめた。
「ところで、〈奇跡の君〉・・・?」
するとライラックは疾風迅雷のごとく、シャーンを庇うように、ゴール卿との狭間に立った。ゴール卿はひいっと身を縮こまらせた。
「ゴール卿、そろそろお時間です。お席にご案内いたしましょう。」
愛想のよい笑みを浮かべるが、その裏にあるとてつもない覇気は脅し、なんていうものではなかった。
「い、いえ結構。・・・そ、それではシャーン様。失礼。」
シャーンは終始陶器のような笑みを浮かべていたが、ゴール卿が去ると、肘でライラックの脇腹をごついた。
「ライ!ゴール卿になんて無礼なことを・・・。」
「あのおっさんの目、やらしいこと考えてる目をしてたのでついムカついて。シャーン様に近づかせたくないんですよ、ああいう輩を。」
反省の色を全く見せないライラックに、シャーンは呆れながらもどこか嬉しそうに微笑んだ。
「シャーン姉さま!!」
やわからソプラノの声に、シャーンは花のような笑みを浮かべて、その場にしゃがみ込む。
栗色の髪をした幼子は、シャーンに突進するようにその胸に飛び込んだ。
「セナ姫、お加減はもうよろしいのですか?」
「はい、ご心配をおかけして申し訳ございません!」
「まあ、もうそんな立派なお返事ができるのね!」
セナ姫はシャーンの唯一無二の妹姫だ。大きな茶色の目には、シャーンに対する愛情があふれていた。
ライラックも、そんな姉妹の水入らずな時間を穏やかにみつめていた。
「セナから離れぬか!!!」
そんな時間もつかの間、ヒステリックな声が広間中に響いた。
貴族たちのさざめきも、凍りついたようにやんだ。
「母上・・・。」
わなわなと唇を震わせる栗色の髪をした女性。シャーンの実母・セリは、シャーンに怒りの眼差しを容赦なくむける。
「セナ!早う来ぬか!!!」
セナは不安げに姉を見上げる。セリの後ろに隠れるようにいる、シャーンの次兄ハミトは顔を青ざめさせている。
「早う!!!!」
過呼吸になりかけのセリと瞳を震わせるセナを見、シャーンはセナの頭を撫でると頷いた。
セナはシャーンにお辞儀をすると、母の腕の中へ走って行った。
セリはセナを乳母に預け、扇で口元を隠す。シャーンに対する悪態を制御するように。
「・・・シャーン姫。お健やかなようでなによりでございます。」
「母上、お久しうございます。本日はラーマ兄上の春宮ご即位おめでとうございます。それからハミト兄上、セナ姫もご健勝のようで・・・」
シャーンの言葉を遮ると、セリはシャーンを左頬を扇でぶった。
乳母の腕の中、セナ姫が泣き出しそうになっている。
「おまえがっ・・・おまえが我が子たちの名を口にするでない!!!!忌々しい化け物が!!!!!!」
ライラックは崩れたシャーンを抱きとめると、セリを思いきり、殺意を込めて睨んだ。
「・・・化け物はどっちだよ・・・!!」
「やめなさい、ライ!」
シャーンは必死にライラックの腕をつかむ。セリは息を荒げ、しばらくライラックとシャーンに視線を泳がせ、去って行った。
貴族たちはその空気を払うように、また高笑いを始めた。
「シャーン様、すぐに手当てを・・・。」
シャーンの左頬は痛々しいほど腫れあがり、ライラックは自分の冷たい手が腫れの熱に埋もれていくのを、歯がゆく感じていた。
「かまわないわ、ここにいましょ。」
「でも・・・!」
シャーンはうっすら涙を浮かべ、唇をかみしめながら、ふっと笑った。
「わたしは母上にも父上にも似ていないから、いつも反感を買ってしまうのかしら・・・。」
たしかに、シャーンは父・イスマーイール帝にも母・セリにも似ていなかった。その翡翠色の髪がなによりの証だ。
〈伝承〉にも〈奇跡の君〉は両親の遺伝を受け継がず、翡翠色の髪に逆三角形の赤い痣を頬に持っていたという・・・。
「お可哀そうな母上。怯えていらっしゃるのね。・・・母親をただの母体としかしない〈奇跡の君〉という生物に・・・。」
ライラックはシャーンの肩を抱いた。
「あんまり、マインドリードはしないほうがいいですよ。」
「ねえ、ライ。」
シャーンはライラックの胸に顔をうずめた。
「〈奇跡の君〉は世界でいちばん、愛に飢えた子ね。だから、望んだのかしら。自分が愛される世界を。」