6 呑んべぇ童女と 聞きこし召した神様と
売り物の湯呑に躊躇無く酒を注いだ店主を制止する間もなく、赤い着物の袖から細い腕を覗かせて、女の子は一気に酒を呑み干した。
「かぁー、旨いの。これはなんという酒かな?」
「河童酒ですよ。あなた、なかなかいける口ですねぇ」
店主が迷うことなく二杯目を注ごうとするのを、這うように体を伸ばして高志が阻止する。
「何やってるんですか! 子供ですよ? 子供に酒呑ませちゃダメでしょう?」
きょとんと動きを止めた二人の間で、高志だけがゼーゼーと肩で息を吐く。
「わたしは酒好きに垣根はもうけないですよぉ。ケチっ臭いことをいっては男がすたりますぅ」
「気にするな、こいつは元来アホなのだ。アホが真面目の皮をかぶって歩いておるようなものよ」
店主と女の子が的を得たというように、互を見合って笑い声をあげる。
この子の親は、どういう育て方をしているのだろうと鼻息を荒くした高志は、ふと母親の子供のころの話を思い出して頭を抱えた。
親戚のおばさんが遊びにきたとき、ほろ酔いになって教えてくれた話だと母さんは小学校に入るまで、毎日じいさんの晩酌に付き合っていたらしい。
そして小学校に入ると同時に「もう小学生だから、酒はやめる」とじいさんに宣言したという。
だがそれは遥か昔の時代がさせたこと。この文明社会ではありえない。
「ねえ、子供はお酒を呑んじゃいけないんだよ。兄ちゃんがジュースを買ってあげるからさ」
わざと怖い顔をつくっていうと女の子がふん、と鼻で笑った。
「だったらおまえも呑むなよ。わしが童子なら、おまえなどひねり潰せる赤子どうぜんよ。ガキが偉そうにものをいうな」
いい返したいのに胸の奥に燻り始めた疑念が立ち上らせる煙で、高志はなぜだか言葉につまった。
「そんなに虐めないであげてくださいよぉ。この人はまだ、あなたが何者かわかっていないのですぅ。自分で連れてきた自覚もないと思いますよぉ?」
自分が連れてきた――その言葉の意味が理解できず、高志の頭のなかで燻っていたものがモクモクと煙をあげた。
ちょこりと正座したまま酒を煽る女の子に、これまた正座して高志も向き直る。
「きみは誰? どっから湧いてでてきたの?」
「名前は忘れた。不便だろうから、すずと呼べ。なにしろお前の言葉を借りるなら、わしはその鈴から湧いて出たのだからな」
思わず尻の財布に手を伸ばす。
意外なことに、鈴はそのままそこにあった。
もういい、どうでもいい。急性アルコール中毒でこのクソガキが運ばれても、絶対心配するものか。高志は自分でも無理があると思える誓を、無理くり掲げて息を吐く。
「すずさんよりもっと不可解なのは、あなたの方です」
酔って揺れる指先で、店主が高志を指す。
「あなたから人ではないモノの匂いがするのですぅ。だからわたしは、あなたが人間だと気づかなかったのですよぉ。なにか心当たりはありませんかぁ?」
「ないです」
断言。
「やはりアホだな。おまえは何をしに旅に出た? 暇つぶしに道に迷うツアーにでも申し込んだか?」
少し頬の赤くなったすずの視線が冷たい。
『無邪気な子供の種』ってものがここに売っているなら、ローン組んででも買って飲ませたいと、高志は心の中で舌をだす。
「ほう、どんな目的があってでた旅なのでしょうかぁ? よろしければ聞かせていただきたいですぅ」
鈴の言葉に素直に従うようで癪だったが、店主のさも人がいいです、といわんばかりの視線に負けた。
「すべてが始まったのは、休みを利用して実家に戻ってからです」
高志は胸の痛みのこと、苦緑神清丸のこと、今までに出会った人々のことを掻い摘んで話してきかせた。
店主の瞳は一言も聞き漏らすまいとしているように、ほとんど瞬きさえしなかった。
「すっかりわかりましたぁ、納得ですぅ」
何一つ納得していない高志の前で、店主とすずがうなずき合う。
「もしかして、薬師屋のある町を知っているの?」
「ええ知ってますよぉ。あの店を商っているのはれっきとした人間ですぅ。人のものはもちろん、人ならざる者のための薬も調合しているのですぅ」
隣から、いきなり小さな平手が腕にとぶ。
「人ならざるモノって誰ぇ~、とかくだらぬ疑問を口にするなよ。それは神であったり、物怪であったり様々だ。なにしろこのお国は、八百万の神がおわす土地じゃもの」
それは江戸時代までの話じゃないのだろうか。
「とにかくあなたが苦緑神清丸を飲んだという話は、本当だと思いますよぉ。あなたにその気がなくても、今までの人生で出会ったりすれ違ったりした人々の、千分の一くらいは多分、人じゃないでしょうねぇ」
「さすがにそれはないかと」
すると店主は大げさに手を振ってみせた。
「間違いありませんよぉ。だってあなた昔、家に古い道具がたっくさんあって、その中でよく遊んでいたでしょう?」
どうしてそんなことを知っているのだろう? 高志はうまく声が出せずに、小さくうなずいた。
「どうやらあなたは、いく先々で神に愛でられる存在のようですねぇ。わたしもそのひとりですけどもねぇ」
もはや何杯目かわからぬ湯呑を店主に差し出しながら、すずがまたもや高志の腕を叩く。
「痛いって」
「もっと叩いてやりたいくらいだ。先の言葉は取り消す。おまえはまったく、恩知らずがアホの皮を被って歩いているガキじゃ」
文句をいうつもりで口を開けた高志は、怒ったような鈴の表情に口を閉じた。
見た目は五歳くらいだというのに、時折見せる表情は幼気な子供のそれではなく、瞳に宿る光は、老成した者のそれだった。
「何が恩知らずで、何がアホだっていうんだよ」
「そういう大雑把なきき方しかできんから、アホなんじゃ」
「まあまあ、おふたりとも。せっかくの宴会ですから楽しく呑みましょうよぉ。それに今はわからなくとも、いずれわかるときは必ずきますぅ。この先何があっても、すずさんが側にいる限り、わたしは何の心配もしておりませんよぉ」
たしかに店主の言う通りだ。こんな雲を掴むような話で、子供と喧嘩しても始まらない。
「わたし達にも縛られている理がありましてねぇ。わたし達はあなたの望むことを与えられるが、今のあなたでは、その理を超えて答えを得ることはできないのですよぉ。でも、すずさんんが力になってくれますからねぇ。だから今宵は、すべてを忘れて呑みましょうよぉ」
「わしはこんなアホの面倒を見る気はないぞ。ただ、アホを放っておいて死なれると後味が悪いからの。こいつはモノのきき方を知らん」
「はいはい」
店主に軽く流されて、すずは口を尖らせる。
自分で継ぎ足した酒をぐいっと呑んで、高志はまじまじと店主をみた。
「呑みすぎです。やっぱりおじさんの背中が光って見える」
「まだ信じていなかったのですかぁ? 苦緑神清丸を飲んだのだから見えるはずですよぉ」
呆れ顔で立ち上がった店主が、壁のスイッチを切ると部屋が暗くなり、ネオンと街灯の淡い光だけ窓の淵に差し込んだ。
「おじさんの後ろに、白い綺麗な光がみえる。まさか、本当に神様……とか?」
「まさかも本当も、わたしは神ですよ」
点いた明かりに白い光が呑み込まれる。
その直後、高志は酔っているなどという言い訳を、こっぱ微塵に吹き飛ばす現実に気づいた。
「おじさん、会ったばかりのときより、顔色が良くなったというか、全体に体つきもふっくらしたような」
風に吹かれた糸のようにフラフラしていた体は肉付きが良くなり、青白かった顔も生気に溢れてツヤがある。
「あたり前ですよぉ。こうして美味しいお酒をいただいたのですから、力も蘇るというものですぅ。神は人と共にあり、酒と共にあるものですからねぇ」
「それなら、すずも人の子じゃないってこと?」
「人の子にお酒はすすめませんよぉ」
店主、いや神様が笑う。
高志はうっすらと額に浮かんだ汗をぬぐった。認めよう、もう認めるしかない。
このふたりは人の子じゃない。
「神様か、まじかよ」
「最初から、ここに書いてあるじゃありませんか」
横入りしてすずが店主のネームプレートを指差す。
「サクラテンンシュと書いてあるではないか」
確かに書いてはあるが、だからなんだという? なんのヒントにもなりゃしない。
「桜さんていう名前の店主でしょ?」
「違いますよぉ。桜天主ですよぉ。だってわたし、神ですから」
「正確には、桜塚天ノ守尊じゃ」
したり顔ですずがいいう。
「神様が人間みたいに、ものを食べたり飲んだりするとは思わなかった」
「人は物質そのものを体に入れて生気を得ますが、神は少し違うのですよぉ。神は頂いた供物に込められた想いをいただくのですぅ」
うーん、と高志は鼻筋にしわを寄せる。
「それなら、神様の顔色が良くなったのは、酒に込められていた僕の気持ちということでしょうか?」
心なし言葉遣いが丁寧になる。日本人の悲しいサガ。
「はい、たっぷりと込められていましたよぉ」
とうとう自分で酒を注ぎだしたすずが「まったく、人の好意に気づかぬたわけだ」と唇を突き出す。
「よいか、神とは本来、酒ならその香りと想いを召し上がるだけでよいのだ。それをお前が気分よく呑めるようにと、わざわざ口で酒を召し上がっていたのだぞ」
「すみません」
その言葉に神は柔らかく微笑み、すずは眉根を寄せて舌をだす。
「さてさて、面倒な話はこれくらいで、せっかくの河童酒を楽しみましょうよぉ」
「杉の木の香りがしてすごく美味しいけど、ほかの店で見かけたことがないな」
「見たことがなくてあたりまえですよぉ。これはこの店だけにあの子達が造っているものですから」
「あの子達って、どこの酒蔵の人たちです?」
すずが膝を叩いて笑い出す。
「河童酒だもの、河童が造っているに決まっておろう。アホな上にものを知らんな」
神様が目の前にいるくらいだから、今さら河童の一匹や二匹でてきたところで驚きゃしないと高志はむくれた。
幼い日に絵本で見た、河童の姿が思い出された。
その河童たちが川辺で、さして大きくない杉の樽で酒をこしらえている様子を思うと、なんとなく楽しくなる。
「いつか河童がきたら、今まで呑んだ酒の中でいちばん旨かったと、伝えてもらえますか?」
「はい、あの子たち喜びますよぉ」
月が傾いても、話がつきることはなかった。
桜塚天ノ守尊という名のおっさんは、酒のお礼だといって古い言葉で紡がれた民謡を歌ってくれた。
いい歌だというと、あれは祝いの祝詞だといってすずに叱られた。
神が人の子から今の世の話をきき、人の子は神から古の神と人の話をきく。
呑んべぇ童子が話にきつい合いの手をいれ、人が驚き神は笑い、神が目をまるくし、人は手をたたいて喜びながら夜は更けていった。
瞼を通して差し込む白い光に目が覚めた。
起き上がると頭がふわりと回る。
――たしか昨夜はおっさんと女の子と酒を呑んで、おっさんが神様で……。
店の中で呑んでいたはずなのに、高志が寝転んでいたのは町のはずれの空き地だった。
ぼうぼうに丈の低い草が茂っている。
――夢か?
見上げると大きな木がたっていた。
「桜の木だ」
何年ここにたっているのか、太い幹に古びた注連縄が巻かれている。
樹齢はわからないが、百年やそこらではないのだろう。太い幹はささくれ、三叉に割れた幹の先に大きく枝葉を広げている。
「御神木?」
その桜の木陰に守られるように、土埃にまみれた黒い石碑があった。
気持ちばかりの小さな石碑は風化して、刻まれた文字を読み取ることはできない。
「あら、桜の木に蕾がついているわ」
ふいに聞こえた声に振り返ると、犬の散歩をしていた老夫婦が足を停めて、桜の木を眺めていた。
「わしが子供の頃咲いたきりで、今年枯れるか、今年こそ枯れるかといわれていたのに、生きとったか」
「今年は花見ができそうですね」
楽しげな老夫婦の話し声が遠ざかる。
桜色に頬を染めていた、おっさんの顔をはっきりと覚えていた。
「おっさんは、桜の木の神様だったのかな。ねぇ、聞いている?」
地面にころがっていた、リュックからはみ出している物を手に取った。
「昨日買ったパック酒だ」
それはどこにでも売っている見慣れた酒。
おっさんの店で買った酒。
「今年、花見があったら、おっさんも楽しいよね」
持っていたタオルで、石碑の汚れを拭き取った。
高志は大事なものを扱うように、パック酒の口を開ける。
「今夜はコップはなしだよ。香りだけでもいただけるのでしょう? 神様だもの」
高志はゆっくりと酒を石碑にまわしかける。
「綺麗な花が満開に咲くといいね、おっさん」
高志は柏手を打って桜の木に祈った。
リン
財布の鈴が鳴った。
振り返っても、そこに生意気なすずの姿はない。
指で鈴を弾いてみたが、現身を得たとき同様にひねくれて、ちん、とも鳴りはしなかった。
「まあいっか」
おっさんの祝詞に似た音をたてて、風に吹かれた葉が騒いだ。
読みに来て下さったみなさん、ありがとうございます!




