5 コンビニという名のコンビニ
心臓が肋骨を破って飛びでるかと思うほど走り続けていると、やっと一本の舗装道路にでた。
男がいっていたように、左に百メートルほどいった先にバス停が見える。
始発まで二時間以上あることに愕然としていると、通りかかったトラックが、荷台に乗せてくれるという幸運に思わず拳を突き上げた。
荷台で揺られながら、人懐こい笑顔で乗せてくれた運転手を思いだす。
「いい人でよかった」
そう思いひとりニヤついていた高志の表情が固まった。
「どうしてだ?」
人懐こい表情だったのは覚えている。だが、その他が何も思い出せない。無理に思い出そうとすると、かえって記憶に靄がかかる。
若かったのか中年だったのか、髪はどんな風だった? 体格は良かったか、それとも細身だったろうか。
「思い出せない」
――途中の町まで乗せてやるよ。荷台だけどいいかい?
運転手はそういったが、声の質さえ思い出せない。
まるでタイプで打たれた紙の、ゴシック文字のセリフを眺めている気分だった。
人懐こいというのもイメージだけの話で、具体的なことは何も思いだせない。
「疲れてんのかな」
そう思うと急に睡魔が襲う。まだ起きて間もないというのに、揺れが心地よく脳を揺さぶった。
「兄ちゃん、ついたよ。ここで降りてくれな」
運転手の声にはっと目を覚まし、慌ててリュックを背負って荷台を覆うテントの後部から外にでた。
「えっ、夜?」
ここがどこななのか聞こうとしたのと、トラックが走り出したのはほぼ同時。
まるで高志などいなかったかのように、トラックは角を曲がって姿を消した。
早朝に出発したのにもう夜になっている。にわかには信じ難かったが、時計は確かに夜中の十一時をまわっていた。
――兄ちゃん、ついたよ。ここで降りてくれな。
はっきりと覚えている。それでもやはり打たれた文字を眺めるように、どんな声色も思い出せなかった。
「なんだか気味が悪いや」
鳥肌立った腕をさすりながら、高志は町の中心へ向かって歩きだす。
名前も知らないこの町には、片田舎という言葉がぴったりだった。
信じられないことに、メインストリートと思われる道の脇に並ぶ店はすべてシャッターが下ろされている。
「今日こそ野宿かな」
十七時間近く寝ていたせいで腹が減っていた。とにかく乾いた喉を潤したくて自販機を探してゆっくりと歩いてく。
「公園の水道でもいいや」
水だけでも飲めたなら、公園の滑り台に体を預けて一晩過ごしてもいいと思えてきた。
中心街だろうという場所を過ぎても、自販機一つ見つからない。日本に自販機もコンビニもない町があったことの方が驚きだった。
自販機をあきらめて公園を探しはじめたとき、脇道の奥に歩道を照らす明かりが見えた。
明らかに民家のカーテンごしに漏れる淡い光とは違う。
夜に虫のごとく客を引き寄せる、蛍光灯の光。
「店だ」
高志は走って明かりの元へと向かった。
「やったー、店だよ」
広いガラスにおおわれた店内には棚が置かれ、ところ狭しと商品が並んでいる。
田舎のおばあちゃんが、ひざ掛けをかけて一日店番をしていそうな店だ。
頭上で光るものに目をやると、太古のパチンコ店みたいに小さな電球に囲まれた長細い看板があった。
「これはないでしょう。くふふ」
白い地に、これまた地味な青色で書かれた四文字。
コンビニ
コンビニをコンビニと表記するなんて、とぼくはぷっと吹き出した。
手動ドアと紙の貼られたドアを引き開ける。
「いらっしゃいませ~」
ひょろひょろと青白い店員が迎えてくれた。
ちょこっと頭を下げ、店内を見て回ってわかったことは、コンビニというにはどうにもアットホームな造りだということ。
どう見ても手作りの木の棚に、なんの秩序もなく商品が陳列されている。
店の奥にはダンボールに古本が詰め込まれ、箱の表に百円とかかれていた。
なんでも売っているのがコンビニだが、ここは無駄に商品がそろいすぎている。
時代遅れなデザインのサンダルや草履。
ましてや手甲なんて誰が買うというのだろう。少なくとも高志はテレビの中、印籠を持ったご隠居様の旅姿でしか見たことがない。
そうかと思えば、四日前販売になったばかりなのに、いまや全国的に品切れ続出で増産中の最新のゲームソフトが無造作に二つ、うちわの横に置かれている。
思わず手を伸ばしそうになったが、歯を食いしばってぐっとこらえた。
初心を貫いてペットボトルのお茶を二本、樽に入った氷水の中から取り出した。
「今どき氷ってのもすごいな」
おにぎりを三つかごに放り込み、長くなりそうな夜のために酒の陳列棚へと足を向ける。
何もかもが適当に詰め込まれている店の中で、酒だけはピカピカに磨かれた木の台に綺麗に並べられていた。
一升瓶、小瓶にカップ酒。
見たことのある酒、聞いたこともない酒。珍しさに惹かれて、高志は端からゆっくりと見てまわった。
見るからに旨そうな吟醸酒があったが、一升で三万円はちと高い。
高志は百五十円のパック酒をふたつ手にとった。
「お酒、お好きですかぁ~?」
気の抜けた声と共に首筋に息がかかり、高志はひぇっという声と共に飛び退いた。
ばくばくと波打つ心臓を腕で抑えながら振り向くと、さっきの店員が今にも倒れそうなほど前に傾いで高志の顔を覗き込んでいる。
「ええ、好きです、日本酒は特に」
裏返った高志の声を聞いて、店員の口元がほころび白い歯がのぞく。
胸元のネームに、サクラテンシュとかかれていた。
桜さんという名前の店主だろうか。だとしたらこの店はこの人が経営しているのか?
「あの、この店の店主さんですか?」
「はい、わたしがサクラテンシュです」
店主の視線が、パック酒を持つ高志の手元にすとん落ちる。
「いいなぁ、お酒。わたしも呑みたいなぁ」
そういうと、店主はぽろぽろと涙を流した。
――なぜ泣く!
「あの、大丈夫ですか?」
店主はずずっと鼻を啜って、小鼻をひくひくと膨らませた。
「すみませんお客さんの前で。ずっと呑んでいないものですから、つい」
「体の調子でも悪いとか?」
「いいえ」
高志は店主の目も気にせず首をかしげた。自分の店にこれほど豊富に酒が置いてあるのだから、儲けを諦めて呑めばいいだけの話ではないのだろうか。
「このお酒を呑んだらいいじゃないですか。自分のお店でしょう?」
店主は細い首をゆっくりとふる。
「わたしは、頂いた物しか口にできないのですよぉ」
口を開けたまま呆ける高志に、涙を拭った店主は酒の説明をはじめた。
「これはこの土地でしかいただけないお酒です。こちらは剣山の湧水で仕込まれたもので、年に数本しかでまわりません。これは河童酒といって、文字どうり河童のお酒です」
笑顔で説明してくれる店主の目からは、止むことなくぽろぽろと涙が溢れている。
古い友人の言葉が脳裏を掠めた。
――おまえさ、人が良すぎっと人生まるっとそんすっぞ。
高志はがっくりと項垂れて、流されっぱなしの自分を口の中で罵る。
「手軽に買えそうな中で、おすすめのお酒はどれですか?」
店主の表情に笑顔の花が咲いた。
「どれもお勧めですが、安めで美味いのはなんといっても河童酒ですよぉ」
手軽にといったのに、一升三千円の酒をすすめるか店主よ。
高志は心なし震える手で、一升瓶をかごに入れた。
「これをください。それと……よければ一緒に呑みませんか?」
夜中に満面の笑みでぼろぼろと泣くおっさんは、ちと怖い。
「本当に良いのですかぁ?」
会計が終わると店主は申し訳なさそうにいいながらも、信じられないほど機敏にぐい呑をふたつ出してきた。
店の中心に運び出された古いりんごの木箱に酒をのせ、小さな椅子に腰掛けての、ささやかな宴会がはじまった。
「お店、閉めちゃって大丈夫ですか?」
「問題ありません、こんな夜中にくるお客さんはめったにいませんから」
とくとくと音を立てて、透明な酒が注がれる。
「では、いただきます」
店主の細い喉が、ごくごくと鳴る。
「旨い! うまいですぅ」
ひとくち呑んだ高志も、思わず目を丸くした。
「おいしい」
「でしょう? 最高ですよね、河童酒」
一升三千円は高いと思ったが、この味なら悪くない。
「こんなにお美味しいお酒を造っているというのに、三千円で売るなんて、あの子たちも欲がないですよねぇ、まったく」
よほど親しい者が、酒蔵を営んでいるのだろうか。
「ところで、お酒を呑むのはいつぶりですか?」
「そうですねぇ、かれこれ四十数年は経ちますかねぇ」
その言葉に、高志は膝を叩いて笑った。
「またまた、どう見ても四十位にしか見えませんて」
高志は目尻の涙を拭いて、店主のぐい呑になみなみと酒を注ぐ。
「ほんとうですよぉ、もう自分の歳なんか覚えちゃいませんが、酒を最後に頂いてから、四十年以上経っているのはたしかですって」
「四十年前に酒の呑める歳だったら、今はもう六十歳超ですよ。見えないって、絶対若いって」
酒が入って少しタメ口が混ざったが、まあいいかと高志はぐい呑を口へ運んだ。
「そりゃあ八十じゃありませんよぉ」
「でしょう」
店主は考えるように、天井を目だけで見ながら指折り数える。
「ざっくり数えても、三百歳は超えてますねぇ」
「そうでしょう? やっぱり三百歳くらいだと……はぁ?」
店主はにこにこと微笑んで、二杯目の酒を呑み干した。
「しっかりしてくださいよ。まだ酔うには早いでしょう? 三百年も生きてたら妖怪じゃないですか」
店主は楽しそうに声を上げて笑う。
「妖怪じゃありませんよ」
「ですよねぇ、びっくりさせないでください」
「わたしは神ですよぉ」
呑みかけの酒が逆流して、口の端からちびりと漏れた。
「あぁ、もったいない」
店主が売り物のおしぼりを棚から取ってくれた。
自分も店主に負けないほど酔ったのだろうか。
床にてんてんと溢れた酒を拭い取っている店主の背中が、微かにちらちらと光って見える。
「一気に呑みすぎたかな、おじさんの背中が光って見える」
いつのまにやら、店主からおじさんに格下げだ。
「光って当たり前ですよぉ。だって、わたし神ですから」
これが後光というものなら、ちょっとしょぼいと思った。
「わかりました。もう、神ってことにしましょう。神様と人間の宴会です」
にこやかに笑っていた店主が、目を見開きぽかんと口をあけた。
「あなた、人間なの?」
「はいそうですよ。おじさんは神様、ぼくは正真正銘の人間です」
こうなったら気分良く酔っているおじさんの、与太話に最後まで付き合ってやろう。
おじさんは急にしゃきっと背筋を伸ばし、それから失礼、といって高志の背中や肩口に鼻をつけて、くんくんと匂いを嗅ぎはじめた。
「おじさん、いくら酔ったからって男の匂い嗅いでも楽しくないでしょうに」
高志の言葉など耳に入っていないのか、無言で匂いを嗅いではしきりに首を傾げている。
「おじさん、聞いてる?」
高志は自分の中でおじさんから、おっさんに格下げされた店主を呆れながら眺めた。
店主がすいっと高志の背中から身を剥がし、はぁーっと息を吐く。
「本当だ、人間の匂いがする。ということは、わたしは人に供物をくれと頼んでしまったということですかぁ?」
店主の鼻が、ひくひくと膨らむ。
「このお酒も、わたしが呑みたいといったから、仕方なくくださったのでしょう? 嫌だったのでしょう? 情けなさ過ぎます。神失格です」
口をへの字にして、またもやぼろぼろと泣き出した店主に、高志はアタフタと目を泳がせる。
「あのですね、百歩譲っておじさんが本当に神様だとして、人から酒をもらうのはいけないことですか? 人は神様にお神酒を捧げてきたじゃありませんか。何の問題もないって」
「自分から望んでそうしてくださるのならです」
上目遣いの潤んだ目で見ないでくれ、おっさん。
「もちろん……呑んで……いただきたかったのです」
「本当ですかぁ、良かったぁ」
今度は嬉しそうに鼻の穴を広げて、店主はにっこりと笑った。
酔うと社長だといい張るバイト先の先輩がいたが、このおっさんは酔うと神になりたがる酒癖か?
「どうぞ呑んでください」
店主は嬉しそうに、3杯目の酒に口をつける。
別に害はなさそうだし、こんなに喜んでくれるなら呑ませがいもあるというものだ。
「ところであなた、どうしてこの店に入れたのでしょうねぇ」
酔っているのかボケているのか、不思議そうに店主が尋ねる。
「何か飲み物を売っていないかと探していたら、この店の明かりを見つけたからよってみました。普通に入れましたよ、ふつうにね」
うーんと店主は腕を組む。
「やっぱり変です。そんなこと、あるはずがないのです。入るどころか、この店を人であるあなた見つけることさえ、有り得ないことなのですよぉ」
「どうして? まさか、神様専門店とかいいませんよね?」
喉を流れる酒の余韻に、高志はふおぉぉーっと息を吐いた。
「神専門の店などありませんよぉ。それではここまで来られない神様はどうします? 使いの者を寄越すに決まっているじゃぁありませんかぁ。決められた土地から離れられない神様だっておられるのですよぉ」
酔っぱらいの戯言にしては、ずいぶんと理路整然と話すおっさんだと、高志はちょっと見直した。
だからこそ、ちょっと意地悪くつついてみたいと思うのもまた人情。
「変ですって。じゃぁ、これはなんですか? 最新のゲームをする神様がいるわけないでしょう? そんな俗物的な神様なんて、威厳がなさ過ぎます」
「ゲームですか、それは知らなかったぁ。綺麗な絵がかいてあるからいいな、と思って店においただけですよぉ」
綺麗な絵だからって、簡単に仕入れられるものじゃないだろうに。
「ところであなた、変わったモノを連れ歩いておられますねぇ」
「変わったもの?」
「鈴といっていいのかなぁ、ほらそこに」
店主が指差す方を見て、高志は悲鳴に近い叫び声を上げ、みっともなく椅子から転げ落ちた。
「わしにも酒をおくれ」
高志が座っていたちょうど真横に、ちょこんと女の子が座っていた。
少し寸足らずの花模様の赤い着物を着て、髪は綺麗に切り揃えられたおかっぱ頭。床にきちんと正座したまま、くるりと大きな瞳でまっすぐに高志を見ている。
その愛らしいぷっくりとした唇から、またもや似つかわしくない言葉が放たれる。
「聞こえているのか? 自分ばかり呑んでいないで、わしにも早く酒をおくれ」
「だれ?」
「ふん、人にものを聞くなら、まずは酒を呑ませろ。たわけ」
妙な人間がまた増えた。
半分腰が抜けたまま、高志はまじまじと五歳ほどにしか見えない女の子が、店主に酒を注いでもらうのを眺めていた。
読みに来て下さったみなさん、ありがとうございます!
残りは明日からぼちぼち投稿していきますね。




