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完) 旅の終わりと その先と


「薬は飲めたかな?」


「はい。濃艶も、もう大丈夫です」


 離れて道を行き交う人々からは、ひとりでゆっくりと歩く男に見えているのだろうと思うと、改めて不思議な気持ちになる。

 

「濃艶には、そうとう叱られたかね?」


 神がくすりと笑う。


「それはもう、雷神降臨です。ハナさんが鍋の蓋を用意しておけといったのに、間に合いませんでした。ぼこぼこにされました」


 豪快な笑い声をあげ、神が肩を揺らす。


「今まで心配をかけた分、何度でも叱られてやるといい」


「濃艶がいっていました。母さんは体が弱くてよく寝込んでいたから、その間は自分たちが面倒をみたって」


「きみのお母さんは生まれつき、それらの者を見ることができる人でね。最初は家の納屋にあった、ひい爺さんの遺品を片付けているときだった。古いガラクタの中に、心を持つ者が居ることに、お母さんは気付いたのさ。それが、唐傘と濃艶だよ」


 初めて聞く話だった。驚く高志を涼しげに横目でみて、神は話を続ける。


「唐傘と濃艶を手元に置くようになったとき、お母さんはまだ幼くてね、それでも時たま聞こえる声を頼りに、ゴミ捨て場から彼らを拾って家に連れて帰っていた。大人になってからは、古物市に顔を出し、滅多にはなかったろうが付喪神を見つけては、自分の手元に置いたのさ。だから、高志が生まれた頃には部屋一つを使うほど、いろいろな者達がすでに家に居たわけだ。そしてお母さんの血を濃くひいた高志は、誰に教えられることなく、彼らと接し共に過ごしていたのだよ」


 頭の中でさわさわと音を立て、記憶を覆う霧が晴れていく。

 断片的に浮かび上がる記憶の欠片は、鮮明に遠い日に触れ合った者達の声を、顔を思い出させた。高志の記憶であるはずなのに、それはまるで部屋の隅から自分の生活を覗くような、奇妙な視点のものだった。




 オムツをした高志とどちらが先に遊ぶかで、唐傘と濃艶が大喧嘩をしている。


 転んでおでこから血を流す高志をみて、バッテンが薬師屋の薬! と青い顔で叫んでぐるぐると走っていた。


 高志に廊下を引きずり回され、大の字で白目を剥いているのは番傘。


 まだ読んでいない新聞なのに破いて遊んだと、高志を叱る父親をみんなが鬼の形相で囲んでいる。大泣きする高志の頭を撫でながらケチ、馬鹿、と口々に文句をいっているが、父親には見えても聞こえてもいないだろう。


 夏の月夜に、タオルを腹にかけて眠る高志をうちわで仰ぎながら、付喪神達が酒を?んでいた。月の逆行で顔は見えないが、肩越しに眠る高志を見て手を伸ばし、頭を撫でたのは母さんだろうか。一枚だけ手元に残る写真に良く似た後ろ姿は、手を伸ばせば届きそうなほどに近い。




「大丈夫かい? ぼうっとしているが、疲れたのなら少し休もうか」


「いいえ、大丈夫です。ほんの少し昔の記憶が蘇ったから、見入ってしまいました」


 高志は本を読みすぎたときのように、重く疲れた目を指先で揉んだ。


「昔の記憶とは、どのような?」


 今し方垣間見たばかりの、様々な表情が蘇る。


「優しい記憶です」


 高志は、少し照れながら笑った。

 神は静かに頷き、天を見てほんの一時目を閉じた。


「すずにイカ焼きを買ってやるのだろう? わたしは広場の外れの木の下で休んでいるよ。近くに来たら顔を見せよう。あそこなら、すずも遠慮なく姿をみせられるだろうから。さあ、行っておいで」


「はい」


 神と別れて、祭りの賑わいに足を踏み入れる。

 日も陰りだし少し肌寒くさえあったが、華やかな浴衣姿の人々が、祭りに色を添えていた。


「さてと、イカ焼きとあとはたこ焼きを……」


 言いかけて、後の言葉は溜息となって漏れた。

 たこ焼きを好きだったバッテンは、ここにはもう居ない。


「絶対に連れ帰る。絶対だ」


 小さく強く呟いて、高志は屋台に向かった。今日だけは祭りを楽しもう。

 すずにも、特別にイカ焼きを二本買ってやろう。紙コップでは味気ないが、酒も買っていこう。


「イカ焼きを四つ、ください」


「はいよ!」


 威勢のいい返事と共に、炭火で焼き上がったばかりのイカが、甘いタレの香りごと渡される。

 春祭りだけでこれほどイカ焼きを買わされたのは初めてだが、今日だけは特別サービスといこう。

 出会った多くの者達が、すずは特別な存在とみなしていたように思う。たしかに、すずがいなければこの旅は失敗に終わっていただろう。高志の命も、とっくの間に潰えていたはずだ。

 高校時代から貯めていた貯金のほとんどを使い果たしてしまったが、後悔はないと高志は思った。

 金には換えられない物、換えられない思いの全てを、この手に掴んだ気がしていたから。

 広場の外れをうろうろしていると、道路と広場を隔てる立木の向こうから神が顔を出した。

 

「お待たせしました。イカ焼き、神様の分もありますよ」


「これは珍しい」


 老人の姿をした神にイカ焼きを渡すと、すかさず横から小さな手が伸びてきた。

 

「イカ焼き、おくれ!」


 今にも涎を垂らしそうな顔で、すずが手を伸ばしている。


「はいはい、今日は特別だからな」


 イカ焼きを二本渡すと、すずは満面の笑みで顔をくしゅっとさせた。


「酒もあるからね」


 紙コップにはいった酒をそれぞれの前に置き、高志は一口呑んで息を吐く。

 すずはご機嫌なのか、遠くに見える踊りの輪を見ながら、イカ焼き片手に妙な踊りを披露している。


「濃艶、出ておいで。イカ焼きがあるよ、ぼくは食べないから」


 リュックを開けて呼びかけたが、濃艶からの返事はなかった。


「濃艶が食わんのなら、わしが食う!」


 伸びてきたすずの小さな手を、ぴしゃりと叩く。


「食べ過ぎだって。濃艶が食べないなら、ぼくが食べるからいいの」


 ぷいと口を尖らせたすずだったが、すぐに踊り出し満面の笑みを浮かべた。

 

「ねぇ、すずはどうして何度もぼくを助けてくれたの? 少しは助けたかった理由を思い出したかい?」


 片手片足を空中で止めたまま、すずが首を傾げる。


「理由? はて、どうしてだかな」


「理由がないなら、せめて大量に食べたイカ焼きのお礼ってことにしといてよ」


「礼をいうほどの量は食べておらんぞ?」


 真顔でいうから、ことのほか憎たらしい。


「ただな」


「ただ?」


 すずは反対側に首を傾げて、うむ、と呻る。


「わしが叩くも蹴るも良いのじゃが、他の者がアホウを傷つけるのは好かぬ。アホウはアホウらしく、笑っておるのが一番じゃ」


 答えになっていないな、と思いながらも高志は踊るすずをみて目を細める。

 不意に頭の上に、温かくて大きな手がのった。


「まったく、人の成長は早いものだ」


 神が、高志の頭をゆっくりと撫でる。

 温かくてごつごつとしたその感触が、高志の記憶をちりちりと刺激した。


「あなたは、あの時の」


 神はただ、静かな微笑みを浮かべ高志の頭を撫でていた。


「子供の時、親戚の葬式で二人の女の子が、門の所で狐に頭を下げたことがあって、それを見ていたぼくは直後にあなたと会っている。あなたは自分を母さんの友達だといった。ぼくのことを頼まれたと」


「そうだよ。よく思い出したね。あの時、わたしはきみの様子を見にいった」


「どうして母さんのことを?」


「頼まれたのだよ。きみを守りたいと、頼まれたのだよ」


 老人の姿をした神は、遠い日を見つめるように空を見上げた。そして高志に視線を向ける。優しいまなざしを向けた。


「ある祠に住んでいたわたしは、参る人も少なくなり、旅に出ることが多くなった。わたしはあの土地に居るとはいっても、土地神ではないから、いこうと思えば何処へでも行ける。ある年にわたしは季節を幾つもまたいで、長い旅に出ていた。祠にはわたしを慕って身を寄せた付喪神がいたから、安心して出かけられた。少し長いこと空けすぎたかと思い、祠へ戻ってみると付喪神が雪に埋もれていてね。ともすればふわふわと、天に浮いていってしまいそうになる緑の玉を抱え、大切に守っていたのだよ」


 老人の姿をした神は、懐から小さな守り袋をだすと、口を広げて中から何かをつまみ出した。


「それは?」


「これはね、その時に付喪神が大切に抱えていた、緑色の玉の欠片だよ。丸い玉から、わたしがこれを抜き取った」


 大豆ほど大きさしかない欠片は、きらきらと輝いている。見ているだけで、なぜか高志の胸が温かくなる、そんな輝きだった。

 すずはこちらの話になどお構いなく、二本目のイカ焼きを頬ばりならが楽しそうに踊っている。

 そんな姿を見て、神はくすりと笑った。


「緑の玉に触れたとき、この玉の正体がわたしにはすぐにわかった。驚いたよ。子供の頃に婆様に手を引かれて、いつもお参りに来てくれていた女の子の魂だった。時の流れるのは早くて、すでに大人の女性になっていたがね。この欠片は、玉の中で大切にされていた記憶の一部。彼女の大切な記憶だ。おそらく、生涯で一番大切な記憶であったろうに」


「どうして、大切な記憶を抜き取ったのですか?」


「それが理だからだよ。人の子が、本来なら開くはずのない扉を開けようというのだから、代償は大きい」


 高志の胸が騒ぐ。彼女はいったい何をしようとしたのだろう。

 問いたくても、口が固まったように動かなかった。


「彼女は自分の死を悟っていた。だから、死の間際に病院を抜けて、幼い頃から慣れ親しんだ祠に縋った。彼女のことだ、おそらく見えていたのだろうね。祠に身を寄せる付喪神のことも、わたしのことも。だから、本気で祈った」


 高鳴る心臓が痛い。高志はぐっと胸を押さえた。


「彼女は子を産んだときから、病弱な自分がそれほど長くは生きられないことを悟っていたから、己が死んだ後のことを心配していた。この子が寂しくないように。自分がいなくとも、守ってくれる誰かが欲しかった。だから、己の血を受け継いで、人ならざる者を見ることのできる息子に、ある薬を飲ませた。自分が居なくなることで、その能力が失われることを恐れたのだよ。だが、妖や付喪神達の噂話で、その薬のせいで大切な自分の子供の命が危ういことを知った」


 胸が熱い。過呼吸だろうか、息さえまともに吸えない。


「これアホウ、何だ? アメッ玉でも引っかけたような顔をして。ゆっくり息を吸わんか。まったく手間のかかるアホウじゃな」


 すずは高志の背中をとんとんんと叩き、くしゃくしゃと頭をなでるとまた酒を片手に踊り出す。

 待ってくれといいたいのに、声がでない。


「彼女はこう祈った。息子を助ける時間が欲しいと。今すぐ死んで構わないから、残りの数日を、息子を助ける為に使わせて欲しいと」


 駄目だ、そんなことで死を早めちゃだめだ。高志は血が出るほど胸に爪を食い込ませる。


「時を使うとして、その時には大切な子供の記憶を、いっさい失っているとわたしは伝えた。覚えていない以上、側にいたからといって、命がけで助けるとは限らない。無駄死にになるかもしれないとね」


 高志は神を見上げた。物言わずに、神を見上げた。


「母という生き物の、なんと強いことよ。彼女はかまわないといった。覚えていなくとも、自分は必ず助けるだろうと。子供の記憶を失いたくはないが、子の命には代えられないと。そういって、微笑んだよ」


 震える高志の肩に、神がゆっくりと手を置く。


「きみの母が、息子のことを思い出すことはもうない。だがきみは母とのことを、覚えているべきだ。短くとも、命がけで息子を愛した母の記憶を」


 高志の額に、緑色に光を放つ欠片が押し当てられた。

 全身の力が抜けて、目の前が白く染まる。




 ここは母さんの膝の上だ。ぼくはまだ小さくて、母さんの頬をさわろうと一生懸命に手を伸ばしている。母さんが代わりにぼくの頬を指先で突いた。ぼくは笑った。母さんも笑う。こんな風に、ふわりと笑う人だったのか。



 母さんが寝込んでいる。顔が見たくてこっそり部屋に入ると、体調が悪そうな青白い頬で、母さんは微笑みぼくの頭を撫でた。布団の端を捲ってくれたから、ぼくは喜んで中に潜り込み、母さんの腕に抱きついてそのまま眠った。



 付喪神達と遊ぶぼくを、部屋の隅に座った母さんが楽しそうに眺めている。

 母さんも一緒に遊ぼうというと、今日は微熱があるから駄目だと唐傘に止められた。



 日常の些細なことまで、記憶がどんどん溢れてくる。病気で苦しんでいたはずなのに、母さんの記憶はどれも温かい。



 不意に幼い自分の姿が消えた。

 家の並びなど、時代が違う気がした。男の子に追いかけられていた小さな女の子が、ぼっこを手に反撃している。あまりの激しさに、男の子達が散って逃げる様は見ていて爽快だ。

 女の子を迎えに来たのは八十は過ぎているであろう老人で、二人は手をつないで歩いている。

 時代がかったしゃべり方からして、やはり相当な歳なのだろう。だが面白かったのは、それに答える女の子も、老人と同じく古めかしいしゃべり方だったこと。

 老人が何かを女の子に渡すと、女の子は跳ね上がって喜んだ。

 それを口にくわえながら、女の子が振り返る。

 赤い着物の裾から小さな足が覗く。

 口の端をタレで茶色く染めた女の子は、老人を見上げてにっこりと笑った。

 

――すず、なのか?


 視界が白一色に染まった。





 目覚めた高志が口を開こうとすると、老人の姿をした神が、微笑みながら唇に指を当てる。

 こくりと頷き目にたまっていた涙を拭う。高志はすずの元へ行き、腰を屈めてその肩をぐっと抱き寄せた。


「なんじゃ、気持ち悪いぞ!」


 身を仰け反らせるすずの頬を突く。


「文句をいうなって。もう一本イカ焼き買ってやるよ。二本でもいいぞ」


 すずは大きく目を見開くと、高志の首にぎゅっと腕をまわす。


「アホウだが、おまえは良いアホウじゃ」


 すずに見られないように、高志はもう一度涙を拭った。


「ここで待ってな」


 高志がイカ焼きを買った屋台に戻ると、親爺がすまなそうに頭を掻く。団体客がいっぺんに買っていってさ、といった。もう一本も残っていないという。


「イカ焼きなら、他の店にもあるさ」


 そういえば木立の向こう側の道にも、屋台が沢山並んでいた。ここで遠くまで足を伸ばすより、あっちの方が近いかもしれないと思った高志は、木立の横で踊るすずの元へ戻った。

 風にのって香ばしい香りが運ばれているから、きっと売っているだろう。


「すず、あっちで買ってくるよ」


 ご機嫌で頷きながら、すずは踊っている。

 跳ね上がった髪の毛をそっと撫で、高志は木立の向こう側の道路へ足を踏み出した。


「えっ?」


 ぞわりとした妙な感覚が襲う。

 見えないが、粘着質な膜を通り抜けようとしている感覚。

 体を捻って高志はすずに目を向ける。

 神の横で、すずが笑っている。

 神の指先に摘まれた緑の欠片が、すずの首筋に当てられた。

 口に手を添えて、すずが何か叫んでいる。

 着物の赤い袂が揺れてすすが手を振ったかと思うと、その姿は掻き消えた。

 老人の姿をした、神の姿も消えていた。

 

「アホウ、イカ焼きは二本だぞ!」


 戻れぬ世界の残響のように最後に聞こえたのは、いつものすずの声だった。






 

 家に戻った高志は、父親と向かい合っていた。

 何をいっても無言の父親は、幾本も絶え間なく煙草を吸い続けている。


「父さん。最後にもう一度だけいう。ぼくは公務員にはならない。建築の道に進みたいんだ。やらせてください」


 苦虫を噛み潰したような顔で、父親は灰皿に煙草を押しつける。


「母さんが生きていたら、父さんと同じこという。安定しない生活なんか」


「それは父さんの望む人生でしょう? 自分の願いを物言えぬ母さんにまで押しつけないでくれよ」


 高志は机の上に、そっと置いた袱紗を開く。


「母さんは、人生を押しつけたりしない」


 古びた絵馬に吸い寄せられた、父親の口から息が漏れる。

 絵馬を元通りに包み直して高志は席を立った。片手には、帰ってきた時と同じ大きな鞄を提げて。

 後ろ手にドアを閉めると、部屋の中から父親の嗚咽が漏れ聞こえた。


「父さんも、そろそろちゃんと向き合うべきだよ。母さんにね」


 家の門を抜けて駅へと向かう。

 もう見知らぬ土地へ、知らぬ間に運ばれることもない。

 帰ったらまたバイトの毎日がまっている。ほとんど無くなった貯金をまた貯めなくてはいけないのかと思うと、少しげんなりした。


「こんなことなら、腹一ぱいイカ焼きを食わしてやれば良かったな」


 母さんは幼い頃、ひい爺ちゃんの元で育てられたらしい。だからあんなに年寄り臭いしゃべり方だった。

 大人になってからは、静かで優しい人だったのは覗いた記憶でわかった。

 子供のすずが、あれほど手が早くて少し乱暴なくらいだった訳も。年寄りに育てられ、言葉遣いも奇妙で、時代にそぐわない赤い着物を着ていたから男の子達にからかわれたのだろう。毎日のように追いかけられ、棒をもって撃退していれば、あのくらいは勝ち気になって当然だ。


「良かった、母親になってからもあんな乱暴ものじゃなくて」


 ひとり笑いながら、高志は軽い足取りで駅へと向かう。

 自由な、新しい旅への一歩がはじまる。

 腰のポケットに突っ込んだ財布には、空っぽの鈴がぶら下がっている。

 

「母さん、ありがとう」


 高志はもう鳴ることのない鈴を、指先で軽く弾いた。










 ある晴れた夏の日、大都市の真ん中を、胴の長い黒塗りの車が走っていた。


「おい、この男見覚えがあるぞ!」


「おう、確かに見覚えがあるぞ!」


 持ち主を迎えにいくのであろう高級車の中で、大きなリュックを背負った二人の髭面の男が、シートに無造作に置かれた雑誌の表紙を覗き込んでいる。


「この男、新人賞を取ったらしいぞ?」


「この男、建築家らしいぞ?」


 小さな男達は、腕を組み同じ方向に首を傾げて、うーんと呻る。


「男の横にいるのは、嫁さんらしいな」


「確かにそうだ。結婚したばかりと書いてある」


 もう一度、二人揃って同じ方向に首を傾げた髭面の男達は、同時にぽんと手を打った。


「あの時の、人の子ではないか!」


「わしらに説教をたれた、あの時の人の子だ!」


 二人の貧乏神は、腹を抱えて広いシートの上を転がり回る。


「それにしても嫁さん、背がちっさいなぁ」


「嫁さん、目もちっさいなぁ」


 ぷーっと笑いながら口を押さえる二人は、いたずらっ子そのものだ。


「色白のぷっくりちゃんや」


「色白は七難かくすていうやんかぁ」


 床に付かない足を振りながら、口に手を当ててぷっと笑う。


「隠し切れんもんもあるなぁ。笑ったら、目なんかもう糸やん」


「あかん、それいうたらアカン」


 賑やかな笑い声をのせて、車は関西の大都市を突き進む。


「今日は最高の遠足や!」


「貧乏神の遠足や!」


 ハイヤサー


 ソイヤサー


 貧乏神の笑い声が、開け放たれた窓から、空へと昇っていく。



 




 人の生きる時の流れも、過ぎてしまえばあっという間だ。

 森の中を走る小道の横にひっそりとたつ、古びた小屋の中に男の声が響く。


「昨日の答えをきかせてくれないか?」


「終わりにしたい」


 帰ってきたのは、昨夜と変わらぬ答え。

 昨日小屋に辿り着いた男は、こう尋ねた。


――おまえ一人では、どうにもならないのだろう。


――ここから出してやるとして、何を望む。


 もう一人の男の声は、こう答えた。


――もう終いにしたい。


 その後は夜の森で雨に降られた青年が、雨宿りに小屋へやってきた。

 男が七年ぶりに足を踏み入れたことで、小屋の結界も途切れたらしい。

 青年は森の入り口で森へと入っていく男の子を見かけ、危ないと思い後をつけたらここまできてしまったという。

 それを聞いた男はふっと笑い、男の子はこの近くの村の子だから、心配ないと青年に伝えた。

 かつて迷わせ小僧と呼ばれた者だから、人ではないから心配するなともいえないだろう。 先の男との会話はそこで途切れ、青年にねだられて男は長い長い話を、一晩かけて聞かせた。

 それはもう一人の男に向けて、聞かせる為の話でもあった。



 雨が上がり朝日が差すと、青年は楽しかったといいながら、眠い目を擦って小屋から出ていった。

 話し声の途絶えた小屋の中で、ふつふつと湯を沸かす音だけが響く。


「ぼくなりに考えた。このやり方で、幕を引くのが君のためかと思うから」


 男は古い板の間に洗いたての布を敷いて、そこに道具を並べていく。

 茶筅、茶杓は良いとして、小さなアルミの薬缶は風情がない。

 背筋を正して黒い茶碗を手にした男は、覚えたての作法で静かに茶を立て始めた。

 黒い茶碗に湯が注がれ、茶筅が音を立てて茶を点てると、小屋の中に豊かな香りが満ち始める。

 黒い茶碗からすっと茶筅を引き、男は改めて茶を点てた黒い茶碗を自分の膝の前に置いた。


「作法とは違うけれど、自分で点てたから勘弁な。いただきます」


 口の中に濃いお茶の香りが広がる。

 ゆっくりと飲み干した男は飲み口を指で拭い、静かに黒い茶碗を置いた。


 パリン


 男は目を閉じる。

 元々入っていた薄く大きなひびが広がり、黒い茶碗は半分に割れていた。


「これで良かったんだよね」


 物言わぬ茶碗を置いて、男は小屋の引き戸を開けた。


「黒楽茶碗。お茶の香りに包まれて、最後だけでも良い夢を」

 

 男の尻のポケットからは、古びた鈴がのぞいている。

 ぱたりと音を立てて、引き戸は閉められた。




「おい、人の子!」


 森の小道を歩いていた高志が呼び止められて振り返ると、七年ぶりに見る小僧の姿があった。


「人の子はないだろう? もう大人だよ。それにきみが来ているのは、あの青年の話を聞いてわかっていたしね」


 小僧が、鼻に皺を寄せて肩を竦める。


「迎えにいくのか?」


「あぁ、やっと迎えにいける。游湯屋はいいのかい?」


「今日だけは、特別だってさ」


 小僧が嬉しそうに鼻を擦る。


「これを届けにきた。御湯番の親方と、おらからの祝いだ」


 小僧は、大きめの瓢箪を高志にさしだした。


「お酒かい?」


「うん、酒の滝で汲んだものだ。だって、結婚したのだろ?」


「よく知っているな」


「だって有名な話だ。貧乏神様達があちらこちらで話して回っているから、おまえを知るものなら、みんな知っている」


 あの二人組が、いったい何処で結婚のことを知ったのか、高志はひとり苦笑した。


「あの二人は、なんて話しているのかな?」


「すっごい幸せそうだって。嫁さんはちっちゃくて色白で、目は大豆くらいだけど、すっごくかわいい、ちんちくりんだってさ!」


「いや、大豆よりは大きいって」


 すました顔の縁結びの神を思い出し、高志は心の中でこっそり文句をたれる。


「とりあえず、お酒ありがとな」


「おう、ありがたく呑めよ」


 相変わらず態度と口だけは一人前だな、と高志は小僧の頭をわしゃわしゃと撫でた。


「すずねえちゃんは、もういないんだな」


「あぁ、いってしまったよ」


 ほんの少し寂しげに睫を伏せた小僧は、直ぐにきりりと顔を上げ、帰って仕事をするといった。


「そういえば、どうして日が差したのにここにいられるんだい?」


「テンテンていうやつが、今日一日だけ効くっていう薬をくれた。変わってるけど、いいやつなんだ」


 高志は顔をくしゃりとさせ、小僧の頬を両手で挟む。


「テンテンは、ぼくの友達でもあるんだ。よろしく伝えてくれよ」


「わかった。まかせろ」


 手を振りながら、小僧が茂みの向こうへ姿を消した。


「みんな元気そうで良かった」


 高志は唐傘達が待つ、宿屋へ向けて歩き出す。

 長いこと待たせてしまったが、みんな無事でいるだろうかと、それだけが心配だった。

 森を抜けると、懐かしい宿の姿が見えた。

 以前はあちら側とこちらを分けていた川が、今は何処にも見当たらない。

 

 戸口に立ち木戸を叩く。


「みんな、いるかい? 戸を開けてくれないか? 高志だよ」


 静まりかえっていた宿の中から、ばたばたと足音が響き、乱暴なくらいの勢いで木戸が引き開けられた。


「坊! 坊じゃないか!」


 真っ先に抱きついてきたのは、変わらぬ姿の唐傘だった。

 その後ろで、バッテンと番傘が泣きそうに唇を噛みしめている。


「みんな、待たせたね」


 七年越しの約束が果たされた朝、森は夜に降った雨できらきらと輝いていた。





                   ***





「お漏らししたから、何が悪いってのさ!」


「そうだよ。間に合わなかったんだから、仕方ないじゃないか」

 

 唐傘とバッテンがいう。


「だいたい偉そうにいってんじゃないよ! ガキの頃に坊がやらかしお漏らしの始末を、誰がしたと思ってんのさ! お嬢はまだ三歳だよ? 坊が最後にやらかしたのは、たしか五歳だったけどね!」


 濃艶が腰に手を当て、鬼の形相で見下ろしている。その他大勢に囲まれて睨まれ、怒鳴りつけられているのは、父親になった高志だった。


「別に駄目とはいってないだろ? 気をつけようねって注意しただけじゃないか」


 やれ言い方がきついだの、黙って片付けろだの文句が倍になって返ってくる。


「さあ、お嬢。お尻もすっきりしたことだし、濃姉さんと遊ぼうか?」


 さっきまでとは別人の声で、濃艶が娘を抱き上げる。


「今度はあたしの番だよ! 独り占めはなしだからね!」


 唐傘と濃艶が火花を散らす中、高志はこっそり娘を抱き取って膝にのせた。


「さくら、お父さんと遊ぼうか?」


 桜色に頬を染めた娘が、ぷっくりと丸い顔を高志に向け、にっこりと微笑んだ。


 部屋の障子が開けられ、妻が顔を覗かせる。


「高志さん、明日まで出かけるけれど、さくらのことお願いね」


「あぁ、大丈夫だからゆっくりしてきていいよ」


 さくらに似た笑顔で、妻が手を振って出ていく。

 妻には唐傘達は見えないし、ここにいることも話してはいない。けれど娘のさくらは、高志と同じらしい。

 付喪神に触れ、話を聞き、笑い返している。


「何しろ乳母がいっぱいいるからね、何の心配もないよ」


 そういって、高志はくすりと笑った。

 古物市やたまにゴミの中から見つけた者達で、この家の一部屋は埋まっている。散り散りになっていた、かつての仲間も少しづつこの家に戻り、新しく仲間になった者達もみんな仲良く過ごしている。

 いや、仲良く喧嘩しているというべきだろうか。


「お嬢が眠たがっているじゃないか。こっちによこしなよ」


 濃艶にいわれて娘の顔を覗き込むと、いつのまにやらうつらうつらと船を漕いでいた。


「目を覚ますから、喧嘩するなよ」


「わかってるよ」


 唐傘と濃艶が、二人で娘を寝かしつけている。


「寝ている間に、仕事でもすませな」


 番傘にいわれて、高志頷いた。


「がんばって働いて、早く自分の家を建てないとな。これ以上増えて人の姿になられたら、この部屋には収まらなくなるよ」

 

 溜息が漏れる。


「ごちゃごちゃ言わずに、さっさと仕事しな! いっぱい稼いで、お嬢においしいまんまを食べさせないと」


「はいはい、それより声がでかいって」


 口を袂で押さえて、唐傘が首を竦める。


「今夜は嫁さんも帰ってこないし、久しぶりに宴会でもしようか?」


 高志がいうと、小さく拍手が沸き起こる。


「それじゃ、仕事はなしだ。つまみの準備でもしてくるよ」


 障子を開け放つと、暖かな春の陽気が体を包む。

 今夜の宴会も、どうせ主役は娘のさくらだろう。


「騒がしくなるな、母さん」

 

 部屋の隅に立てかけた写真に、高志はそっと呼びかける。

 笑顔で部屋を後にした高志の尻で、右に左にと古い鈴が揺れていた。





読んで下さってありがとうございました!

この物語は、これで完結となります。

一話ずつは長くありませんが、43話……最後までお付き合いくださったことに、心より感謝です。

では、これにて終了なり……ありがとうでした。

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