41 階途中にある薬師屋
森の中に入ると、姿を消していたすずが現れた。
「すっかり静かじゃのう」
「わざわざ口にだしていうなよ。戻りたくなるだろ」
「あいつらにとって七年など昼寝したら過ぎる時間だが、アホウにとっては長いのう。七年あれば、おっさんの仲間入りじゃ」
「そんな歳じゃないって」
「居なくなると、なかなかどうして寂しいのう」
こいつわざといっている。
すずの頭を小突こうとした高志は、はっとして立ち止まった。いつの間にか、道を塞ぐように老人が立っていた。
「このまま森からでたら、結界を抜けてしまうよ」
見覚えのある柔和な笑顔は、古物市ですずと硯を交換した、あのときの老人だった。
「お久しぶりです。どうしてここへ? それに結界のことを知っているのは、なぜですか?」
古物市で会った老人は、何かを隠してあそこにいたのだろうと高志は思った。
今目の前に居る老人はあの日と同じ笑顔でいながら、まったく違う存在感を放っている。
「あぁ、木の枝に新芽が芽吹いていく」
見上げた木々は、春だからこそ枝を広げてたっぷりと葉を付けていたが、その隙間から、新しい葉がどんどんと芽吹いていく。
まるで肥料を与えられた植物の生長を、早送りで見ている気分だった。
「アホウはこれだから困る。最初に会ったときに気付かなかったか? この方は神じゃ。」
「えっと、新芽の神様?」
「馬鹿者が!」
すずが短い足で高志を蹴り上げるのをみて、神と呼ばれた老人が笑う。
「確かにわたしが近くによった者は、少なからず芽をだす。それは能力であったり、やる気であったり、生きる力であったり。時には、心からの願いであったりと様々だ。特にこれという名で呼ばれたことがないから、新芽の神様というの悪くないかな」
心地よく響く笑い声をあげる神に、高志はひたすら頭を下げた。
「藥師屋へいくのだろ?」
「はい。やっと思った所へ思ったように行けるようになりましたから、薬師屋を目指そうと思います。今はもう、胸も痛みませんが、一応気になりますから」
そうか、と神がいう。
「それより神様、このすずですけれども、何度か助けては貰いましたが、基本は大食いの大酒ぐらいで、ぼくの命を守った以上に、ぼくの財布の中身を減らして困っています」
もとはといえば神が硯を望んで、すずは高志の手元にやってきたのだ。
「ひとをただ飯ぐらいのようにいうな! アホウのくせに」
まあまあ仲良くなさい、と神が取りなし二人は休戦することとなった。
神がゆったりとした足取りで、高志達に近づいてくる。
「一度結界を抜けたら、七年はここへ戻れない。いま森を抜けることは、結界を抜けることと同じ。外に出たら、薬師屋までの道程は遠い」
「何日くらいかかりますか?」
さて何日かな、神が小首をかしげる。
「新しい人生の門出に、わたしからの餞だ」
そういうと、神はすっと片手を前にだし、高志の胸をトンと突いた。
さほどの力でもないというのに、高志はバネに弾かれたかのように地から足が浮き上がり、そのまま後方に飛ばされて背中から落下した。
「またか!」
地に打ち付けられる感触などいつまでたっても訪れず、仰向けに落ちていく視線の先で、崖の上から見下ろす神の姿が見えた。
妖も神も、どうしてひとを突き落とす事が好きなのかと、高志は仰向けで落ち続けながら、ひとり顔を顰めるのだった。
同じく突き落とすでも、神の落とし方はやはり上品だ。
背中から吹き上げるとはいえ風圧に目を閉じた高志は、次の瞬間目を開けると広場の端のベンチに腰掛けていた。
「薬師屋はこの町にあるよ」
どうやって現れたのか、涼しい顔で神が隣に座っている。
「すずは?」
「おてんばのくせに、落下するのは好まないらしい。さっさと鈴に身を潜めて、楽にこっちへ来ているよ」
口元で笑う神に、ほっとして高志も笑顔を返す。
「イカ焼きの匂いがするぞ!」
こちらもいつの間に現れたのか、すずは指をくわえて傍らに立ち、その場で駆け足をしている。
「まだだよちゃんと。薬師屋にいってから」
すずはぷっくりと頬を膨らませ、腹いせに高志の靴をぎゅっと踏んだ。
「痛いって。イカ焼き買ってやらないぞ!」
目を見開いたすずがぴょんと飛んだかと思うと、両足を揃えて高志の靴の上に着地した。
そんな様子を眺めて微笑む神は、懐からあめ玉を一つだしてすずに渡した。
「これを舐めて我慢おし。まずは薬師屋へいこうではないか」
歩き出した神の後を歩いて町の中へと入っていくと、祭りの飾りに彩られた道を浴衣姿で歩く姿が目立つ。
「このあたりでは、ここが最後の春祭りだよ」
春祭りが終わる季節になったのかと、高志は旅の始まりに思いを馳せた。
思えばずっと、祭りと共に歩んだ旅だったように思う。
薬師屋へいけば、飲み込んだ苦緑神清丸のもたらす体調の異変に、本当に終止符を打てるのか疑問だったが、とにかくいってみるしかないと思っていた。
「この町も変わったね。前に来たときはもっとすごく小さな町で、背の高い建物などなかったのに。時も景色も、移り変わりの早いことよ」
少しだけ寂しげな神の声に、高志は周りを見渡す。
古い町並みではあるが、町の中心にはビルも建ち並び、古き時代に現代の文化や技術を無造作に落とした、そんな違和感さえ感じる町並みだった。
「提灯の灯りがわたしは好きでね。まぶしすぎる白い光に溢れるこの世だけれど、祭りの日に灯される、この提灯の淡い橙の灯りだけは、変わらずにあって欲しいと願うのだよ」
高志は頷いて道の両脇をうめる、提灯の灯りをみた。
この橙の灯りが、どれほどに時が経っても懐かしい古き日本の匂いを、祭りという空間に運んでくれているのだと、高志は思った。
「ほら、見えてきた。あれが薬師屋だよ」
神の指さす先には、四階建てのアパートと七階建てのビルに挟まれる形で、古い木造の平屋が建っていた。
黒みがかった横板を、釘で打っただけに見える店の入り口には、海老茶色の大きな暖簾がかかっており、白地で藥師屋と染め抜かれている。
ここからはひとりでお行き、と神がいう。
人目を避けてすずはすっかり身を潜めているし、どうしたものかと高志が目を泳がせると、神の柔らかく大きな手のひらが高志の肩をそっと押した。
「わたしも求めたい薬はあるのだが、わたしが一緒に行ったのでは、きみの用が後回しにされてしまうかもしれないから。だから、先にお行き」
そういうことか。
高志は神に一礼して、薬師寺へと走った。
ここへ来こようとしただけなのに、ずいぶんと遠回りをしたものだ。
「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐると店内に客の姿はなく、五十過ぎにみえる男性がひとり、高志を笑顔で迎えてくれた。
「どのような症状ですか? 症状に合った薬を直ぐに調合いたしますよ」
店内には瓶に入った薬草や何やらが並び、カウンターの後ろの壁一面には小さな引き出しが備え付けられていた。
おそらく、それぞれに違う薬草が、乾燥した状態で収められているのだろう。
漂う薬草の香りを胸一杯に吸い込んで、高志はふうっと息を吐く。
「この店に、お婆ちゃんがいると聞いてきたのですが。その、苦緑神清丸という薬を子供の頃に飲んでしまいまして、それによる不都合を治す薬を造れるっていわれて、それでここへ」
婆ちゃん以外は苦緑神清丸のことも、妖や神に向けて造られる薬のことも知らないのではなかったかと、高志は話をぼかした。
「おや、苦緑神清丸とは、これまた珍しい」
高志の想像を裏切って、男はひとり納得したように、首をふりながらしげしげと高志をみていた。
「お婆ちゃんは、いらっしゃいますか?」
「ここにはいないよ。時代の流れってやつだね」
男はメモ帳をちぎると、鉛筆ですらすらと地図を書いて高志に渡した。
「先代の婆さんまでは、ここで一緒に商っていたんだよ。でも、こうも時代が変わると、なかなか難しくてね。ぼくのひい婆ちゃんが薬を煎じて売っていた頃は、人も人ならざる者も、それぞれが大らかに相手の存在を認めていたらしい。もちろん口ではそんな者を信じているとはいわないさ。でも、いい意味で共存していたらしいよ」
この男のひい婆ちゃんが現役といういことは、いったいどれほど昔の事なのか。
「今は難しいね。妙な薬をつくっていれば、人はそれを詮索するし、度が過ぎればそれを売ってよこせという。だから婆ちゃんは愛着のあるこの店を捨てて、場所を移したのさ。絶対に、ただの人が入ってこられないようにね」
「ぼくは大丈夫ですか? どうしてもお会いしたいんです」
男は白い歯を見せて笑い、心配ない、といった。
「婆さんの商売は、他言無用が鉄則だから、ぼくも多くを知っているわけではないよ。でも苦緑神清丸の名は知っている。それが何であるかも。だから、幼い頃に飲み込んだというのに、こうやって元気に姿を現した人間をみて驚いたのさ」
元気で生きていることが不思議なほど、飲んでは不味い薬ということか?
「その地図の通りにいけば、五分とかからないよ。ビルに行ったら、右側のエレベーターにひとりで乗るんだよ。誰かが乗ろうとしたら、もう一度一階からやり直しだから」
「なり直し? メモに書かれている、5、3、7という数字は?」
「エレベーターで止まる階さ。五階を押して、五階で扉が開いたら三階を押す。同じように三階で扉が開いたら七階を押す。七階の扉が開いたら、婆ちゃんの店に着くよ」
どうしてそんなに面倒臭いことをするのかと、高志が首を傾げていると、面白そうに男が笑う。
「まっすぐ七階にいけばいいのに、と思っただろう? それじゃあ本物の七階についちまうじゃないか。婆さんの店は、六階と七階の間にあるのさ。そこに行くには、順番に手順を踏むしかないよ」
「階と階の間にある?」
行けばわかるさ、と男が太い眉尻をさげた。
高志は男に礼をいい、メモを手に店を後にした。
神と別れた辺りを見てみたが、その姿は見えない。
祭り一色に彩られた町を五分ほど歩くと、男がいった通り七階建てのビルがあり、各階にはオフィスや飲食店が入り、これといって変わったところはない。
中に入ると二基のエレベーターがあり、高志は右のエレベーターの登りのスイッチを押してひとり待った。
チン
音が鳴って、無人のエレベーターのドアが開く。
中に入って急いでドアを閉め、五階のボタンを押した。普通に上昇をはじめたエレベーターは五階でチン、と音をたてて戸を開け高志は急いで三階のボタンを押す。閉じたエレベーターは三階で開き、人影がないのを確かめると、高志は七階のボタンを押した。
チン
開いたドアの先には、新しいオフィスビルとは思えない内装が広がり、目を奪われた高志は、ぼんやりしてそのまま降り損ねるところだった。
あわててドアを押し開け、六階と七階の間にあるという店に降り立った高志の目の前には、薬師寺と同じ海老茶色をした大きな暖簾があって、丸で囲んだ薬という字が白く抜かれていた。
「お客さんかい?」
奥から嗄れた老婆の声がする。
「はい。薬を調合していただきたいのですが」
寸の間、音のない静けさが、店の入り口に立つ高志を包む。
「入っておいでな」
手招くような声に惹かれて、高志は暖簾の向こうへと足を進めた。
まるで古くから使ってきた店の内装を、そっくりそのままビルの中に持ってきたような感じだった。
新しいビルの中に移築された、古めかしい木造の薬屋といったほうがしっくりくる。
「おじゃまします」
高志を出迎えたのは、黒ずんだ丸い木のちゃぶ台で茶を啜る、皺だらけの老婆だった。
「おや、人の子とは珍しい」
目を見開いたのだろう。
皺の隙間に埋もれた、小粒な瞳が覗く。
「薬をお願いしたのですが」
すると老婆は高志の背後を見るように、首を伸ばして丸眼鏡を目に当てた。
「おまえさんは後回しだ。そっちの子の方が、余程薬が入り用だよ」
すずの姿はない。
ほんの少し考えを巡らせた高志は、はっとしてリュックを開けた。
「もしかして、この者のことですか?」
取りだして見せた煙管を一目見て、老婆は深く頷いた。
どうしてもっと注意深く気を配ってやらなかったのかと、高志は奥歯を噛みしめた。もとより思い込みだった。バッテンが己の提灯を手に高志の元を離れたとき、煙管も連れて行ったはずだという思い込み。
「ここへ持っておいでな。早くしないと、宿った心が煙管から抜けるよ。その子たちにとっては、死そのものだ」
絡まる足で、高志は老婆の元へと走った。
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