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36 彼方からの届け物

 呆然と手首の痣を眺める高志に、声をかける者はいない。

 数人とはいえ人がいる場に、すずやバッテンが姿を現さないのはわかっている。

 それでも、誰かに会いたかった。


「すず、あのひと恐ろしかったね」


 手首の痣を、指先でなぞる。


「恐ろしくて仕方なかったけれど、違うんだ。禍々しいのでもなく、おどろおどろしいのでもない」


 手首に鼻をつけて吸い込むと、微かに煙草の香りが漂う。


「泣く子も黙るっていうだろ? そういう恐ろしさだった。いつもは優しいおばちゃんに、いたずらしてめちゃくちゃ怒られた時に感じる、そんな恐ろしさ」


 猩々非が鮮やかに目に浮かぶ。


「本気で俺に怒っているみたいだったけれど、それは憎しみではなく、衝動だと、ぼくは思うんだ」


 バスのアナウンスが、町に止まることを告げた。

 高志は停車のボタンを押して、リュックを背負う。


「彼女はぼくに、どんな呪いをかけたのだろうね。どんな、想いをかけたのだろう」


 キィィ、という音と共に停車したバスを降り、高志は丘の上から見渡せそうに小さな町に入っていった。

 どうしてここで降りたのかと聞かれても、多分答えられない。

 着物を着た女性と会った、あのバスの車内から早く逃れたかったのかもしれない。


「祭りがあるのか」


 町の沿道には、紙で造られた花があちらこちらに飾られ、夕暮れにはまだ時間があるというのに、すでに子供たちが浴衣を着て、楽しそうに歩いている。


「大好きなお祭りだよ、すず」


 リン、とも鳴らない鈴を指先で弾いて、尻のポケットに財布ごと突っ込む。

 テキ屋の屋台はまだ準備中のようだが、町内会や教会が催しているテントはすでに祭り一色といった感じで、小銭を握り締めた子供達で溢れていた。


「やっぱり祭りは、一人で来るものじゃないな」


 日が暮れたら、何か食べ物でも買ってやろうかと思った高志は、人目につかない場所を探してみたが、さすがにそう上手くは見つからない。


「先に、泊まる場所でも探そうかな」


 駅の中にある案内所で、宿泊施設のパンフレットをめくっていると、素泊まり三千円の文字が目に入った。

 町の外れの公園と、キャンプ場が併設している場所の近くに印がついている。

 近くを川が流れ、釣具貸出の文字もあった。


「よし、今度こそ釣りだ」


 釣れても釣れなくてもよかった。あの着物の女性が残した、心に残る妙な違和感を、煙草の香りの記憶を、ゆっくりと考える時間が欲しかった。


 歩いたらどれくらいかかるのだろうと、考えながらトイレに入りチャックを下げる。


「おい、今日は飯抜きではないだろうな? さっき、いか焼きの良い香りがした」


 急に現れたすずに驚いて、高志は慌ててチャックをあげる。


「だからさ、トイレで現れるのはやめろって」


「外には人がいるぞ? まぁ、いたからといって見えんがな」


 すずに後ろを向かせて用を足し、トイレからつまみ出そうとすると、短い両足を踏ん張って外にでようとしない。


「イカ焼きを買ってくれるというまで、絶対に動かんぞ!」


「そんなにイカ焼きばっかり買っていたら、オレの青春が破産する!」


 揉み合いへし合いしているうちに、入口の外で人の声が聞した。

 このままだと一人で騒いでいる変質者は、間違いなく高志だろう。


「わかった買うよ。買いますよ!」


 何食わぬ顔で外に出ると、入れ違いに若い三人組が入ってきた。


「タイミングが悪いったらありゃしない」


 ぐちりながら商店街のテントまで戻り、イカ焼きと、バッテンの好きなたこ焼きを買う。


「今夜の飯は、釣った魚だ!」


 鼻息荒く歩き出した高志の尻で、リン、とひとつ鈴が鳴った。




 一時間近く歩いて辿りついた宿は、空いているからと快く高志を迎えてくれた。

 釣りをしたいのだというと、ここから自転車で二十分ほどいったところに川があって、そこがよく釣れるのだと教えてくれた。


「時間が中途半端だから、釣れるかしらねぇ」


 今から行きたいのだというと、ふっくらとした女将はそう言いながらも釣り道具と自転車をもってきた。


「祭りもあるので、夕方には一度戻ります」


 そういってペダルを漕ぎ出すと、久しぶりに乗る自転車は爽快そのものだった。

 背中で揺れに揺れているリュックの中で、バッテンの悲鳴が聞こえてきそうな気がしたが、文句なら後からいくらでも聞いてやろう。

 釣竿をリュックに差して自転車で疾走する様は、何げに行き交う人々の視線を集めたが、そんなことはどうでもよかった。


「風だー!」


 高志は子供みたいにペダルから足を離し、通り過ぎる風の感触を楽しんだ。



 『河川敷公園』

 文字も掠れた看板を頼りに進むと、流れの緩やかな川が見えた。

 まわりは小高い山に囲まれていたが、ぽつりぽつりと暇つぶしらしき釣り人の姿もみえたから、安心して高志は上流へと足を進めた。

 岩場を乗り越えながら進んだ先に、座りやすそうな岩を見つけて、高志はここを今日の釣り場に決めた。


 高校時代に似非な釣り好きの友人に教えてもらった、怠け釣りにも適した場所だった。


「岩と岩の隙間に竿を差してっと」


 投げた竿を、支えとなる岩の隙間に差して固定する。

 あとは読書をしようが、昼寝しようがよしというわけだ。

 しばらく寝転んでいると、本格的な装備の釣り人が二人通りかかった。


「この時間じゃ釣れないだろう? 俺たちは上流にいって、釣るのは明日の早朝になるよ」


 声をかけてくれた二人は、手を振って上流へと続く茂みの向こうに姿を消した。


「怠け釣り万歳だな」


 人がいなくなったのを見計らって、すずとバッテンが姿を現した。

 誰に断るでもなくイカ焼きを頬ばるすずと、ひとつづつ味わうようにたこ焼きを食べるバッテンをみて、高志はなんだか可笑しくなった。

 冷静な妖と、ハチャメチャな身元知れずがひとり。なぜ自分の側に離れずいてくれるのかは疑問だが、今はそれがありがたい。


「気持ちよすぎて眠くなってきた」


 昨夜の寝不足と、久しぶりに全力で走った自転車が、全身の筋肉にじんわりと疲れを残している。

 夕暮れまではまだ時間があるし、眺めていても魚は釣れないだろう。態勢の悪い岩場になんとか身を横たえ、高志は心地よい日差しの中で目を閉じた。




 

「釣れてるよ!」


 突然かけられた声に、高志は跳ね起きた。

 岩に差した竿が、弓なりにしなっている。


「うわ、どうしよう!」


 握った竿の先から、水の中を跳ね回る魚の躍動が伝わってきた。

 魚の引く力は思っていたより強く、どれほどの大物かと胸が高鳴る。

 一気に引き上げた竿の先で、糸が水しぶきを纏いキラキラと光る。尾で水しぶきを散らしながら、空中で魚が跳ねた。


「ちっさい!」


 想像の半分の大きさにも満たない小魚が、岩の上で跳ねている。


「こりゃあ、小さいな」


 魚に気を取られて、起こしてくれた人物のことをすっかり忘れていた高志は、声のする方を見て目を丸くした。

 声の主は小さく細長い木舟を岸に寄せ、その上に立ちながら柔かに高志をみている。


「起こしてくれて、ありがとうございました」


 濃紺の甚平を着込んだ男の、年の頃は四十くらいだろうか。


「川下りですか?」


「川下りではないよ。ところで、早く魚を水に入れないと、岩の上で焼き魚になってしまうよ」


 慌てて魚の口から針を抜き、借りたバケツに入れた水の中へぽとりと放す。


「川下りじゃないなら、この船でどこまで?」


 そう問いかけると、男は上目遣いに首を傾げた。


「はて、何処までだったかな? ここの次は確か遠い場所だったから、二、三日はかかるかな」


 この小さな船で二、三日とはいったいどういう仕事なのだろう。


「君は、人間の白河君だよね? 正真正銘人間の、白河高志くん?」


「どうしてぼくの名を?」


 ほっとしたように息を吐き、男はにこりと微笑む。


「君にお届けものだよ」


 行き先さえ自分の思いどうりにならないというのに、その先に届け物?

 高志でさへ住所を知らない、川渕の岩の上に届け物などありえるのだろうか。


「あなたは、いったい誰ですか?」


 大きな麻袋の中を漁っていた男は、手を止めて頭を掻く。


「すまないね。いつもの癖で、僕のことを知っている前提で話を進めてしまったよ。普段は神様にしか、お届けものはしないから」


 やっぱり、この世の者を扱う人ではないということか。


「神様にお届けものということは、あなたは神様ではないの?」


 はははっ、と大口を開けて男が笑う。


「ぼくは文使いだよ。木船に乗って、各土地に住まわれる神々に届け物をするのが、僕の役目」


 文使いは、荷をよほど奥に詰め込んだのか、まだ麻袋を漁っている。


「神様専門の文使いがぼくに届け物って、いったい誰から?」


「今回は特別なのさ。長い間お世話になった神様の、最後のお届けものだからね。あった、あった」


 文使いは勢いよく、麻袋から腕を抜き取った。


「確かに届けたよ」


 紫の袱紗に包まれた、手のひらに乗る大きさの薄っぺらな物を、文使いは大切そうに僕の手に握らせる。


「ありがとうございます。これを送ってくれたのは、何という神様なんでしょうか」


 文使いは、少し寂しそうに睫毛を伏せる。


「とある場所に永くおわした地主神様だよ。詳しくは聞いていないが、約束したからと、笑っておられた」


「あの時の地主神様だ」


――面白い物でも見つけたら、旅先から便りでもだします。


 あの日、地主神は確かにそういった。その些細な約束を、守ってくれたのだろう。


「地主神様は元気でしたか? 産土はまだたくさん残っていましたか?」


 詰め寄るような高志の問いかけに、文使いは力なく首を振る。


「産土の残りも僅かだから、足を伸ばせるのもあと少しだと、笑って去っていかれたよ。古からの、とても良き地主神様であられたのに」


 その言葉に高志は頷いた。湧いて出そうな涙を抑えるために、力強く頷いた。

 文使いは、平らに削られた櫂の先で、とん、と岩を突いて岸から離れる。

 細長い船が、川の流れに大きく揺れた。


「もう会うこともないだろうが、君に届け物ができて良かったよ。地主神様がおっしゃっていた通りの男だった」


「ぼくが?」


「神が人と共に息をしていた頃の、古き良き人の子の匂いがすると。他人の想いに己の心を寄り添わせることのできる、淡く光る産土を胸に抱く青年だとおっしゃっていた」

 

「そんな立派な人間ではないです」


 あの日だって何の知識もないから、ひたすら地主神の言葉に耳を傾けていた。

 それしか、できなかっただけのこと。


「ぼくはいくよ。次の土地で待っておられる神様のためにも、急がなくては」


「ありがとうございました」


 ゆっくりと手を振る文使いを乗せて、木船が川を下っていく。

 小さくなるその姿に、高志は深く頭を下げた。

 川が穏やかに曲がる少し手前で、川面のきらめきに溶け入るように、木船はその姿を消した。


 いつの間にか、空が夕焼けに染まりはじめている。

 手の中に握っていた紫の袱紗を、高志は丁寧に開いた。


「絵馬?」


 微かに煙草の煙の匂いがして、腕の痣に目を落とす。

 年季を感じさせる古びた絵馬に書かれた、馬の絵を眺めていた高志は、それを裏返して言葉を失った。


――面白いものみつけましたわ。


 柔らかな地主神の声が、耳元で響いた気がした。



読んで下さってありがとうござました!

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