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35 猩々非と半色に 浮かぶ痣


 すっかり日も昇り、少し離れて立ち並ぶ店の軒先も、客を迎える準備で慌ただしくなり始めた。


「あんなに人が集まる場所の近くに店を構えて、普通の人に見られてしまうことはないの?」


「ここに小屋が建っていることは、あの辺りの店の連中はみんな知っているさ。人当たりの悪くない、中年の男が住んでいる小屋、って位の認識だろうな。この店の本当の姿は、飴狐の力で隠されているから。たとえばそうだな、普通の者には暖簾は見えない。古びた木戸が見えるだけだろうさ」


 ぺらぺらと風に捲れる薄い暖簾をみながら、確かにあるそれが見えないのだと思うと、不思議な感覚に捕らわれる。


「ひと仕事あるんだが、手伝ってくれないかい? あの寝坊助どもが目覚めるまで、まだ時間がありそうだ」


 元来寝相が悪いのか、すずは寝返りを打っては床を縦横無尽に転がり、今では俯せの大の字になって涎を垂らしている。

 暖かい熱を求めている内にそうなったのか、俯せのすずの尻に覆い被さってアメっちが寝ていた。


「重いだろうに」


「小屋の裏の岩に酒を流し込むだけだから、そう遠くない。鈴を持ったままでも、嬢ちゃんはぐっすり寝ていられるよ」


 坂上について小屋の裏へ回ると、杉の木で作られた樽が三つ並んでいた。


「ここから少し離れた山の中で酒を造っているんだ。大方は昨日?んじまったけれど、ひと樽分はあの岩の穴に、流し入れるのさ」


 教えてもらった岩は、大人が蹲った位の大きさで、真ん中にどんぶりほどのへこみがあった。


「ここに酒を流し込んで、どうするんです?」


「まあ見てなって」


 坂上と一緒に、バケツ二個分くらいの大きさの樽を持ち上げ、岩のへこみに酒を流し入れる。

 底に穴は見えなかったから、樽の傾げ具合いを調節しないと、あっという間に溢れるだろうと、やきもきする高志をよそに、坂上は樽を真っ逆さまにしそうな勢いで酒を流し入れる。


「坂上さん、傾げすぎ」


 樽を支えながら、坂上がいたずらっぽい笑みを見せる。


「どうして? もっと勢いがあっても、いいいくらいじゃないか?」


 岩のくぼみへ目配せされて、のぞき見た高志は、あっ、と目を見張る。

 栓を抜いた樽の口からとくとくと流れ出る酒は、どんぶりほどの大きさしかない窪みをとっくに満たしているはずなのに、酒は窪みの縁から溢れることなく、僅かな余裕を残して、たぷりたぷりと揺れている。

 高志が見とれている内に、樽の酒はすっかり空になっていた。

 最後の一滴が落ちると、窪みの中の酒は徐々にその水位をさげ、最後に濡れた岩肌だけが残った。


「まるで岩に染み込んだみたい」


 ぽっかりと口を開ける高志をみて、坂上が笑う。


「まさしく吸い込まれているのさ。そしてこの酒は、この岩から繋がる離れた場所で、ほそぼそとした酒の滝となる」


 酒の滝、高志は樽の縁に残っていた、酒のしずくを指に付け口へと運ぶ。


「この酒の味! この酒が流れ出ているのは、游湯屋から近い森の中では? 御湯番さんと、小天狗が楽しみにしている酒の滝?」


 ほう、と坂上は間を丸くした。


「御湯番さんがいっていました。人の子でもなく、神でもない。存在その者をあの方というしか、呼び名を知らないと」


「ずいぶんと崇め奉られたものだな。ちゃんと人の子だっての。まぁ、憑きもの筋を人の子から外すなら、そうかもしれんな。そうか、喜んでいてくれるのか」


 うつむき加減に微笑む坂上は、嬉しそうに頭を掻く。


「飴狐がこの土地に来るもっと前、大昔に游湯屋に立ち寄ったことがあるそうでね。そのとき客人にだす酒はあっても、己がそれに口を付けるわけにはいかないから、我慢しているのだと。たまに神々が土産にくれる酒以外を、口にできないのだと御湯番が、口を尖らせていたことを覚えていてさ。わたしに出会ったとき、頼んできたのだよ。酒を造ってくれって」


「造れといわれて、すぐ出来るものじゃないでしょ?」


「器用貧乏なんだ。ここへ来るまでは、色んな仕事に手をだしてきたからね」


 芸は身を助けるというが、坂上の場合は経験してきた全てが、他人の身を助けることに繋がっているのだろう。

 真似できないけれど、いい生き方だなと高志は思った。

 

「ぼくは小屋の奥で眠ったとき、夢を見ました。姿も話し方も違ったけれど、飴狐さまと呼ばれていたから。きっと、あの祠が見せた、アメっちの記憶じゃないかと思うんです」


「そうか、見たのか。俺もあの祠を、小屋に持ち込んだころは毎晩夢をみた。夢の話をすると、飴狐が嫌がるからいわないけれど」


 そうか、坂上も見ているのか。


「アメっちは優しすぎます。どうして人を恨まずにいられたのでしょうね」


「恨みたい人間より、好いた人間の方が多かったのだろうさ。たとえば、あの子供達のようにね。昔は人の形さえ取れたのに、今では尻尾しか変化できないへっぽこ変化狐だが、あれでも遥遠い昔には、人に祀られていたこともあったらしいよ」


「なぜ力が弱まったの?」


「弱まった以上に、余計なことに使いすぎているのさ。祟り神とされ殺された飴狐の依り代だった体は、昔の風習で灰になるまで燃やされ、この土地の、あちらこちらに撒かれたらしい。だからこそ、ここらの土地は飴狐そのもの。付喪神達が、本体の器やらを離れてこの店に来られるのは、飴狐の力のおかげだからねぇ」


 戻ろうか、という坂上に頷いて小屋の中へと戻る。

 店に戻った高志は呆れを通りこして、感嘆の溜息を漏らした。


「すっげえな」


 どこをどう転がったのか、今度は俯せになって寝息を立てるアメっちの上に、仰向けになったすずが、でんと乗っかって二人仲良く眠っていた。


「起きろ寝坊助ども!」


 高志が声を張り上げると、すずがぼんやりと目を開け、もそもそと起き上がる。


「アメっちも起きろよ」


 べたりと潰れたように俯せになっているアメっちは、顔だけぶるぶると震わせ高志をみた。


「し、痺れて動かねぇ。漬け物石でも、背負って寝てたみたいだぞ」


 これには坂上も高志も大笑いした。

 ようやっと動けるようになってもからも、背骨でも軋むのかアメっちは、何度も何度も伸びては首を傾げていた。



「お世話になりました」


 坂上はにこりと笑い、こちらこそ、といった。

 名残惜しいのか、すずはアメっちの尻尾を指先で突いている。

 

「また近くに来ることがあったら寄ってくれよ」


「ははっ、あちこち飛ばされているので、この場所がどこか後でわかったらいいけれど」


 生きていたら、とはいわなかった。仮に生きていても、死なずに苦緑神清丸を取り出せたとして、今のようにこの店が見えるとは限らない。


「麓からバスがでているから、乗ってごらん。複雑な事情がありそうだが、どこかには着くだろうよ」


 礼をいって立ち去りかけた高志は、立ち止まって振り返る。


「おい、アメっち!」


「アメっちって呼ぶな!」


「かわいいねぇ、アメっち」


「かわいかねぇよ!」


「アメっちは、最高の化け狐だな。飴神さま」


 アメっちの耳がぴんと立つ。


「褒めんじゃねぇよ!」


 坂上は、押し殺した笑いに肩を震わせ、全身の毛を逆立てたアメっちは、ぷりぷりと店の中へ戻っていく。

 ひとつ頭を下げて、高志は店を後にした。

 振り返らずに、観光目当てで道に溢れる人々に紛れて道を曲がった。


『望めば何処へだっていける方なのに、あの地で朽ちると決められたのだ』


 御湯番の言葉が、胸の奥に沈んで溶けた。





 

 坂上に教えられたバスに乗った。

 特に行き先があるわけでもないし、たとえ望んでも望む場所への道は途絶えている。

 七人の神の役に立てといわれたが、それもこなせていない。だいたい人が神の役になど、立てるはずもないのにと思う。

 ここ数日、胸の痛みは嘘のように引いているが、それがどういう理由からなのかもわからない。


「このまま家に帰れたらいいのにな」


 出会ってきた者達は、たとえどんな結果を生みだすことになろうと、己の進むべき道を、居るべき場所をきちんと選び取っていた。

 それがどんなに正しいとわかっていても、いま父親と向かい合ったら多分いえないだろう。公務員にはなりたくないと。あなたの思う幸せは、ぼくの思うものではないと。建築家になりたいと。


「母さんが生きていたら、やっぱり反対するのかな」


 想い浮かべる面影さえ持たない母へ、高志は少しだけ思いを馳せた。

 

 山の裾に広がる町並は古く、坂上がいったように平凡な一軒家の横に、小さな蔵が残っている所が多い。

 この蔵や、古い町並みのどこかに紅婆や木念、赤鬼やでん助が居るかと思うと宝箱を見ている気分になる。


 ほとんどの客が駅で降り、バスに残った乗客は高志を含めて四人だけ。このぶんだと、このバスの路線にあるのは、小さな町ばかりなのだろう。

 古い町並みを抜けて走り続けるバスが、四つ目のバス停に止まったとき、着物姿の女性が乗り込んできた。

 半色の単衣の着物に、猩々非の派手な帯を締めている。

 帯には今時めずらしい煙管を差し、長い髪はゆるりと後ろで一本に縛っていた。 女はゆったりと、バスの後部へと向かってくる。


――薄紫色の着物も、赤い帯だと派手に見えるもんだな。


 ちらりちらりと、目が合わないように見ていた高志は、そんなことを思っていた。

 いよいよ距離が近くなり、自分の膝元を見るともなしに眺めていた、高志の視線の先に、丸く膨らんだ巾着がぽとりと落ちた。


 拾い上げて顔を上げると、髪の長い女が妖艶な笑みを浮かべていた。


「あら、ありがとうございます」


「どうぞ」


 高志が巾着を渡すと、手を伸ばしてきた女の白く細い指先が、巾着をするりと過ぎて、高志の手首をぎりりと握った。。

 驚いて手を引こうとしても、この細腕のどこにこんな力があるのか、握る白い手から逃れることはできなかった。


「熱い!」


 赤く塗られた女の唇が、輪郭をぼかしてにやりと笑う。

 さらりと乾いた白い手が、するりと離された。


「この世のものではない者から名をとった猩々非に、高貴な紫を真似た半色は、どちらも半端物でねぇ。まるであたしそのものさ」


 握られていた腕に、女の着物と帯に似た色の痣が浮いている。


「見極めてやろうじゃないか。この痣から立ち昇るものが、おまえをどうするか。絞めるもよし、殺すもよし。まぁ、どっちにしたって、あんたの子孫なんざ、あたしがぐっちゃぐっちゃにしてやるよ」


 口調とは裏腹に、顔だけは笑っている。

 高志にはそれが恐かった。

 得体の知れない恐怖に、口が開かない。


 女はくるりと踵を返し、巾着をぶらりぶらりとさせながら、バスを下りていく。

 ドアが閉まり、バスが動き出した。


――なぜだ? あの女がいた間、バスはなぜ止まっていた?

 

 逃げ場のない一本道だというのに、窓の外をみても、女の姿はすでになかった。 手首に残るのは、立ち上る幾本かの煙に似た痣。

 痣をみようと顔に手首を引き寄せると、微かに煙草の匂いがした。



読んで下さって、ありがとうございます!


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