34 生きるも逝くも、歌わにゃ損そん
「イカ焼きはないのか? イカ焼きがない店など二流だぞ」
「我が儘いうものではありませんよ。もともと三流のお店なのにねぇ」
「なにおぅ? おう焼いてやらぁ! こら飴狐、寝っ転がってないでさっさとイカ釣ってこい!」
「ぼけ! ここは山だぞ! だいたいどうやって釣んだよ!」
明かりの灯された店内は、三人と一匹しか居ないとは思えないほどの喧噪に包まれていた。
寝起きでさえ食欲をそそる、香ばしい料理の香りが店内に満ちている。
「起きたか。体調はどうだい? 少しか良くなったかな?」
厨房の入り口に立っていた高志に気付いて、坂上が声をかける。
「お陰様でいい感じです。それより、うちのガキンチョが迷惑かけてませんか?」
坂上は目尻に皺を刻み、あんたも大変だな、といって笑った。
良薬口に苦しというが、妙な眠気が消えたどころか、疲れの全てが根こそぎ抜き取られたかのような爽快感があった。
カウンターには煮魚に野菜の煮付け、天ぷらに唐揚げなど、様々な料理が皿に盛られ並べられている。
「お客さんはいつ頃来るんですか?」
「夜中の十二時を過ぎたから、もうぼつぼつ来ると思うよ」
「毎日こうやって宴会のようなことを?」
「一人でも二人でも、客が来るとわかれば準備するさ。長い時を生きているとはいっても、やっぱり限りはあるんだよ。いつその命の糸が、ぷつりと切れるかしれない奴らだから、楽しませてやりたいじゃないか。こいつに会えるのは、今宵が最後かもしれないって、いつだって肝に銘じて料理をつくるのさ」
坂上は人でありながら、人ではない者達をすっかり自分の人生に受け入れて、相手にも受け入れられて生きている。それに比べて自分はどうだ。
見かけただけ。
見えただけ。
知っているだけ。
それとは気付かずに、すれ違った者もいただろう。助けを求めたかった者も、一時を共に過ごす相手を探していた者もいたかもしれないのに。
――情けないな。
思いを振り切るように高志は大きく息を吐き、坂上が運ぶ皿の準備を手伝うことにした。
「変化!」
「まるっこい尻尾も良いのう」
「変化!」
「おおっ、蝶の羽のようではないか! お主やるのう」
店の隅ではすずがアメっちに、尻尾を変化させては遊んでいる。
バッテンはすでに自分の席を確保して、ちびりちびりと酒を口に運んでいた。
すずの相手をしていたアメっちの両耳がぴんと立ち、早足で店の表へと出ていった。
「客がきたようだな」
アメっちの背中を、横目でみながら坂上がいう。
高志もあとを追って、暖簾をくぐり外へでた。
森の深い闇の中に続く道の向こうから、いくつかの青白い灯りがこちらに向かっていた。
「おーい、顔引っ込めてた方がいいよ。俺以外に人がいるなんて思っていないから、びびって帰っちまうぞ」
店の中から聞こえた坂上の声に、高志は慌てて店の中に引っ込んだ。
「すずは関係ないだろ?」
なぜか一緒に店に飛び込んだすずはぺろりと舌をだし、つられただけだ、といった。
厨房の影から暖簾の方をじっと見ていると、バッテンまでが一緒になってこそこそと姿を隠しに来た。
「バッテンも関係ないだろ?」
「いやあ、どんなのが来るかわからないからねぇ」
相手を気遣った訳ではなく保身のためかと、高志は呆れて肩を窄めた。
「いらっしゃーい」
坂上の声と同時に、暖簾が店の内側へ向けてふわりと浮いた。
暖簾から垣間見える店の表は、闇が張り付いていて誰も立っている様子はない。
「器用だねぇ」
バッテンが、さも面白いという声音でいった。
風に押し上げられたように浮いた暖簾の隙間から、太い腕がにゅっと突き出る。
それに続いて、毛むくじゃらの太い足、最後に現れたのはつるっハゲのでかい頭の男だった。
その後ろからついてきたのは、暖簾にさえ頭が届かないほど小さなお婆で、頭のてっぺんに丸く団子を結っている。
その次はもう人の形さえ取ってはいなかった。碁盤縞模様の浴衣からでる手足は人のそれだが、上についている頭は赤鬼そのもの。
「奇っ怪な者が揃ったの」
「すず、せめて個性的っていいなよ」
小声でいって、高志はすずを肘で小突いた。
最後にゆったりと店に入ってきたアメっちは、薄茶色の毛に覆われた背中に、小さな男の子を乗せいていた。江戸時代そのままに角前髪を結い、着物はというと、つんつくてんに短くなった黄色地に黒の格子柄の着物を、さらに尻端折りしている。
「美味そうな匂いじゃ」
背伸びしてカウンターの上を覗き込んだ、小さなお婆がいう。
「今日は他にも客人がいてね。紹介したいんだが、あわてて逃げ帰ったりしないでくれよ?」
何事かとそわそわしはじめた客に微笑むと、隠れていた高志達に坂上が手招きした。
一番最初に飛び出したのはすずで、バッテンものんびりと店の中へ歩いて行く。
「珍しい。新参か?」
嗄れた鬼の声が、店の中に響き渡る。
「いやぁ、もっと変わり種がひとりいるんだ。でておいでよ」
へっぴり腰で頭を下げ下げ高志が姿を現すと、一瞬店の中が静まりかえる。
「人の子だぁー!」
小さな男の子がアメっちの背で叫んだのを機に、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「だから、慌てるなって」
坂上の言葉など、誰も聞いてはいない。
逃げようとしているのか慌てているのか、誰もが出口を見失い、さして広くない店内を四方八方に逃げ惑っている。
どうしたらいいものかと高志がおろおろしていると、すずが椅子の上に立ち上がった。
「静まらんかぁー!」
どーんという振動が響いて、壁に衝突した鬼が仰向けにひっくり返る。
「この者のことなど恐れるな。わしの連れじゃ。役にも立たぬが、何の害もないからの、酒の席に混ぜてやってくれ」
すずがいうと、逃げ惑っていた者が互いに目を見合い、みんなが小さくうなずいた。
「この人は飴狐が昼間に連れてきたんだ。心配ないよ。わたしと同じ種類の人間だから」
坂上の言葉にほっとしたのか、表情を緩めたみんなは、思い思いの席に着いた。
アメっちの背に乗っていた男の子は赤鬼がつまみ上げ、カウンターの上にのせてやった。
「白河高志です。よろしくおねがいします」
「端から紹介しようか。このお婆は紅珊瑚のかんざしの付喪神で紅婆。だから年の割に着ている着物が派手だろう? 牡丹色なんざ、普通は若い娘が着るもんだ」
うるさいね、と紅婆がくくくっと笑う。
「このでっかいハゲ頭は、古い木魚の付喪神で木念。いい音がしそうな頭だろう?」
でも中身は空っぽ、といわれた木念は、太い指先で男の子を弾いて転ばせた。
「いま転がってるのは、でんでん太鼓の付喪神のでん助。ちびのくせに口だけは達者だ。そんで、こちらは見ての通りだが、鬼の面の根付けの付喪神で赤鬼。こんなところかな」
紹介が終わったところに、暖簾が捲れて入ってくる者がいた。
「遅くなったで」
茶色い無地の着物を着た初老の男は、高志をみて目を丸くしたが、赤鬼に襟を掴まれこんこんと事情を説明されると、笑顔でぺこりと頭を下げた。
「こいつは湯呑みの付喪神で茶の葉爺というのだ。こいつだけは己の居場所が良くわからんくてな、この山のどこかに埋まっているのか、落ちているのか」
赤鬼がいうと、宿無しだで、と茶の葉爺は頭を掻いた。
「さあ、揃ったところで吞みはじめるか。でん助にこの椀はでかいから、これな」
何かのキャップだったらしき小さな透明のプラスチックに酒が注がれ、でん助の前に置かれた。
坂上の乾杯の音頭を合図に、店内で酒の入った椀を打ち付け合う音が響く。
でん助も小さなキャップで、美味そうに酒を吞んでいる。
小さなでん助の為に紅婆が小さく取り分けてくれた料理を頬ばる姿は、どう見ても小さな子供そのものだ。
アメっちも椅子をひとつ占領し、皿に入れて貰った酒をぺろぺろと舐めていた。
「ちゃんと変化できたら、もっと楽に呑めるのになぁ?」
「うるせぇよ。しっぽ変化を馬鹿にすんじゃねぇぞ」
牙を剥いて見せるアメっちの前に、焼きししゃもを置いてやると、すっかり機嫌を直しておかわりまで催促する。
すずは小さなでん助が気に入ったのか、あれこれとかまっては、何か話して笑っていた。
「まてまて、まだ話はおわっとらんぞ。あと八十二年分じゃ」
赤鬼に気に入られたらしいバッテンは、こっそり逃げようとして帯をがしりとつかまれ、眉をハの字にしている。
「茶の葉爺はどうして自分の居る場所がわからないの? 湯呑みに宿っているときの、周りの景色とか物音とかは?」
その点だけがどうしても不思議だった高志が首を傾げながら聞くと、茶の葉爺は皺だらけの顔をくしゃっとさせてにこりと笑う。
「いつからか、湯呑みに宿っているときは、真っ暗で何にも見えんようになったで。匂いというても、枯れ葉とか土とか、この辺りの山の臭いしかせんよ」
「ここへ来るときはどうしているの?」
「飴狐が吠えて呼んでくれるんじゃ。そうすると、己の宿った湯呑みを離れて、直ぐそこの辻にいつも立っとる」
茶の葉爺は当たり前のようにそういうと、すっかりいい気分になってひとり踊っている赤鬼の元へ行き、共に手を上げ足を上げ踊りだした。
赤鬼など椀では足りずに、うどんのどんぶりに酒を注いで吞んでいる。
一番人気の唐揚げが、あっという間に一皿平らげられ、豚の角煮が盛られた皿と取り替えられた。
「おい赤鬼、いつものあれを唄えや!」
木念がいうと赤鬼は得意げに胸を張り、それをみてみんなが喝采をあげた。
茶碗や酒瓶をちんどんちんどんと、思い思いに鳴らして拍子をとっている。
合わせて高志も手拍子を打っていると、下手くそな踊りを披露しながら赤鬼が唄いだし、みんながそれに合いの手を入れる。
しなりしなりと歩く背はぁ
アッヨイショ!
盛りの牡丹と声かっけりゃあー
アッソーレィ!
振り向きゃしわくちゃ紅しょうがぁー
アッ、ソレソレドンヤサー!
唄に合わせて腰を振り振り歩く紅婆が、きゅいと振り向くと、拍手とヤジが沸き起こった。
ぽくりぽくりと叩かれてぇー
アッヨイショ!
死出を弔うその内にぃー
アッソーレィ!
水瓶のっぞいて驚いたぁー
アッドウシタ!
弔う髪すらあっりゃしねぇー
アッ、ソレソレドンヤサー!
顎をきゅっきゅと突き出しながら、腰を屈めて禿頭を撫で回す木念に、ヤンヤヤンヤの声が飛ぶ。
愉快な唄が続く中、酒の入った湯呑みを持ちながら踊る者まで現れた。
自分の唄が始まると、でん助は着物の裾を端折った尻を、右に左に突き出しながら、戯けて皿の間を踊り歩いていた。
ついには全員が踊りだし、笑って酒を吞んでいた高志まで、茶の葉爺に手を引かれて賑わいの輪に入った。
バッテンは相変わらず赤鬼に袖を掴まれ、すずは一升瓶を抱えてくるくると回っている。
真っ赤な顔の坂上も、阿波踊りに似た上手い手つきで踊っていた。
宴が最高に盛り上がったそのとき。
パリン
どこからともなく、茶碗が割れたような音が響いた。
店の中で好き勝手に踊っていた、みんなの動きがぴたりと止まる。
手足をあげたまま固まった様子は、まるで空気さえ動きを止めたように高志には見えた。
どうしたのかと問う間もなく、今宵一番といえるほどに張り上げた、赤鬼の声が轟く。
アッ、ソレソレドンヤサー!
その声を合図に、何事もなかったかのように、部屋の空気が動き出す。
賑やかな踊りの輪の中、高志だけは動けずに立ち尽くす。
何も変わらないように見える店の中に、茶の葉爺の姿がなかった。
みんなそれに気付いているのだろう。
気付いて踊っている。
笑いながら声を張り上げて踊る、紅婆の目尻に小さく涙が溜まっていた。
生きるもぉ逝くもぉー、歌わにゃ損そん
アッ、ソイヤサー、ドイヤサー!
高志も踊った。
奥歯を噛みしめながら、笑顔で踊った。
夜明けが近づいて、アメっちが先頭にたち、みんなそれぞれの場所に帰っていった。
アメっちの背にのったでん助は、闇に紛れて姿が見えなくなるまで、小さな手をいっぱいに振っていた。
「静かなのを通り越して、寂しいですね」
店に入って後片付けを手伝う高志に、坂上は鼻に皺を寄せてみせる。
「今日はあんたらが居るからましさ。いつもなら、飴狐が帰ってくるまで一人きりだから」
「誰も口にしなかったけれど、あの音は茶の葉爺の湯呑みが割れた音では? だから茶の葉爺は姿を消した」
坂上は、睫を伏せながら頷いた。
「茶の葉爺の湯呑みは、本当に何処にあるかわからない。本人は真っ暗だといっていたし山の匂いがするというから、昔に捨てられて土に埋まっているのかもしれないし、あるいは山のどこかに転がっているのかもしれない。だが、割れちまったんだろうな」
器が完全に壊れたなら、付喪神も共に姿を消すだろう。
「茶の葉爺は、もうここへは来ないんですね」
「来られないよな。だからみんな笑って踊るのさ。楽しい宴の最中に逝っちまった仲間を、楽しいまま送り出してやりたくてな」
目尻に涙を浮かべて踊っていた、紅婆の顔が浮かんで胸が痛んだ。
「ほとんどの奴は、この辺りの古い家の納屋や、蔵ん中で忘れられている。桐の箱に仕舞われている奴なんていないんだ。だからたまに、今日みたいなこともあるのさ。棚から落ちて割れる奴もいるだろう。荷崩れしたあおりを受ける者も。酷いときには、捨てられて壊れる者もな」
皿を洗いながら、坂上は少し寂しげに口元を歪めた。
「長く生きる分、逝くときはあっけないんだ。忘れられてひとりぼっちでさ。そんな奴らが、ここへ来るのだけを楽しみに生きているなら、この店たたむわけにはいかんだろ?」
今度は白い歯をみせて、坂上は高志に笑ってみせた。
「すずとバッテンも、楽しそうそうでしたよ」
二人は酔いつぶれて、すっかり眠っていた。
まだ眠くないという坂上と共に、朝日が森の葉を照らすのを眺めながら、熱い番茶を飲んで他愛のない話しをした。
店の中では、床に大の字になって眠るすずの脇で、アメっちが体を丸めて眠っていた。
読んで下さったみなさん、ありがとうございます!
妖達の宴会での歌、節をつけて歌えたら拍手です。
わたしの中では、ちゃんと節がありまするよ。




