33 祟り神の想い
まるで霞になったようだと、高志は思った。
自分の体はどこにも見えないが、周りの景色は見渡すことはできる。
小鳥の声も聞こえるし、気になる物をみつけると、あっとういう間にその場まで移動することができた。
――夢か。
風にでもなったかのように上空から見下ろしているのは、山間にある大きな村。
藁葺きの屋根が点在し、黒々とした土地に多くの作物が植えられ芽をだしていた。
村から少し離れた森の中から、何かを引き摺る音と共に、野太い男の声がした。
少し意識を向けただけで、高志は声の主の直ぐ脇まで飛んいた。
幼い男の子の着物の襟を大きな狐が咥えて、川の縁へと引き摺っている。
――まさか、食べる訳じゃないだろうな。
高志の心配をよそに、狐は川辺に子供を転がすと、鼻先で突いて目を覚まさせた。
川のせせらぎが耳に入ったのか、子供は川の水に頭を突っ込まんばかりの勢いで水を飲んでいる。
――まさか、狐が助けたのか?
よく見ると子供の右足首は腫れ上がり、とても歩くことなどできそうになかった。
――足をくじいて身動きの取れなくなっていた子供に、水を飲ませるために引き摺っていたのか?
動物が違う種の動物の赤ん坊を、拾い育てる話は聞いたことがある。
赤ん坊からは、そうさせる匂いがでているとか。だが、あの子供はすでに三、四歳にはなるだろう。見えない自分の首を傾げながら、高志は川辺の様子を見守った。
「まったく、山の中など童子が一人で遊びに来るからよ」
山の空気を揺らすような、野太い声に高志は辺りを見回した。
「その足では歩けまい。人目につくところまで運んでやろう」
その声が子供を引き摺っていた、大きな狐から発せられていることに気付いても、にわかには信じられなかった。
狐の口元は、ほんの僅かも動いていない。
「もう十分に飲んだであろう? 坊主よ」
次の瞬間高志は、でもしない声をあっとあげた。
大きな狐の姿は、旅姿の初老の男へと変わっていた。
「村人に怪しまれぬためには、この姿がいいだろうよ」
水を飲んで安心したのか、再び気を失った子供を背におぶり、初老の男はなだらかな山を村へと下っていった。
人目を避けるように村へと入った男は、民家に近い道の真ん中に子供を下ろした。
「おぉ、イチタでねえか!」
背後からかけられた若い男の声に、初老の男は僅かに顔を顰める。
「あんた誰だぁ? 昨日から、イチタの姿が見えんでよぉ、みんな心配しっとったで。イチタ、すんぐ父ちゃんさ呼んでくるけんな」
走っていく男の背が遠ざかるのを確かめて、初老の男は森の中へと身を隠した。
森の木に村人からの視界が遮られる辺りまで来ると、初老姿の男は再び大きな狐へと姿を変えた。
「この依り代も、ちいとでかくなりすぎたな」
――依り代ってどういう意味だろう。妖なのかな。でも妖なら、依り代など必要としないだろうに。
子供のことが気になって村へ行くと、父親に抱きかかえられて家路につく子供が見えた。
迎えに来た男の身なりは、さっきの村人と比べても、継ぎ接ぎひとつない上等な物に見える。
「おまえを助けてくれたお方は、何所さ行っちまったんだか」
「ちげぇよ。おいらを助けてくれたんは、狐だぁ。おっきなお狐さまだぁ」
父親の言葉に、首をふってそういった子供は、かくりと首を落とし、口を開けて眠りについた。
辺りが白い霧に包まれ、高志の意識も眠りに落ちるようにぼやけ、辺りの霧に溶け込んで消えた。
高志の意識が目を開けたとき、村の季節は移り変わり、芽だけだった作物も、大きくその葉を伸ばしていた。
あの狐はどうしただろう。
思った瞬間、高志の意識は飛ばされた。
山の中を流れる、あの川辺に狐はいた。
前と違ったのは、周りに腕白そうな三人の子供がいたこと。
「なぁ、お狐さまぁ。そのかってぇーしゃべり方は、何とかならねぇか?」
「何ともならぬよ」
「難しいんなら、最後にぞ、とかねぇよ、とか付けるだけでもいいからよ」
困ったように豊かな尾を振る狐を見て、子供達が笑っている。
――狐の声が、子供達に聞こえているのか?
「ほら、また持ってきてやったど。おいらの姉ちゃんはよ、まちぃにいって綺麗なべべ着て働いてっからよ、たんまぁーに、いい物送ってくれんだぞ」
そういってイチタは懐から、棒をぶつ切りにしたような飴をだした。
――こんな村から町へ出て、綺麗な服を着ているということは、女郎屋にでも売られたか?
「お狐さまに、ひとつやんべ」
口の前に出された飴の匂いをしばらく嗅いでいたが、狐は鼻に皺を寄せてそれを舌ですくい口に入れた。
「うんめぇべ?」
高志から見ると、とても喜んでいる風には見えなかったが、子供達はお狐さまは飴が好きだと大喜びだった。
「うめぇな」
野太い呟きに、拍手が沸き起こる。
「飴なんざ、おいら達でもめったに食えねぇでよ。だども、命救ってもらったけ、お狐さまには、わけてやんだぁ。なぁ、キチ」
日焼けしたイチタの顔に、真っ白な歯が覘く。
「大人にいっても、狐が人助けするわけねぇっつって、信じてくれんの」
キチと呼ばれた子供がいう。
「大人は信じぬよ」
「だめだべぇ。なして元のしゃべり方にもどっちまうだよ。しんじねぇよ、だぞ」
もう一人の子供がいう。
「飴が好きだから、飴狐さまじゃ。ええ呼び名でねぇえか?」
イチタがいうと、狐以外の全員が賛成した。
「何でも良い……なんでもええがら、さっさとけぇれ。おこられっぞ」
狐がいうと、子供達は手をふって村に戻っていった。
「わたしは神ではないというのに。小童どもめ」
そういう狐の声は楽しそうだった。
夕暮れ時が迫っている。子供達は、ちゃんと村に帰れただろうか。
気になった高志の意識が、村へと飛んだ。
「おめぇら、こんな時間まで森で何しとんだ!」
親に怒られた子供らが、ぺろりと舌をだす。
「飴狐さまに会っとったんだぁ」
「飴狐さまぁだあ? おめえらがいう狐のことだか?」
「んだ!」
子供達が無事に帰ったのをみて、安心した高志の意識が再び霧にとけ、周りの景色も掠れて何もみえなくなった。
ぼんやりと意識を取り戻した高志の目に入ってきたのは、うっすらと紅葉しかけた山の景色だった。
もう一つ違っていたのは、畑に見える作物の姿。
収穫時期にきて、青々と葉を広げているはずの作物や、もうとっくに収穫されているはずの作物が、茶色く変色してすっかり萎びていた。
「もう駄目だべ。何もかも腐れちまっただ」
村人が一カ所に集り、頭を付き合わせて深刻に話しているのがみえた。
「こんなんでは、冬もこせねぇ。みんな、おっちんじまうで」
眉間に皺を寄せた男達の横で、女が床をどんと叩いた。
「おめえらは、畑のことばぁっかかよ! ガキどもはどうすんね! 村の子供がいっぺんにおっちんだら、働き手がいなくなるんだど!」
子供達に何かあったのか、高志は胸がざわざわと騒ぐのを覚えた。
「村の地蔵さんだてよぉ、ちぃやーんと祀っとったでよ」
「知るか! 早う何とかせんと。こんままだと、山神さまにでも祟られたみたいだで」
村人がしんと静まりかえった。
大勢の子供が一度にとなると、疫病か?
「祟り神だで」
村人の一人がぶるっと身震いながらいった。
「何だて?」
「ガキどもが具合わるうなったんは、祟り神のせいだで」
男の言葉に、全員が耳を傾けた。
「イチタがいっとったろ。助けてくれたんは、人じゃのうて、狐じゃて。あれからずーと、ガキどもは仕事さぼっちゃあ、山ん中へえってたでよ。爺さんやったもんが、狐なんぞおかしいでな。化けとったんでよ。祟り神が人と狐の姿に化けて、この村に祟ったんだで」
違う、それは違う! どんなに叫んでも、高志の声は届かない。
「イチタに狐ばあ、連れてこさせろ! 嫌だいうたら、縄で吊してでも連れてこさせんだ!」
村人が木戸を、ぶち破らんばかりの勢いで飛び出していく。
畑の作物が駄目になったのは、農薬のないこの時代なら仕方のないことだろう。
子供が病に倒れたのも、おそらくは疱瘡など流行病にすぎない。
――人々の無知が、罪のない者を裁こうとしている。
食うものにも困り、子を奪われようとしている村人は、完全に我をなくしていた。
――子供に知らせないと、狐にも。
周りの景色が嵐に巻かれたように、一気にぐるりと回った。
周りが見えるようになっても、高志の目はまだ回っていた。
ないはずの体が吐き気を覚える。
――これは夢だ。夢なんだ。
どんなに言い聞かせても、感じる風が、音が高志に現実感を押しつける。
いつもの川辺で、悠々と寝そべる狐にイチタが抱きついていた。
イチタの嗚咽と川のせせらぎしか聞こえない中、森の茂みには取り囲むように村人が潜んでいる。
「飴狐さまはぁ、祟り神なんかじゃあねぇよ。なんぼいっても、だぁれも聞いてくれねぇんだ」
イチタの涙が美しい毛並みを濡らしても、狐は微動だにしない。
「逃げてくんろ。おいらには、飴狐さまばあぁ、守ることはできんかった。ごめんな、ごめんな」
イチタが押しても、狐は立ち上がろうとはしなかった。
「逃げるには、おめぇが邪魔だでよ」
狐がいう。
「うまく逃げれるがか?」
「ゆっくり大人のもとに行ってくれんだか。そしたら、逃げるで」
イチタはこくりと頷き、狐にしがみつくようにして懐から飴を取りだした。
「最後の飴だでぇ。飴神さまにやるよぉ。落ちとるもんは食ったらいかんで。毒入りもばらまく奴がいるんでな」
小さな手に握られた飴が、狐の口にねじ込まれた。
涙を拭きながら、イチタが森の中へ戻っていく。
何度も振り返りながら戻っていく。
「逃げるのは容易いが、いま逃げれば坊主が袋だたきにされるだろうよ。この依り代も、そう長くは持たぬ」
狐はゆっくりと立ち上がる。
「飴とやらも貰ったことであるし、どうせ死ぬなら幼き友にのため、祟り神として死ぬのも悪くはなかろう」
立ったまま動かぬ狐に、村人がいっせいに襲いかかった。
イチタの悲鳴が、大人達の怒声にかき消される。
鉈が振り下ろされた。
木の棒が振り下ろされる。
嫌な音がした。
ない目を閉じて、存在しない顔を背けた高志の意識が薄れていく。立ちこめた霧が、凄惨な光景を覆い隠した。
触れる体があったなら、泣いているだろうと高志は思った。
景色は移り変わり、空から眺める村の様子も変わっていた。
「飴狐さま」
森の中から微かに漏れる声にはっとした高志は、意識を集中させて声の主の元へと飛んだ。
川辺から少し離れたところに、手造りらしき祠が建てられていた。
そこに手を合わせているのは、年の頃は四十を過ぎた辺りの男だった。
「飴狐さま、今年も本もんの飴がなくてよ。すまねぇな」
小さな祠の前には、飴に見立てて木を彫り込んだ、小さな粒が供えられている。
「なんでぇ逃げんかったんだぁ」
あぁ、この男はイチタの成長した姿だと、高志はまじまじと男を見た。
イチタは未だにあの日のことを、忘れられずにいるのだろう。
「飴狐さまぁ、本当はよぅ、飴神さまだったんだべか。飴っ玉の好きな、神さまだったんかいなぁ」
祠の中で蠢くものがあった。
琥珀色に鈍く光るそれは、小さな毛の玉で、イチタをじっと見ているようでもあった。
振り返りながらイチタがその場を立ち去ると、子狐が祠の匂いを嗅ぎ始めた。
以前に供えられた、食い物の匂いでも嗅ぎつけたのだろう。
何もないとわかって、背を向けた子狐の尻尾に、飛びつくようにふっついた琥珀色の毛玉が、水が和紙に染みるように呑み込まれていく。
――居なくなった。
木で立てられた祠は、中に小さな空洞があるだけで、そこにいた主は姿を消した。
――あの琥珀色の毛玉は、飴狐の本来の姿か?
眠気に視界がぼやけていく。
――またか。
霧に覆われ何も見えなくなった中、高志は深い眠りに抗いようもなく引きずり込まれた。
最後に聞こえたのは、コンと鳴いた子狐の声だった。
枕が濡れた冷たさに、高志は目を覚ました。
身を潜らせている万年床が、これは現実なのだと教えてくれる。
――夢だったか?
店の方からすず達の騒がしい声がする。
窓の外はすっかり暗く、起き上がろうと高志は体を横にした。
「これは……」
夢で見たばかりの祠があった。
年月を経て乾ききった木肌は灰色に変色していたが、小さな祠の形は変わっていない。
眠りにつく前に聞こえた、坂上の言葉が蘇る。
「飴神と呼ばれ、祟り神と呼ばれたのは、アメっちか」
あれほど威厳に満ちた話し方をしていた狐が、いまではガキ坊主のような話し方をする理由がわかった気がした。
「イチタ達のことを、今でも大切に思っているのだね」
『なぁ、お狐さまぁ。そのかってぇーしゃべりかたは、何とかならねぇか?』
もうどれだけ時が経ったかわからないというのに、頑なにそれを守り通している飴神が愛しかった。
「やっぱ、アメっちだ」
顔に残った涙を腕で拭う。
「騒がしくなるな」
布団から出て、高志は店へと向かった。
読んでくれたみなさん、ありがとうございます!
次話は店での宴会です。ちょっと寂しくはあるけれど、賑やかな宴会ですっ
あと9話……43話目で完結です。
最後まで、お付き合いいただけますようにっ




