32 飴狐と祟り神
「おいらは犬じゃねぇ。お狐様だ。変化狐だ。恐れ入ったか!」
「犬がしゃべった」
「だから犬は世を欺く仮の姿。直視するも憚られる本来の姿は、お狐様よ!」
店主が隣で肩を揺らしながら、笑いをかみ殺している。
「ぜひともみせて貰いたいな。直視するも憚られる本来のお姿」
「もう見せとるだろうが!」
クジャクのように広げた尾を、感電したかのようにぴりりと立てて、犬が鼻に皺をよせた。
「じゃあ、変化してみせてよ」
ぶわっという風が巻いて、犬の尾が小さく短くなった。
「他には?」
ぶわっと風が巻いて、犬の尾が扇型に広がる。
「それだけ? 終わり?」
堪えきれなくなった店主が、膝を叩いて笑い出した。
「おいらはシッポしか変化できないんだ! これだって立派な変化だ!」
笑ってはいけないと思いながらも、目尻に涙をためた高志の鼻がひくひくと膨らむ。
「変化狐さん、名前はなんていうの?」
「飴狐だ」
「あめぎつね? 変わった名だけど、かわいいね」
「可愛くない!」
「アメっち?」
「気安く呼ぶな! 勝手に変えるな!」
むくれたアメっちが表に出て行ってしまうと、ようやく笑い終わったらしい店主が、何か?むかい、といった。
「何か食べるものをお願いします」
主人が指さした先の壁には、細長い紙に書かれた料理名が、所狭しと貼られている。
「これ全部ここで作っているの? すごいですね」
「はったりだよ。常連が頼む品は決まっているから。たくさん書いてある方が、楽しくなるだろ?」
どれを頼んでも料理がでてくる場合のみ、楽しいのではないかと思ったが、余計なことはいわない。
「うどんをお願いします」
「あいよ。天ぷら、おまけしてやるよ」
こんな嬉しい申し出はない。高志は満面の笑みで礼をいい、ふと首を傾げた。
あまりにも非日常な日々を送ってきたせいで、アメっちとも普通に口をきいていたが、今いるこの店自体がまったく普通ではない。
店主は、おまえが人の子を連れてくるなんて、とアメっちにいった。
普通であれば、人の子が足を踏み入れるはずのない場所。
そしてなりより、この店主。
高志より当たり前な顔をして、アメっちを見ていた。
はたして、人なのだろうか。
「そう構えなさんな。取って喰いやしないよ。それに俺は人間だ」
人であることにほっと肩を落とす。
「アメっちは、普通の人にも見えるの? 店主さんには、そのての者が昔から見えていたの?」
「飴狐は人には見えないよ。俺が普通の人間と違うところがあるとしたら、それは憑きもの筋の家系に生まれたってことかな」
憑きもの筋、映画や漫画で見たことはあるが、まさか本当にいるとは思わなかった。
俺のことは坂上と呼んでくれ、と店主はいった。
「坂上さんには、何かが憑いているってことですか?」
それが違うんだ、と坂上はにやりと笑う。
「飴狐がいうには、俺には憑けないんだとさ。でも憑きもの筋の血を引いているから、余計な者を引き寄せてしまうんだと」
そういうものなのか。
「最初にいた男性のお客さんはどういう?」
高志の問いに声を上げて笑うと、酒の入ったコップをだして、奢りだ、といい自分も湯呑みに注いだ日本酒を、ぐいっと一口?んだ。
「あいつは大酒飲みで、金も払わずにふいと居なくなる。でもあいつは金の代わりに酒代以上の物を置いていくのさ」
あれだけの酒をただ?みされても、それに見合う価値のあるものとはなんだろう。頭を捻っても高志の頭には何も浮かばなかった。
「薪だよ。あいつは結構な量の薪を置いていくのさ」
「薪ですか?」
「今の時代そんな物を欲しがる奴は少ないだろうが、俺にとってはたいした財産でね。なにしろ冬場もここに住んでいるから、燃料代が浮くんだよ」
坂上が顎でひょいと指した先には、古い薪ストーブが置かれていた。
「ひとりで寂しくないですか?」
すると坂上は、口から酒の飛沫を飛ばしながら大声で笑った。
「寂しかないさ。たまにはひとりで静かに眠りたいくらいだ」
閑古鳥も喉を詰まらせそうなほどに空いている店内を見渡して、高志は坂上さんも変なところで意地っ張りだなと肩を竦めた。
「あの大酒ぐらいは三吉鬼といってな、秋田にひと月ほど滞在したとき、付いてきちまった。昔は価値があっても、今では薪など喜ぶ者少ない。だから大喜びで酒を?ませちまう俺に、付いて来ちまったのかもな」
「三吉鬼って、妖怪かなにかなの?」
「昔から秋田に住まう妖怪さ。昔とは見てくれも変わったが、どんなに時代が過ぎても、あいつは三吉鬼としてしか生きられないからなぁ」
湯気の立ち上るうどんがでてきた。かき揚げの天ぷらなんて、数ヶ月ぶりだ。
「いただきます」
薄茶色の汁は出汁が利いていて、薄味ながらめちゃくちゃ美味い。
作れない品を何十個も書き連ねないで、うどん一本で勝負してもいいのにと思いながら、高志は流し込むようにうどんを食べる。
「わしの飯はどうした!」
どんっ、とカウンターの板を叩いて、姿を現したのはすずだった。
ずるずると吸い込んでいた麺が、思わず鼻から出そうになった高志は、口から数本の麺をはみ出させながら、ゲホゲホとむせかえった。
「大抵のことには、驚かなくなったつもりだったが、こりゃびっくりだ。いったいどこから湧いてでたんだい?」
目を丸くした坂上にも、すずの口は遠慮を知らない。
「わしにも酒をくれ! 食い物は、このアホウより上等なものなら何でも良いぞ!」
「わたしには酒だけいただけますか? 昨夜は坊のお守りでとんと疲れました」
高志を挟むように、バッテンも姿を現した。
げほげほと口のきけない高志をよそに、酒を出された二人はすっかり機嫌を良くして、坂上と会話を弾ませている。
自分たちが何に宿っているのか、その持ち主がどれだけアホで、どれほど迷惑を被ってきたか、すずとバッテンが嬉々とした声で、代わる代わるに説明している。
「こんな連れがいるとは、やはり妙だと思ったよ。いくら見ることができるといっても、ただそれだけの人間を、飴狐が連れてくるわけがないから」
「表の狐は良い毛並みじゃな。由緒ある狐であろうな」
すずがいう。
するとここにも一匹、簡単にのせられるお調子者がいた。
むくれて表にでていたアメっちが、自慢げに尾を靡かせながら店内に入ってくる。
簡単に騙されるなアメっち。すずはただで他人を褒めたりしないぞ、と忠告したくとも汁が引っかかった喉が詰まって声がでない。
「おお、やはり見とれるほどの尾っぽじゃの」
「わかるか? そうだよな、やはり美しいおなごは物の善し悪しを知ってるな。おい、坂上。このおなごに稲荷ずしをだしてやってくれ」
すずの目的はこれか?
どうせ魚の入れ食いだくらいに思って、内心はほくそ笑んでいるに違いない。
そんなすずの心情を知ってか、稲荷ずしを握る坂上は下を向きながら肩を震わせ笑っている。
「だいだいな、自分だけ腹を満たして、わしの飯を忘れるとは何事だ? 薄情者、恩知らず、たわけ!」
二人に挟まれて逃げ場のない高志の腕を、すずは小さな手で拳をつくって、バシバシと殴ってくる。
「だから痛いって、それ」
手が痛くなったのか足で蹴り始めたすずを、にこやかな表情で見ていた坂上は、まあまあ、といって仲裁にはいる。
「飴狐の話だと、今夜は賑やかになりそうだから、あんたらも一緒に酒を?まないかい?」
「いいのか! 酒が呑めるのか?」
坂上が頷くと、すずは頬を両手で挟んで高志をみる。
「何処へもいかんよな?」
「そこにぼくの意見が入る余地は?」
「ない」
こうして、何という町の近くにあるかもわからない山の中で、高志達は一夜を過ごすこととなった。
昨夜から断続的に寝てばかりだというのに、どうにも眠気がおさまらない高志が目をしばたいて手の甲で擦っていると、すずが天罰だ、といった。
「なんの天罰さ」
「わしに飯をくれなかった罰じゃな。鬼気を吸った泥が今ごろ効いてきたのであろうよ。うだうだとなかなか川に入らぬから、余計に鬼気の影響を受けて眠いのだ」
ふん、と鼻を鳴らすすずをひらひらと手で制しながら、坂上はひょいと奥へ引っ込み、小皿に団子をひとつのせてでてきた。
「これを食べてごらん。きっと早く調子が良くなる。たっぷり水を飲んでから眠れば、目が覚めたときには、大量の小便と共に鬼気も流れ出るさ」
見た目は小さな草団子そっくりだ。臭いを嗅いでみたが、生っぽい草の香りがする程度で、得に臭いということもない。
「これ食べたら、体が臭くなったりしませんよね?」
「こいつは屁垂れ花の葉で、痛い目にあっておるからのう」
あれを喰ったのか、と坂上は腹を抱えて笑う。
「どうりで少し臭うと思った。大丈夫だよ、これを食べても臭くならないから。ほら、ここにいると色々な者と会うだろう? いい奴らなのだが、みな初めてここへ足を踏み入れたときには、さんざん孤独に苛まされた傷を負っているから、良くない気を発する者もいる。そういうときに、俺はこれを食べることにしている」
鬼気など、邪な気を払うというのだろうか。
「いただきます」
小さな緑色の団子を、一口で放り入れた。
「皮が甘いから、けっこう誤魔化しがきいていると思うよ」
何を誤魔化せるのでしょう。下手な作文みたいな言葉が頭を過ぎる。
「中の餡がさあ、苦いんだよね」
「遅い忠告ですねぇ」
のんびりとしたバッテンの声がした。
「そして辛い」
団子を噛んだ歯の隙間から何かが染み出てくる。
「うげぇ!」
立ち上がった反動で、椅子が床に倒れた。
喉元に手を当てて何とか飲み込もうとするが、辛くて甘くて苦いという拷問みたいな目にあっている舌が、完全に拒絶して動かない。
「顔が真っ赤だぞ。ゆでだこが食べたいの」
「そのくらいなら、今夜のつまみに用意できるよ」
高志の悶絶とはかけ離れた、のんびりとした会話が遙か遠くで聞こえた気がした。
「さっさと食わんか、このたわけが!」
すずの小さな足に蹴り飛ばされた拍子に、団子が喉にゴクリと流れた。
額から汗が噴き出し目に入る。
「本当に、効き目あるんでしょうね」
「心配ない。この水飲んで、さっさと寝な。奥に布団があるから使っていいよ」
渡された水を一気に飲み干し、高志はぜーぜーと息を吐く。
「勝手に食い過ぎるなよ」
苦しくとも、すずに念を押すことだけは忘れない。
すずに手のひらでひらひらと軽くあしらわれ、高志は店の奥にある部屋にひかれた、万年床のような布団に潜り込んだ。
不思議なくらいに、口の中の苦みと辛みが引いていく。
夢と現を行き来しはじめた高志の耳に、店で話す声がぼんやりと届く。
「今宵の客人は、どのような面々で?」
「愉快なやつらであるといいがな」
「この山のまわりは古い町が多くてね。一般の家にも見向きもされなくなった物が五万と眠っているんだ。この山に捨てられた物も多いよ。そんな物を見つけては、飴狐が声をかけているんだ」
「わたしは己の提灯の側を、それほど離れられないよ?」
「だから飴狐がいるんだよ。あいつはここらの土地そのものだから。この土地の人々に祀られていたのさ。そして、祟り神と呼ばれるようになった。そんな遠い日の縁が今もこの地に染みてるってことだね」
祟神って、どういうことだろう。
それ以上考える間もなく、高志はもやもやと霧に満ちた夢の中に落ちていった。
あめかみさまー 小さな子供の声が、霧の向こうで聞こえた気がした。
読んで下さってありがとうございます!
次話はアメっちの遠い日のお話です。




