30 塵夜行に 死出の端歌
銅鑼の音の残響をまだ残す耳を押さえて、高志は暗くなった部屋を見渡した。
ざわざわとした騒がしさを取り戻した相部屋では、この銅鑼の意味をわかっているらしい妖達が窓の縁に身を寄せ、外の様子に見入っていた。
薄い雲が晴れ、空には鉛白色の月が丸く浮いている。
「顔を出すなといいたいところだが、部屋の奥に引っ込んでいては、他の者に怪しまれる。仕方ないであろうな」
固まっていた間抜けな表情をすっかりと引っ込めたすずが、高志の隣でぼそりといった。
「何が始まるの? 何が起きるかみんな知っていてここにいるみたいだ」
「今宵旅籠屋に宿をとった者はみな、これを見に来ているのだから知っていて当然だ。銅鑼が鳴ったということは、さほど待つことなく始まるだろうな」
「だから何がはじまるのさ? バッテンはぼくの心配をしていたけれど、ぼくにとって危険なのかい?」
窓の縁にかけ腕に顎を乗せたまま、すずは考え込んでいるようだった。
「そうだな。人の子であるおまえが本来、居て良い場所ではないから危険はある。屁垂れ草を噛んでいなければ、さっきのが今生で最後の酒席になっていたかもしれんな」
「そんなに切羽詰まった話だったのか?」
「それだけではないのだよ、坊」
いつの間にか横で頬杖をついていたバッテンが、沈んだ声でいう。
小さな三匹の鬼と、ぐるり目の籠目はひとつ隣の窓から身を乗り出して、あれやこれやと話している。
「この部屋の様子だけでもわかるけれど、みな楽しそうだろう? すずは物見遊山でもあるまいしといったが、この連中にとってはまさに物見遊山さ。あの行脚に加わってここへ来るなど、飽きるほど長い妖の一生でも、一度あるかないかのことだからねぇ」
楽しげな物見遊山が、自分に身の危険を及ぼすものだという意味が、高志には理解しがたい。
月明かりだけが照らしだしていた川の縁には、ゆらゆらと揺れる灯りがぽつりぽつりと間隔をあけて浮いている。
灯籠や提灯のように灯りを支える物は何もなく、空に浮く灯りだけが、流れる川面をちらりと照らす。
「バッテンは、ここに来るのは初めて?」
「いや、二度目だねぇ。前だって、好きで来たわけではないから」
「楽しくなかったの?」
「こういうのは、わたしは好かないよ。妖の悪しき性かねぇ」
ほとんどの妖が一生に一度と楽しみにしているものを、バッテンは好きではないという。 想像の付かない人外の世界を思って、高志はひとり小首を傾げた。
ダーン
耳を劈くような銅鑼が鳴り響き、旅籠屋全体から歓声が沸き起こる。
表で川面を照らしていた灯りが爆ぜて、一回りも大きく灯った。
「おまえに、見せたいものではなかったなあ」
すずがぼそりと呟いた。
川辺を覆う草が微動だにしないというのに、川面を波立たせるほどの風が川下から吹き上がった。
低い太鼓の音が響いて、音のする方を高志は身を乗り出して覗き込んだ。
祭りで耳にする太鼓の音とは違い、地が震えるような底暗い音だった。
川の縁に並ぶ灯りが途切れた先は、月明かりさえ届かないのか、漆黒の闇に包まれている。
月と灯りにちらちらと照らされ光る川面の先は、黒い霧が立ち籠めたように何も見えない。
ダーン
ダーン
続けざまに鳴らされた銅鑼に、旅籠屋の窓という窓から歓声と手を打ち鳴らす音が湧き上がる。あまりの騒がしさに高志は、臆病な亀みたいに首を縮めた。
高志の首を埋もれさせていた肩が、すとんと落ちる。
黒い霧の幕を蹴破ったように、唐突に現れた二本の足。
「何だ、あれは」
膝を高く持ち上げ、そこから膝下を直角に蹴り出しとんと地に足を着く。
そうやって一歩ずつ歩みを進める者の姿が、黒い霧を抜け出てくる。
まったく同じ動きをくり返す者が、並んで二人姿をみせた。
「まるで歌舞伎の黒子みたいだ」
奇妙な歩き方で太鼓を打ち鳴らす二人の後から、その歩みに合わせてゆっくりと、別の者達が姿をみせる。
「この行列、何処までつづくの?」
「これが夜行じゃ。俗にいう塵夜行」
そのまま黙り込んでしまったすずは、夜行から視線をずらすかのように腕に顔を埋めて目を閉じた。
二人の太鼓持ちのあとに続く者は、歩き方も身なりもばらばらで、きちんと並ぶ様子もない。
だからといって川面から外へ出ようとする者もない。額の辺りでひもにくくられた長四角の白い布で、表情を伺い知ることはできなかった。
「あぁ、足が川の水の浸かっていない。水の上を歩いているのか?」
「川下から水面を上ってくるのが塵夜行だよ。ここへの客は、みな川上から下って来ただろう?」
そして彼らは灯りとなって、水の下に潜ってやってきた。
「ここへ来た客達だって、川面を歩けるのだよ。けれどそれでは縁起が悪いだろう? 塵夜行とは真逆のことをするのが昔からの習わしで、妖といえども縁起を担ぐということさね」
忌み嫌いながらも、それを一生に一度の楽しみとされる塵夜行。
「ぼくには、良くわからないや」
するとバッテンは優しい笑顔で、高志の頭をとんと叩く。
「この先の光景をみたら、もっとわからなくなるさ。でもそれでいいのだよ。解ったなどといわれたら、哀しいねぇ。わたしの知っている坊なら、きっと解らないだろうよ」
曖昧に頷いて表を見ると列の最後尾が姿をみせ、五、六十人の夜行の全貌が現れた。
「彼らは罪人じゃ。自分勝手に生き抜く妖といえども、破ってはならぬ掟がある。その最たるものが、裏切りによる仲間殺しといわれておってな。塵夜行とは、最たる罪を犯した者を晒す為のものよ」
ずっと口を噤んでいたすずが、横目に高志をみながらいう。
「あの者達はすでに死んでいるか、瀕死に陥って魂が抜けているかだ。目の前を行くのは、死出の旅に向かう魂よ。死出送りは盛大に行われる。この旅籠屋に集まる妖の歓声によってな」
罪人の死を、みんなで宴の余興といわんばかりに眺め楽しむのが、塵夜行ということなのか。高志はぶるりと身を震わせる。
「塵夜行に列をなす者達は、普通には死ねない。死んでから行く場所も違うといわれていてねぇ。だからみな、その裏切り者の末路をみて、己はこうなるまいと戒める。そして、それを上から眺める優越感に浸るのだよ。惨いねぇ」
「屑とみなされた掟破りが、塵のように散っていく。許せぬ罪人であることは解る。だが、それを物見遊山で眺め吞む酒など、わしには苦みしか感じぬわ」
聞いたこともないほどに、すずの声が沈む。
「何人か手に鎖をかけられているのはどうして?」
「この世に残す怨念の強き者の魂を、手鎖で押さえているのさ。普通の者であれば、川辺に並ぶ灯りに封じられて、川面の外へは出られないのだけど、力のある者なら、それを破って旅籠屋の客に害をなしかねないからねぇ。たとえ体が傷ついていても、魂は生前と同じことをなせるから」
バッテンの声も、いつもの適当に浮かれた感じはなりを潜めていた。
太鼓持ちがぴたりとバチを止め、その姿が揺らいだかと思うと橙色の鬼火となった。ゆらりゆらりと漂って、川辺に並ぶ灯りに溶けてひとつになる。
取り残されて川面に立つ者達は、身じろぎもせず、手をだらりとさげていた。
誰から始まったのか、旅籠屋のあちらこちらから手拍子が湧き上がった。
隣の窓辺で外を眺めていた三匹の鬼と、ぐるり目の籠目も小躍りしながら拍子を打っている。
「おろおろ涙、おろおろとぉー! よよと よよとぉ空涙ぁー!」
「あ、そぉれ!」
「血涙絞るはこの世の者かぁー! 別れ涙にぃ、むせぶ者などあれ何処にぃー!」
「あ、そぉれそれそれ!」
節をつけた唄声が幾重にも重なり、それに独特の合いの手が入る。
くり返され盛り上がる唄が聞こえているのかいないのか、川面の者達は変わらず弛緩したまま立ち尽くしていた。
「この唄はどういう意味なのか知ってるかい?」
バッテンはこくりと頷き小さく息を吐く。
「悲しすぎて流す涙に、嘘泣き涙。裏切られ血の涙を流した者はまだこの世にいるのか居ないのか。お前達への別れ涙にむせぶ者など、何処を探しても見当たらぬ。そんな意味が込められた唄なのだよ。死出の旅路につく者を、最後に貶めているのさ」
表の異様な光景と唄の意味を考えなければ、旅籠は全くのお祭り騒ぎだった。
ダーン
ダーン
銅鑼が鳴った。
跳ね踊り唄っていた妖達が、我先にと窓辺にしがみつく。
「酷い」
それは唐突に始まった。
列の中程に居た女を、川面から迫り上がった無数の首が着物に噛みついて水の中へと引きずり込んだ。
女の姿の消えた川面には赤い泡が立ち、水に流れて下流へと下っていく。
「坊、見ない方がよいよ」
バッテンがいう。
解っている。見ない方がいいことなど。
でも体が動かなかった。
絶え間なく引きずり込まれる者達。そのたびに歓声があがる。
ひとりひとりと姿を消し、あとは数人を残すばかりとなった。
手鎖をされた一人の男を、高志は食い入るように見つめていた。
「まさか」
「どうかしたのか?」
すずが顔をあげた。
「あの男、如月だ」
テンテンとその里を裏切った天狗。テンテンが兄様と呼んだ男が、手鎖された両腕をだらりと下げて川面に立っている。
切り落とされた翼の後は、無残なままその背に残っていた。
「何処にいる?」
「ほら、あそこ!」
すずに問われて指さそうとした高志の指先に、窓の縁が当たってささくれた木枠の棘がぷつりと刺さる。
指先に赤く小さな血の玉がでた。
「痛っ」
川面に立つ如月が、布を垂らした顔を真っ直ぐに高志へと向けた。
気付いたすずが、高志の前に身を滑らせるより早く、如月が飛んだ。
「アホウが!」
そのすずごと高志を庇おうと身を乗り出した、バッテンの首のへこみから目前に迫った如月の姿が見えた。
川辺に並ぶ橙色の灯りがぶわりと火花を散らし、その身を膨らませ火柱となって如月を追う。
火柱に捕らえられた如月の動きが止まった。
拮抗した力の引き合いに蹴りがついた瞬間、炎に身を包まれた如月の体が弾かれたように引き戻される。
「如月、きみは」
引き戻される時に風に煽られて、捲れた布の下から覘いた如月の目は、真っ直ぐに高志を見据えていた。
血走った目に黒く燃えるような怨嗟を宿すそれは、消せぬ残像となって高志の脳裏に焼き付いた。
すずが肩で息を吐き、バッテンはその場に座り込む。
身を焦がさぬ炎に巻かれた如月の体が、ざっと音を立てて水面に吸い込まれ、血柱のように赤い飛沫が高く跳ね上がる。
湧き上がる歓声に取り残されて、高志達は呆然と己の思いの深みに嵌っていた。
最後の一人が姿を消し、鉛白色だった月が黄色がかった色を取り戻す。
ダーン
宴の終焉を告げる銅鑼が鳴った。
相部屋に灯りがはいる。
妖達は満足のいった顔で、話の輪を広げていた。
そんな中、木槌で打ったように階段を駆け上がる音が響いた。
廊下と相部屋を仕切った障子を、薙ぎ払うように開けて入ってきたのは、腰に長い前掛けを巻き、のっぺりとした顔をした店の男だった。
「お客様方、今宵はこれにてお開きに。なにとぞ」
客達から文句とヤジが飛ぶ。
男は板張りの床に額を押しつけた。
「どうかお帰りの支度を。人の子が入り込んでおりまする!」
「人の子だと?」
「塵夜行に人の子など!」
相部屋は慌てふためく者達で、蜂の巣を突いたような騒ぎになった。
「何をしでかした?」
「何もしていない」
睨むすずに高志は首をふる。
何でもかんでも人のせいにして、と下げた視線の先を見て高志はあっ、と声を上げた。
棘が刺さってぷっくりと盛り上がった血を吸い取ったはずの指先から、僅かに血が滲んでいた。
「これのせいだ」
慌てて指先を口に突っ込み、血を舐めた。
「人の血は体や呼気から発する臭いとは、比較にならんほど臭うのだぞ」
蜘蛛の子を散らすように、妖が旅籠屋から逃げていく。
「わしらも行くぞ!」
駆けだしたすずの後を追って、旅籠の外へでた。
妖達は我先にと、川面に身を沈めていく。
幾つもの灯りが、川の水に潜って下流へと流れていった。
「騒ぎに紛れて浮き石を渡りましょうか。とりあえず、向こう岸の雑木に身を隠さないと不味いよねぇ」
バッテンの言葉に頷くと、妖の流れに逆らって高志達は浮き石のある場所へと走った。
薄い月明かりを頼りに渡る足元は危なっかしく、焦りも加わって高志は何度も足を滑らせた。
見咎められることなく対岸に渡った高志は、平たい岩に手をついて肩で息を吐く。
「坊、休んでいる暇はないよ。 たとえ捕まらなくても、ここで人の子として顔を知られるのはまずいからねぇ」
急かすバッテンに頷きかけた高志は、静かに岩の表面を撫でて顔をあげた。
「違う、ここだよ。ここにいなきゃ駄目だ。この岩は辻に当たるんだろう? もうすぐ道が交差する。だから、ここにいなきゃ」
バッテンとすずが顔を見合わせる。
「なぜそんなことが解るのだ?」
怪訝な表情のすずに、高志はにっと口の端を上げてみせる。
「体が暖かい。それにとても眠いんだ。ここへ来たときもそうだった。ぼくの中の苦緑神清丸が、辻で交わる道に反応しているのだと思う」
高志が岩の上に横になると、すずとバッテンも岩の上に腰を下ろした。
「ほら、はじまった」
離れた向こう岸では、妖達がまだ逃げ惑っていた。
その中には、共に酒を酌み交わしたぐるり目の籠目の姿も見える。
景色がぼやけて、深鼠色の暖簾に鮮やかな朱色で染め抜かれた塵の字が滲む。
抗えない眠気の中、高志の意識の最後に見えたのは、惨たらしい如月の姿ではなく、笑いながら酒を吞んだ、陽気な妖達の顔だった。
読んでくださってありがとうございます!
次話からは、少しのほほん――です。
そうじゃない場面もあるけれど、基本は――のほほ~ん。




