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22 異形と呼ばれし者

 提灯を肩にかけ、テンテンは森を駆け抜けた。

 誰かに追いかけられるたびに、この足で大地を駆けて逃げ切ってきたから、足の速さには自信がある。


 古くからの仕来りで、目を抉り谷底へ突き落とすという刑を執行するのは、夕方日が落ちる直前とされている。

 二度と日の目を拝ませないという、執拗なまでの残酷さ。

 この里で生まれ育ったテンテンだが、天狗の賢さ優しさ、そして本能としかいいようのない残酷さを嫌というほど知っている。


「ごめんね、おらまだ飛べなくて」


 肩にぶらさがって、もぎれそうなほどに揺れる提灯を気遣ってテンテンがいう。


「いつまでも飛べないから、里の小天狗の中ではすっかり仲間はずれさ」


 聞こえているのだろうが、物言わぬ提灯は、ただ右に左に揺れている。


「正面から里に帰ると見張りに見つかっちまうから、遠回りになるけれど、おらが酒を吞みにいくときに使っている、秘密の道をいこう」


 起伏の激しい山道を抜けると、むき出しになった岩肌がそびえる場所にでた。

 違う里の天狗と諍いが絶えなかった古の時代、故人は身を守るため、そして敵を待ち伏せ袋責めにするために、里の周りの岩山にある洞穴をつないで、迷路のように道をはしらせた。

 今は使われることさえない過去の遺物で、子天狗の出入りは厳しく禁止されている。迷うと二度と、出られないかもしれないからだった。


「少し湿っぽいけれど我慢してくれな」


 小さな入り口の穴を抜けると、その奥には天井の高い空間が広がっている。

 外の明かりはほとんど入ってこないが、夜目の利く天狗にとっては蝋燭を灯しているに等しかった。

 奥にある岩の後ろには、さらに奥へと続く細い隙間が空いている。

 その岩にテンテンが身を滑り込ませようとしたときだった。


「何をしている」


 誰もいないはずの背後から声をかけられ、驚いたテンテンは尻餅をついてでんぐり返った。


「如月の兄様」


 テンテンは驚いたような、ほっとしたような声を漏らした。

 如月の兄様と呼ばれたのは若い天狗で、暗がりでもわかるほどに艶めく黒い翼が、くるりとその身を包んでいる。


「敵かと思ったぞ」


 そういうと如月は、身を包み込んでいた黒い翼をバサリと広げ、それから静かにたたんで背中に納めた。


「おら酒を吞みにいってきたんだ。如月の兄様に見つかってしまった」


 とっさについた嘘だった。真意を見抜くといわれる天狗の里だが、なぜかテンテン心を見抜けるものはいなかった。

 己の真意を隠し、他人の真意を見抜く力にテンテンは長けていた。唯一持ち合わせている才能だ。


「それは悪いことをしたな」


 如月は黒い面の下で優しく笑った。


「見なかったことにしてやるよ。ついでに、抜け道を勝手に使っていることもな。この奥に広がる道など、もうすっかり熟知しているのだろ?」


 テンテンは小さく頷いて、ごめんね、といった。


「如月の兄様は、こんな所で何をしているの?」


「みなが外に探索に出ている間を突かれて、妙な者が入り込むとやっかいだからな。ここを見張るようにといわれた。本当は、探索に行きたかったがね」


「そっか」

 

 少し俯いたテンテンにに、如月が小石を蹴る。


「下を向くな。顔を上げるんだ。お声がかからなかったからといって、テンテンが恥じることなど無いのだから。ここを見張っているから、早くいくといい」


 しっし、と追い払うように手を振る如月に、ちょっこりと頭を下げ、テンテンは岩の後ろの隙間に身を滑り込ませた。


 小天狗が立って歩くのがやっと、という細い横穴がどこまでも続く。

 その道からは幾つもの支線が伸びており、テンテンでさえ全てを把握しているわけではなかっった。


「如月という天狗とは親しいのかい?」


 いつの間にやら姿を現した、生成り地にばってん字の着物の若い男がテンテンの後ろを歩いていた。


「うん。少し歳が離れているせいか、昔から優しくしてくれるんだ。いじめる奴らを追っ払ってくれたこともあるくらいだ」


「信用できるのか?」


「おらは如月の兄様が好きだよ。お心は見えないけれど。すごい方だから、きっと特別な術でもお使いになっているのさ」


 岩山の奥深くを走る横穴の中は、湿っぽいというのにひんやりとした空気が身に絡む。


「なぜテンテンが虐められるのだい?」


「おらが悪いんだ」


 無意識に眉根を寄せた、テンテンの足がさらに速くなる。


「小天狗は生まれて三年もしたら、木から木へ飛び移れるようになるのさ」


「噂では、生まれて四年も経つと、崖の上から空へ飛び立つ者もいるらしいね」


「そうだよ。天狗は飛べて当たり前なんだ。だけど、おらは駄目。どうしても、飛べない」


 唇を噛むテンテンの背が、心なし小さく丸まる。


「なぁ、名前がないと話しづらいよ。うんと、バッテン、てのはどう? テンテンと似ていてかっこいいだろ?」


 呼び名など好きにしていいよ、とバッテンは笑った。

 話しながらも走り続けるテンテンは、支線の一つを選んで右に曲がった。


「はじめて木に登って、木渡りをしようとしたとき、足場にしていた枝が折れて、小さな崖の下まで落ちたんだ。そのとき翼を折って、それ以来飛べなくなった」


「傷のせいか?」


「もう直っているよ。とっくにね。でもさ、怖いんだよ。今さら幼い子らに混ざって、木渡りから始めるわけにも行かないだろ? 谷を見下ろす崖から空に飛んで、この翼が開かなかったらって、また谷底に落ちたらと思うと、恐ろしくて一歩も踏み出せない」


「諦めてはいないのだろ?」


 テンテンは不意に立ち止まり、バッテンの方に向き直りにっこりと笑った。

 明るく微笑む瞳いっぱいに、涙が溜まる。


「はじめて翼を開くのは、飛んだときだけ。こうして地面に張り付いているときには、どんなに力んでも翼は広がらない。おらにとっては、翼なんて無いみたいなもんさ。いじけて弱っちい、おらの根性に似て縮こまったまま、このままかも」


 バッテンはゆっくりと頭を振る。


「悔しいな。悔しいよな。虐める奴らが憎いよな。前に踏み出せない己が憎いよな」

 

 声を上げずに、テンテンの肩だけが小さく震える。


「悔しいか?」


「悔しいよ」


 踵を返してテンテンは走り出す。顔に当たる空気が涙を攫うほどに早く、テンテンは走った。

 バッテンは姿を消し、テンテンの肩で提灯だけが右に左に揺れていた。


 目立たぬ所にある小さな洞穴から外へ抜け里に入ると、いつもなら走り回っている幼い小天狗達の姿さえなく、吹き抜ける風だけが茶色い道の土埃を巻き上げていた。

 まだ飛べぬほどに幼い者は、女達と一緒に家の中に身を隠しているのだろう。


「バッテン、今は姿を現すなよ。面と向かってしまえばバレるけど、遠目にならただの提灯だ。姿を現すと目立ちすぎるからさ」


 テンテンは家には戻らず、まっすぐにある場所を目指した。

 こんな大事でも必ず屋敷に居られて、けれどもこの里の全てのことが耳に入っておられる御方。三十年前までこの里を治めておられた雲海天狗様。


 西崖軍の隊長も、東崖軍の隊長でさえもが、まともに顔を見るのが憚られるという御方なのに、なぜか出来損ないのテンテンに優しくしてくださる雲海天狗様だった。


 さすがに正面玄関から入れる身分ではないテンテンは、雲海天狗様にお会いにいくときいつも使っている、涸れ井戸から秘密の穴を抜けて、お屋敷の床下へと潜った。

 この道はテンテンが来やすいようにと、雲海天狗様が教えて下さった。

 本来は非常時に、外へ出るための抜け道だった。


「床下は柱が多く狭いんだ。傷つけると大変だから、ばってんはここで待っててくれな」


 乾いた土の上に提灯を置き、テンテンは音を立てぬように床下を這って進んだ。

 この広い屋敷の中、雲海天狗様は文机だけ置かれたあの部屋にいらっしゃるはずだと、てんてんは迷うことなく進んでいった。

 目的の床下に辿り着き畳を押し上げようとして、テンテンはびくりと手を止めた。

 畳を通して、知らぬ男の声がした。


「この里に巣くう不穏な動きを、わたしが収めてさしあげようといっているのです。天上天狗様はまだお若い。あなた様なら、必ずや正しい決断をくだされると思い、こうして出向いてきたのですが」


「老い耄れには見えぬ話だな」


「裏切り者を、捨て置くつもりですか」


「問題はなぜ裏切ったか、であろう?」

 

 雲海天狗様の言葉に、知らぬ男の声がくくくっと籠もった笑い声をたてた。


「裏切り者を差し出す代わりに、この里に連れてこられる者を一人、わたしが貰い受けたいだけのこと。人の子ひとりと里の未来。比べるべくもないのでは?」


 雲海天狗様は答えない。しばしの沈黙が、重く床下の空気まで押しつぶすようで、テンテンは息苦しくなって面の下の汗を拭った。

 人の子とはすずを連れた、あの男のことだろうとテンテンは思った。

 一言も聞き漏らすまいと、身を固めて耳を凝らす。


「わたしの願いを聞いて下されば、いわく付きの小天狗が火元となって広がる大火さえ、燃え広がる前に消してみせますものを」


「そのようなことまで知っておるのか? とんだ狸だのう」


「この里が憎しみと嫉妬の大火に吞まれるのを、まさか黙って見過ごすおつもりか?」


「成るようにしかならぬ。己を生かすも殺すもあの小天狗次第」


「あのような腰抜けでは、事が良い方に転ぶことはないでしょうな。あなたはもっと利口な方だと思っていたが、見込み違いだったかな?」


「この程度のことで潰れる里なら、それまでのこと。どのみち先などないであろうよ」


 知らぬ男がどんと畳を打ち付けた振動が伝わって、テンテンはびくりと身を縮めた。

 

「五百年に一度あるかないかのことを、この程度といわれるか? 異形の者に里の未来を託すと? 過去を辿っても、異形の者にまともに生を終えた者は少ないと聞く。それでも、託されるか?」


「異形の者の末路など、知ろうとしても解らぬもの。己の心と命なれば、他者が口をだしても無駄であろう」


「不憫ですな。何といいましたかな。たしか、その小天狗の名はテンテン。この里を襲うやもしれぬ大火の火種」

 

 それきり雲海天狗様の声は聞こえなくなった。

 テンテンは震える膝をついて、両耳をきつく押さえて床下に蹲っていた。

 なぜ自分の名がでてきたのか、わからなかった。

 秋祭りの芝居でみんなを喜ばせる、奇天烈な物語を聞いているようだった。


「戻ろう、早くしないとバッテンが待ってる。早く人の子を助けなくちゃ。ねえちゃんを、助けるんだから」

 

 うわごとのよう呟きながら、テンテンはバッテンの待つ柱へと戻っていく。


「聞き間違いだ。おらのことが話題に上るはずがないもんな。おらは何にも、悪いことをしようなんて思っちゃいないもの。ただの役立たずだもんな」


 心のよりどころだった雲海天狗様が、名こそ出さなかったものの、自分のことを異形の者といった。そう思っていた。


「急ごう。人の子が目を引っこ抜かれる前に、ねえちゃんが悲しむ前に、行かなくちゃ」


 不思議と涙はでてこなかった。ただひたすらに、周りの全てが現実味を失った。 這う手に刺さる木っ端が流す血と痛みだけが、テンテンを己という存在に辛うじて繋ぎ止めていた。


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