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2 狭間の唐傘女将


 親父にはサークルの合宿だといって家を出た。


「勉強は大丈夫なのか?」


「ぼちぼち」


 後ろ手にドアを閉めて、高志は溜息を吐く。

 親父は息子を公務員にさせようとしているし、それが幸せに繋がる一番の道だと思っている。でも高志はずっと言えないままでいることがあった。


「ぼくは、建築家になりたいんだけどな」


 父親の耳に届かないところでいっても始まらないが、幼い頃からの父親の夢をその一言で打ち砕くことができずにいた。


「母さんが生きていたら、なんていうかねぇ」


 頭を一振りして駅へと向かう。

 狭間という所は、町というより村に近い小さな所だというが、二度ほど汽車を乗り継げば着くはずだった。

 二度目の乗り換えの時、無人駅でどうしたものかとホームを彷徨っていると、ホームの隅で柱に背を預けて新聞を広げる男を見つけた。

 古風なハンチング帽を目深にかぶっている。


「すみません、狭間という町にいきたいのですが」


 そういうと、男はハンチング帽のつばと眼鏡の隙間から高志を見上げた。


「狭間行きはあるが、ここからは出ないよ。ほら、あっちに小さなホームが見えるだろう? あそこで待っていなよ。たぶんすぐくる」


 男にいわれた方を見ると、たしかにコンクリートの積み木を重ねたような小さな台があった。


「あんな田舎に若い者がめずらしいねぇ」


 薬師屋という薬屋を探しにいくのだというと、男はあぁ、とうなずいた。


「あそこの婆さんは、歳のせいか年々店を閉めるのが早くなっていてね。今からいったらもう閉まっているだろうな」


「夕方前に閉まるのは早すぎませんか?」


「ほんとだよなぁ。町の外れに唐傘って宿屋があるからそこに泊まって、明日の朝いくといい。素泊まりだから安いよ」


 男に礼をいって歩き出した高志はふと立ち止まって、もう一度男の方を向いた。


「無人駅って、どこで切符を買えばいいのかな?」


「入り口に自販があったろう? まぁいいや、これをやるよ」


 男は黒いがま口鞄から、くしゃくしゃの紙を出して高志に渡した。


「古いけど、回数券だから使えるよ」


 礼をいって受け取ったそれは、黄ばんでいて本当に使えるのかあやしい代物だったが、駄目なら降りた先でお金を払えばいいだろう。

 小さなコンクリート台の上で待っていると、ごとりごとりとローカルな音を立てながら一両編成の汽車が入ってきた。


 乗り込んで座っていると車掌がきたので回数券を渡すと、なんの問題もなく受け取ってくれた。

 さすがローカル線、そんなことを思いながら窓の外を眺める。

 畑の広がる辺りを抜けると民家もほとんど見えなくなり、山間を走り続ける汽車の窓から見える景色は変わりばえしない物となった。ごとりごとりという振動に、高志を抗えない睡魔が襲う。



 車掌に揺り動かされて狭間に降り立ったときには、日はすでにかなり傾いていた。

 たしかに町というよりは、山間の村といった方がしっくりくる。

 汽車で眠ったせいで体中凝り固まっていた高志は、すぐに教えられた宿を目指した。出かけるなら、そこに荷物を置いてからの方がいい。

 町の一番はずれ、なだらかに山へと続く裾野に宿はたっていた。


 出迎えたのは細身の女将で、長い黒髪を後ろでくるりと結い上げている。


「いらっしゃいませ」


 予約もしていなかったが、他に客もいないからどうぞ、と女将は快く迎え入れてくれた。


「うちは素泊まりなのだけれど、お客さんはお腹が空いていらっしゃるらしい」


 女将の笑い声に答えるように、腹の虫がぐるりとなった。


 だしてくれた握り飯と漬け物をぺろりとたいらげると、女将は奥から酒を出してきて湯飲みに注いでくれた。


「こんな田舎ですから、今からで歩いてもどっこも開いてやしませんよ。今日のお客はあなた様お一人だし、ちょっと付き合ってくださいな」


「女将さんひとりで、この店を切り盛りしているのですか?」


「いまはねぇ。昔はこんな店など商っちゃいませんでしたが、仲間が大勢おりましてね、毎日楽しくやっておりました」


 女将は酒を一口呑んで息を吐く。


「あの頃の主人はそれは良い方で、本来身勝手なあたしたちも、主人の顔に泥をぬらぬよう、粗相をせぬようにと、皆楽しみながらも気を遣っていたものです」


「その時のお仲間はどこへ?」


 にこやかだった女将の眉根が寄る。


「みんな方々に飛ばされましたよ。あたしらはあの場所と主人が好きだったのに。どこぞの馬鹿が、あたしらを手に入れようとしたらしくてね」


「引き抜きですか?」


 女将は首を傾げたが、まぁそのようなものかねぇ、といった。


「ここで商売をしていれば、噂を聞きつけて昔の仲間が戻ってくるかもしれないと、そんな淡い期待を抱いてここに居るのですよ」


 本当にその頃に戻りたいのだろう。何かを思い出した様に微笑む女将は優しい顔をしている。


「ところで、お客さんお名前は?」  


「白河高志といいます」


 女将の目がすいと細くなる。


「どうかしましたか?」


 はっと我に返ったように、女将は笑顔で首をふる。


「どうしてこちらへ? 旅行ですか?」


「いえ、実は最近胸が痛むことが多くて、ある人にこの町にある薬師屋の薬が効くと聞いてやってきました」


 そろそろ自分も酒をいただこうかと、高志が胡座をくみ直したとき、財布にぶら下げていた鈴がりん、と鳴った。


「よい音ですねぇ」


「古物市で出会ったご老人が持っていたこの鈴と、ぼくの持っていた硯を交換したんです。でもこいつは鳴ったり鳴らなかったりで、内が錆びているのかな」


「ちょいと見せてくださいな」


 財布ごと渡すと、指先で転がしながらしげしげと鈴を見回していた女将が、指先で鈴をはじいた。


  リーン


 余韻を残して鈴が鳴る。


 女主人の目が見開かれた。


 酒を呑もうと口元へ運んだ湯飲みを、女将の白い手がはじき飛ばした。

 唖然としている高志の目の前で、視線を泳がせたまま女将が肩で息を吐く。


「今すぐここを出なさい」


 そういうとリュックサックを拾い上げ、ぼくの胸に押しつけた。


「ここに泊めてもらえないのですか?」


 女将はかぶりを振る。


「もうすぐ日が暮れる。その前に裏に流れる川を突っ切って、裏山に入るんだよ。森の道をまっすぐ行けば、小さな小屋があるからね」


 女の細腕とは思えぬ力で引き摺られ、あっという間に戸口の外に追い出された。


「これを持ってお行き」


 握り飯の入った風呂敷を渡された。


「夜が明けるまで、絶対に小屋を出ちゃならないよ。子供以外の客が来たら仲良くおし。ただし子供は入れちゃいけないよ。絶対に入れちゃいけない。その子のためだからね」


 立ち尽くす高志の頬を、朱色の夕日が染める。


「早くお行き」


 夕日が差しているというのに、ぱらぱらと雨が降る。

 女将の気勢に押されて走り出した高志が林に入る前に一度振り向くと、唐傘をさした女将が泣きそうな顔でこちらを見ていた。

 生成り色した無地の着物の裾に、貼りつけたような緑色の四角い模様が見える。


――あんな模様、ない方がいいのに。


 そんなことを思いながら、高志は駆けだした。



 だれも居なくなった宿でひとり酒を煽る女将は、日が暮れたというのに灯りを入れるでもなく、静かに銚子を傾けていた。

 声をかけることなく入り口の引き戸が開けられ、紺色に染まりかけた表にぼんやりと人の影が映る。


「なぜここに留めておかなかった」


 男の言葉に、女将はちっと舌を打つ。


「あんたが嘘つきだからだよ」


「一体どんな嘘をついたという?」


「あの坊は、おまえが言っていたようなことをする子じゃない。あんたのいうような鬼畜じゃないね」


「なぜそう思う」


「あたしゃあの子の性根を、よっく知っているからさ。腐りそうなほど長い年月をかけて、ようやっと手に入れた魂が抜けちまいそうだったとき、坊があたしを助けたんだ」


 逆光で顔の見えぬ中、男の影が僅かに揺れた。嗤っているのだろう。


「いいのか? わたしに逆らったからには望みも叶わぬ。おまえ、その身が朽ちるまで、ここから出られぬぞ」


「ごちゃごちゃうるさいね。あたしが後悔するとしたら、それは一時でもてめぇの言葉を信じたことだよ」


「いいんだな」


「女が腹決めたら終いだよ。おととい来やがれ」


 引き戸が閉まると、女将は握っていた湯飲みを思い切り投げつけた。


「どうせ一度は失いかけた命だ。無いもんだと思って、坊にくれてやるさ」


 険しかった表情が、やわらかい笑みへと変わる。

 一重の着物の裾に張り付いた、四角い緑の部分を指先でなぞる。


「まったく、貼り方がへたなんだよ坊は」


 瓶ごと酒を煽り、白い指先で口元を拭う。


「死ぬんじゃないよ、坊」


 二度とは戻れぬ、懐かしいあの場所をひとり思って酒に酔う。


「坊は、あの鈴が何かまだわかっちゃいないようだねぇ」


 裏山のある方へ目を向けて女将は嗤った。

 泣きながら、ひとり嗤った。




読んで下さったみなさん、ありがとうございます!


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