17 貧乏神の遠足(後)
目の前に、小さなおっさんが二人いる。世の中には何人の貧乏神がいるのかと想像するとぞっとした高志は、ぶるりと体を震わせた。
まさかこの二人だけで、古今東西の貧乏を請け負っているわけではないだろう。
「こんなところで何をしていたの? 貧乏神……サマ?」
「遠足じゃ」
「貧乏神の遠足じゃ」
確かにぱんぱんに膨らんだリュックは背負っているが、貧乏神が遠足などして歩き回ったのでは、必死で生きている凡人達が迷惑するというものだろう。
「この後、どこへいくつもりです?」
「豪華な船に乗って、それから豪華なホテルでプール遊び!」
ずいぶんと豪勢な遠足じゃないか。
「その格好では船に乗るのさえ止められますよ。漁船にだって乗せてもらえないと思います。だいたい豪華客船のターミナルまでどうやって行くつもり?」
二人は腹を抱え、短い足をばたつかせて笑った。
「人間にわしら見えない」
「人間にわしら止められない」
ひとしきり笑って涙をぬぐうと、よれよれのスーツを着た方が口を開いた。
「わしらは、あの黒くてでかい車に乗ってターミナルにいく。久しぶりの遠足」
「ほんと、久しぶりの遠足」
アロハシャツを着たほうが、ひげを撫でながら頷く。
高志はちらりと黒塗りの高級車に目をやる。
「あの車の持ち主は、もうすぐ貧乏になるってこと?」
「そう、貧乏になる」
「そう、すっからかん」
ケラケラと楽しげに笑い手を打ち鳴らす二人の長いひげを、暖かな春の風が吹いて揺らした。
「豪遊して帰ったら、会社が潰れてすっからかん」
「帰ったら、借金取りに車ぼっこぼこにされる」
ひとりの人間が落ちていく様を、これほどまでに楽しく明るく語っていいものかと、凡人は疑問に思わずにはいられない。
高志はふっと浮かんだ疑念に首を傾げた。
「待ってください? 人が落ちていくときは貧乏神が付くから没落するわけではなく、落ちていく運命だから貧乏神がつくっていうこと?」
「なにを今更、そんなの当たり前」
「ほんと今更、そんなの常識」
いやいや人の子のあいだで、常識ではないですから。
「みんな自分で選び取る。目の前の大切なことをないがしろにして、他人を邪険に扱うものは登りつめてもいつかは落ちる。だから貧乏神つく」
「みんな自分で答えをだす。目の前のことに真摯に向かい、他者を大切にするものには福の神つく」
「福の神様に会いたいです。あなた達とは真逆にいる神様ですね」
二人が不思議そうに高志をみる。
「わしら貧乏神」
「でもわしら、福の神」
「わけがわかりません」
色あせたアロハシャツを着たほうが、ニッコリと指をたてて話しはじめた。
「わしらの先祖は吉祥天と黒闇天。大昔は福の神と貧乏神が一緒に行動していた。でも今は違う。わしら二人でひとつ。それぞれが貧乏神であり、それぞれが福の神」
風に舞う木の葉を掴もうと手を伸ばしてはしゃぐ姿は、正直いって善悪問わず神には見えない。
「貧乏神がどうして福の神になるの? 別個の神様だと思っていたのに。それに福の神は偉いって印象が……すみません」
「立派な福の神もいるよ」
「いるさ、たとえば恵比寿様」
ずいぶんと大御所の名がでてきたものだ。
葉っぱをおいかけるのに飽きたのか、今度は座っている切り株の年輪を数え始めた。
「ぼくも恵比寿様に会いたかったです」
「それは無理」
「むり無理、恵比寿様は出不精だから、なかなかお住まいから出たがらない」
出不精な神様って、ちょっと嫌かも。
「たしかに貧乏神様は、フットワークが軽そううだ」
それを聞いて二人は、嬉しそうに鼻の頭にしわを寄せた。
「わしらは大昔から人と共にあった神だから、どこへでもいく」
「わしらは人の行いや想いが呼べば、どこへでもいく」
そんなに頻繁に出没しているから、嫌いな神様ランキング一位の座を守り続けているのだ、とはいえない。
「己の損を気にせずに、分け与える人の前では福の神」
「人に想いを、分け与える人の前では福の神」
人の想いや行動そのものが福の神を、あるいは貧乏神を引き寄せるということか?
「幸せも不幸も、最初から自分の中に眠っているということですね」
「おぉ、ただの人の子が真っ当なことをいった」
「おぉ、ただの人の子が正しいことをいった」
手を叩いて二人が喜ぶ。
「ところで今は貧乏神のお二人さん。一応は神様なのだから、その格好はどうにかなりかせんか? ボロ雑巾みたいですよ」
二人は口に手を当てて、ぷーっと吹き出した。
「これは遠足のときついていった男が、一回しか着ないで捨てた高級はスーツ」
「これはビンテージもののアロハシャツ。物の価値がわからない奴が、一度も着ないで捨てた」
「それをもらったの?」
「「いや、拾った」」
高志は、あははっと笑った。
「貧乏神は物を大切にする。物を大切にしない者の末路を知っているから、とても大切にする」
アロハシャツを着たほうが胸を張っていう。
そうか、それならボロを着ていてもいいかと高志は思った。
もう余計な口出しはやめよう。
「貧乏神様は偉い神様だね。ものの本質を大切にしている」
「褒められた!」
「ただの人の子に褒められた!」
三人で笑った。大声を上げて笑った。
「それよりその腰の鈴、かなり弱っておるがどうした?」
「そうそう、その腰の鈴、今にも息絶えそうだがどうした?」
涙がでるほど笑っていた高志の顔が凍りつく。
「すずが見えるの? すずは、弱っているの?」
声が震える。
「鈴のなかに存在しているのがやっと」
「それに背中や腕に大怪我をしている。息をするのがやっと」
すずの袖から垣間見えた薄茶色の傷。傷はあれだけではなかったということか?
『結構な深傷でしょうに』
『人ではあるまいし、傷ならもう癒えた』
立ち聞きしていしまったあの会話。
「すずの嘘つき」
思わず恨み言が口をついてでる。
「その鈴の中にいる者は嘘つきか?」
「その鈴の中にいるのは悪いやつか?」
二人の問いかけに、高志は強く頭を振る。
「違います。ぼくを守って負った傷です。意地っ張りだから、一言もいってくれなかった」
財布にぶら下がる鈴は、いつの間にか腐食したように深緑に錆びていた。
無残にへこんだ側面が、きっと中で転がるはずの玉を押し潰しているだろう。
拳でアスファルトを打った。
皮が剥けて、打ち付けたところが見る間に紫に色を変えていく。
「すずの痛みは、こんなものじゃなかっただろうな」
高志のようすを止めるでもなく見守っていた二人の貧乏神が、ひょういと切り株から飛び降りた。
「おまえはどうしたい?」
「おまえは、その人ならぬ者をどうしたい?」
相変わらずやわらかな笑みを浮かべたまま貧乏神が問う。
「助けたい」
「そうか、助けるか」
「そうか、見捨てぬか」
高志は、はっとして顔をあげた。
「苦緑神清丸だ!」
「これはまた、珍しい薬の名を」
「これはまた、貴重な薬の名を」
苦緑神清丸が神の薬なら、すずがそれを口にしたら助かるかもしれない。
何も考えてなどいなかった。
口に手を突っ込み胃の中のモノを吐き出そうとした。
「これ止めんか、汚いことになる」
「これ止めておけ、食ったものが勿体無い」
「貧乏神様、ぼくは苦緑神清丸を飲み込んでいるらしいんです。吐き出せば、それをすずが飲めば、助かるかもしれない」
貧乏神が顔を見合わせ目を丸くした。
「吐き出せば死ぬぞ」
「吐き出せば死ぬな」
わかっている。でも他に方法が見つからない。
「その鈴、助かるぞ」
「その鈴、心配ない」
もう一度口に手を突っ込もうとしていた高志は、涙目のまま二人を見た。
「山を三つ超えたところに、湯浴屋へ行く道がある」
「途絶えていた道の途中を、わしらこっそり見つけた」
いたずらっ子のように肩をすくめて二人がいう。
「湯浴屋?」
「大地に湧いた神々の湯だ。人の子物怪の類は神の湯には入れないが、たしか脇の方に、猿湯があったはず」
「あったあった。山の動物たちが傷を癒す小さな湯。あの薬を飲み込んだおまえなら、きっと行ける」
神様の温泉ということだろうか、そこで鈴を湯に浸けてやれば傷が癒えるのか?
「すずは治りますか?」
「猿湯といっても、湧いているのは神の浸かる湯と同じもの。その鈴が発している毒気も吸い取ってくれるはず」
「その鈴を痛めつけている傷も、治るはず」
山を三つ超えた先にある町にある、登山道の入口にいけといわれた。
さして険しくもないから、ゆっくりと登りながら道の脇に気をつけて歩くと、その先の道は見つけられるという。
「貧乏神様、ありがとうございました」
高志は心からの敬意を込めて頭を下げた。
「人の子が真面目に礼をいった」
「人の子が恭しく礼をいった」
ケラケラと貧乏神が笑う。
何も心配することはないといっているような、明る笑い声に高志もほっと胸をなでおろす。
「おっ、そろそろ戻ってくるぞ」
「そうとも、戻ってくる」
重そうなリュックを背負い直して、貧乏神はすたすたと歩き始めた。
「いくの? 遠足」
「おうとも!」
「行くとも!」
貧乏神は足に負けじと短い手を振ると、早足に黒い高級車へと歩いていった。
高志は二人のいなくなった切り株に腰をおろし、小さな背中で揺れる大きなリュックを目で追った。
左の方から部下らしき者を従えた男が、車の方へと歩いてきた。
糊のきいたシャツに、すーっと折り目のはいったスーツを着こなしているが、色つきのサングラスがちょいと成金臭かった。
貧乏神と一緒にいたせいか、その立派な身成の男を見ながらこいつは落ちるな、と高志は思った。
男が乗り込んだ時に開いたドアの隙間から、貧乏神達が体を滑り込ませる。
「あっさりした別れだったな」
静かなエンジン音を響かせてゆっくりと車が動き出すと、ひょっこりと後部座席の窓から二人が顔をのぞかせた。
見えているだけで心がほっとするような、満面の笑みを浮かべて手をふっている。
高志も立ち上がって手をふった。
すっかり上がらなくなった左手に鈴を握り締めながら、今できる精一杯の笑顔で見送った。
読んで下さったみなさん、ありがとうございます!