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12  赤い糸の先はチンチクリンへと(後)

 いつもの習慣でパック酒を手にした高志は、いくらなんでも神様にこれでは失礼かと思い直し、半升の瓶と腹の虫を黙らせるための握り飯を数個買った。

 ついでに、と入ったトイレで用をたしているとき、不意に背後から声がかかる。


「まさか、その半升瓶ですまそうと思っているわけではあるまいな」


 出るはずのものが途中で止まった高志がぐるりと首を回すと、赤い着物を着たすずが仁王立ちで睨んでいた。


「驚かすなよ。それにここは男子トイレだぞ。恥じらいってもんはないのかよ」


 残りを絞り出して手を洗う。


 なるべくすずの方は見ないように、目が合わないように。


「おまえ、まさか忘れたわけではあるまいな」


「何を?」


 すずがちっと舌を打ち鳴らす音が、特に覚えもない胸の内をちくりとさせる。


「酒も好きなだけ呑ませてやるよ、といったではないか」


 思わずすずの顔を正面から見た。


「聞こえていたの?」


「聞き逃すわけがないだろう」


 今度は高志が舌打ちする番だった。


「あんなに心配させておいて、あの時もう意識があったんだな? 詐欺だ。契約は無効だよ」


 意識がないと思うからこそ口にした言葉だ。聞かれていたなんて、これ以上恥ずかしいことはない。


「契約などと人の言葉でわしを縛れると思うのか、たわけが。買ってくれなければ、あることないこと縁結びの神にばらすぞ」


「何をだよ」


 小さく赤い唇を丸くつぼめて、すずがしーっとする。


「初めて机にバレンタインのチョコが入っていて喜んだのも束の間、入れる机を間違ったとかでチョコを没収された事とか、な」


 背骨の上を、蛇が這ったかのような悪寒が走る。


「なんで知ってるんだよ!」


「アホが、酔っておまえが喋ったのだろう? もっといろいろ知っているが、忘れているのなら聞かせてやろうか? それもいいな、よし、早く拝殿に戻るぞ」


 こいつの正体は、絶対に悪鬼だ。高志はがっくりと肩を落とした。


 新たに一升瓶を買い足して拝殿に戻ると、縁結びの神はきっちり正座したまま、律儀に高志の帰りを待っていた。

 拝殿に入ると姿を現したすずを見ても、縁結びの神は驚くこともなくほんの少し頭を下げる。


「この子はすずといって鈴に宿っているのですが、どうしても一緒に呑みたいというので。すみません」


「人数が多い方が楽しいですよ」


 そういって神が微笑む。

 趣もなにもない紙コップに酒を注ぎ、存在そのものが恋といえそうなほど端正な顔立ちの神と、地味顔代表としか言い様がない凡庸な面構えの人間とクソ餓鬼の珍妙な酒盛りがはじまった。


 抜けるように白い肌を持つ神は、自らを最高の縁結びの神と豪語したが、めっぽう酒に弱かった。

 一杯目の酒もまだ呑み終わらないうちに、顔を赤く染めた神はどさっと胡座をかき、呂律の回らない口で話しはじめた。


「だいたいですね、結ばれたい相手を勝手に決めて来られても困りますって。わたしは縁結びの神ですから、出会う二人の縁を手繰り寄せ結ぶ、ヒック、のです」


 神はもう一度ヒック、とらしくない音を喉元から漏らす。

 好きに話させておこうと、高志は手酌で二杯目を注いだ。


「勝手に赤い糸で結んだ相手と付き合ったり結婚したりして、それで嫌になったら結んだ赤い糸を引きちぎってこっちに投げて寄越すって、どーいうことですか? おかげでわたしはあの様です。ヒック」


「あぁ、それで全身に赤い糸ねぇ」


 神はどんっと床を叩く。


「昔はもっと真剣に人を好いたものです。心を愛でたのです。お金持ちでぇ~、ルックス良くてぇ~、エリートでぇ~、って、何なのですか! わたしはエリートを見つける神ではありません。金持ちも顔の良し悪しも知ったこっちゃないですって」


「そうだそうだー! もっといってやれ!」


 わけのわからない合いの手をいれるすずを、肘でつつく。


「恋とは、相手を想う気持ちであるべきです。違いますか?」


 身を乗り出して叫ぶ神の声に押されて、高志はぐっと上半身を引いた。


「その通りです。さぁ、酒を呑んで落ち着きましょうね」


 まだ半分近く残っている神のコップに少しだけ酒を注ぎたすと、横から小さな手が伸びて、空っぽの紙コップが差し出された。


「まさか、呑むなとはいわんよな?」


 甘えた声で首を傾げるすずに、高志は口の端をヒクつかせながら笑顔を向ける。

 酒を注いでやると、待ちかねたように喉を鳴らした。


「神様もどうぞ」


 そういってコップを押しやると、さっきとはうって変わって静かに頭を下げた神は「ありがとう」といった。


 酔っても神は神だ。神に育ちがあるかは知らないが、人でいうところの育ちの良さが全身から滲んでいる。


「今、好きな方はいらっしゃいますか?」


「いません」


 突然の問いかけに無駄にはっきりと答えた高志に、神は駄目だぁー、全然駄目だぁー、といって首を振る。


「いいですか、人を愛しく想うのは人として生まれた者の命の輝きそのものです。誰かと結ばれて人生を共に歩めるのは、人だけが持つ特権なのですよ?」


「はぁ」


 高志はずずずっ、と音をたてて酒を啜った。

 もちろん恋のひとつやふたつしたことはある。それでも、この人と一生いたいと思う程の出会いなどない。


「恋せよ青年です! ヒック」


 高志を指差して叫ぶ神に、それを言うなら恋せよ乙女だと心の中でツッコミをいれる。


「このアホに、恋する余裕などないな。己の命が風前の灯火だからの。仮に命が助かっても、うだうだ進路に悩んでやはり恋などする余裕はないだろうよ。アホだからな」


 ぐびぐびと酒を呑みながら、すずがいう。


「どうして進路のことまで知っているのさ」


「聞かれたくないなら、酔ってべらべら話すな、たわけ」


 二人で睨み合っていると、神が袖で口元を隠しながらくすくすと笑った。


「お二人は仲がよろしいのですね」


「良くない!」


 同時に答えて、ふんと顔を背けた。


「人を想うという点では、仕事も恋も似ています。この世の生業は全て人に繋がっているのですよ。どのような生業でも、それが生み出す結果の先には人がいます。人を蔑ろにする者はたとえ成功しても、その欲求が尽きることはないでしょう。

真の成功者とは、一つ一つに満足しながら前進を続けられるものです」


 酒に顔を赤く染めた神は、自信有りげに自らの言葉にうなずいた。


「でも人嫌いで、客の前には出ない料理人というのもいますよ? 料理は美味しくて、お店も流行っています」


 チッチッっと神は舌を打つ。


「その料理人は人嫌いではありません。人と接するのが苦手なだけのこと。その人は他人への愛情を、料理を介して解き放っているのですよ」


 そんなものだろうか。


「人に食べてもらえない料理に、何の価値がありますか? 美味しかったと誰かに思われて、はじめて皿にのせられた物は料理と呼ばれるのではないでしょうか。素晴らしい料理も、リスに与えたらクルミの方がいいといいますよ」


 うん、例えがややこしい。

 一息に話し終えた神は、残っていた酒を一気に呑み干し「んっ!」といって空のコップを差し出した。


「はいはい、注ぎますよ。すずは自分で注げよ」


 横から割り込みしようとしていた、小さな手が引っ込んだ。

 酒に弱い神にこれ以上呑ませていいものか少し迷ったが、二日酔いの神など想像もできないから神の力を信じることにする。

 とくとくと音をたてて酒が注がれる。


「何かぼくで、神様の役に立てることってありますか?」


 そうなのだ。のんびり酒を呑んでいても、七人もの神の役に立たないと家路を見つけることさえできない。 

 役に立った数は今のところ、ゼロ。


「そうですねぇ、今のところは何もないです。お気持ちはありがたく」


「そうですよね」


 ただの人間が神の役に立つなど、所詮は無理なことなのではないだろうか。


「ちょっと、小便してきます」


 たしかこの近くに、公衆トイレがあったはずだ。

 神様に失礼なことするなよ、とすずに念を押して高志は外にでた。

 すっかり日も暮れて、大人がちらほら通るくらいで、高校生のカップルは姿を消していた。


「彼女か」


 友人が男友達を家に連れて行くとケーキが出るのに、彼女を連れて行くと母親が駄菓子しか出してくれないと、笑っていたのを思い出した。

 母親とはそんなものなのだろうか。

 もし母さんが生きていたら、彼女を連れて行った自分に面白くない顔をしただろうか。

 面白くない顔でもいいから、母さんのそんな顔が見てみたかったなと高志は思う。


 一番身近にいるはずの母親を失った自分は、何を基準に伴侶となる人を選ぶのか想像もつかなかった。

 どんなに記憶を探っても浮かばない母の笑顔や、怒った顔。

 たった一言でもいい、母の言葉を、自分に向けられた言葉を覚えていたかった。


 

 用をたして拝殿に戻り、観音開きの戸を開けようと手をかけたとき、中から漏れ聞こえた神の言葉に高志は凍りついた。


「すずさんが、そこまでして彼を助けた理由なんなのでしょう? 彼に知られたくないようでしたから黙っていましたが、結構な深傷でしょうに」


 すずが怪我を?


「人ではあるまいし、傷ならもう癒えた」


「そうですか」


「わしにもわからぬのだよ。なぜ助けたのか。ただな、嫌だったのだよ。あのアホが苦しんだり、痛い思いをするのを見るのが嫌だった。それだけだ」


 二人の声が止んだ。


「それにな、さっき話したあいつを苦しめている苦緑神清丸だが、どうも飲ませたのはわしのような気がしてな。なんの記憶もないが、たぶん、そうなのだろうよ」


 聞いてはいけない話を耳にした後悔に足が震えた。

 大きく息を吸って呼吸を整え、高志は勢いよく扉を押しあけた。


「ただいま。さぁ、呑みましょう」


 様子が妙だと、どうか二人に感づかれませんように。祈る高志をよそ目に、神とすずはにこやかに酒を呑んでいる。

 高志の心臓だけが激しく波打っていた。


「わたしは少しだけ、人を羨ましく思うときがあります」


 神が静かにいう。


「神様が、人をですか?」


「これほど多くの人が溢れる中から、たったひとりを想い、たったひとりの幸せを願い、ただひとりと共に生きると決めるのですよ」


「恋しているときは、そんなものですよ」


 高志の言葉に、神は少しさみしげに目を伏せた。


「神であるわたしには、その気持ちがわからないのです」


 世界一不思議なものを見るように、高志は目を丸くした。


「神様にもわからないことなどあるのですね」


 神は落とすような笑みを浮かべ、少しだけ酒に口を付ける。


「わたしは、万人を慈しむ神ですから」


「神様は結婚しないのですか?」


「しませんねぇ。そういう概念がありません。もちろん太古の神々は互いに愛し合い結ばれて子をなしたそうですが、わたしは古の神々とは遠く離れた存在ですから」


 神の話を聞いているうちに、高志は自分の心が少しずつ落ち着いてきたことを感じた。


「神という自分の存在に、疑問も不満もありませんが、それでも時折思うのです。万人への愛をただひとりにそそぐのは、どのような気持ちなのだろうかと。少し羨ましく思うのです」


 神さえ己の力では、決して手の届かぬ願いを抱えているのだろうか。


「結婚しないのなら、神様はどこから産まれたのでしょうね」


 すると神は指先をすいと伸ばして、声を立てて笑う口元を隠した。


「神とは産まれるものではなく、ただそこに存在するものです。人々の思いが向けられる限り存在するのが神であり、忘れ去られたら消えるのが神」


「忘れられたら、消えますか?」


「消えるでしょうね」


 高志は以前に会った、地主神に思いを馳せた。

 地主神は今も、胸の産土を撒きながら、旧知の神々に挨拶をしてまわっているだろうか。

 ふと横を見ると酒瓶を抱えたまま、すずが眠りこけていた。


「まったく、呑みすぎだろ」


 さっきの話は考えるな、今は考えるなと己に言い聞かせて、高志は軽く咳払いをする。


「神様」


 問いかけた高志はあっ、と息を呑む。

 美しい縁結びの神の姿が透けて、向こう側の煤けた壁が見えている。

 そのことを伝えると、神は目を細めて頷いた。


「わたしの存在が薄れているわけではありません。酔ったあなたの感覚が少し鈍ったのでしょう」


「でも、これくらいの酒で酔うなんて」


「空腹に酒を呑んだからではありませんか?」


 せっかく買った握り飯は、すっかり忘れられて床に転がっていた。


「この握り飯、頂いてもよろしいですか?」


「はい、どうぞ」


 嬉しそうに握り飯をほお張る神を見ていると、自分の空腹などどうでも良くなった。

 この旅でわかったことのひとつ。それは神様が酒とコンビニの握り飯をたいそう好むということ。


 神様、安上がりなり。


 高志はコップの酒に口を付けて息を吐く。

 すずが呑みつくしてしまったものの、互のコップにはまだ半分位ずつ酒が残っている。


「ところであなたは、ここへ来られたとき賽銭を入れておられた……たしか五十円」


 危うく貴重な酒を吹き出しそうになる。


「すみません」


 穴があったら入りたい。


「いえいえ。何を祈ろうとしていたのですか?」


「もういいんです。神様に絡まる赤い糸が増えちゃいそうですから」


 笑って誤魔化そうとする高志の顔に、じっと神が見入る。


「赤い糸ということは、恋ですね?」


 いたずらっ子のように目を細める神から、高志は顔を背けた。


「所詮は五十円分の思いです。気にしないでください」


 こうしている間にも、神の姿は徐々に薄くなっていく。


「赤い糸を解いていただいたお礼です。それにこのお酒と握り飯もいただきましたし、なにより金額にかかわらずお賽銭を投じた方を、手ぶらで返すわけにはいきませんから」


 もう五十円は忘れて欲しい。


 神は居住まいを正すと、切れ長の目を細めて高志を見た。

 いや、違う。高志を通り越して、その向こうにある者を見透かしているような視線。


「大丈夫ですよ。あなたはいずれ素敵な方と巡り合い、添い遂げます」


 神は満面の笑みで、どかりと胡座をかきなおす。


「素敵な人ですか!」


 何もかも忘れて、一気にテンションが上がる。


「はい。顔がぷっくりと丸くて愛らしく、背は低くて女の子らしく、小さな瞳のかわいい心根の澄んだ明るい方です」


「やったー! ……えっ?」


 いや待て、いい方を変えれば心根はきれいだけれど、ぷっくり丸めのチンチクリンで、目も印象に残るほど小さいということか?


「それは……楽しみで……です」


 自分の好みはほっそりとしたスレンダー美人で、目鼻立ちもくっきりってやつなのに、どこでどう人生の選択を間違うのか。


「そろそろ、わたしの姿が見えなくなったのでは?」


 高志が顔を上げると、神の姿はほとんど透けていて、よくよく目を凝らさなければ、見えるのは煤けた壁だけという状態になっていた。


「互が酒を呑み干すまで、何か話していてくださいませんか? 姿が見えなくなっても、わたしはここにおりますから」


「はい」


 それきり神の声は聞こえなくなった。

 すっかり眠ったのか、大股を広げて寝ていたすずの姿も消えている。


 胸をかき乱すようなことに、今宵は蓋をしようと高志は小さく唇を噛んだ。


 笑顔で神が座っているあたりに顔を向ける。

 姿の見えない酔っ払いの神と、ポツリと座る酔っ払いの男との奇妙な酒盛り。

 高志は今までに出会った神様の話を、おもしろ可笑しく話して聞かせた。

 大げさな手振りで話すと、笑ったように空気が揺れる。


「次は、河童酒の話でもしましょうか」


 主の姿を失ったコップの酒は、それでも少しずつその量を減らしていく。

 夜が更けて相槌を打つのが、戸を打つ風の音だけになっても、高志の話をつまみにささやかな宴会が終わることはなかった。

 


読んで下さって、ありがとうございます!

次話は狛犬の白べえ登場です。

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