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レクタルヴ~風花の大地と少女~  作者: 創作サークル猫蜥蜴
第一章 パラファトイ(執筆者:しずる)
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十 爪弾き語るは古の歌

 少なからずの死者と怪我人を出したパラファトイの空気は重く沈んでいた。光雲はエルテノーデンの船に連れられるようにして去り、雨音もまるで聞こえなくなり、数日が過ぎた。

 フージャは頭を冷やすようにと言われ、サガイの家からスルンの家へとその身を移されていた。オルカを思って何か起こすともしれないと、長が案じたがゆえに。事実上の謹慎だった。

 世話役にベサルバトが当てられたのは、ベサテルズの温情だった。それが統領として排すべき優しさであったと、彼はそのときはまだ思っても居なかったのだが。

 洞を利用した巨人族の住まい、その離れ。フージャを置いた部屋に水を運びに来たベサルバトは、薄暗い中、洞の前で佇む人影を見て立ち止まった。振り向いた姿は巨人ではなく人の者と見えたが、その容貌は月明かりに浮いた。

 頭に巻く鮮やかな花染めの布はともかく、下に見える銀糸の髪と白い肌はパラファトイの民のものではない。ベサルバトはオルカを思い出さずにはおれなかった。

「……やあ、こんばんは」

 目だけはパラファトイにも馴染ある紫のもので、それを細め、落ち着いた低い声で言う。その声音と格好からして男には違いなかったが、なんとも嫋やかな雰囲気を纏っていた。貴人と形容するのが相応しいと、感じられるような。

「失礼だが、どなたであろうか。このように――西側にまで客人が来るというのは、普通ではないのだが」

「私は次期統領に会いに来たのです。此処に居るのですよね?」

 男は弦を張った楽器を抱えていた。その表面を撫でての言葉に、ベサルバトは眉を跳ね上げる。揃って男の口角も上がった。

「君もそうですが、君ではありません。どなたか、という問いの答えは――そうですね、これで足りますか?」

 男は手を、頭部を覆う布に移して首を傾げる。迷いなく引き上げられたその下、銀色の前髪の奥に見えたものに、ベサルバトは目を瞠った。


 ――洞を利用した家屋は音がよく響く。外から来た友人が珍しくも何かを言っていることに気づき、フージャは寝台から身を起こした。食事も元より食べず、ほとんど何もできず日を過ごしている彼の体力は幾分落ちたようで、それだけでもふらつく気がした。

「実際に会ったのは初めてですが、巨人の人たちが誰よりも穏やかで敬虔だと言うのは本当ですね。感心感心。主様もお喜びになられる」

 ベサルバトの声は独り言ではなかった。聞き慣れぬ声が続いたのに、フージャは襟元を少し正して立ち上がる。すぐに戸が開けられ――彼は驚きに言葉を失った。

「初めまして、フージャ」

 ベサルバトに連れられ部屋に入ってきた青年は、異国の装い、銀髪紫目、そして何より額に真珠色の角を持っている。フージャには見覚えのある、角の地で遠目に見ることのある神官――〈角の民〉の一人だ。

 抱える楽器も、時に人の音楽や舞踊を好む神を喜ばせ、時に音色に乗せて人々に神の意を伝える、神官の持ち物だった。

「このようなところにいらっしゃるとは」

「なかなか良いところですね? オルカも気に入るわけだ」

 状況をすぐに判断して膝をつき頭を垂れる、次代の統領らしさを見せたフージャに微笑み、青年は言った。おどけた言葉にフージャは愛想笑いをすることができなかった。

「……やはりオルカは、角の地の姫様だったのですか」

 代わりに重い言葉が返されると青年は肩を竦め、フージャと、横で同じように固い顔のままの巨人族の男を見てすっと足を前に出す。

「ええ。もっと早くこの国に居ると分かっていれば、連れ戻しに来るのも間に合ったのでしょうが――まさか海を渡っているとは思いもよらず、大陸ばっかり探していましてね。主様が見つけるのも伝文も、ちょっと遅すぎましたねぇ。エルテノーデンが攫いに来るというのもまったく予想外でしたし」

 フージャへと近づきながら言うのは、やあ大変だった、とでも言うような酷く軽い調子の言葉だった。それでフージャは、自分たちの知らないうちにオルカが角の地に戻され事が終息したのではないかと、淡い期待を抱いた。

 が、その期待はすぐに挫かれる。期待を滲ませたフージャの眼差しに彼ははっきりと首を振ったのだ。困り顔をして、肩を竦める。やはり彼は間に合わず、オルカはエルテノーデンに攫われたままだ。

「ところで。オルカと君たちが思っている角の地の姫というのには、少し差異があるかも知れませんよ」

 そうして付け足されたのは、誰かに聞かせることを殊更に意識した、はっきりとした響きよい声だった。

「あの子に、角はなかったでしょう? 彼女は〈角の民〉ではない。〈角の主〉様が選んだのであれば、私たちと同じように印をお付けになるでしょうが――そうではないのですよ」

 するすると出てくる言葉の意味を捉えきれず、フージャ何も返答できなかった。微笑し、〈角の民〉の青年はまだ口を動かす。

「〈雨〉を降らせるのは、確かに主様の御業……では。なぜ主様は雨を降らせるのか」

「それは……〈冬の地〉を清める為では……」

「そう。冬や雪を洗う為に雨は降る。オルカの為に雨は降る。二つは等しい」

 ようやっと発せられた少年の弱い声に、また空かさず重ね。じっと、紫の目で見つめ続ける。品定めしているようでもあった。

「このことがどういう意味か、分かりませんかねぇ。君は遠目に見ても結構賢い人だと思っていたのですけれど。……まあ、難しいでしょうね。仕方がないことです。君たちはこの神話を忘れてしまったのですから。我らが主が隠したものならば、私が思い出させて差し上げましょう」

 つ、と細い指が弦に触れ、弾く。濃い夜の空気に低く音が響く。

「白い姿の女神が座り、果ての大地は口を噤んでしまった――」

 青年は弦を鳴らし口ずさんだ。朗としていた声は哀愁を帯びて暗くなり、フージャとベサルバトは弦の振動と共に身震いする。何か不吉なことを聞いた、そんな気分だった。

 一節を歌うに留め、青年は二人を見渡す。神秘的でさえある美貌は去った雨雲、その光輝を思わせた。

「〈冬の地〉には主様がいらっしゃる以前から、神が居るのです。君たちもよく知っている、白い白い姿の――」

 朗らかなものに戻った声は、眩い雲とは違う、大地にこびりつく白い呪いを想起させる。〈雪〉、すべてを覆いつくし死と嘆きを呼ぶ〈冬〉。冬の地の民が忌避するもの。

「女神様がね」

「め、がみ?」

 仕える神ではない者についてを口にする、その容貌と対照的な振舞いにフージャはまた身震いした。当人の言葉で判明したと思っていた「オルカ」という存在が、フージャの中で捻じれて姿を変えていく。

 〈雨〉はオルカの為に降る。〈雨〉は〈冬〉の為に降る。彼女が降らせるのではなく、彼女の為に――彼女が居る為に降る(、、、、、、、、、)。白い白い、稀有な、幼気な少女の姿が彼の中で像を結んだ。膝をついたまま、へたり込んだようなフージャの喉元で息が引き攣る。

 〈雨〉を降らせる角の主に愛された、祝福された娘だと皆に思われていた彼女は、

「――オルカは人の子。されど、その力を身に宿しています。彼女は君たちが忘れていた、〈冬の女神〉の姫だ」

 断ずる男の言葉には殴りつけるような威力があった。

 聞き知らぬ神話はそれでも、その地に生まれ生きてきた者の魂を冷やした。偽りや出任せではないのだと、他でもない彼ら自身が告げる。フージャとベサルバトは愕然としてその場にあった。

〈冬の地〉(レクタルヴ)の名が示すように、この地の元々の土地神であられる女神は、その力の為に神々から追放の憂き目に遭った嫌われ神でしてね。慈悲深き我らの主様は、一人悲しんでいた彼女を慰める為に雨を降らせたのです。信じられないかもしれませんがそれが真実。そして――」

 二人に構わず、男は話し続けた。吸った息は残らず言葉となって途切れず吐き出され、単なる人の子にとっては遠すぎる古の、神々の出来事を世間話のように述べる。

 けれどその神話の続きは、フージャたちのすぐ傍の出来事へと結びついているのだった。今なお大地を蝕む〈冬〉、それを浄める〈雨〉、――オルカ。

「女神にとってもオルカとっても望んでのことではありませんが、オルカもまた易くは凌げぬ女神の、冬の力を宿して生まれ落ちた……その為に角の地に匿われた。彼女が死ぬまで、そうして女神の力は抑えられるはずだったのです。冬を恐れ忌む貴方がたの誰にも、知られないままに」

 オルカは、元々は大陸で生まれた人の子供だった。血筋に何かあったわけでもなく誰が望んだわけでもないが、どういう運命の悪戯かその身に宿してしまった〈冬〉の為に親の手を離れ、女神と同じように〈角の主〉の慈悲を受けることになった娘だった。

 角の主の居処、もっとも浄化の力の強い〈角の地〉でその力を抑えこむことでどうにか生かされ、暮らしていたのだ。ベサーブーキ――フージャたちが乗った礼拝船が〈角の地〉を訪れた、あの日までは。

 パラファトイが早い〈冬〉に侵されたのも、彼女の存在があったからだった。彼女が齎したのは〈雨〉ではなく、その前にある呪いだったのだ。だと言うのに、誰もが勘違いし続けて運命は巡り、戦いにさえなって、〈雨の御子〉のままにオルカは奪われてしまった。

 オルカは忌むべき呪いを浄化する奇跡ではなく、呪いそのものだというのに。

「君たちが作った上辺もいずれ剥がれてしまうでしょうね。これを知って、君はどうしましょう。……エルテノーデンは、どうするのでしょうねぇ?」

「俺は……」

 ただ呆然とするのを許さず、青年は畳みかける。

 譫言のように呟くフージャの脳裏には白い少女の笑顔が過った。忌むべき〈冬〉と結びついたはずなのに、可愛らしく愛おしい少女の姿だ。守りたい、守っていこうと思った、家族。

 順序は逆のはずだったが、フージャには大切な家族が冬に呪われてしまったように感じられた。悲しく残酷な出来事だ。

「オルカが、〈冬〉……? あれが、〈冬〉なのか――」

 フージャは〈角の民〉の言葉を反芻した。オルカが〈雨の御子〉ではないと知ったとき、エルテノーデンはどうするだろうか。逆に忌むべき〈冬〉の存在だと知ったら? 想像に、フージャの体は三度震える。パラファトイ――フージャでさえ、オルカと暮らさないままに真実を知っていたなら、彼女をどうしたか分からないのに。

「フージャ」

 重々しくその名を呼んだのは無二の親友、ベサルバトだった。フージャと角の民が、揃って彼を向いた。

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