6.ミツイ、魔法使いになる(その1)
宮廷魔術師エル・バランの屋敷は王城の脇にある。
二階建てで、ミツイの感覚では戸建の4LDKくらいの大きさだった。宮廷魔術師という響きからするとかなりこじんまりしている。王城の影にあるために日当たりもよくない。どことなくジメジメしていそうな空気と、石造りで冷たそうな壁は蔦で半分が覆われて、門から玄関までの間は下草がボウボウに生え、手入れがされている様子も無い。そうかと思えば等間隔で精巧な石像が飾られており、アンバランスな印象を受ける。
本当に人が住んでいるのか、と不安になりながら呼び鈴を鳴らしたミツイは、1時間待っても誰も出てこない家の前で、早くも泣きそうな気持ちになっていた。もう帰ろうか、しかし門の中に一歩も入らずに戻ったら、エレオノーラが次の職を紹介してくれるか分からない。せめて後1分だけ、いや、念のため5分だけ、と頭の中で言い訳しながら待つことさらに15分。
「入れ」
仏頂面の声が聞こえ、門が開いた。
□ ■ □
玄関前にたどり着いたミツイを出迎えたのは、満面の笑みを浮かべた少女だった。
中学生くらいの年齢だ。身長はハイヒールの分を入れてもミツイよりも頭ひとつ分小さい。金の髪をツインテールにし、大きなリボンをつけている。長くたっぷりとしたスカートにはゴテゴテした装飾がされていて、まるでハロウィンの仮装だ、とミツイは思った。コケティッシュな衣装がよく似合う美少女である。
「いらっしゃ~い。自分がミツイやんなあ?エル・バランが呼んではるよ、はよ中入りぃ」
関西弁だった。
意表をつかれた気分になりつつ、ミツイは少女の後に続く。ツインテールがぴょこぴょこ動いて、ハイヒールでスキップしている。転んだりしないのかな、と心配になったミツイへ向けて、少女がふいに振り向いた。
「あんなあ、ウチはお客さんと会うのハジメテなんよ。エル・バランはまともに口利いてくれへんし。楽しみにしとったんや、いっぱいお喋りしてなあ?」
にっこりと笑って、少女は言った。思わずどきりとしたミツイを誰が責められよう。
「え、えっと。おれの名前知ってんの?契約書は持ってきたけど、連絡はまだ行ってないって聞いたんだけど」
「契約した時点でなあ、エル・バランには分かってまうねん」
「へえ……、さすがだな。宮廷魔術師だし、魔法で分かるとか?」
「せやな、そんなもんや。魔法文字組み込んだ用紙を使こてたやろ?あれはエル・バラン特製なんや。この世界でもエル・バラン以上の魔術師はそうはおらんで」
「すげえ。そんな人の助手になれるって、おれってラッキーかも」
「せやせや」
少女が自慢げに言うので、ミツイの緊張は徐々にほぐれていく。
「ちなみに……、あっと、名前はなんて言うんだ?エルさんとはどんな関係?彼女?」
「キャシーて言うねん。関係ちゅうてもムツカシイけどなあ、仕事仲間みたいなもんや」
そもそもエル・バランは人付き合いが嫌いという情報ではなかったか。喋り好きなキャシーは恋人には向いてなさそうだ。それと、年齢が離れすぎているような気がする。30代の男と中学生の女の子では犯罪者のそしりは免れない。エル・バランへの見方が変わりそうになっているミツイへ、キャシーは軽く笑い飛ばした。
「いややなあ、あんな根暗を恋人にするやなんて、ウチはそこまで趣味悪くないねん」
「でも、すごい魔法使いなんだろ?」
「すごい魔術師やで。けどなあ、それとこれとは別や。恋人は喋り上手でないとダメやな。顔だけ良くてもおもしろないわ。一緒にいて楽しない」
「そんなもんか?」
「当然や。考えてもみい、どんなに顔がよくても年食ったら爺さん婆さんになるんやで?喋り上手な爺さん婆さんと悪い爺さん婆さんやったら、前のんは楽しいお年寄りやけど、後ろのんは働けんただのジジババや」
ミツイは首をかしげた。高校のクラスにも一人や二人は喋りが得意なお調子者がいる。男女問わず人気者ではあるが、いざ恋愛対象として人気があるのはやはりイケメンの方だったと思う。
「顔のええ男にキャアキャア騒いどる娘にしたって、実際に付き合うてみい、相手が顔だけ男やと思えばフるで。『思ったより優しくない』『退屈なんだもん』とか言うてな。顔がええだけで性格は考慮してへんかってん」
「そういうもんか……、なら、別に顔が悪くたって希望を捨てたもんじゃないんだな……。い、いやいや別に、おれが自分の顔に自信がないからとかって話じゃなく」
「けど、顔がええ上に喋りが上手かったら、モテるで。当然やな。顔がええに越したことはないねん」
しみじみと語るキャシーに、ミツイはがっくりと肩を落とした。
「遅い」
開口一番そう言ったのは、全身黒ずくめの女だった。
視界に入ったその姿を見てミツイは愕然とした。キャシーの言葉から予想はしていたが、美形である。
目つきが鋭すぎるのと、体つきが細すぎるのが難点だが、美しい顔立ちは絵に描いたよう、艶やかな銀髪はうねるように長い。すらりとした長身。性別の分かりにくい中性的な容姿に加え、細すぎる体型からは女性とも男性とも推測できない。身に着けている黒が女の美貌を引き立て、浮世離れした雰囲気を助長する。
壁中が本で埋もれている部屋だ。全面に本棚が設置されていて、すべて埋まっている上に、床にも平積みの本が山となっている。扉の開閉スペース以外には足の踏み場も無い。中央に机があり、その上は紙が山になっている。黒ずくめの美形は椅子から立ち上がり本棚へと手を伸ばしているところだったようだ。座っていれば本のために顔が見えなかったかもしれない。地震でもあればこの女は二度と外へと出られまい。
(あ、あれええええええ?てっきり男だと思ってたんだけど。女?女だよな、この人?エレオノーラさんは、確か……あ、いや、どっちとは言ってなかった気がしてきた……。てか、本当に女?胸、なさすぎだろ?)
困惑するミツイは、ついつい胸元に目がいってしまい、慌てて取り繕うはめになった。男を女と勘違いしたのであっても、逆に女であっても、露骨すぎる視線は失礼極まりない。鋭い目にジロリとにらまれて慌てる。
「エ、エル・バランさんでいいか?おれはミツイ・アキラという。よろ……」
よろしく、と契約書を取り出しながら口を開いたミツイへ、エル・バランは一枚の紙を突きつけた。
白い紙の上に奇妙な文字らしきものが描かれた絵。
反射的にぎくりとしてのけぞる。赤毛の少女と同じ仕草に、ミツイの心中に怯えが走った。おそらくこれも、魔法文字に違いない。
何が起こるのかと息を潜めるミツイの様子をじろじろと見やり、エル・バランは感心した表情を浮かべた。
口元に浮かんだのはどこか楽しそうな笑みだったが、目つきが鋭すぎるのと顔が美形すぎるために悪いことを考えているようにしか見えない。
「面白い」
やはり魔法は発現しなかったらしい。ホッとして息を吐いたミツイは、抗議のために口を開く。
「いきなり何すんだ。それも魔法なんだろ?万が一かかっちゃったらどうするんだよ!」
「かかるものか」
吐き捨てるように言うと、エル・バランは紙を割く。さらにはミツイを追い払うように手を払った。
「出て行け」
そう言うと椅子に座り直して本を開く。それきりミツイの方へは顔を向けない。
「ミツイ、こっちやで」
どうしろと言うんだ、と呆然としたままのミツイへ、部屋の外から声がかかる。
キャシーはにんまりと笑みを浮かべながらミツイを手招きした。
「どやった?エル・バランは」
ミツイの反応が楽しいのか、キャシーはにまにま笑いながら言った。
エル・バランの屋敷内はどこもかしこも埃が積もり、生活感はあまりなかった。エル・バランのいた一階部分はまだしも、階段を上がった2階に至っては何年も人が入らなかったのではないかと思われた。屋敷内を案内してくれるというのでおとなしくキャシーについていきながら、ミツイは思い返して憮然とした顔をした。
「どうもなにも。人付き合い嫌いとかって話なのか、あれ?
大体紙を見せるなら見せるって、最初に言ってくれりゃいいのに。こっちにも心の準備ってもんがあるだろ」
「心の準備されたら意味ないやん」
「だって魔法にかかるかもしれないんだろう!?」
「かからんよ、エル・バランも言うたやろ?あれはただの落書きやもん、何の魔力もこめられてへん」
「……はあ?!」
「ミツイが文字読めんちゅうのを確かめたかったんやろ。読めるんやったら、別の反応があるやろし」
「……なんて書いてあったんだ?」
「教えたら次見た時には読めてまうやん。教えんよ」
さらりと言って、キャシーはスキップで進む。廊下の埃が舞い上がり、ミツイはケホケホと咽た。
「しっかし、埃っぽい家だなあ……。何年掃除してないんだ?」
「年単位なんは確かやなあ。ウチが来てから一度も掃除されてへんし」
「げっ……」
「ちゅーわけでな、ミツイ。ココがミツイの部屋や。さっそく初仕事しとかんと夜が辛いで?」
キャシーはそう言うと二階の一室を指し示す。
エル・バランの屋敷は二階に三部屋、一階に一部屋と水洗トイレ、調理場、居間、食堂がある。内風呂はないので公衆浴場に行かないといけないらしい。また水洗か、とミツイは苦い顔をした。
ミツイの部屋と言われたのは二階の一室だ。窓からは王城の壁が見え、若干閉塞感を覚える作りだった。室内の設備としては、ベッドが一つ、サイドテーブルが一つ、タンスが一つ。イメージとしては以前誰かが住んでいたのか、あるいはゲストルームだったのか。想像してみようと思ったが、ミツイはその努力を3秒で止めた。
「ゲホッ!ゲホゲホゲホゲホゲホゲホゲホッ」
扉を開けたとたん舞い上がった埃の霧に打ちのめされ、ミツイは早々と廊下に逃げた。埃のせいで室内がまったく見えない。息が整うまで咽続けたミツイは、涙目になりながら手で口を覆った。
「うああぁ…。水飲みてえ……」
「調理場行けば水出るで?」
「それ、どうせまた魔道具なんだろ!?」
「魔道具やったら悪いん?」
「魔道具、使えないんだよ……。魔法の使い方を知らないと、使えないんだって聞いた」
「へえ、そうなんや?知らんかった」
けろりとした顔でキャシーが言う。舞い上がる埃に慣れきっているのか、まったく表情が動かない。
「まあ、そしたら気の毒やけど、まずは初仕事やなあ。ミツイの最初の仕事な、この家を掃除することなんや」
「……え?」
真顔でキャシーを見やり、数秒の間、ミツイは反応しなかった。
「ええええええぇぇえええ!?」
「反応遅いで?」
驚く様子が見たかったらしい。にまにま笑いながらキャシーが言う。
「掃除!?掃除って、この家を?何年もしてないんだろう?!」
「せやせや。何年も埃まみれやってん、さすがに掃除せなあかんくなったんやけどなあ。エル・バランの家にはあちこち魔法文字組み入れてあってん、普通の人間やと魔法にかかってまう。誰か魔法が通じん、それでいてちゃんと掃除できる子が必要やって、依頼出したんよ」
「助手じゃなかったのかよ!?」
「師匠の家の雑用は助手の仕事やろ?」
「嘘だろ、ふざけんな!掃除夫なんて聞いてねえ……ゲホッ!ゲホゲホゲホ」
叫んだミツイは思い切り舞い上がった埃を吸い込んでしまい、再び咽た。
「あああ、くそ!ちくしょう、掃除すりゃいいんだろ、掃除!おれ、この世界に来てから掃除してばっかだ!箒とちりとりと雑巾と、バケツくらいはあるんだろうな!?」
「そこらへんは用意してあってん。魔道具は使えんのやろ?なら、水はこれ使うとええ」
キャシーは部屋のサイドテーブルの上に置かれていた水差しを取り上げると、バケツに向けて傾ける。
水差しの口からは水が流れ出る……いつまでも。バケツを満たしたあたりでキャシーは水差しをサイドテーブルに戻したが、水差しの大きさからすると水量の方が明らかに多い。ミツイは眉をしかめた。
「今の、どうなってんだ……?」
「この水差しなあ、エル・バランのいる部屋の水差しの魔道具と同じ魔力で発動するねん。エル・バランが魔道具使こてる間はこっちも動く。気にせんと使うとええよ」
「原理がよく分かんねえ……。親機と子機みたいなもんか?」
「オヤキトコキ?なんやそれ?」
「あー……いや、いいや。とにかくこれはおれも使えるんだな?注ぐまねをすりゃいいのか?」
「せやせや。それじゃあ、頼むで。まずはこの部屋でええけどな、その後は一階の共同スペースの掃除して欲しいんや」
「キャシーは掃除しないのかよ」
「手伝うたらミツイの仕事にならんやん。心配せんとまた様子見に来たるさかい、きばりぃ」
ひらひらと手のひらを振りながら、キャシーは部屋を出ていこうとする。その途中、「あ、そうそう」とわざとらしくにんまりと笑いながら振り返った。
「ウチの部屋を掃除する時に、下着とか盗んだら、あかんよ?」
「するかッ!てか、嫌なら自分で掃除しろよ!?」
屋敷一つ掃除するのにどれほど時間がかかるのか。ミツイは愕然としながら天井を見上げた。舞い上がった埃がハラハラと散り、ミツイはまた咳き込んだ。