61.ミツイ、傭兵になる(その2)
騎士たちの根城は城下町の一番外側にある、比較的大きな石造りの建物だった。
馬を連れて進むにはここが限界であるらしい。厳しい山道を平然とした顔で歩く馬だが、さすがに喉が渇いていたらしく、ハイネスが水飲み場に連れて行くと、夢中で水を飲みはじめる。
水飲み場には他にも数頭の馬がいた。
「寄り道をさせてすまなかったな。報告を終えたら、王子への手紙を用意する。その後、エルデンシオ王国への道を……」
いくらか緊張を解いて、ハイネスがそう言いかけた時である。
水飲み場に駆けこんできた騎士風の男がいた。
「ハイネス様!大変ですじゃ!」
駆けてきたのは初老といってもいい年齢の男だった。腰に剣を佩いており、騎士風の装束に身を包んでいるが、現役だと言われたら驚いてしまう。ミツイからするとおじいさんと呼びたくなる外見をしていた。だが枯れ木のように細い身体ながら身のこなしはスマートで、目は生き生きとしているから、まだまだ働き盛りなのは間違いない。
「東地区から、また魔物が現れたとのことですじゃ。数は、報告されただけで三!鳥系のようですじゃ!」
「なんだって!」
即座に剣を握り、駆け出そうとしたハイネスは、一瞬だけ躊躇した。
それが自分のせいだろうと考えたミツイは、迷うことなく剣に手を置いたまま続く。
「おれも手伝う!」
「っ……、すまない!ロバート殿、弓を用意してくれ。東地区に回せるだけ、全部だ!」
「はい、ただいまですじゃぁ~!」
初老の男が即座にうなずき、駆け出していく。
鳥系と言ったが……剣は効くのか?
ミツイは考えながら視線を空に向けた。
飛ぶ魔物はキマイラなどの経験があったが、鳥というのは未経験だ。ドラゴンが飛ぶ姿も見たことがあったが、ミツイは自分の認識が甘かったことに気づいた。
「なんだ、ありゃ……!?」
速い。
まさしく目にも留まらぬようなスピードで小さな何かが飛んでいる。時折動きを止めると、轟音を立てながら舞い降りてきて、瓦礫を一つ作り、また上空へと飛び去って行く。
紫色のオーラをまとっているのかどうかを判断することさえできない。
「コンドルか。面倒なのが魔物化したな」
「『浄化』は……効くのか?」
「効く。だが……、ミツイ、きみならあれに当てられる自信があるか?」
ない。
キッパリハッキリと、ミツイは首を振らざるを得なかった。
初老の男、ロバートがひょこひょことした動きで弓矢を持って合流してきたが、弓を配られた騎士たちは皆、困惑気に空を見上げることしかできなかった。
「『浄化』は魔法だが、目視したものすべてに当てられるわけじゃない。射程距離もあるし、発現したタイミングで捕えられなければそれで終わりだ。しかも三羽ともなると……」
地球におけるコンドルとは、クチバシから尾の先までがおよそ1.2メートル、両翼の端から端の長さがおよそ3メートルという猛禽類だ。外見的特徴としては、頭部に羽毛がなく、禿げているように見えることだろう。
こちらのコンドルも、さほど変わりはしないらしい。ただし、大きさは同じではなかった。
一瞬舞い降りてきた時に見えたのは、体長3メートルほどで、翼を広げた姿は5メートルを超えるだろうという大きさだった。
「コンドルは、魔物化していなくても厄介な生き物だが……。
おまえたち!被害状況はどうなってる!」
ハイネスの声に、騎士たちは我に返って瓦礫の端から姿を見せた。
東地区に集まってきた騎士たちは、総勢で10名前後らしい。鎧を着ている者が半分、着ていない者が半分だ。数名が弓矢で空を狙ったまま、残り数名は周囲に他の魔物がいないかどうかの警戒に当たっている。
ロバートがハイネスの元に駆け寄り、ハイネスとミツイの分の弓矢を差し出してきたが、ミツイは黙って首を振った。
剣ならばともかく、弓は打ったことがない。試すまでもなく、当たるはずがなかった。
大慌てで弓矢を配るロバート。矢尻についた鉄が、身に着けた鎧が、太陽を反射してキラキラと光る。
「騎士隊に被害はありません!巡回していた者が、一ブロック分の建物が壊された旨報告しております!
東地区には、魔物被害を受けた住人たちの遺体がまだ……。おそらく、それを……」
コンドルは、生きている獲物は食べない。動物の死体を狙うのだ。
「……それ、つまり、人間の、死体を食べるってことか……!?」
「コンドルは、元からそういう生き物だ。そのため、この国では死者の弔いには特に気を使う。墓を荒らされてはかなわないからな。
しかし……」
ハイネスが何事かを言いかけた時だ。
「来ました!」
騎士の一人が悲鳴を上げた。
あらかじめ弓矢を構えていた者たちが一斉に矢を放つ。だが放物線を描く矢は、コンドルたちに掠りもしなかった。
地上近くを高速で行き過ぎたコンドルのうち一羽が騎士の隠れる建物を薙ぎ倒す。もう一羽は開いた天井の間から、嘴で何かを引きちぎって行く。
そして最後の一羽は、ミツイたちの隠れている建物の方へとまっしぐらに急降下してきた。
「撃て!」
ハイネスの号令に応え、遅れて構えた騎士たちが一斉に矢を放つ。コンドルの羽に当たったように見えたが、動きは止まらない。当たったかどうかさえ分からぬほどのスピードで迫る鳥に、ミツイは恐怖した。
思わず剣を握りしめたが、それが何になるだろう。
「ぎゃああああ!!」
一人。皮鎧を着た男が、矢を放ちかけたまま肩口を嘴で噛みちぎられた。
「ひぎゃあああああ!」
一人。金属鎧を着た男が、剣に手をかけた腕を前爪で抉られた。
「ハイネスさまぁあああああ!」
「ちぃっ!」
また一人。迫ってきたところをハイネスが剣先を向けたためか、コンドルは一瞬迷いを見せて再び上昇していった。
(くそっ、ビビってる場合じゃねえぞ、おれ!)
ミツイはぐっと剣の柄を握りしめてコンドルを睨んだ。
コンドルは生きている人間は食べない。
だが、魔物化したコンドルは、何を思ったか遺体を探すのではなく、騎士たちを標的に襲いかかってきた。
殺した後、食べるのだろうか?それとも別の狙いがあるのか。
焦りながら見つめていたミツイは、コンドルが的確に武器を向けた相手を狙っていることに気づいた。
「……なあ、ロバートさん」
「は、はひ!?ですじゃ!?」
「いや、その口調はなんなんだよ。いや、そうじゃないか。悪い、弓矢、やっぱりくれ」
コンドルたちから目を離さないまま、ミツイは手を差し出した。
ロバートによって手の上に置かれた弓矢は、複合弓と呼ばれるタイプだったが、ミツイには弓についての詳しい知識などなかった。
和弓ほどは長くない。だがしなりが少ないのか、試しに引いてみようとしたミツイには重くて無理だった。
これを引くには相当の腕力が必要だろう。
「……まあ、いいや」
ミツイはロバートから数歩離れ、コンドルがよく見える位置で弓を構えた。
重くて引けないから、格好だけだ。矢を片手に持ち、弓を引く真似をする。
「おい、ミツイ!?」
「鎧着てるやつは、物陰に隠れさせてくれ!」
ハイネスが驚き声を上げるのへ言葉を返して、ミツイはコンドルの一羽に狙いを定める。
太陽に反射して、キラッと矢尻が光った。
次の瞬間、轟音を上げて急降下してきたコンドルに、ミツイは弓矢を放り出して剣を抜いた。
ギィィイイイン!
急降下するコンドルと、刃との交錯は一瞬だった。
ミツイの持っていた剣は根本からバキンと折れた。だがコンドルの嘴にも確実に命中していたらしい。あたりに血が散った。
コンドルはそのまま上空へと戻っていく。仕留めるまではいかなかったが、手傷を負わせたはずだ、とミツイはコンドルの血を袖でぬぐいながら考えた。
「大丈夫か!」
「セーフ!」
舞い上がった砂で砂まみれになりながらミツイは物陰に隠れた。
一か月も手入れがされていなかった剣だ、寿命が来るのは分かっていたが、もう少し保ってほしかった。折れて使い物にならない剣と拾い上げた刃先に舌打ちしながら、ミツイは声を上げる。
「ハイネス、金属だ!たぶん、太陽に反射する金属を狙ってる!」
「なっ……」
一瞬戸惑いの声を上げたハイネスだが、二羽目のコンドルが動き出す前に他の騎士たちが動いた。
物陰に身を隠しながら弓矢で狙う。
考えてみれば向こうは上空、こちらは地上にいるのだ。上から狙うのに目印くらいは考えていてもおかしくはない。
本来死肉を狙うはずのコンドルが、なぜゆえ金属をターゲットにしているのかは分からなかったが。
騎士たちの姿が確認できなくなると、コンドルは待機状態に入ったらしい。
上空を大きく旋回しているのが分かる。
それを見たハイネスは、騎士の一人に命じ、金属鎧を囮にした。
建物と建物の間にあからさまに囮として転がされたそれに、だがコンドルはあっさりと騙されてくれたらしい。
二羽が急降下してくるのを狙い、騎士たちが一斉に矢を放つ。
四方八方から串刺しにされたコンドルはそのまま飛び立てず地面に転がった。
「見張れ!トドメはあいつを落としてからだ!」
すかさず剣を抜こうとした騎士を止め、ハイネスが叫んだ。
ミツイによって手傷を負わされたコンドルは、金属鎧の囮には引っかからなかった。傷ついたコンドルの首を落とそうと剣を持って近づけば、そこを狙いに来るだろうと思われた。
遥か上空を旋回し続けるコンドルとの我慢比べだ。
どうやらあの鳥は、ほとんど羽ばたきを必要としないらしい。上空の風に乗り、まるで疲れを見せない状態で旋回している。
太陽の下で緊張を強いられているこちらが不利である。
だが、おおよそ30分ほど旋回し続ける様子を見ながら、ミツイはふと嫌な汗をかいた。
青い空の向こう側に見える、小さな黒い点はなんだ。先ほどまではなかった。
まさかコンドルのやつが増援を呼んでいるわけではあるまいな?
ごくりと息を呑んだミツイは、低い声でハイネスに尋ねた。
「あいつだけなら、上空にいる状態でも『浄化』できるか?」
「……やってみよう」
ハイネスもまた、黒い点に気づいたのだろう。建物の物陰に隠れる部下たちに指示を出す。
東地区に集まっていた者のうち、半数は残り、残り半数は付近の警戒に向かった。
ハイネスが集中するのを見守りながら、ミツイはコンドルの様子をうかがっていた。
手傷を与えてあるのだから、長く飛び続ければそれだけ体力を消耗するだろう、というのは希望的観測に過ぎないのだろうか。
「……来るっ!」
コンドルが動きを変えた。
一気に急降下してくるのに向けて狙いを定めていたミツイは、その後ろから飛来してくる大型のシルエットに目を剥いた。
はじめは小さな点だった。
目の錯覚か、あるいはゴミかと思うような小さな点は、コンドルの後ろから恐ろしいスピードで近づいてきた。
スピードだけなら魔物化したコンドルの方が速かったかもしれない。
だが、コンドルの十倍以上もある巨体が、同じようなスピードで飛来してくるのを、ミツイはそれ以上見続けることはできなかった。
トカゲに似た巨体と鱗に覆われた姿。ミツイ以上に、ロイネヴォルクの騎士たちには見慣れた姿だ。
紫色のオーラに包まれた、それは竜だった。
ハイネスの身体が金色に輝く。
その指先の狙う先が、巨体に切り替わるのを見た瞬間、ミツイは隠れていた場所から飛び出した。
金の輝きを見たコンドルはハイネスに狙いを定めた。飛来してくるコンドルに向けて、ミツイは折れた刃先を投げつける。真正面からとはいえ、向こうは鳥だ。当たるかどうかは賭けでしかない。
コンドルはまっしぐらにミツイを掠め、そのまま通り過ぎる。そしてそのまま、壁に激突して、落ちた。
首筋にミツイの投げた刃物が深々と突き刺さっていた。
魔法の発現は劇的だった。竜の巨体がぐずぐずと燻るように消え失せる。
ぷつりと糸が切れたかのように、ハイネスはその場に倒れた。
ロバートが急ぎ駆け寄り、他の騎士たちと協力して物陰へと引き返していく。血まみれになって倒れる三羽のコンドルにトドメを差した騎士たちに声をかけられ、ミツイもまた物陰へと引き返す。
おおよそ一時間に渡る攻防。炎天下で続く緊張状態。ミツイは鎧こそ着ていなかったが、騎士たちの半分は武装している。水分も摂らずに続けるのはもう、誰にとっても限界だった。
「ミツイ殿とおっしゃいましたか?」
騎士の一人に声をかけられ、ミツイは黙ってうなずいた。ロバートが横から口を挟む。
「ハイネス様がお雇いになった傭兵殿ですじゃ。ささ、どうぞ、中へ」
傭兵と言われてミツイは目を丸くしたが、確かに今のミツイには、その職名が相応しいだろう。
多くの者がその名称から連想するのは、もっと筋骨隆々な強面であって、ミツイのような平凡な少年ではないだろうが、一度は断ったハイネスに対して、自分の腕を売りこんだのはミツイの方だ。
エルデンシオ王国に戻る前に、『誰かを守った』『おれにも何かできる』という実感が欲しい。
ロイネヴォルクにいるからこそ、できることがきっとあるはずだ。
そう思いながらミツイは深々と頭を下げた。
「どうぞよろしく」