37.ミツイ、剣闘士になる(その7)
「さあ、来い、キマイラ!おまえはアルガートが倒してくれるっ!」
啖呵を切りつつ、ミツイはキマイラ目掛けて走り出す振りをした。釣られたキマイラが跳びかかるのを、横っ飛びでかわす。キマイラは着地すると即座に方向を変え、また跳ねる。猫じゃらしになった気分だ。
カチン、カチン、とミツイは手枷を鳴らし、キマイラの気を惹きながら、避けに徹した。無駄の多い避けだったが、爪先一つにも掠りたくない。反撃の術はないのだ。一度でも前脚に抑え込まれたら終わりだ。忘れがちだがミツイは上半身裸なのである。獅子の爪と牙に抵抗できる装甲ではない。
業を煮やしたキマイラは、ミツイを見据えたまま距離をとる。それを見た瞬間ミツイは走った。
キマイラが炎を吐こうと口を開く。炎の核目掛けて、ミツイは拳を突き出した。
核が赤く染まる喉奥目掛け、ミツイは拳を捻りこむ。暴れるキマイラの牙がミツイの頭に触れた。
グオオ…………
吐き出されようとした炎の核が霧散した。喉奥に拳を突っ込まれたキマイラが、グガ、と叫んで牙を立てようとする。
すかさずアルガートが斬りかかろうとするが、キマイラの動きが激しすぎる。ジタバタと動く顔に放り出され、牙が頬に食い込もうとした瞬間、ミツイは耐えられなくなった。
「く、くそおっ!!」
ミツイは蹴りを入れてキマイラの顔を押しのけ、飛びずさって距離をとった。
ちらりと確認するが、手のひらは火傷をしていない。額からダラダラと血が流れてきたが、かすり傷だ、たぶん。
「なんだ、今のは?」
「ちょっと失敗したが、あんな感じだ!炎だけなら無効化できる……が、」
「口の中に手を入れたのは意図的か。……分かった。次は外さん」
アルガートの返答にほっとしつつ、ミツイは再度キマイラを見つめた。
今のでキマイラは分かってしまっただろう。炎の核を吐き出そうとすれば、邪魔が入るということ を。
キマイラは慎重に戦法を切り替え、跳びかかる方向に戻った。尾を注意しなくていいのが僥倖である。跳びかかる方向から逃げれば避けられるのだから。脚力に差がありすぎるため、ミツイの方はギリギリの避けがほとんどだったが、キマイラとして苛立ちを隠せない。ガウガウといらだつような唸り声を上げながら、動きを変えた。
キマイラは獅子の頭と前脚、雄山羊の胴体、毒蛇の尾を持っている。攻撃に際しては獅子として戦い、時折毒蛇の尾を放つ。雄山羊の胴体は長距離移動用であって、戦闘には使わない。
獅子は瞬発力はあるが持久力はない。餌の草食動物たちに本気で逃げられたら追いつけない。そのため、ぎりぎりまで近づき、弱っている者を狙って跳びかかる。草食動物の命は脚だから、組み付かれてしまえばまず逃げられない。
だが山羊はその草食動物なのだ。長距離を走れる脚力と、スタートさえ遅れなければ獅子にも勝るスピードを誇る。
山羊の脚力で跳ねる。ミツイは防戦に回った。長距離を走る脚力は、その最大メリットは持続性だろう。初速は速くない。
獅子の攻撃を避けられた、今のミツイならば避けられる。手枷の鎖を山羊脚に絡め、キマイラの体勢を崩すことに成功すると、さらにダメ押しのように蹴りを入れた。蹴りはほとんど効果がないようだったが、相手との距離を一定に保つのには役に立った。
再びキマイラは姿勢を変える。今度は獅子モードだと感づいたミツイは、反撃を考えず避ける。
獅子は獲物に逃げられた場合、わりとあっさりと諦めるものだ。草食動物の脚力に勝てない自分を知っており、またスタミナも少ないからだ。そんなことをしなくても、また獲物はいる。ターゲットを変えるだけだ。
キマイラは当てられないミツイよりもアルガートに意識を向けた。剣を構えたアルガートに向けて、炎の核を吐こうと口を開く。間近でそれを見たミツイは笑みが漏れるのを自覚した。思い切り口の中に手枷を突っ込み、そのまま首をへし折る勢いでしがみつく。獅子の首は太すぎてミツイではとても腕の長さが足りないが、そうすることで手枷を奥まで入れ込むことができた。
すでに踏み込んでいたアルガートが迫り、キマイラの目を裂く。炎の核を消され、目をつぶされたキマイラが悲鳴を上げる前に、アルガートは首筋に刃を突きたてた。ミツイが押さえ、アルガートが突く、その首筋は、キマイラの目から光が消えるまで離されなかった。
じ、じ、じ、じ…………
紫のオーラが消えていく。断命したキマイラが舞台に倒れる。
警戒したまま見下ろす二人の剣闘士は、キマイラから目を離さないまま、すっと距離をとった。観客席に残る者たちから、キマイラの姿が見えるように。
「うぉあああ!アルガート、なにしやがる!口に手ぇ突っ込んでるとこに刺すとか!おれの手刺したらどうすんだよ!?」
「あれだけ分厚い肉越しだ、当たっても痛くなかったろう」
「痛いよ!刺すなよ!あー、怖かった……」
手がなんともないことを確認する間、ミツイはずっと文句を口にし続けた。だが歓喜に沸く観客席には届かなかった。
□ ■ □
『剣闘士二名対魔物、勝利は剣闘士たちである!』
VIP席のヘルムントの声が響いた。
勝利した剣闘士である二名は、それ以上の戦いを強いられることはなく、控え室に戻るようにと指示された。
キマイラの唾液でべとべとになっているミツイは早く風呂に行きたくてたまらなかったが、許されなかった。
タライに入った水で身を清めるよう言われ、着替えを用意された。勝利者に主催者から祝福をいただけるのだそうだ。
「いらねー……。いや、そうでもないか。ちゃんと戦いはしたんだし、これで開放されるはずだよな」
剣闘士としてのミツイは、常にぴりぴりしていたと思う。何しろ他人に戦いを強要されるなんてことは、現代日本ではまずありえないのだ。子供同士の取っ組み合いの喧嘩すら、したことのなかったミツイであればなおのことだ。
「へるむんめ、ザマミロだぜ」
綺麗な顔が悔しそうに歪んでいることを期待して、ミツイは鼻歌さえ歌いながら着替えをすると、控え室を出た。
だがそこにいた小さな生き物に目を丸くする。
爬虫類だ。丸っこくコロコロしているため、遠目からは羽毛に包まれた丸い毛玉のように見える。これまで今ひとつ表現できなかったが、マリモみたいだとミツイは思った。幼竜である。
「どうしたんだ、いったい?」
確か、この幼竜が誘拐されたのだ、という罪状を自分は押し付けられていたのではなかったか。大事にされているだろう生き物が、自分の控え室前でコロコロしているのはなぜだ?
「ぴぃぴぃっ!」
どこか気を惹こうとする鳴き方を聞いて、ミツイはますます驚いた。声を聞いたのははじめてだが、この甲高い音に覚えがあるような気がした。
「なんだ?小鳥みたいだから、それでか」
『チガウよ!』
「え?」
『小鳥ジャナイよ!』
何度か頭に響いてきた甲高い声。警告を与えてくれたそれに酷似したものが脳裏に響いてくる。
ありえないと思いつつも、状況からして当然連想された答えを、ミツイはおそるおそる口にした。
「いまの、おまえ?喋れるのかよ?なんだ、こう……テレパシー?」
『てれぱしー?』
「あ、いや、わかんねえか。まあ、いいや……」
だが会話が成立したのは理解した。
小さくて、しかもマリモもどきだが、さすがに竜であるらしい。爬虫類と会話ができるとは驚きだった。
□ ■ □
ミツイ・アキラ 16歳
レベル3
経験値:92/100(総経験値:292)
職業:剣闘士
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き、飛脚




