18.ミツイ、パシリになる
幕間回です
ケイトは憤慨していた。ようやく慣れはじめた矢先に辞めると言い出せば、当然そうなるだろう。
心のオアシスに怒られて、なんとなくしょげるミツイである。クラシックなメイド服姿もこれで見納めかと思うと残念でもあった。
「短期とは聞いていましたけど、何日働いたっていうんですか」
「いや、ホント、それについては……」
「まあ、盗賊を捕まえるまでだとはあらかじめ聞いてはいましたし、構いませんけどね。若い従業員ってほんっと貴重だったのに。あーあ」
大きくため息をつくと、ケイトは残念そうに首を振る。
「それで……、医務室に面会を申し込みたいと?」
「ああ。ほら、例の……侍女さん。意識が戻ったって聞いたから。エルさんには会わないつもりだっつったんだけどさ。なんとなくそのまま帰るのも気になるからさあ……」
「うーん……。しかしですね、ただの侍女でしたら可能かもしれませんけど、あの方は公爵令嬢でいらっしゃるのですよ。面会を申し込むと逆に会うのは難しいと思います」
「?どういう意味だ、それ?」
首をかしげるミツイに向けて、ケイトは悩むしぐさをした。実際に悩んでいるわけではなさそうだ、やや芝居がかった手振りがケイトの癖であるらしい。トントン、とあごの辺りを数回指で叩き、目線をさ迷わせた後に視線を戻してくる。考えをまとめたらしい。
「ええとですねえ……。公爵家のご令嬢っていうのは、意味は分かりますよね?王族にもっとも血縁の近しい方々でして。その中でも、あの姫君は、王位継承権をお持ちなんです」
「……?」
「あ。分かってらっしゃらない。ううん、どう言えば良いですかね。この国は男子の方が王位継承順位が高いんです。ですから、王位継承権第一位は王子殿下で、その次に姉姫様、妹姫様の二名が続きますが、その内実、姉姫様よりも公爵家の男子の方が可能性は高くなるんですよ。ここらへんは、継承順位がはっきりしてないせいもあるんですが……」
「……?いや、ますます分からなくなったような」
「まあ、飛ばしましょう。とにかく、公爵家っていうのは、王位継承権を持ってましてね。そのご令嬢も同様です。ただ、ご令嬢はご正室のお子じゃなくて。そのため、冷遇って言うのかしら、ちょっと扱いが軽いんですよ」
「ええと、つーと、愛人の子?」
「言い方が悪いですけど、そうですね。ご側室のお子、とかって言って欲しいですけど。まあ、良しとしましょう。その関係で、ですね。公爵令嬢なんですから、王城に上がろうと思えば本来は侍女なんかにする必要、ないんです。妹姫様のご学友という形で十分のはずなのに、わざわざ侍女なんですよ。だから、公爵令嬢でありながら侍女として働いてもいます。まあ、そういう特殊な例なので、仕事内容はほとんど妹姫様の遊び相手ですけど」
「なんか、めんどくさいんだな?」
「そうですね。どうしてまたそんな扱いにしないといけないのかは、わたしたちには分かりかねますけど。妹姫様と公爵令嬢の仲はよろしくて、ごく普通にご友人です。毎日一緒ですし、お部屋も近いので、公爵令嬢ご自身も実家にいるよりも気楽なんではないかと思います」
「なら、良かったのか」
「まあ、お二人の精神状態には良かったのでしょう。ともかくそんなわけですから、ただの使用人が面会しようと思って会える人ではないんです。分かります?」
「うーん……」
「医務室となりますと、医官もいますし。意識が戻る前は、混乱してましたからまだ大丈夫でしたでしょうけど……。意識の戻った後は、公爵家の息のかかった護衛がついてる可能性もありますから。ミツイさんがへたに近づくと、変に勘ぐられるかもしれませんよ」
「……そっか」
ミツイは少し考え、それから諦めたようにうなずいた。
「面会してっていうのは諦めるか。意識が戻ったっていうのが、どういう状態だかケイトは知ってるか?石化の治療とか、そっちの方は」
「腕については神官様の治療を行うらしいって噂ですね。無事に治療ができたら公爵領に戻って治療に専念するんじゃないかって言われてます。妹姫様が嫌がってますので、もう少し時間はかかりそうですけど」
「本当に仲がいいんだな?」
「同じお年頃で、身分も近い方同士ですから。周囲が競わせない限りは仲良くなろうというものです。お二人とも、性格は悪くないですしねえ。……ああ、そうか、そうですね」
ケイトはふと思いついた顔でうなずいた。得意満面な顔でミツイを見返す。
「公爵令嬢のご様子が気になるのでしたら、一つ方法がありますよ。バレたら、ミツイさんの安全は保障できませんけど」
「は?」
「従業員用の通路をご存知でしょう。公爵令嬢のお部屋につながるルート、わたし知ってるんですよね」
□ ■ □
「バカなんじゃなかろうか、おれ」
ケイトの発案に、思わず乗ってしまった自分が憎い。
ふと我に返ってしまうと、自分がやっているのは変質者の行いそのものではないかと思い、かといって戻ろうと思ったら、それはそれで難易度が高いことに気づいてしまった。
公爵令嬢の部屋ということは。つまり、女性の部屋なのだ。
公爵令嬢も妹姫も11歳。ミツイにとっては小学生だ。小学生の女の子なんて女性と思っていなかったミツイだが、それが一国の姫となってくると話がまったく違ってくる。
女性の部屋につながる従業員通路に潜んでいるなど、ストーカーと言ってもいい。ここが王城で、しかも相手が王族ということを考慮すると、暗殺者と間違われてもおかしくないのではないだろうか。
ちょっと様子を見て、元気そうなら引き返そうと、思っていたのだ。それ自体は嘘偽りない。
従業員通路はたまたま行き交う人もなく、誰にも咎められることがなかった。それ自体は運がいい。
たどり着いた部屋には邪魔者はいなかったが、目的を果たしたのに帰れそうになかった。
どういうことかと言えば、見つかってしまったのだ。
妹姫と、公爵令嬢に。
従業員通路は、正規通路とは壁を隔てた横に設置されている。正規通路から各部屋に入る際、まず扉を一枚開ける。すると、短い廊下があり、次の部屋に行くにはまた一つ扉を開けなくてはならない。常に二重扉になっているわけだが、これは防寒という側面と、内部のプライバシーを守るため、いきなり扉を開けないための工夫とされている。扉を開けてすぐに廊下につながっていると、扉を開閉している間、廊下から中が覗けてしまう。それを避けるため、廊下と部屋との間に待機用のスペースがあるのだ。普通に生活している分には、そういうものだと納得して終わるだろうが、この待機用のスペースこそが、従業員通路の正体である。
貴人の護衛たちが待機するのもこのスペースだ。廊下に立っているといかにも怪しい場所を伝えているようなものだし、何より寒すぎる。石造りの建物は、カーペットとタペストリーにより夜間の冷えに対抗する。それと同時に、狭ければ狭いほど暖かいということがあるため、待機用のスペースだとちょうどいいのである。曲者が入ってくるルートが限られるため、護りやすいというのも理由だ。なお、エルデンシオ王国には暖炉のような魔道具はあるが、エアコンや懐炉のような機能を果たす魔道具はない。
ミツイがその部屋に近づいたのも、従業員通路からであった。廊下側の扉は閉まっていたが、部屋に通じる方の扉が開いていたため、待機用スペースに出てすぐに部屋の様子が見えてしまったのだ。これは不可抗力であると言いたい。
その部屋には他に誰もいなかった。世話係だの侍女だのいてもおかしくなかったのだが、いたのは二人きりである。
ベッドに寝かされた女の子と、そのベッド脇に座る女の子。ベッドに寝かされた方は、片腕がなく、代わりに包帯を巻いていた。カークスと似たような状況にあるらしい。顔に見覚えがあるので、イレーヌが連れて来た女の子で間違いはないだろう。もう一人には見覚えがないが、これが妹姫だと一目で分かった。とんでもない美少女だったのだ。
目が合ってしまったミツイはうろたえた。護衛役が立っていないというのもおかしかったのだが、ミツイはその違和感に気づけるほど、貴人の事情に詳しくなかった。見つかった、と思ったミツイは、観念するような心持ちで部屋に踏み入り、詫びを入れようとした。
瞬間、何が起きたかミツイには分からなかった。頭がチカチカしたのと激痛が走ったのだけは理解した。とても耐えられないそれに、「あ、がっ……」と漏れた声ごと、床に沈められた。
公爵令嬢はミツイの股間を蹴り上げ、うつ伏せに床に沈めると、後頭部を踏みつけた。
ミツイの口を床で封じるなり、首筋に刃物を当てる。ピタピタと冷たい金属の感触に、ミツイは声を出すことができなくなった。その上で、さも楽しげな声音で公爵令嬢はささやく。
ネグリジェと呼ぶには装飾の多い服装をしているが、寝巻きの一種だ。白く可憐なデザインだが、ミツイを踏みつけにして首筋に刃を当て、凄みのある声でささやく人物の服装としては違和感がありすぎた。
持っているのは短剣だった。貴族が護剣などに使用するものだが、鋭い刃がピタピタとミツイの首筋を冷やす。ほんのわずか力を入れれば、首が裂けるに違いなかった。
「どちらさま?呼びもしないでやってきて、賊ではないとは言いますまい?」
「あ、ぐ、がっ……」
「どうやらあなたさまはご自分の立場が分かっておられないご様子。首筋のコレを、そっと撫でてさしあげるだけで、この世とおさらばできるのだと、理解しておいでで?」
グリグリと後頭部を踏みつけながら、公爵令嬢は笑った。喜悦に満ちた声で、ミツイは心底青ざめる。
(なんだこれ、なんだこれ、なんだこれえええええええ!?)
後頭部が痛い。思い切り床に打ちつけられた鼻が痛い。喋ろうとするたび力がこもる、首筋の冷たい金属が怖い。
ミツイの手足は両方とも動いたが、それを動かす選択肢はできなかった。
人体の急所を完全に抑え込まれ、さらに言うと蹴り上げられた股間が痛すぎてピクピクするだけで精一杯だった。
「おや、言い訳もないと」
「ま、待っ……」
「いつ、喋っていいと言った!」
グリグリと踏みつける足に力がかかった。わずかにあった丁寧な声音が吹っ飛んだ。
公爵令嬢が履いているのは室内用のサンダルである。ベッドに寝ていた体勢から、一体どの瞬間に靴を履く余裕があったのかは不明だが、ミツイの脳裏にあったのは、これがハイヒールでなくて良かったということだった。
(言い訳させたいのか、黙らせたいのか、どっちだよぉおおおお!?)
ミツイは腕の力を抜いた。ダランと床に寝そべり、刃とは逆方向から息をする。
抵抗する気をなくしたように見せたかったのだが、それは成功したらしい。公爵令嬢は首筋の刃を少し離した。
「吐け。誰の命でここに来た?」
「いや、だからその!誰の命令でもなく!」
「ほう、単独犯とな?どうしても背後を吐きたくないというならば、なおのこと吐かさぬわけにはいかん。知っておるか、賊。この刃は即座に死ねる薬だが、わたくしは青い刃も持っている。そちらは傷一つ負わすだけで、ゆっくりゆっくりと命を搾り取ってくれるのだ。どのような些細な傷であっても、けっして治らぬ傷となる、そんな目に合いたくはなかろう?」
「ひぃいいいい!?」
「さあ、賊。吐いてしまえ……?」
耳元に息を吹きかけるようにしながら、齢11歳の娘が凄む。
助けを求めるミツイの窮地を救ったのは、もう一人の娘の方だった。
「ねえ、サルヴィア。その人、本当にちがうんじゃないかしら。黒いものがないもの」
毒気のない声で告げると、ミツイに近づき、顔を覗き込んでくる。もっとも、床に突っ伏したままのミツイには彼女の顔を間近で見ることはできなかった。
「ほら、やっぱり。顔に黒い相が出てないわ。この人は、少なくてもサルヴィアをどうこうしようと思ってきたわけじゃなさそうよ」
「…………」
「ね?」
(そうだそうだー。頼むから退いてくれー。おれ、マゾじゃないから令嬢に踏まれて気持ちよくなったりしねえんだよ!)
「……姫がそうおっしゃるのなら」
しぶしぶといった調子で、公爵令嬢の足が離れる。首筋から金属の感触がなくなったのを知ってから、ミツイはようやく顔を上げた。床に無様に這いつくばった体勢は、心底情けなかったが、それよりも命の危機を脱したようなのに安堵した。
公爵令嬢が、さも残念そうに舌打ちしたのは聞かなかったことにした。
立ち上がり、並んでみれば、公爵令嬢も妹姫もミツイよりもかなり小さかった。どちらも150センチないくらいだろう。年齢が11歳ということを考えれば、まだこれから身長は伸びるに違いない。
実に情けないことに腰が引けていて、彼女たちを見下ろすのが気が咎める。
そんなわけでミツイは、リビングスペースの椅子に座る彼女たちの中央で、床に座らされていた。
(え。あれ。なんで?椅子をすすめてくれると、そういうのはなし?)
さすがに床に座ったミツイと並ぶと、彼女たちの方が高い。見下ろす視線に満足したらしい公爵令嬢が、楽しげな笑みを浮かべた後に、妹姫を見やった。
「姫。わたくしから話をしてもよろしいか?」
「ええ、もちろん。ねえ、サルヴィア。まず、この人の名前が知りたいわ」
「姫に名を問われるとは僥倖な。さあ、賊。粛々と名を吐け」
「やっぱり賊扱いかよ!?」
「賊は賊だ。言い訳したければ、今度は縄で縛って転がしてやろう。年端もいかぬ小娘に虐げられ、屈辱に震える様か、あるいはそれを甘露のように受け取る表情を見せてくれれば気が変わるやもしれんな」
「なんでそうなるんだっっっ!!!」
「サルヴィアは、ちょっとだけ、Sなんだって。兄さまもそう言ってたわ」
「ちょっとじゃねえよな!?」
声を限りに叫んでみれば、公爵令嬢の気に障ったらしい。再び刃先を向けられて、ミツイは「ひぃ」と身を引いた。
「ふむ。悪くない」
(なにがだぁあああああ!!!)
怯えるミツイの様子を楽しげにする公爵令嬢に、ミツイは早くこの場を離れるに限るという結論に達した。
「ミツイだ。賊じゃない」
「まあ、そうなの?サルヴィア、この人、賊じゃないんだって」
「姫。賊はみんなそう言うのです」
「まあ、そうなの?ミツイさん、サルヴィアはこう言ってるけど、どうなのかしら」
「だから、おれは賊じゃねえよ!単に、そこのお嬢さんが意識戻ったっつーから、こう、元気かどうか知りたくて来たんだってば!腕無くして落ち込んでんじゃねえかと思って……」
ジタバタと暴れるように叫んだミツイに、公爵令嬢と妹姫は目を丸くした。
「……馬鹿なのか」
「サルヴィア、この人、とってもいい人なんじゃないかしら」
顔を見合わせる令嬢たちに、ミツイは頭を抱えた。
賊ではない、ということは信じてもらえたが、ミツイに椅子は用意されなかった。
カーペットがやわらかく、絨毯だと思えば気にならないので、もうそれでいいや、ということにしたミツイである。
ひとまず名乗りあったところ、公爵令嬢はサルヴィア、妹姫はコレットということが分かった。
「理由は分かったが、この部屋を教えたのは誰だ」
「?メイドのケイトだけど……」
「わたくしはこれでも公爵家の者だ。その私室についての情報はみだりに漏らして良いものではない。増して、警護の者がいないタイミングでとなると、何らかの故意を感じないわけにはいかん。そのメイド、信用できる者か?」
「いや、そういわれると困るけどさ。少なくても悪いヤツじゃねえと思うけど。医務室じゃあ、面会できないだろうからって教えてくれたんだし」
「それが真実であれば王城内の管理能力が杜撰すぎる。貴人の私室に男を送りこむなど、暗殺でなければ夜這いを仕掛けたと見なされてもおかしくない」
「え」
「事実、わたくしはこれでも何度か夜這われていてな。前から私室への侵入ルート情報をリークしている者がいるのではないかと探っていたのだ」
「え。え。えっっっ……よ、夜這っ……」
「なぜそこで赤くなる」
「い、いや、……わ、悪いかっ!?つか、11歳の女の子襲いにくるとかどんな鬼畜だよ!?」
「公爵家とつながりが欲しく、かつ正当法では叶わぬと思っている者だろう。持参金が期待できると思っておる貧乏貴族あたりが一番危ない。わたくしが王城に上がったのとて、そもそもは嫁入り先を捕まえて来いという父の意向であるからして、利害の一致と言えなくもないが」
「平然と言わないでくれっ!?」
「問題は、年端もいかぬ女の部屋に忍び入ればなんとかなると思うような輩は、どちらかというと嗜虐性の強い男であって、わたくしとは相性が合わないと思われてな。そのような輩と婚姻したところで、仲が保つとも思えぬし、よって返り討ちにして、護衛に突き出すことにしている。女を下に見るような輩を踏みつけるのは、なかなか気持ちが良いものだ」
「……ちなみにその人たち、その後は」
「年端もいかぬ女の部屋に忍び入ろうとしたような輩、即斬首といってやりたいところだが、エルデンシオ王国は生ぬるい国なのでな。最後のチャンスとばかりに少々過酷な業務に就かせ、その出来栄えしだいで罪が軽減されておるそうな」
「…………」
「使い物にならんと判断された場合は、男をやめてもらうことになったとか、ならないとか。
くふふ、王族の皆様方も、わたくしを役立たずを葬るいい囮と考えている節がある。そこのところはさすがに血縁よな」
「…………」
目をそらしたくなって、ミツイはサルヴィアからコレットへと視線を動かした。
にこにことサルヴィアの語る内容に相槌を打っている妹姫が、本当に内容を理解しているのかは疑わしい。
「父には悪いが、わたくしはもう、嫁入り先を見つけようという気はないのだ。生涯に渡り、そばで護ろうと思う友人を得てしまったのでな」
澄まして締めくくったサルヴィアは、コレットの肩をそっと抱いて、満足げな笑みを浮かべた。
「して、賊。そのケイトとやらに聞き込んで、誰がこの場所を広めておるのか確認してきてくれ」
「まだ賊扱いだったっ!?」
「わたくしが泣いて訴えでもすれば、男をやめるか命を失うか、どちらであろうな」
「どっちも嫌に決まってんだろがっ!」
□ ■ □
再びケイトのところに戻ってきたミツイは、傍目から見ても顔色が悪かったらしい。
気遣うような表情のケイトの口からはこんな労いの言葉が出てきた。
「虫けらのように蔑まされて、快感を覚えちゃって自分に戸惑ってるとか、そういう感じなんでしょうか……」
「どういう感じだよっ!てか、あの女の趣味知ってやがったなっ!?」
「そりゃあ、もう。ノーマルから外れた方のお噂なんて、ゴシップ好きとしてはご褒美みたいなものですし。それに、妹姫様とのツーショットってお二人の間の愛情が手に取るように分かって、レズビアン的期待もしちゃうんですよねえ」
「おまえ、趣味広いな、オイ!?」
「今のところはまだ、仲の良いご友人同士なのが残念ですけどー」
「11歳の娘に妙な期待すんなあああぁあぁぁ!?」
頬を赤らめながらときめくような調子で言われて、がっくり肩を落とすミツイであった。
「え。噂の元ネタですか?」
「そうそう。おかげで様子は見にいけたしさ、けど、あれってけっこうな重要情報じゃねえか。誰から聞いたんだ?」
まさかサルヴィアから聞いて来いと言われたとは言えず、ミツイはさりげなさを装って会話に混ぜた。
「確かー……。そうそう、従業員通路を歩いている時でした、ある貴族が話しているのを聞いたんですよ。内緒話って、気になりません?ああいう方って迂闊なことに、目に見える範囲に人がいなければ、誰もいないと思ってしまう傾向にあるんですよね。誰もいなくても聞こえる人はいるんですけどねえ」
「けっこう地獄耳なんだな……」
「『じごくみみ』ってどういう意味です?あまり褒められてる気がしませんね」
「あまり褒めてねえ」
「まあ、いいですけどー。とにかくそのお二人です。バーレン男爵子息と、騎士のロイツ殿でしたね。直接的な言い方じゃあ、なかったですけど。公爵令嬢のお部屋に潜り込もうとした男が、いなくなったらしいぞ、みたいな言い方で。そういえば普段使われていないどこそこの通路でその男を見たものがいたような……なんて風に。よくよく聞いて考えてみれば、そのあたりに令嬢の部屋への隠し通路があると分かるような話し方でしたね」
「ばーれん、と、ろいつ?」
「今のところ、バーレン男爵子息が短慮な行動に出たって噂も聞きませんけどね。くすっ……バーレン男爵子息と来たら、いろいろ想像しちゃったんでしょうねえ?先日の夜会で公爵令嬢の姿をお見かけした時に、耳まで赤らめてしまってて。バーレン男爵子息は公爵令嬢に片恋しておられるのでは、って噂が立ちつつあるんですよ。まあ、何しろ男爵子息は13歳、いろいろ興味を持ちはじめたお年頃ってヤツですしー」
「……な、なんだガキか」
拍子抜けしたミツイの様子に、ケイトの悪戯心が刺激されたらしい。耳元にささやくようにまくしたてる。
「あーらー?何を想像しちゃったんです?20代の男性が?ふふふ?10代前半の令嬢に懸想する様です?うふふ?年端もいかぬ純情可憐な乙女を?うふふ?大人の手で?オトナの女にしてやるぞ、みたいな?」
「黙れ、それ以上喋るな!話すな!おれの耳に入れるなっっ!!」
「耳まで赤いですよ、ミツイさん?」
「うるせえええええええ!」
ケラケラと笑われて、ミツイはもはや立ち直れる気がしない。
どうして女というものは、純な男の気持ちを打ち砕こうとするのか。もう少し甘酸っぱい青春があってもいいのではないだろうか。バレンタインに一喜一憂するような、はじめてのデートで手をつなぐのにも照れるような、そんな心はどこへ行った。
絶対帰ろう。日本に帰ってトキメキの青春からはじめないと、ミツイの心が保たない。
「……なあ、そのロイツって、どんなヤツ?」
「あまり面白みのない方ですよ。得体が知れない感じがして、嫌いです。他人との間に壁を作りつつ、たまにすり寄る、みたいな方でして。特に親しいご友人はいないみたい。あと、女性を低く見てるようなところがあります。騎士位は持ってらっしゃいますけど、騎士様って憧れるような感じはしませんね」
「へー……」
「あ!ですけどねえ、彼が騎士になられた時は、ちょっとだけ噂になりましたね。なんでも、とある高貴な方にお仕えする身分だったのに、その方の奥方に想いを寄せられてしまって、でも主人を裏切れないからとお断りしたところ、奥方の恨みを買ったとか……」
「……それ、マジで?」
「いいえ。ただの噂でした」
「…………」
「ロイツ殿はけっこうな美男子でしてね。それまで社交界でもまったく噂のなかった方が騎士位となったので、どんな方なんだろうと噂が立ったのです。中でも有力な説が今の主人の奥方に懸想されてー、のパターンだったんですが。そもそもどこの貴族の家に仕えたということもないらしくて。何かの功を評価されて騎士になったという方みたいでした」
「ふーん……じゃあ、さあ……」
さらに聞き出そうと口を開いたミツイへ、ケイトのしてやったりといった顔が返ってくる。
「ミツイさんも、噂話の魅力が分かりました?」
□ ■ □
「というわけだった」
「バーレン男爵子息はまだ来ていないな。警戒しておくとするか。当人だけならばいいが、仲間を連れられてはたまらん」
「バーレンさんと、ロイツさんね。サルヴィアをいじめる気なら、わたしも怒るわ」
「姫の怒りを買うなどと、連中にとってはご褒美でしょう。名前も忘れてしまっておいてください」
「そうなの?じゃあ、忘れるわ」
「ええ。それがよろしい」
先ほどから気づいていたが、サルヴィアとコレットの会話は妙だ。ミツイはなんとも言えない顔になりながらそれを聞き、報告が終わったのでふうと息を吐いた。
「じゃあ、もういいか?おれ、帰っても」
「あら、もう行くの?お茶していけばいいのに」
「姫、このような賊もどきを気にかけずともよいのだ」
「やっぱり賊なのかよ!?」
「もどきをつけてやったろう」
「賊から離れてくれ!」
「サルヴィア、この人、こう言ってるわ」
「では、もどきで」
何を言っても会話になる気がしない。ミツイは頭を抱えた。
「……まあ、けどさ。過剰防衛でも、護衛は置いといた方がいいんじゃねえの?」
「は?」
「女の子なんだから、自分の身を護る手段は、あった方がいいだろ。特に、その、まあ、そういう……」
年下の女の子にパシリのようにされながらも、ミツイはおとなしく従った。
その理由を、端的に述べただけだったのだが、目の前の公爵令嬢と妹姫は、これまでにないくらい呆れたように目を丸くした。
とりあえず腕が無くなった程度で落ち込むような令嬢ではなかったことを確認できただけでも来た甲斐はあったのだ。
ミツイとしては自己満足でしかないが、自分のミスで腕を落とされたのを、放置していると罪悪感が酷い。これで心置きなく気にせずに、また魔法使いの助手に戻れるというものだ。
「……馬鹿だろう」
「サルヴィア、違うわ。この人はいい人なんだと思うわ」
年下少女たちの評価については、とりあえず横に置いておくことにした。
□ ■ □
ミツイ・アキラ 16歳
レベル2
経験値:85/100(総経験値:185)
職業:無し
職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊、風呂焚き