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異世界リクルーター  作者: 味敦
第一章 ミツイ 異世界に降り立つ
18/65

17.ミツイ、風呂焚きになる

幕間回です。

 ハボックに引き上げてもらったミツイは、キャシーと分かれて公衆浴場に急いだ。

 下水道の臭いが体に染み付いて臭いのだ。行き交う人々の目が痛すぎて泣けてくる。少しも表情を変えなかったハボックに心から感謝したい。

 こういう時は無心になるに限る。周囲を気にするとますます気になるからだ。自分のことも考えず、目的の場所だけを意識すると、意外とあっという間に着くものなのである。


(そういや、学校に洗顔道具置きはじめた時も、周りの目は気にしないことにしたんだっけなあ)


 エルデンシオに来てから、ミツイは寝坊をした覚えが無い。衛視をした際には時間になると叩き起こされた。目覚まし時計よりも直接的に、叩く、水をかけるなどの手段で目覚めさせられていた。その際の経験が尾を引いたのか、エル・バランの助手としては頑張らなくても起きられるようになった。逆にあれは、起こしてもらえないので起きるしかなかったのだ。寝ていれば仕事は溜まる一方だったので、強迫観念があったのかもしれない。


(日本でのおれって、やっぱ、甘えてたんだなあ……)


 いつまででも惰眠をむさぼっていたかった。目覚まし時計や起こしにくる人間へ理不尽さまで感じていた。授業に遅刻するからと急いではいたが、授業に間に合わなくてはいけないということに、価値を感じていなかったのだ。


(なんだろ、何が違うんだ?)


 自分でもよく分からないが、何か意識の上で違いがあるのだろう。ミツイは首をひねりつつ、公衆浴場に辿り着いた。


 エル・バランの屋敷からほど近いところに公衆浴場がある。

 湯船一杯に湯を溜める魔道具は高値であり、また一般市民の魔力ではそこまで発現を続けることができない。また、大量の水を発生させるということは、その分下水道に流れる水量も多くなるということだ。すべての家でそれをされると、下水道がとたんにあふれてしまうということがあり、浴場は限られた場所にのみ設置されることになっている。そのため内風呂が設置されている家はほとんどない。さすがに王宮には専用の風呂があったが、エル・バランの屋敷にすらないのである。

 この公衆浴場には蒸し風呂も設置されており、こちらは地下から熱気を発生させて、汗をかくといったタイプだ。サウナに似ているが、あそこまで熱くはない。

 ミツイが驚いたのは、公衆浴場内には運動場を併設させているところだった。ランニング、ウェイトリフティング、レスリングなどで汗をかき、垢を落としてさっぱりするということらしい。ほぼ全裸に近い男たちが集まって運動している光景は、インドア派のミツイには異様に思えたが、湯着の着用は義務付けられているので、言うなればジムで水着でいるようなものだった。慣れてくればこれも楽しい光景なのだが、ミツイはやはり湯船にゆったりと浸かる方が気に入りである。


「いやあ、しかし。こういう時日本人って難儀だなって思うぜ。エルデンシオに風呂がなかったら、おれ、とっくに嫌気がさしてるよなあ」


 衣食住に関して、ミツイが抱く不満は少ない。衣については、もう少し肌に優しい布地はないのかと思うこともあり、食についてはそろそろ米が恋しくてたまらない。住に関しては、寝る時に使う寝具はどうにかならないかと思っている。羽毛布団のようにふわふわした暖かい布団にくるまって眠ることができると幸せなのだが。


「ふーろ、ふろー……?なんだ?」


 公衆浴場の入り口に、困り果てた男が立ちすくんでいる。どこかで見覚えがある皮鎧姿だ。視線を追いかけるようにして前方を見やったミツイは、公衆浴場の入り口に木の札がかかっているのが見えた。

 文字が読めないミツイには、何が書いてあるのか分からない。同じものを見ているらしい男に話しかけようとして、男から臭う、えもいわれぬ悪臭に身を引いた。


(下水道の臭い!……こ、こいつ、さっき会った男か!)


 下水道でネズミ退治をしていた男、ライルであった。


「よう、さっきぶりだな、坊ちゃん。そういや名前はなんだったっけか?」

「ライルさん、だよな。おれはミツイだ」

「追ってたやつは、見つかったのかい?」

「ああ、そっちは無事に……、けど、これは一体?なんか書いてあるのか?」

「見てのとおりだよ……、って、?ああ、読めないのか」


 ライルは納得したようにうなずいた。ミツイが気まずげに視線をそらすのを見て、軽く笑い飛ばす。


「気にするこたあ、ないぜ。文字が読めないやつなんかざらにいる。こいつは『本日休業』の札だ……ってか、あまり内容の方は喜ばしくねえんだけどさ」

「休業!?やってねえの!?うわ、マジかよ!?」


 目をむいたミツイに、ライルはぼやく。


「らしい。……今朝はそんな話聞いてねえんだけどなあ……。風呂に入らんと紹介所の嬢ちゃんは金払ってくんねえんだよなあ……」

「え。風呂と紹介所になんか関係あるのか?」

「いや、単に臭いが嫌らしい。まあ、女の子だからな」


 苦笑いするライルは、自身はさほど気にならないのか、のんびりと構えている。


「なあ、ライルさん。ここの他に公衆浴場って知ってるか?」

「うん?まあ、知らないわけでもないが。おまえさん、どうしても入りたいクチか。女の子とデートする予定でもあんのか?」

「いや、ねえけど。デートしなくたって嫌だろ」

「まあ、なあ……。このまま宿に帰ったら、宿のおばちゃんとかもすっげえ嫌がるだろうしな」


 どうするか、と二人で顔を突き合せていると、後ろから声がかかった。


「おんや、ライルさんとミツイさんじゃないスか。お知り合いだったんスか?」


 そろって振り向くと、公衆浴場の受付職員がいた。年齢は40代くらいの男で、入浴料金の徴収と湯着の貸し出し、さらには荷物の預かりを担当している男である。両手に桶のようなものを抱え、入り口をふさいでいる二人を邪魔そうに見やる。


「最近知り合ったんだ。それよか、今日は休業ってどういうこった?」

「そうだよ。なんで入れないんだ?」

「うーん……。それがっスねえ」


 受付職員によれば、こういうことだった。

 エルデンシオ王国の公衆浴場は、許可制である。古来風呂場は、着衣が薄くなることから公序良俗に反する事例が起こりやすい場所だった。衛生面において有効と見なされる一方で、不道徳な行為につながりやすい面が問題視されている。そのため、エルデンシオ王国では、営業許可を得る時点で、その範囲が定められているのだ。公序良俗に反する行為を容認する風呂と、容認しない風呂がある。この公衆浴場は後者であり、前者は娼館などのある風俗街にあるらしい。従業員もその範囲を承諾した上で働いているため、範囲外の行為を求められた場合、契約違反であるとして雇用主を訴える権利がある。

 先日、この公衆浴場で、公序良俗に反する行為をにおわせることを言った客がいた。実害があったわけではないが、対象となった従業員は、これを契約違反、すなわちセクシャルハラスメントに該当するとして抗議、従業員の意見を支持した同僚たちが、集団ボイコットを行ったのだ。


「え。けど、この公衆浴場の垢すり係って、男湯は男で女湯は女だったよな?」

「そうだよ」

「……男湯で、ええと、その」

「何を想像したかは知らんが、たぶんその想像で合ってるだろう。男湯に来ていた客が、垢すり係の少年か何かに、コナをこけたんだろうな。ここの垢すりは別料金だから、もっと金を出すから夜の相手をしろとでも言ったのかもしれない」

「ま、ま、ままま待ってくれ!ライルさん、なんでそんなに平然としてんだっ!?それって普通じゃねえよな!?」

「あまり一般的ではないな」

「そうなんスよー、それでっスねえ」

「風呂屋さんも否定してくれよっ!毎日入ってた風呂にホモがいたとか、普通に嫌なんだけど、おれ!?」

「まあ、性癖は個人差があるから、そこは置いておいた方がいい」

「そうそう。とにかく問題は、従業員に集団ボイコットされちゃったせいで、男湯も女湯も準備ができなくて、当分店を開けられないってことなんス」

「……うぐ……」

「その従業員ってのが、女性職員の代表の、メラニーが弟みたいにかわいがってる美少年だったんスよ。そのせいもあって女性職員は全員ボイコット、男性職員だけじゃあ、風呂掃除もままならないってわけっスねえ」

「いつまでボイコットするって言ってるんだ?」

「とりあえず一週間スね。メラニーに言わせると、自分と賭けをして勝てば他の従業員を説得するとは言ってるっスけど、そこまでしなくてもね。ひとまず、問題になった客は立ち入り禁止にしたし、違約金については話し合いが進んでるんで、今日のところは風呂は諦めてくれませんか」

「え……」


 ミツイは黙り込んだ。事情は理解したが、風呂には入りたい。この公衆浴場が駄目なら他の公衆浴場でもよいのだが、ミツイはあいにく他の公衆浴場を知らない。


「ライルさん、他の公衆浴場って、近いのか?」

「おまえ、店のヤツの前で剛毅なこと聞いてくんなあ。

 遠いぜ。オレが他に知ってるって言ったら、後は風俗街だ。坊っちゃんを連れてってもいいが……金、払えるのか?あっちは高いぞ?」

「…………」

「後、刺激が強いんじゃねえかと思うけど」

「…………」


 ミツイは顔を引きつらせた。羞恥に耳まで赤くなっている。公衆の面前で「娼館に連れて行ってくれ」と言ったに等しい状況だったらしい。

 自分は単に風呂に入りたいだけだ。確かに娼館というものに興味がないと言ったら嘘になる。ミツイだって男なのだ。彼女いない歴=年齢だが、そういった事柄に興味がなくなるようなトラウマは抱えていない。早熟なクラスメイトの体験談を、興味深く聞いたことだって遠い昔のことではない。エルデンシオ王国にやってきてからというもの、その手の話題とは縁遠いが、単に毎日忙しかったのでその気にならなかっただけで、衛視あたりを続けていれば遠からずそういった話題に首を突っ込んでいたはずなのだ。


「あーあー、悪かったよ。純な青少年に言うことじゃなかったな。なあ、風呂、男湯だけでもどうにかなんねえのか?別に垢すり係は要らないからさ」

「うーん、そうスねえ……。風呂場掃除とか、やってくれるんだったら、許可もらってきてもいいっスよ。それなら休業状態だから金はとりませんし」


 ミツイの硬直をどう判断したのか、ライルはなだめるように言って、受付職員へ声をかけた。受付職員からの返答を受けて、ライルは一つうなずく。ポンポンと肩を叩かれ、ミツイはがっくりとうなだれた。




 風呂掃除と言うが、エルデンシオの公衆浴場は日本の銭湯のような広さではない。その数倍は広い。何しろ敷地内に運動場まで併設されている風呂なのである。湯桶の湯垢をタワシのようなものでこすり落とし、水に濡れた床をこすっていくだけで重労働なのに、蒸し風呂の方は床面を開いて地下にある蒸気発生装置まで掃除をしないといけないらしい。一時は掃除夫にだってなったミツイだが、風呂掃除ははじめての経験である。受付職員の言いつけを守り、真面目にはじめてはみたが、滑るし力は入らないし、ライルはちっともやらないしで心が折れそうだった。

 成り行きで一緒に風呂掃除をすることになったライルだが、彼がやったことと言えば水を発現させる魔道具を起動させたくらいだった。ミツイにはできないことなので助かったが、のんびりとベンチで横になる様子を見ていると殺意が沸く。


「な、なあ、ライルさんはやらねえの?」

「うん?やって欲しいのか?」

「そりゃあ、まあ……。ライルさんだって風呂入りに来たんだろう?」

「おれとしてはここで水浴びした時点で目標達成したようなもんだからな。湯に浸かる必要性を感じない」

「水浴び?」

「言ったろ。職業紹介所の嬢ちゃんが、風呂入らないと金を払ってくんねえんだ。臭い落とすのが目的なら、水浴びだけでも十分なんだよ」


 理解はしたが、納得はできかねる理由だった。

 ミツイとしても、蒸し風呂は入らなくてもいいので、湯船にゆったりと浸かりたい。


「なら、この部屋だけでいいかな」

「風呂に許可条件が、掃除だからなあ。ちゃんとやんねえと、無理かもしれねえよ?知ってんだろ?これだけの水量を注ぐと、下水道の方にも大量に流れるから、風呂屋ってのは許可制だって」


 オレは水は出せても風呂は沸かせないし、とライルに言われ、仕方なくミツイは再び風呂掃除に戻った。

 だが一人黙々と手を動かすのも嫌なので、世間話ついでにライルに話しかける。


「ライルさんは魔法使えるのか?」

「うん?まあ、初級程度ならな。剣がメインだからそのサブって感じでしかない。魔獣との契約を破棄してるんでね、魔道具程度にしか魔力がないからな」

「破棄?」

「ああ」


 魔獣というものについて、ミツイはまだきちんと講義を受けたことがない。エル・バランはすごい魔術師である、とのことだが、教師としてはあまり能力は高くないだろう。毎日何かしらしていて忙しく、ミツイに構う時間はさほどない。


「おれ、ちょっと遠い国の出身でさ。魔獣との契約って、よく知らねえんだ。破棄ってどういう意味なんだ?」

「うん?」


 ライルは首をかしげた。エルデンシオ王国では魔獣との契約については幼少期に習うことだ。遠方の国では事情が違うのだろうかと思いながら、ライルは言葉を選びながら言った。


「エルデンシオ王国じゃあ、五歳になると、国民すべてが魔獣との契約儀式をやるんだよ。これをしておかないと魔道具が使えないからな。ただ、タダってわけじゃねえから、契約儀式をやらないまま成長する者もいるし、契約儀式をしたが魔力が低くて魔道具は結局使えないという人間だっている」

「へえ」

「理論上は、すべての国民が魔獣と契約したことなるが、相手の魔獣との相性もあってな。相性が悪い場合、いろいろと不都合があるんだ。それを解消するために、契約破棄ってことが、できるのさ」

「ライルさんはそれ?」

「そうだ。一度契約してあるんで、魔道具を使う程度の魔力は残ってるし、まあ、初級魔法程度ならこのままでも使える。だが魔獣との契約を破棄してるんで、中級以上は無理だな」

「それって、かなり才能あったってことじゃねえのか?」

「……まあ、なあ」


 ライルは少しばかり笑った。


「望む才能と、必要な才能は、必ずしも一致しないってことだな」


 どこか物憂げな調子で呟く声に、ミツイは話題の振り方を失敗したのを感じた。どうやらライルにとって、魔法は良い話題ではなかったようだ。自分が魔法使いの助手なので、ついそちらの話題になってしまったのだが、失策だった。


「才能って、剣?ライルさんってあれだよな、冒険者って感じだ」

「『ぼうけんしゃ』……?どういう意味だ、そりゃ。博打打ちってことか?」

「え?」

「冒険するんだろ?」


 話がかみ合わない。そういえばエレオノーラにも通じなかったとミツイは思い出した。


「あー、っと、なんだ。こう、どっかに所属してるわけじゃなくて。自分の腕だけでやっていこうとする人のことかな」

「ああ、傭兵みたいなもんか。まあ、そうだな、その言い方なら、オレは『ぼうけんしゃ』かもしれねえな。

 けど、そこまでたいしたもんじゃねえよ。剣しかとりえがなくて、騎士や衛視みたいな堅いのは苦手だってことだ」


 苦笑いするライル。また少し話題を失敗したか、とミツイは思考を巡らせる。

 考えてみればこの国に来てから、相手へ話題を選ぶような真似をしたことがない。ミツイはいつもミツイの調子で、好き勝手喋って、時にはそれで反感をもらう。それを気にしたこともなかったが、二人きりの相手と気まずくない時間を過ごそうとおもったら、どうしても話題が必要だった。


「えーっと……」


 悩みはじめたミツイに、ライルは笑い出した。


「無理するこたねえよ。子供は気を使うより、風呂掃除してろって。

 知ってるか?ここの女湯の職員もな、娼館の女並には美人揃いなんだぜ。せっかく風呂場掃除なんつー状況なんだ、真面目に点数稼いで、おこぼれに預かりたい、くらいの下心つきでいいんだよ」


 軽口を叩くライルの声音に、ミツイはがっくりと肩を落とした。どこまでも気を使われている。しかもその方向性が下世話なノリばかりなのは、なぜだ。


「若いって、いいよなあ」




  □ ■ □




 風呂掃除がようやく終わると、ミツイはゆっくりと湯船に浸かることができた。掃除中に芯まで体が冷え切っていたようで、湯の暖かさが爪先まで染みとおっていく。これほど満足な時間は早々ない。

 なぜか掃除をしていなかったライルと、受付職員もいるが、そこはもう目くじらを立てないことにした。

 広い湯船を半独占状態である。これは心も広くなるというものだ。


「そういやあ、メラニーが言ってる賭けってのは、どういうもんなんだ?」

「ああ、それっスか?賭けにノる相手にしか言わないってことなんで、何人かしか知らないと思うっスよ」

「うん?ああ、賭けに挑んで負けたヤツがいるのか」

「ええ。何人か挑戦して、無理だったんで、もう一週間休業の方向でってことになったんス」


 湯船に浸かりながら会話を聞いていたミツイは唸った。


「一週間、風呂に入れねえのか……。そのまえに交渉が終わるってことは、ねえの?」

「ないっスねえ。交渉する気がないスから。メラニーたちの言い分は、あくまでセクシャルハラスメントを受けた子に対する擁護なんで。その子がもういいって言やあ解決でしょうが……」

「もういいって言う見込みはねえの?」

「まあ、脂ぎった蛙顔のジイさんに、あちこち触られたらしいっスからね。あげく夜の誘いまでちらつかせられたっつーと、正直、男性職員も同情してまして。金で少しでも心が慰められるなら、いいんじゃないっスか、と」

「…………」

「ミツイさんだって嬉しくねえでしょ?」

「ぜってえええええええ嫌だ」


 交渉の余地がないどころか、即転職したい。そのような危険のある職場に配属されるなんて、なんて運のないやつなのか、とミツイは見も知らぬ垢すり係に同情を贈った。


「だが、困るな。何日かしたらまたネズミ退治するハメになるだろうし……。なあ、ミツイ、メラニーの説得とやら、試してみる気はねえか?」

「は?いや、それ、ライルさんがやれば……」

「オレはあいにく、あの女とは相性が悪いんだ。顔を会わせたが最後、交渉にならん」

「あれ、そうなんスか?ライルさん、メラニーさんの好みっぽいのに」

「どこの世界にも相性ってのがあるのさ」

「なあ、ミツイ。頼むよ」

「そうは言っても……、誰も勝てなかった賭けなんだろ?おれが行ったってどうにもならねえんじゃ?」

「やるだけやってみるっていうのも、いいかもしれないっスよ。ミツイさんがダメなら、オレも行ってみようかな」


 強く反論する理由がなかったこともあり、試すだけ試してみるという結論になった。




  □ ■ □




 女性職員たちが集団ボイコットをしているのは、公衆浴場の一角、宴会場のような場所だった。

 集団ボイコットといっても営業時間なので、敷地内にはいるということらしい。どうせならよそで遊んでくればいいのに、とはミツイの発想だが、それではただのサボりっスからね、と受付職員が答える。


 エルデンシオ王国にやってきてから、これだけの数の女性が集まっている様子を見たことがない。例えるならば女子高のクラスに入り込んでしまったかのようだ。数十名の若い女性(若くないのもいる)が集まり、互いに会話や食事を楽しんでいるようだった。室内には長机が置かれていて、そこにグループごとに座っているという状況である。室内には一人だけ男がいた。年齢は15,6歳に見えるが、線の細い美少年だ。これが件のセクハラ被害にあった少年だろうとミツイは思った。女性陣に囲まれて、恥ずかしそうに肩身が狭そうにしている。


 ミツイが部屋に入ってくると、物珍しそうな視線や鋭く敵視する視線など、一斉に集まる。女性に視線を向けられて居心地悪いと思ったことはなかったが、それもこれだけの人数となると居たたまれない。

 すぐにも逃げ出したい気持ちになりながら、ミツイは口を開いた。


「え、ええと。メラニーさんはいる?」

「あら、アタシに用事?」


 すぐに返答が返ってきた。

 メラニーはボブカットの女性だった。髪色は黒で、瞳も黒い。日本人の少し茶がかった色とは異なり、絹糸のような真っ黒である。目鼻立ちのはっきりした顔立ちなので、どこかエキゾチックな魅力があり、瞳を向けられたミツイは、意味もなくドキドキした。年齢は20代の半ばだろうか。

 背が高く、ミツイと同じくらいある。ハイヒールでも履かれた暁には見下ろされてしまいそうだ。今は室内ということもあるのか、湯着の上に上着を羽織るという格好をしている。垢すり係の制服なのか、甚平みたいな服装であるのが残念だ。

 スタイルも良い。メリハリはっきりした体つきで、豊かな胸元は少し身動きするだけで揺れて目を誘う。弾力はあるようだが、やわらかそうだ。腰のくびれもほどよく、腰の張りもいいせいで、凹凸がはっきりと分かる。細いばかりの若い女性と異なり、女性らしいラインを描いていた。

 思わず目が釘付けになってしまい、ミツイは慌てて目をそらして顔を見上げた。


「集団ボイコットを、止めてもらうにはメラニーさんに賭けで勝て、と聞いて」

「ああ。社長に頼まれたの?」

「いや、そういうわけじゃねえんだけど。風呂に入れないのは困るんで」


 ミツイが答えると、メラニーはきょとんとした顔をした。風呂に入りたいから集団ボイコットを止めて欲しい、というのは、ミツイからすれば金の問題で交渉にくるよりも分かりやすいと思うのだが、メラニーはそうは思わなかったらしい。


「面白いのねえ。お風呂好きなんだ?」

「嫌いじゃねえよ。てか、女の方が好きじゃないか?風呂って」

「どうかしら。人によると思うけど」


 メラニーの答えに、ミツイは首をひねる。日本でのミツイの知り合いというと、母親と幼馴染の四之宮ぐらいなのだが(クラスメイトの女子とは風呂が好きかどうかなどという話題をしたことがない)とにかく風呂好きでミツイの方が引くくらいだ。母親は入浴剤にも凝っていて、どこそこの湯がいいとか、なんたらの会社の入浴剤は美容にいいとか言っている。四之宮は長風呂派らしく、一度入ると1時間も占領するため家族に怒られがちらしい。それと比較するとミツイなど普通の風呂好きである。


「アタシのお客は、お風呂よりもエステ目当てのことが多いもの」

「エステ?」

「そうよ。垢すり係って、垢を落とす役目しかないと思ってた?男性用だとそうかもしれないけど、本来はマッサージだとかもするのよ。お風呂で体をほぐして、マッサージで凝りもほぐして。女性用はこれに美容が加わるわけ。特殊な香油や、薬草とかも使ってね。貴族のお抱えにスカウトされることもあるんだもの。アタシたちって浴場側にとっては金のなる木みたいなもんよ」


 どうやら公衆浴場とは、スパでもあったらしい。男女の格差を感じたミツイだが、確かに男性が風呂や美容にかける熱意は女性のそれとは比べ物にならないだろう。


「オプション料金が相当違うからね。アタシたちのボイコットは社長には相当痛いはずなんだけど。君みたいな子を寄こすあたり、まだまだ甘かったかしら。もう2週間くらい追加するべきかしらね」

「ちょっ、待っ……」


 女性の美容にかける熱意は、ミツイの想像をはるかに超える。それを盾にとった集団ボイコットは、ミツイの考えるよりも経済損失の甚大なものであったようだ。

 期間の延長に話が進むのを、ミツイは慌てて遮った。


「だ、だから、社長は関係ねえって!だいたい社長なんて会ったこともねえよ。単に、おれが風呂に入りたいし、ライルさんも仕事に障るんで、どうにか話し合いができないかって……」

「ライル?」


 慌てて口に出した言葉は、完全に失敗だったようだ。ライルの名前を聞いたとたん、メラニーの美しい眉が上がった。美人が怒ると怖い、とミツイが実感した瞬間である。魅惑的な肉体を持ち、美しい顔立ちをした女性が、一転して般若のようになった。


「あ、い、いや、その。え、ええと……」


 ライルが、交渉にならないと言ったのはこういうことか、とミツイは痛感する。

 だが怒りを浮かべたメラニーの表情は、さらに変化した。口元に壮絶な笑みが浮かぶ。にやり、ともにまりとも違う、ゾッとするような楽しそうな笑みだった。


「……いいわ。アナタ、アタシと賭けをしてみる?言っておくけど、坊やに勝てるような賭けじゃあ、ないわよ?」


 嗜虐的な笑みに怖くて逃げ出したくなったミツイだが、そもそもの目的を思い出してうなずく。


「それじゃあ、横になってちょうだい。アンタたち、手伝ってね」


 戸惑うミツイの両腕を、他の女性たちが捕まえた。

 室内の一角が、女性陣の手によって瞬く間に模様替えされていく。薄いベッドが置かれ、タオルが敷かれ、周囲に香が焚かれると、ミツイにも状況がうすうす掴めて来た。


「あの、これは?」

「これがアタシとの賭けよ。もうお風呂に入ってきたんでしょう?それなら十分ほぐれてるはずだから……、今からアナタをマッサージしてあげる。さあ、横になって?」


 有無を言わさず、ミツイは横にならされた。仰向けの体勢になったミツイの上から、数人の女性が見下ろし、メラニーが首元に指を添えてくる。

 角度のせいで、メラニーの豊かな乳房がこれでもかとミツイの視界に入ってきた。谷間が見える、などという騒ぎではない。白い肌が艶やかな色を覗かせ、うっすらと汗が浮いてきらめいている。甚平の大雑把な襟ぐりから、胸の膨らみの先端が、あやうく見えてしまうのではないかというありさま。下着のラインが目に映り、思わず唾を飲み込んでしまう。


「今からアタシがアナタをマッサージする。その間ねえ……?

 アタシにムラっと来たら、アナタの負けよ」

「……、は……?」


 得意そうな笑みが浮かぶ。完全に見下されている。


「アタシの指がアナタに触れる。あちこち刺激されてる間、アタシにムラっとしないで済めば、アナタの勝ち。アタシたちはねえ?これでも仕事に誇りを持っている。美容と健康のためのエステシャンなの。決して、男どもの欲を満たすような仕事じゃないのよ。それを、多少小金を持ってるからって、勝手に欲望したものを処理させようなんてマネ、勘弁して欲しいのよねえ……」

「ま、ま、まままま待っ……、そ、それ、どこで判断……」

「そりゃあ、決まってるでしょう?男の子は分かりやすいものねえ」


 ツウ、とメラニーの指先がミツイの胸板を辿っていく。

 指先がまた色っぽかった。艶やかな肌はきめ細やかで、少し厚めの唇からちろりと舌先が覗いた。見上げるような瞳で覗き込まれ、ミツイは自分が引きつるのが分かった。


(ムラっとするなって。こんだけ色気過剰に迫られて!?あちこち触るって、どこ触る気だよ!?だいたい、マッサージなのに、なんでおれ、仰向けなんだ!?こんなんで、あ、あちこち、さ、さわ……)


「……っ!」


 ミツイは覚悟を決めた。決めてからは速い。拘束する女性陣の腕を振り払い、一目散に逃げ出した。


「む、無理に決まってんだろおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!」




  □ ■ □




 色気おねえさんの攻撃から逃げ帰ったミツイを待っていたのは、ライルの大爆笑だった。

 どうやら彼にはメラニーの賭けの内容が検討ついていたらしい。性格が悪すぎる。


「笑ってんじゃねえよ!童貞ナメんな!!イタイケな青少年からかって楽しいか!!」

「あっははははははははは!!楽しいよ、楽しすぎる」


 腹を抱えて笑われて、ミツイは憮然とする。

 一緒になって受付職員が笑っているのにも腹が立つ。あんたらに笑う資格があるのか。賭けに挑戦したわけでもないのに。


「いやあ、すまねえな。メラニーのことだから、ミツイみたいな若い子がいけば喧嘩にはならんだろうと思ってさ」

「ライルさん、知り合いなんだな?名前出したとたん、メラニーさん般若みたくなったぜ。何やったんだ」

「別に、なにも。言ったじゃねえか、相性が悪いんだよ。後、『はんにゃ』ってなんだ?」

「般若は……、なんだ、あれ。鬼?も通じねえか。おっかねえモンスターみたいなもんだよ」

「なるほど」


 ライルはひとしきり笑った後、笑いながら詫びた。だが笑いながらなのでまったく誠意は感じられなかった。


「くそう。ちくしょう。ライルさんの馬鹿やろう」

「まあ、まあ、機嫌直せ。後でオレも交渉に行ってやるから」

「はああああああ?!行く気があんなら自分が行けば良かったじゃねえか!?」

「だってあの女と相性悪いんだよ、オレ」


 軽く肩をすくませて、ライルは言った。本当に何があったというのか。


「けど、ありがとっスよ、ミツイさん。これでだいぶメラニーも気が落ち着いたことだろうし、こっちからもアクションかけてみようと思うっス。一週間かからないで営業再開できるよう、頑張るっスね」


 受付職員が、目に涙をためて礼を言う。笑いすぎて涙が出ているような人間に言われてもやはり誠意がない。


「楽しみにしてるよー……」


 もはや疲れ果てて、もう一度風呂に入りたいミツイである。




  □ ■ □




 3日もせず、公衆浴場は再開された。

 イタイケな青少年の犠牲が役に立ったのかどうかは不明だったが、ライルが交渉に行き、受付職員も何かしらやったらしい。「ミツイのおかげで社長が交渉の場に来たのに驚いた」という噂を聞いて、ミツイは首をかしげた。

 とりあえず風呂に入れることを喜びながらも、女湯に出入りする女性職員からはできるだけ遠ざかろうとするミツイである。姿を見かけるたび、こちらを見てくすくす笑っているような気がする。どうせおれはお姉さまがたの玩具だ、とミツイはどんより落ち込むばかりであった。


 後日、職歴カードに「風呂焚き」が追記されていることをエレオノーラに指摘されたミツイは、だが同時にこの経験で経験値が少しも入っていないことにも言及された。

 どんなことをすると経験が上がったのか、知りたいような知りたくないような気になりつつ、エレオノーラに頼み込んで経歴から消してもらえないかと頼んだミツイはにべもなく断られた。


「ミツイさん、それは職歴詐称と言いましてね、職歴カードでその人間の人柄を見る風潮のあるエルデンシオ王国では褒められたことではありません。不可能ではありませんが、メリットがまったくありませんよ。それでもどうしてもとおっしゃるのであればしても良いですが、そこまでするほど残したくない経歴なんでしょうか?」

「いや、しかし。その職歴聞くたびに、嫌なこと思い出すっつーか」

「どのような経験も本人の糧になります。思い出したくないほど辛い経験であればなおのことです。自分を偽って経歴を飾っても、他人の前で自分を偽ろうとする人柄であると誤解を受けるだけですよ。確かに職歴による差別というものも存在しますし、犯罪者の中では真っ当に生きる際には職歴を一旦白紙にして一から出直す傾向もありますが……」

「……そのままでいい……」


 がっくりと肩を落としながら、年上の女性に逆らえる気がしないミツイである。




  □ ■ □




ミツイ・アキラ 16歳

レベル2

経験値:85/100(総経験値:185)

職業:風呂焚き

職歴:衛視、魔法使い、掃除夫、盗賊


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