14.ミツイ、盗賊になる(その1)
半身が石化した侍女が寝かされた医務室。ドレス姿のままベッドに横になる侍女は意識がないままだった。
石化がどこまで浸透しているものかミツイには分からなかったが、腕を失った現状を知らずに済むならその方が良いだろうとミツイは思った。
医官が見守る中、侍女の様子を見に来ていたミツイを訪ねたのはエル・バランに連れられてにまにま笑うキャシーだ。鍛錬用の杖と、動きやすい服を身に着けたミツイは、神妙な顔でキャシーを見やる。 エル・バランから説明を受けているというキャシーは、楽しげな顔でミツイを見返した。
「いつもどおりすぎるんとちゃう?せっかくの盗賊退治やんか、それなりのカッコせえ」
「それなりって、どんなだよ?」
「せやなあ、黒ずくめで覆面とかどうや?仮面とかつけてもええなあ?」
「いや、うさんくさいだろ。目立つだろ。てか、黒ずくめってイレーヌと一緒じゃねえか……。そういや黒ずくめって逆に保護色にならなくて目立つって聞いてたんだけど、暗がりにいたらフツーにわかんねえんだな」
「そら、そうや。室内はそもそも暗いもんやし。明かりつけたら余計に目立たんで?影になるからなあ」
「……明かりか。できれば持っていきたいけど……」
迷いながら荷物を見返そうとしたミツイへ、キャシーが声をかけた。にまにま笑っていた表情が一転、笑みを消した声で尋ねる。
「なあ、ミツイ。ほんまに行く気なん?」
「あ?」
「言うとくけどなあ。危険やで?遊び半分ならやめといた方がええよ。
親切心とか、そんなんとちゃうよ。足手まといは迷惑やから先に言うとく。ウチは強いからな、一人でも構へんのや。イレーヌがナンボ魔法使うっちゅーても、ウチには勝てん」
「……けど」
「エル・バランがなんて言うたかは知らん。けどなあ、義理やの義務やのでついて来られんのは邪魔や。ウチのフォローを期待しとんのやったら、お断りや」
「……」
ミツイは迷いを浮かべた。
「……おれ、分不相応なことしようとしてるって、自覚はあるんだよ。おれなんか行くべきじゃねえなっていうのも。どっかでゲーム感覚っていうか、現実感ないっていうか。そのせいで、無謀なことしようとしてんじゃねえか、とは、思うんだ」
「わかっとったら大人しく……」
「だからこそ、出来るんじゃねえかと思うんだ。本心言えば、おれ、ビビり屋だし、責任ある仕事とか避けてきたし、怖ぇのはゴメンだし、エルさんのことがなきゃ、ヤダって言い張って結局何もしねえで終わると思う」
「は?エル・バランてば何を言うたん?」
「期待ってさあ。……年を経るごとに、されなくなるよな」
不思議そうに首をかしげるキャシーへ、ミツイは首を振ってごまかした。
「そ、それよりだ!イレーヌの居場所を、キャシーなら分かるって言ってたんだけど、どうすんだ?」
「ああ、それはなあ……」
キャシーはコケティッシュなデザインのスカートを翻しながら、にんまりと笑った。
「これを使うんや」
ベッドに寝かされたドレス姿の少女。半身を石化され、意識はない。その片腕は盗賊に奪われたまま。
キャシーは少女の腕をとると、唇を触れさせるかのように近づけた。
医官が慌てて止めに入るのをよそに、キャシーは鼻先をひくつかせ、そのまま腕を辿るように顔を動かす。
「よおし、覚えた。もうええよ」
ゴン。
いささか乱暴に腕を取り落としたキャシーはにんまりと笑みを浮かべる。
「ウチはなあ、ちょいとばかし鼻がええのんや。盗賊さんはこのコの腕を持ってるんやろう?なら、匂いを追えばたどり着くっちゅうわけや」
「犬かよ!」
「犬コロと一緒にすんない!ウチはあないなプライドのない生き物とちゃう!」
「怒るのはそこかよ!!」
□ ■ □
キャシーの自慢の鼻は、早くもひんまがりそうであった。
ミツイについてはしばらく前から完全に鼻が利かなくなっている。どちらかというとまったく利かない方が楽だったのではないかと思うほどだ。
ぴちゃん、ぴちゃんと湿った水音が響き、天井から滴り落ちる水が足元に水溜りを作る。靴から少し離れた場所を濁った水が流れていく。通路の途中に、切り口が空いており、そこから細い滝のような水が流れ落ちてくる。
暗い。寒い。そして……臭い。
イレーヌが辿った道は、下水道につながっていた。
エルデンシオ王国の首都はその地下に下水道が作られている。
生活用水のほとんどを各家庭の魔道具による水と、浄水設備による水によってまかなっているエルデンシオでは、その排水の処理が問題だった。元々は砦であったエルデンシオ王国は石造りの建物がほとんどであり、水を吸収できる土の路面がほとんどない。そのため、砦時代には緊急時の脱出経路であった地下通路を下水道に改良したのである。なお、この排水は一箇所に集められ、浄化を行ってから川へ流すことになっている。生活排水をそのまま流すと、川が濁り、近隣の村々から深刻な抗議が寄せられたためだ。
「地上の清潔さの理由は、分かったけどさあ……。イレーヌも、こんなところ通らなくても」
「やかましわい!早々に音を上げよってからに。鼻を利かせんといかん、ウチの身にもなれ!」
泣きそうなキャシーの声に、ミツイは黙り込んで杖を握りしめた。が、黙って歩くのも気まずいため、ついつい口を開いて話しかける。
「けど、こんなところ通ってたら、イレーヌも相当臭い移りしてないか?」
「知らん!城に来るときは使わへんかったんやろ。もしくは風魔法で臭い消ししとったか、どっちかや。少なくてもドレスの娘っこの匂いはこっからしよる。ここを通って行きよったんは、確かや」
自信ありげなキャシーの言葉を信じ、ミツイはただ下水道を進んだ。
何度か道を曲がったが、道順を覚える努力は早々と放棄した。そもそも道が暗くて覚えようがなかったのだ。足元を確認し、水音に気をつけて、排水の川に足を取られないよう、切り口から飛び出してくる滝水を浴びないようにと注意していた。
そのため、キャシーが悲鳴を上げた時点では、もはや現在地の推測ができなくなっていた。
「……あかん!」
悲鳴が上がったのは、曲がり角を曲がった時だった。
ミツイの耳に、小さな剣戟とざわめきのようなものが届いた。
「どうした。キャシーにも聞こえたんだな、あの音?イレーヌか?」
杖を握りしめ、声を潜めて尋ねる。
気配を探るように息を潜め、音の聞こえた方へと視線を投げた。
暗い通路の先は明かり一つなかったが、どうしたわけか赤い小さな光が見える。
「……え」
キャシーが慌ててミツイの影に隠れた。思いきり壁代わりにされて、ミツイの目が丸くなる。
状況を確認する前に、ミツイは事態を理解した。前方の赤い小さな光が、無数に増えたのである。
それはゾワゾワと増え、カサカサと小さな音を立てながら、ザワザワとばかりに近寄ってきた。
「ひいいいいいいいいいいいい!!!」
恐ろしい勢いで近づいてくる、それはネズミだった。体長80センチほどの大ネズミだ。一匹であればカピバラなどのもっと大きな例もある。だが十数匹が目を赤く光らせ、通路を埋める勢いで突進してくるのを見て、ミツイの背筋に悪寒が走った。
思わず杖を構えたが、ミツイが考えたのは逃げることだった。
一匹であれば、まだいい。だが複数匹いる時点で、もう駄目だ。対処不能だ。
だが逃げることはできなかった。足が動く前に、敵はもう目の前に居たのだ。
「う、うわああああああ!!!????」
やみくもに杖を振り回し、ミツイは抗った。引けた腰では構えをとることなどできるはずもなく、ミツイはひたすら杖をなぎ払い、ネズミの顔面を狙った。じりじりと下がる背が、ついに壁に当たった。じっとりと濡れた壁だが、それを不快に思う余裕はなかった。
足元に寄られるのが嫌だ。這い上がってきそうな鼻先が恐怖だ。目が駄目だ。駄目だ。赤い目で見られると恐怖だ。あの目が悪い。
赤い目を見ているうちにミツイの感覚がおかしくなってきた。杖を振っているのに赤い光が消えない。杖が当たっていないのか、当たっても倒せないのか。
腕が上がらない。杖が動かない。このまま齧られ、食われ、何もなくなって、痛い、痛いのは、嫌だ……!
赤い、赤い、赤い、赤……
「う、う、うあ、あ、ああああああ…………!」
一度は恐怖で枯れた声が、命の危険に再び漏れ出てくる。
どれほど経ったのか、いつのまにかミツイは一人で佇んでいた。壁に背を当て、じっとりと背が濡れているのが分かる。足元に大きなネズミが何匹か転がっており、目の前で白刃が閃くのを、見た。剣を持った男だ。
ズブッ!ヅシュッ!ギィィィン!!
その男が剣を振るうたび、ネズミが通路に跳ねる。赤い光が減る。咽るような血の臭いがし、ネズミが肉片へと化す。ぱっくりと首元に傷口が開き、グロテスクにひしゃげた目が転がり、ミツイを見上げているような気がした。
「ひ!?」
ずるっ、と水溜りに足をとられ、ミツイは慌てて杖を突いた。
コン、と小さな音と一緒に現実感が戻ってくる。
男の技量は高かった。剣先で右から近寄るネズミの喉を裂くと、その勢いのまま正面から跳ねよるネズミを横薙ぎにする。足元に忍び寄ったネズミを踏みつけ、柄に左手を添えると、踏み込む勢いで剣先を反転、下からすくい上げるように左から寄るネズミの胴を真っ二つにした。足元のネズミへと剣先を突き立て、えぐるようにトドメをさしてから、また次に近寄るネズミへ構える。
足元に積み重なるネズミの死体にミツイは吐き気がした。
男は古ぼけた皮鎧を身に着けている。使い慣れている風の剣先から、ネズミの体液が滴り落ちた。周囲をキョロキョロと見回し、さらにネズミが近づいて来ないと判断したのか、ミツイを振り返る。
「おう、坊ちゃん。なんでこんなとこにいるのか知んねえが、怪我はねえか?」
「え、あ。……は、はい、たぶん……?」
「たぶんてなんだ。あー、痛いとこねえかってことだ。このネズミは毒があるからな、齧られたとこがあったらすぐに医者に行った方がいい」
「え。ど、毒!?」
「だから痛いとこはねえかって……、まあ、いいか。こんなとこをウロウロしてんならワケありだろうしなあ」
剣を振り、血を落としてから鞘に戻す。ポリポリと頭をかく仕草は若さを感じない。無精ひげがみすぼらしいせいもあるだろう。年齢は30歳には届いてはいないだろうが、ミツイの目にはもっと年上に見えた。
「オレはライル。日雇い戦士ってとこだ。今日は下水道のネズミ退治を引き受けてここにいるんだが……、おまえさん、連れはどうした?」
「え?」
我に返ったミツイは慌てて辺りを見回した。そういえばキャシーがいない。ネズミが近づいてきたところから記憶にない。焦ったミツイが道を戻ろうとした時、通路のかなり先からキャシーが戻ってきた。
「ウチ、そいつ苦手なんよー。毒持ってるんやもん」
「そりゃ女の子でネズミが好きとか言われたら、オレだって引くぜ。ま、しかし、オレもいい加減にして欲しい気がする。この1ヶ月、数日ごとに退治してんのに、いつのまにか沸いていやがるんだ」
「いや、ネズミ得意な人なんて早々いないと思うけど……、ええと、ライルさん?すごいよな。一刀両断ていうか……一撃とか」
「そりゃ、剣で食おうと思ったら、相手に攻撃させる前に一撃で落とすのが手っ取り早い。向こうに動ける機会を与えちゃダメだ。つっても、多勢に無勢は厄介でな……、連中が逃げた先におまえさんがいたんで、助かった」
「は?」
「いい囮だったぜっ」
サムズアップしてキラキラとした笑顔を向けてきたライルへ、ミツイは心底嫌な顔をした。
「まあ、冗談はさておき。ここは偶然通りかかるところじゃねえよ。おまえさんたち、何しに来た?」
「ああ。実は……」
「ちょい待ちぃ!ミツイ、口軽すぎやで。このおっさんが悪いやつやったらどうする気や」
「お、おっさんて……」
「人の名前をポロッと教えるのは口が軽いとは言わないのかよ?」
「ふふん、向こうも名乗てるんや、イーブンや。それにウチは名前を名乗てへん!カンペキや」
「そういや、キャシー。ネズミ苦手なんだってなあキャシー、おれを置いてさっさと逃げたキャシー、エルさんに告げ口したら叱ってくれるかな、どう思うキャシー」
「むきゃぁ!仕返しか!」
「……わざわざ漫才しに来たのか?」
「違ぇよ!」
コホン、と小さく咳払いをして、改めてミツイは自分の事情を話すことにした。といっても、ライルが何者かよく分からない以上、正確なところを説明するわけにもいかない。
よって、説明は端的だった。
「盗賊が下水道を通って逃げたらしくて、後を追ってるんだ。黒ずくめの女を見なかったか?」
いつからライルがここにいたかは知らないが、イレーヌが本当にこの通路を使っていたなら、目撃している可能性がある。ライルも言ったとおり、あまり人が通る場所ではないだろう。イレーヌが城から逃げ出したのは、数時間前。ライルが見ているかどうかは微妙だが、先ほどの話であればこの一ヶ月のうちライルは何度かこの場所に来ているはずだ。
「赤毛の女のことか?それなら、見たぜ」
ライルは実にあっさりとした口調で答えた。