表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界リクルーター  作者: 味敦
第一章 ミツイ 異世界に降り立つ
10/65

9.ミツイ、魔法使いになる(その4)

 エル・バランの助手として、ミツイに求められたのは魔法文字の転写だった。

 転写といっても魔力をこめるというものではない。魔力のこめられた魔法文字を、別の用紙に書き写す仕事だ。

 これがまた難物である。

 文字というものは、意味を理解してこそ文字に見えるのだ。多少形が歪んでいても意味が理解できていれば同じ文字を書き写すことができる。だがミツイには絵にしか見えないので、絵の複製をしているような気分だった。美術の成績はあまりよくなかったのだ、左から右へ同じ絵を写しているつもりでも、歪んで不細工な複製になる。

 その上、この世界の紙は羊皮紙に似た獣皮紙なので、ゴワゴワしていて書きづらい。筆記具も羽ペンのような代物で、インクをつけて書くという作業に慣れない身には、成功する方がおかしいのでは、という難易度である。


 結果、ミツイはまず文字の書き取り作業を行っている。一枚の獣皮紙を練習用として、ひたすら書く練習だ。小学生に戻った気分だ。小学生のころは、まだ良かった。授業を受けることに対してあまり不満もなかったのだ。だが今は違う。不満だらけである。上手に書けない自分が情けなくてたまらない。


「うがあああああ、もう嫌じゃああああ!!!」


 本日何度目かの叫び声を上げた後、ミツイは机に突っ伏した。机は、ミツイに与えられた部屋に持ち込んだ品だ。エル・バランの本の部屋は狭くてとても作業ができないため、必要用具を持ってこちらで行っている。


「いつ見ても愉快なやつやなあ」

「よう、キャシー……。エルさんに頼んでくれよ、早くミツイに魔法教えてくれって。魔法が使えるようにならなきゃ魔道具だって使えないのに、『まだ早い』って、こんな作業ばっかなんだ」

「しゃあないやん。ミツイが魔法使えるようになったら、転写させられんもん。今のうちにやらしとけーちゅうことやろ」

「そうなんだろうけどさあ!飽きるだろ!飽きてもおかしくないだろ!?別の作業プリーズ!ッて、危ねっ!」


 吼えながらガタンと机を叩いたミツイは、インク壺が跳ねるのを見て慌てた。

 獣皮紙に書けるだけあって、このインクは落ちにくい。床にこぼれたインクを拭き取るのに、ものすごく時間がかかるのだ。

 せっかく転写した紙が一枚ダメになったのを見てミツイの肩が落ちる。ぼたりと落下したインクは文字にかかってしまっていた。


「あー、くそっ。これ、消せないかな。キャシー知らね?」

「インク痕の消し方なんて知るわけないやん」

「そうだよなあ。書き直しか……、えーっと、これは見本はどれだったか」


 仕方なしに魔法文字が書かれた紙をめくりながら、手本にしている用紙を探し始める。


「と、どれだったか…。キャシーも一緒に探してくれよー」

「何て文字や?」

「えーっと。……いや、だから、読めないんだよ。ほらコレ」


 インク染みで台無しになった転写後の紙をヒラヒラさせつつミツイが言うと、「どれどれ」とばかりに視線を向けていたキャシーの表情が強張る。


「あほう。ウチがそのオリジナル探そ思たら、死活問題やん」

「?なんでだよ……。てか、なんて書いてあるんだ?変な文字?どこかで見覚えはあんだけど」

「エル・ブランがこないだしてたやん。『解呪』や」

「ああ、それで見覚えあるのか」


 エル・バランが使っていた魔法陣に描いてあったのだ。納得しながらも首をかしげる。

 改めてオリジナルの用紙を見ると、ほんのり白光を帯びているのが分かる。ミツイが意味を理解したため、発動したのかもしれないと考えたが、ミツイには特に影響はないらしい。


「『解呪』のどこが死活問題なんだよ?見たら石化するとかならともかく」

「ん~……」


 キャシーは少し考えるそぶりを見せながら、机の上に乱雑に重なる用紙を遠巻きにするように距離をとった。


「魔法文字が危険やっちゅうのは、知っとる?」

「エレオノーラさんが言ってた気がするな」

「誰や、それ。まあ、ええけど。

 魔法文字っちゅうのはなあ、読んで理解したとたん、発動するんや。『解呪』の魔法やったら、読んだ本人にかかっとる魔法は無差別に解除しよる。短期的なのも、永続的なのも、おかまいなしや。力量の大きゅう方が優先されよるからな、エル・バランよりも魔力が強いんやったら無事やけど。魔法の武具とか持っとる時は悲劇的やなあ。たっかい装備があっけのう壊れよるで」


 ミツイは今ひとつイメージができず、視線を周囲に彷徨わせる。

 ゲームで考えてみるとしよう、とミツイは考えた。非売品の伝説級の装備を身につけた戦士がいたとする。それがミツイが見せた『解呪』の紙一枚で、砕けていく様を。そもそもたいがいのゲームでは、最終装備はみんな魔法の武具ではないだろうか。それが、紙切れ一枚で無力。非売品だから代替もなし。というか事故だと訴えて相手は納得してくれるだろうか。ミツイにはとても弁償ができない。全装備を失った戦士は、初期装備以下になるというのに。


「つまり、キャシーの装備品とかに魔法がかかってて……『解呪』されるとそれが解けてしまうから死活問題?」


 見たところ魔法の武具とかは着ていないのだが、このコケティッシュでハロウィンみたいな衣装がそうなのだろうか、とミツイは考えた。防具の場合、『解呪』されるとどうなるのだろう?


「何想像しとん。スケベやなあ?」

「え。ええ!?ち、違!?」


 にまにまと笑みながらミツイの反応を楽しんだ後、キャシーは表情を戻して続けた。


「『火』とか『氷』とかの魔法も厄介やで?読んだだけで発動するっちゅーてもな、どんな発動の仕方するかをコントロールせんと発動したら、へたすると自分にかかるんや。読んだ瞬間に自分が燃え出すとか、氷づけになるとか、想像してみい。ゾッとするやろ?」

「……うわぁ……、すげえぇ……」


 ミツイは顔を引きつらせた。思ったよりも効力が強い。強いが、怖い。


「これ、おれが読めるようになった後に転写しようとしたら、おれ、すっげえ危ねえんじゃ?」

「せやなあ。消し炭みたくなるかもなあ。とりあえず命はないやろな」

「同意すんな!てか、シャレになんねえよ!」


 青ざめ、改めて自分の作業が危険だと思い知った。『解呪』は覚えてしまったが、他の文字を学ぶのは後回しにしよう。幸い魔法文字の転写作業は残り10枚程度だ。今日いっぱい頑張れば終了するはず……おそらく、たぶん。


「って、あれ?でも武具自体が文字見てるわけじゃないよな?使用者が見れば発動なのか?」

「そこらへんの詳しゅうとこは知らんけど。それこそ、発動のコントロールっちゅうやつなんとちゃう?」

「魔法の火だったら消せるのかな、そのへんは?」

「だから、詳しゅうとこは知らんて。魔法文字を研究しとるんはウチやのうてエル・バランや」

「そっか。じゃあ、エルさんに聞いてみようかなあ。面白そうだ」


 肩をすくめてキャシーは続けた。


「とりあえず作業続けたらどうや?今夜から外出やからエル・バランに聞こて思たら次はいつになるか分からんで」

「え。エルさん外出すんの?」

「せや。ウチはそれを言いに来たんよ。城に行くっちゅーてたからな。留守番頼むで」

「ええええー、ずりぃ。おれも行ってみたい!」

「その格好で礼儀もなっとらんガキが、どの面下げて城に出向くつもりなんや。鏡見たらどうや」

「……冗談だったけど、そこまでキッパリ言われるとショックだな」


 がっくり、と肩を落としてミツイが言うのを、キャシーはにんまりと笑みを浮かべながら答える。


「まあ、ええやないの。留守番頼まれるっちゅーのは、助手の醍醐味やで。エル・バランの屋敷はなあ、イロイロおもろいもんがあるさかい、ドロボーとかも多いんや。楽しいでえ?」




 エル・バランの外出は夕刻からだった。食事は城で摂る、と言って出て行ったので、屋敷に残ったのはミツイとキャシーのふたりきりだ。

 美少女とふたりというのはなかなか心躍るシチュエーションな気がしたが、キャシーの性格に慣れてきた今となってはそこまで浮ついた気持ちにはならない。また、ふたりきりというには屋敷が広すぎる。

 深夜になり、魔法文字の転写はほぼ終わりというところまで来た。何が書いてあるのかは相変わらず分からない文字だが、読めたら何が起こるのか分からず怖いので、当面はただの模様だと思うことにした。


「結局これだけかー」


 インクが垂れて汚れた用紙を見下ろし、ミツイは呟いた。『解呪』の文字だ。

 何度も繰り返したおかげか、オリジナルと並べても遜色ない程度に上手く描けたと思うのだが、ミツイが見るたびにほんのり白く発光するのがオリジナル、変わらないのが複写後だ。インクをこぼして失敗した方は混ざらないように脇に寄せる。


「キャシーは泥棒とか言ってたけど……大丈夫だよな?」


 魔法文字が危険なものであることは漠然とながら理解した。本音を言えばエル・バランが不在の今、ミツイの手元にあるというのも嬉しくない。鍵のかかった金庫でもあればいいのに、と思うのだが、エル・バランの屋敷内にそのようなものがあるかどうかは不明だ。ひとまず部屋のタンスの中に、と扉を開けたミツイは、目を丸くした。


「い、イヤ、いやいやいや、なんだこれ!?」


 タンスを開けたのは実はこれがはじめてだった。

 何しろタンスに入れるほどの物を持っていないのだ。多少の荷物は椅子の上やベッドの上に置きっぱなしだ。着替えもロクにないため、衣装ダンスを使う必要もない。エル・バランの屋敷では制服は支給されなかったので、街中で購入した運動着のような服を着回している。洗濯しすぎて早くも生地がクタクタなので、出来れば早急に着替えを買いたいものだ……とは、思ってはいた。


 タンスの内側にあったのは、抜け道だった。

 まず最初に目に留まったのは、底がないという事実だ。代わりに梯子が据えつけられている。どうやら下の階につながっているようだが、明かりがないためそれ以上はよく分からない。


 覗きこもうとしたミツイはミスを犯した。ひらっと空気が流れるのを感じる。


「あ!」


 ひらっ、ひらっ、かさっ……


「あ、ああ、っちょっ……待っ……」


 慌てて手を伸ばした。空中をかくように動かしても、待ってくれるはずがなかった。

 数枚の獣皮紙がタンスの内側に落下していく。ひらひらとミツイを小ばかにしたかのような動き。


「ああああああああ…………」


 声を上げても頓着するようには見えない。ゆっくりとミツイの目前を舞い落ちていく数枚の紙。

 ここで魔法でも使えたら!と思いはしたが、ミツイは横着をするのを止めにすることにした。おとなしく梯子を降りて探すことにする。無事な紙が落下しないよう、タンスから一番離れているベッドの上に置いた。ベッド上に放置していた上着を上にかぶせる。舞い散って順番がぐちゃぐちゃになったら嫌だ。


 知らなかっただけはあり、掃除がまったくされていない通路だった。ミツイが身動きするたび埃が舞い上がる。梯子にも埃が積もっていて、握りにくいことこの上ない。というか、今すぐ手を洗いたい。

 数度のクシャミをしながら一番下まで降りる。相変わらず明かりはなかったが、薄暗い様子に目が慣れてきたらしく、うっすらと部屋の様子が見てとれた。


 窓を閉め切った部屋らしい。部屋の壁という壁に本棚が設置されており、ぎっしりと本が詰まっている。床にもいろいろと物が置かれているようで、箱のシルエットが見えて危険だ。迂闊に歩き回ると物にぶつかるだろう。


(エルさんの本の部屋か?けど、こんな間取りだったかな……?)


 手探りで獣皮紙を探そうとしたが、暗すぎてよく分からない。キョロキョロしながら明かりをつけようと思い、ミツイはハッとした。


(しまった……。スイッチがあるわけじゃないんだよな。ランプの場所が分かったところで、この暗がりでつけられるわけねえじゃん!)


 ダメだ、出直しだ。ミツイは慌てながら、元来た梯子を掴んだ。この感覚から手を離すと命取りではなかろうか。


 ガタッ……。


 暗がりで、小さな音が聞こえた。


(え!?)


 音は頭上から聞こえてきた。思わず上を向いたミツイは、影になっている人影を目に留める。


(誰だ、キャシー?)


 誰だか分からないが、部屋の明かりを遮り、タンス奥を覗きこんでいる者がいるらしい。影になっていて顔は分からないが、その人物は梯子を降りようとしているようだった。

 ぎしぎしっと梯子が鳴る音に、ミツイは思わず身を引いた。


 梯子の真下にいる状況が、身の危険を感じる。キャシーならばいいが、それなら声をかけてきそうなものだ。エル・バランのはずはない。彼は、今夜は戻らないのだから。

 ミツイは暗がりに身を潜め、息を飲んで成り行きを見守った。誰が降りてくるのかを見るまではとても安心できない。暗がりに目が慣れて来たとはいえ、隠れ場所が分かるわけではなかったので、大きめの箱の影にしゃがみこんだ。


 梯子を降りてくる人物は、明かりを持っているようだった。頭上から下りる輝きが部屋を徐々に照らしていく。人物はトン、と小さな音を立てて着地すると、明かりを照らして室内を見回した。


 細身の人物だった。目深にフードをかぶっているため、顔はよく見えないが、フードの下から覗く目は大きく、室内を油断なく見回している。銀糸の縁取りがされた黒いジャケットにズボン。どこかで聞き覚えのある声を漏らした。


「埃っぽい」


(どこだ、どっかで聞いたぞ、この声……?)


 声は女のものだった。だがキャシーではない。それだけで警戒するには十分すぎてお釣りがくる。記憶を探りながらミツイは身を縮める。隠れ場所のすぐそばに数枚の紙が落ちているのが見えた。獣皮紙の全面に描かれた文字は、不注意で汚したインクにより、台無しになってしまっていた……。『解呪』の紙。


 細身の女が周囲を見回し、手にした明かりを掲げる。おかげでミツイは室内の様子が見えるようになった。

 壁に設置されているのはやはり本棚だ。古びた本がぎっしりと並び、床には箱が幾重にも積み上げられている。ミツイの居場所は思いの他影になっているので、女が振り向かない限り気づかれないだろう。


 女が不機嫌そうに鼻を鳴らすと、周囲の空気が動き始める。閉じ切った室内に風が吹いた。

 ガサッ。ミツイの横で獣皮紙が音を立てる。


(ぎゃああああああ、なんでだよ!?風とか吹くなよ!))


「誰!」


(振り向くなあああああ!!!)


 振り向いた拍子にフードが外れ、その下にあった顔が見えた。赤毛の女だ。どこかで見覚えのある美少女だった。

 ミツイは抵抗とばかりに息を潜め、ますます縮こまって身を隠す。


「……気のせい?ううん、ここはエル・バランの屋敷……。忌々しいけど、長居は無用か」


 チッと舌打ちした音がした。赤毛の美少女は手近な本棚から本を一冊抜いたが、パラ読みするなり本棚に戻す。忌々しそうに周囲を見回し、乱暴な手つきで今度は箱を開けた。


「くっくくく。悪くない」


 中から一本の短剣を取り出す。鞘に煌びやかな宝飾がほどこされた華美なものだ。ミツイの目にはキンキラキンに豪華すぎて逆に使いづらそうに見えた。実用品ではなく飾りではないだろうか。気に入ったのか、明かりに照らして満足げに笑うと、赤毛の美少女は短剣を腰にさした。


「このまま帰るのも、惜しい」


 美少女はそう言うと、空中に手をかざした。少女の身が緑色の光に包まれる。

 ひゅんひゅんと風を切る音がし、室内を空気が流れる。舞い上がる埃のために、そこに何かがあるのが分かった。半透明な空気の層が、埃を裂いて動く。

 それは小さな竜巻に見えた。ギュンギュンと空気が軋むような唸り声を上げる。


「隠し部屋の宝物を切り刻んでやったら、あの女の美しい顔がどれほどひしゃげるものか」


 くっくくく。薄笑いを浮かべながら満足げに言う。


(ヤバイ。この女、もしかしてあれか?病んでねえ?あの女って、エルさんのことだよな?知り合い!?)


 気づくな、気づくなと胸のうちで唱えながら、ミツイは身をさらに縮めようとした。幸い赤毛の美少女はミツイに気づかぬまま梯子に向かう。残された『竜巻』がギュンギュンと耳障りな音を立てて空気を裂き、徐々に大きさを増していく。


(え。あれ?そういやこの女、風魔法を使う、って……)


 カークスが何か注意事項を残していなかったか。きちんと聞いたはずなのに、咄嗟に思い出せない。


 ピゥウン!ヒュン!


 『竜巻』から漏れ出る風が刃となって室内に乱れ飛ぶ。風刃に撫でられた本棚にザックリと傷が入る。厚い棚がゴロンと床に落ちるのを見てミツイの顔から血の気が引く。


 『竜巻』の先端は床に穴を空け、その軸を中心に周囲へ広がりはじめていた。『竜巻』に巻き取られた箱が一瞬にして吹き飛び、欠片が渦の中で粉々になっていく。壁に迫る勢いで巨大化する『竜巻』は、室内の障害物を物ともせずに巻きこんだ。


(こ、これ。おれ、もしかして……ヤバイ……?)


 ミツイはガタンと音を立て、立ち上がりかけて箱に背をついた。『竜巻』が視界を覆っていくのを、ミツイは唖然として見つめるしかなかった。梯子はすでに『竜巻』の後ろになっていて、迂回して走ることもできはしない。

 後ろに箱、横に箱、前には『竜巻』。


 巨大な竜巻の例を、ミツイは咄嗟に思い浮かべようとした。例示から逃亡する方法が思いつくかと思ったのだ。だがただの現実逃避だと自分でも分かっていた。テレビのニュースで見たことのある竜巻は、家屋を巻き込み破壊する。木々をなぎ倒し、自動車を吹き飛ばし、オズの魔法使いでは主人公ドロシーが家ごとオズの国に吹き飛ばされた。なにより、目の前で粉くずになっていく様は、そう……。


(こ、こんなミキサーにかけられたら、一瞬で木っ端微塵じゃねえか!シャレにならねええええええ!!!)


 逃げろ、逃げろ、逃げなくては本格的に死ぬ!

 ミツイは必死で周囲を見回した。だが唯一の出口は『竜巻』の向こう側で、横を素通りするような危険な真似は恐ろしくてできない。武器はないか、出口はないか、手に触れる箱の中身をかき出そうと思うが、フタを開けることもままならない。風の勢いに巻きこまれた紙が床からひらっと舞い上がり、ミツイから離れてそそくさと隠れようとする。


「こ、これは!」


 掴み上げた紙は、ほのかな白い光を帯びている。

 紙と『竜巻』とを見比べたミツイだが、その引きつった顔はますます強張った。

 頭が真っ白だ。何も対策が思いつかない。『竜巻』が近すぎる!


「く、く、来るなああああああ!!!」


 盾というには脆すぎる、非力な一枚紙を掲げて、ミツイはぎゅっと目を閉じた。


 風に切り刻まれて死ぬなど考えたこともなかった。ミキサーにかけられる野菜の気持ちが今なら分かる。好き嫌いの多い自分への対策として、母親が野菜ジュースを作るようになった。苦いと文句をつけた自分のために、ハチミツやらイロイロ混ぜて毎朝毎朝飲ませたのだ。すまない、野菜共。ミキサーにかけられる時、おまえらはどれほど恐怖していたのか!包丁で調理され、元の形を楽しまれながら食べ物となるのと、元の形も分からぬ野菜ジュースとなるのと、どちらがマシだったのか、今のおれには分からないが、もし生まれ変わって野菜になることがあったら、野菜ジュースにはならず好き嫌いなく食べてもらえるよう努力しよう。ニンジンと思われて摂取されるのと、赤っぽいジュースと思われて摂取されるのとでは、おそらく達成感が違うに違いない!




「……?」


 『竜巻』に巻き込まれる瞬間を、今か今かと待ち構えていたミツイは、何も起きないことをいぶかしみ、おそるおそる目を開けた。緊張感が続かないのはミツイの弱点だ。


 目の前には、『竜巻』の残した確かな形跡があった。

 室内は切り刻まれ、床には大きく抉れた穴が空いている。巻き込まれた本棚の一部は粉微塵になっており、本の多くは破壊されズタズタになった状態で散乱していた。

 梯子の上から降ってくる明かりだけが室内を照らしている。舞い上がった埃が静かに落ちる他、何の音もしない。


 ひらっ……。


 ミツイの手からこぼれ落ちた紙が、床に広がる。

 ほのかな白色発光を行う紙は、『解呪』の文字を示していた。




  □ ■ □




 エル・バランが帰宅したのは1時間後だった。

 緊急コールを受けた、と美しい顔が歪むのを見て、ミツイはようやく助かったのを自覚した。

 1時間の間、ミツイは隠し部屋の中にいた。正確に言えば、腰が抜けて立てなかった。

 難しい顔で自分を見下ろすエル・バランの顔を見上げ、「今日は泊まりじゃなかったっけ」と呟いた。


「何があった」

「エル、さん……。おれにも、何がなんだか。赤毛の美少女が突然やってきて、魔法で滅茶苦茶にしていったんだ」

「赤毛?」

「そう。衛視団のところで、指名手配犯の顔絵を見たけど、その顔だった」

「……そいつは、ここで何をした?」

「えーっと……」


 思い出せる限り詳細に伝達すると、エル・バランは難しい表情をますます気難しいものにした。隠し部屋の惨状と合わせ、ミツイの言葉を疑ってはいないようだが、だからといって心安くなるものではないらしい。


「イレーヌだな……」

「イレーヌ?って、赤毛の美少女の名前か?知り合い?」

「顔見知りではある。魔法文字の紙を一枚盗まれたことがある……、だが、この部屋を探りに来たということは、前からこの屋敷を狙っていたのは間違いないな」

「魔法文字の紙……、あ、ああ!石化魔法!あれって、エルさんのだったのか?」

「この国に、自分以外に魔法文字をアイテム化できる魔法使いはいない。ミツイ、渡してあった魔法文字の紙はどうなっている?」

「あ」


 腰が抜けていたミツイは、部屋に引き上げてもらってから上着をめくり上げた。ベッドの上という無防備な場所ではあったが、上着の下に隠れていたのと、まさかそんな場所に、という場所が幸いしたのだろう。無事だった。


「あー……けど、何枚か部屋に落ちちゃったんだよ。それ、拾おうとして下に降りたら、イレーヌだっけ、その赤毛の人に遭ったから」

「そうか」


 エル・バランは短くうなずくと、残り枚数を確認していく。隠し部屋に落ちていたものも含めて、損傷を受けたのは獣皮紙に転写したものばかりだったようで、ミツイが数枚書き直すだけで済んだ。


「本が相当失われたのは痛いが……仕方がないか。よく死なずに済んだな?」

「あ、ああ……たぶん、『解呪』の魔法が影響したんだと思うんだけど。あれって、どうなってるんだ?」

「魔法で発現した現象に向けて、魔法文字を触れることができれば可能だが……、聞く限り、その余裕はなかっただろう。紙一重だったな。紙より先に自分が触れていれば、発現する間もなく巻きこまれていたはずだ」

「げげげっ……」


 自分がミキサーにかけられた状態を想像し、ミツイは呻いた。


「しかし……あの宝剣を盗まれたということは、次は王城を狙いに来るな……」

「え?あの豪華な剣、なんか特別なのか?」

「……」


 不穏な言葉を聞いた気がして、ミツイはエル・バランの様子を伺った。考えこむような長い沈黙の後、エル・バランはミツイを見下ろした。16歳男子としては癪だが、長身のエル・バランと並ぶとミツイの方が背が低く、見下ろされるような格好になる。


「ミツイ、残りの雇用期間は別の仕事を頼みたい」

「へ?」

「まだ2週間以上残っていたはずだな」


 確かにそうだ。だが、別の仕事とはなんだ。首をかしげるミツイに、エル・バランは気乗りしない顔で告げた。


「自分の助手として王城に上がり、イレーヌを捕縛するのに協力してくれ」




  □ ■ □




ミツイ・アキラ 16歳

レベル1

経験値:85/100

職業:魔法使い(助手)

職歴:衛視

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ