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微笑み。  作者: TYPE/MAN
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4 灰色の生活

 室内に広がる一定のリズム、コンピューターのキーボードを押す音が部屋中に響き渡る。それぞれが違う仕事、違う作業をしているはずなのに、何故かその音は同じように聴こえてしまう。そんなどこか単調でワンテンポな旋律が一也の頭の中で繰り返されていた。

 《(株)タイル広告》一也はここの営業課で働いている。もちろん副業としてだ。

「部長、この企画書のことなんですが・・・・」

「おお、その事なんだが・・・」

「例の見積もり終わりましたか?」

「コーヒーくれないか?」

 こういった仕事の会話が広がっている。タイル広告の営業課は一也を含め、八人。その八人が机を向かい合わせて座っている状態だ。その一番端の机に座った近藤美加が「みなさん仕事熱心ですねぇ」と辺りを狭い室内を見回す。

 そこへ一也が自分の席に戻ってきた。一也の席は美加の隣なのだ。

「おつかれ〜。部長と何話してたのかな?」

 一也は美加のその言葉に思わずため息をこぼした。

「今、社が全力で取り組んでいるプロジェクトの見積もりと計画書の件で・・・・」

「へぇ、そんな大事なことやってるんだ」

「近藤さんも一応参加してるんですよ」

「ふぅん、そうなんだ。知らなかったわ」

 そこまで言えれば大したものだ。

「しっかしさぁ、みんな仕事好きよねぇ。毎日毎日同じようなことの繰り返しなのに、みんな飽きずによくやるわね」

「好きでやってるわけじゃないと思いますが・・・・」

「ふぅん」

 この人には何を言っても無駄だな。一也はそう判断し再び仕事に集中した。そこへ向かいの席から声が飛んできた。

「なんだなんだ、二人とも随分仲がいいんだな?」

 声をかけてきたのは向かいの席に座る一也と美加の先輩、角直樹だった。

「遠野君も近藤さんと仲良くなるなんて羨ましいヤツだな」

「そうなんですよ。今もいろいろと語り合ってたんですよ」

 明るい声で美加が言った。

「仕事中に『語り合ってた』とはすごいね。近藤さん、仕事する気ゼロでしょ?」

「当然。ていうか、角さんも仕事好きですよね。あ、でも出世確実なら誰でも面白いか」

 角は会社でも出世頭で、国立大卒の経歴と二枚目な顔つきで女子社員からの人気も高い。

美加はそんな角を見ながらそう言った。

「そんなことないよ。俺の場合は仕事よりスポーツのほうが好きかな」

 こうしてキーボードの音がし続ける室内に二人の話し声も混ざることになったのだった。

昼休みになると一也は美加と角の三人で食事をすることになった。一也は一人になりたかったのだが、二人に誘われその場の流れというものあってか仕方なく食事を共にした。『三人で食事』といっても、主に喋っているのは美加と角の二人だけ。一也は黙って注文したトンカツ定食を食べていた。

 最初のほうは一也も返事ぐらいはしていたのだが次第に口数が少なくなり、今では全く喋っていない状態だ。その原因として美加たちの会話のスピードに問題があった。一也が考えて口を開く間に美加と角の二人は次から次へと進み、いつの間にかその話題は終了していてすぐに次の話題へ・・・・。

 一也は宇宙人と会話しているのだと決め込んで黙りこくった。

「――すごいですね角さんって」

「そうかなぁ」

 いったい何が凄いのか。一也はもう何がなんだかわからなくなっていた。

 これが仕事中だったら俺は死んでるな・・・・。

「それにしても角さんがプロの野球選手目指してただなんて。大学のほうでも部活とかに入ってたんですか?」

 美加がいつもの元気な声で尋ねた。

「一応ね。補欠だったからベンチのときもあったけどね」

「意外だなぁ。遠野さんは何かやってたの?」

「え?」

 突然の美加の質問に、一也はすぐに答えることができなかった。

「だから、なにかスポーツとかやってなかったんですか?」

「いや、僕は何も・・・・」

「サッカーもバスケットも野球もかい?」

「そうなんです」

 小さな声で一也はそう答えた。

「やっぱりそうですよねぇ。遠野さんってなんか貧弱な感じですもんね」

 美加や角の言うとおり、昼間の一也はスポーツをやっているようには見えない。それもそのはず、肩を落とし背中を丸め、眼鏡をかけたその姿を見て誰がスポーツマンと思おうか。夜の姿がある限り、目立たないようにするのは基本であり一番重要なことなのだ。

「すいません、ちょっとトイレに・・・・」

 一也は席を立ちトイレへと歩いていった。その間も二人の会話は止まることなく続いていく。

「しかし、遠野君は大人しいって言うか、暗い人だよなぁ」

「そうですねぇ。ほんとオタクって感じですし、でも・・・・」

「でも?」

「そんな人に限って何かしてそうですよね」

 美加のその言葉に角はきょとんとして瞬きを繰り返した。

「なにかあったの?」

 角のその質問に美加は「何もないですよ」と、あっさり否定。

「本当になにもないですよ。さぁ遠野さんが戻ったら帰りましょう。昼休み終わっちゃいますよ?」

「おお、わかったよ」


 夕方、日もすっかり落ちて外は冷たい風と空気で満たされていた。

 一也は早めに仕事に区切りをつけて帰りの電車へと乗り込んだ。十二月の空はどこか綺麗で澄んでいる。一也はそんな空を窓から覗きながら、今回の仕事のことを考えていた。仕事といっても当然殺しの仕事である。

 決行は明日、至近距離でやる。一也はそう決めていた。情報によると、標的の村上は明日の朝早くに数人の部下と共に外に出るらしい。一也はその時に計画を決行する。遠距離から狙撃するというのも考えたが、最終的に選んだのは前者だった。

 正直、今回の仕事が本当に厄介な依頼だという事を一也はわかっていた。もちろん哲がそのことを知っていながらこの依頼をしてきたのも承知している。実際、“村上を殺す”という事に問題はない。問題があるとすればその後だ。相手はあの山波組の幹部の一人、その下には多くの弟分であり部下が何十人といるだろう。村上を殺せば当然その全員の恨みを買うことになる。それが厄介なのだ。

 村上だけではダメだ。その場にいる奴ら全員を殺し口封じするしかない。そう考えて一也は今回の殺しの流れを計画していた。

 電車から降りて改札を出る。不意に明るい光が一也の目に入ってきた。それはいつか見た《洋菓子専門店》からのものであった。大きなガラス窓の外からでも暖かな中の様子が手に取るようにわかる。小さなテーブルの上に置いたケーキ、それを囲むカップルや家族が楽しそうに笑っている。それを見た一也は昼間のことを思い出し、細く微笑んだ。

 何をいまさら、俺は力を手に入れた。群れないことを代償に、孤独でいることの報酬に・・・・俺は力を手に入れたんだ。それのどこが間違ってると言うんだ。

 月夜の帰り道、一也は家へと帰っていった。





 様々な感覚が体中に流れ込んでくる。

 匂いや音、杖から伝わる道の形に全身に降り注ぐ太陽の光。綾乃はそれらを感じるたびに歓喜の表情を表し喜んだ。

 義父である宗雄から『外出許可』が出されて四日が経とうとしていた。綾乃は毎日、寒空のした外に出かけては街中を飽きることなく歩き続けた。綾乃は白いワンピースから青と水色のきちんとした服を着ている。この寒さの中では当然である。

「本当に、素晴らしいわ・・・」

 綾乃は歩きながら小さく呟いた。

「何かおっしゃりましたか?」

 隣で一緒に歩いている真二が尋ねる。

「いえ、何でもないんです。気になさらないでください」

「はぁ・・・・」

 真二もまたこの四日間、綾乃と共に街を歩き続けている。

 芳江の睨んだとおり、宗雄は外出許可を出すのにいくつかの条件を出してきた。その一つに、『必ず使用人の一人を付き人として連れて行くこと』とあったのだ。

この条件を満たすため、真二は綾乃が出かけるたびに喜んで付き人を申し出た。・・・・・しかし、真二は悩んでいた。

 綾乃は目が見えない。この事は真二も十分承知している。だが、この四日の間に特別なことを何一つするわけでもなく、綾乃は決まった時間に出かけては街中や近所の公園を歩き回るだけ。ただそれだけなのである。条件の一つにより『外出時間は二時間』と決められている。遠くへ行けないのはわかるが、真二からは見飽きた光景が続くばかりで全く面白くない。初めの二日間は屋敷内と違う服装の綾乃に心躍らせていたが、それも三日目に色あせた。デート気分でいられるかと思った真二は少しばかり落ち込んでいたのだ。

「あの・・・お嬢様、どこか行きたい場所や、やりたいことなどありませんか?」

 真二は意を決して尋ねた。すると綾乃は真二に向かって微笑みながら、

「ありがとうございます。でも、今はこうして歩いてるだけで十分なんです。時間もないのですし・・・。すいません、せっかくお誘いしてくれたのに」

「そんな、全く構いません!私もちょうど歩いていたかったところですから!」

 綾乃の言葉を聞いて真二は急いで弁解した。

 これじゃ、いつまで経ってもデート気分は味わえそうにないなぁ・・・。

 真二はそう思い、小さなため息をこぼしたのであった。

 当の綾乃も真二には申し訳ないと思っていた。しかし、十七年ぶりの外の世界、今まで忘れていた感覚と記憶が泉のように湧き上がり広がっていく。屋敷の中では感じることの出来なかったモノ・・・・その全てがすばらしく、綾乃の四感へと流れ込み、思考の中で見ることのない『外の世界』を造り上げていく。

 綾乃はそれが楽しくて仕方がなかった。

 この感じ、なんてすばらしいんだろう・・・・。このままずっといつまでも、外の空気に触れていたい。

 綾乃は心からそう願った。しかし、そんなことは出来ない。そんなことはわかっている。わかっているからこそ、綾乃は自分が『籠の中の鳥』であることを実感し、自由でないことを確認するのであった。すると、綾乃の耳に楽しげな音楽が飛び込んできた。

「この曲は・・・・・『ジングルベル』ですか?」

「『ジングルベル』?あ、クリスマスの歌ですね。そろそろクリスマスですからね。きっとお店とかは準備で大忙しだと思いますよ」

 隣で真二が答えた。

 辺りの店から聞こえてくる『ジングルベル』の音楽はオルゴールの音で耳に届いてくる。

「もうそんな季節ですか」

 綾乃は冷たい風に乗って耳へと届いてくるその歌に、改めて季節というものを感じたのであった。室内の部屋には四季など存在しない。完全に管理された空間、綾乃は自分の部屋が嫌いだった。暑い日もあれば寒い日もある、風が吹いてその風に当たることで自分がそこにいるのだと確かめることが出来る、外の世界。綾乃が出ることの出来なかった夢の世界。綾乃は僅かな時間しか居ることの出来ないこの世界を心から楽しんでいた。

 そんな綾乃に、隣を歩く真二が「お嬢様、お時間です。お屋敷に帰りませんと・・・・」と、口ごもりながら言った。こんなこと真二も言いたくないのだが、もし宗雄に帰りが遅くなったのが知られたら説教では済まされない。

「もうそんな時間ですか?」

「はい。二時間経ちました」

 綾乃には見えていないが、真二は小さく肯き答えた。

「そうですか・・・・」

 綾乃はしばらく黙っていたが、しばらくすると一言、「帰りましょう」と言って真二と共に屋敷へと向かった。二時間だけの夢の世界。綾乃は名残惜しい気持ちを押し殺し歩いていった。

 

 屋敷に戻った綾乃は、宗雄の部屋の前に一人立っていた。『外出後の報告』これも外出するために付けられた条件の一つなのだ。

「綾乃です。入ってもよろしいでしょうか?」扉の前に立ったままそう言った。

「入りなさい」

 宗雄の声が扉越しに聞こえ、扉は内側からゆっくりと開けられた。綾乃は扉が開いたのをいつもの通り杖で確認し、ゆっくりと前に進んで歩き出した。

「今日はどうだった?・・・・天気もいいし気持ちよかっただろう?」

 宗雄がにこやかな顔で尋ねた。

「はい。この四日間、本当にすばらしかったです」

 その綾乃の言葉を聞いて宗雄は、屈託のない笑顔で何度も肯いた。

「それはよかった。そう言ってくれると義父さんも綾乃を自由にした甲斐があったよ。今日はもう部屋に戻って休んでなさい」

「・・・・・」

 しかし綾乃その場から動かなかった。それを見た宗雄はもう一度部屋に戻るよう催促する。

「どうしたんだ?部屋に戻りなさい。私はこれから仕事なんだ」

「お義父様」

 綾乃はゆっくりと重い口調で喋り始めた。

「なんだ?」

「お願いがあります・・・・」

「『お願い』?なにか買って欲しい物でもあるのか?」

「いえ、物ではありません。・・・・私の欲しいのは『時間』です」

 宗雄の和やかな笑顔がその言葉で一変、険しく冷たい表情へと変わった。

「理由を聞こうか」

 綾乃は宗雄の言葉に先ほどまでとは別の物だと悟った。同じ口調で言ったのかもしれないその言葉に、綾乃は瞬時にその冷たさを感じ取った。

「私はもっといろいろな場所や様々な人と触れ合いたい・・・・感じてみたいんです。しかし、それには二時間というのは短過ぎます。一日とは言いません。せめてもう二時間、いや一時間でも構いません。私に時間をください」

 そう言って、綾乃はその場で頭を下げた。しかしそれと同時に、綾乃にはわかっていた。義父は決して縦に首を振らないことを、自分を自由にしないだろうことを確信していた。

「・・・・ダメだ。それは認めない」

 やっぱり・・・・。綾乃は心の中でそう呟くと頭を上げた。

「わかりました」

「部屋に戻っていなさい。夕食まで大人しくしているんだぞ」

 綾乃は力なく肯き、宗雄の部屋を出て行った。

 部屋へと続く廊下。綾乃はその廊下が急に怖くなってしまった。

 毎日歩く廊下、当然見えないことへの怖さではない。盲目の闇の恐怖など今の綾乃には全くない。しかし、綾乃はついにその場から一歩も動けなくなってしまった。

 部屋に戻って何をするの?何もない、何も感じないあの空っぽの部屋に戻って私は何をすればいいのだろう。あそこは籠。私を閉じ込め、外の世界と切り離す空間。翼を開けぬ鳥の檻なんだ・・・・。

「綾乃お嬢様?」

 その突然の声に綾乃は肩をビクつかせた。

「・・・・誰、ですか?」

 ゆっくりと声の聞こえるほうへと体を向ける。その体は小さく震えていた。

「私です。芳江でございます」

「芳江さん?・・・・いつからそこに?」

「先ほどからです。よければお部屋までご一緒しましょうか?」

 そう言って芳江は戸惑う綾乃の手を取って歩き出した。綾乃はそのまま無言で何も言わなかった。『廊下が怖い』などと言ったら心配性の芳江に余計な心配をかけてしまうと思ったからだ。

「・・・・お嬢様」

「なんでしょうか?」

「旦那様に何を言ったのか、私にはわかりません。ですが、自分だけで考えたり悩んだりしないでください。お嬢様はただ目が見えないだけ、普通の人と何が違うと言うのですか」

 芳江は口を開く。その手には今も綾乃の手がしっかりと握られている。

「しかし私は・・・・」

「それにお嬢様には素晴らしい才能がございます」

 俯く綾乃に芳江は言った。

「私に、才能?」

 芳江の言葉に綾乃はきょとんとした声で驚いた。

「そうです、お嬢様の才能です」

「そんな、私に才能なんてありませんよ」

「いいえ、綾乃お嬢様にはきっと素晴らしい才能が眠っています。絶対にあります。そうでなければ、神様がお嬢様から視力を奪うなどありえません」

 綾乃は『なぜ神様が出てくるのだろうか?』などと考えては、すぐにその考えを消し去った。

「そんなことないです。私はただの盲目者ですよ」

「お嬢様お願いです。自分の・・・自分自身の力を信じてください。あなた様は決して他の人に劣ってなどおりません」

 芳江が力強く言った。力強さと共に、それはまるで綾乃を支えるかのような優しい口調だった。

 そして綾乃は小さく肯きながら黙ってそれ聞いていた。その言葉の『温かさ』、そして決してその姿を見ることの出来ない芳江の愛情をしっかりと感じながら、綾乃はもう一度しっかりと肯いたのであった・・・・・。


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