22 本当の強さ
朝日が昇り始めた頃、一也は目的地である倉庫の前に立っていた。廃ビルから走ること一時間弱、白く吐き出される息が今の気温の低さを示している。反対に一也の体温は高まりその寒さが心地よいほどだった。
倉庫の入口は一枚の鉄扉、その所々が雨風に晒されていたのか錆付き汚れている。この向こう側に綾乃がいる。そして、金子を雇った男もここにいるのだ。一也は意を決して扉を引き開けて中へと進んだ。嫌な音を上げながら開く扉。倉庫の中も外と同様に薄暗い空間が広がっていた。
入口から数メートル先、その一ヶ所だけがまるでスポットライトにでも照らされているかのように明るく、少し離れた一也の立つ入口からでも二つの人影が目で確認できた。一也はその光が降り注ぐ場所へと一歩一歩、ゆっくりと歩み寄り、そして止まった。
「やっと来たか」
一也は素早く銃を抜き目の前にいる男に突き付ける。男は右手に持ったナイフを隣にいる女――綾乃の首筋に押し当てた。二人の動きは一瞬、ほぼ同時だった。
「俺に銃を向けるなんて、随分成長したじゃないか」
「やっぱり、あんただったんのか・・・」
一也が向ける銃口の先、ナイフ片手に煙草を吸っている男。それはあの哲だった。
「思ったより早かったな。金子に手間取ってもう少し遅くなると考えていたんだがな」
「俺はそんな事を聞きにきたんじゃない!どうしてあんたが、俺を・・・俺を・・・」
「どうしてお前を殺そうとした?そう、言いたいのか」
怒鳴りながらも言葉に詰まる一也を代弁するかのように、哲はさらりとその言葉を口にした。
「・・・本当なのか?」
「ああ、そうだ」
哲の答えに一也は身体が強ばった。目眩にも似た感覚が一也の心を激しく動揺させた。
「金子を雇ってお前を殺すよう依頼したのも、山波組にお前の情報を流したのも、全て俺が計画し行ってきたことだ。お前を戻す為にな」
「俺を戻す、だと?」
困惑の表情を浮かべる一也。
「そうだ。全てはこの女と出会う前のお前に戻すための計画さ」
哲はナイフを押し当てられ隣で黙って座っている綾乃を見ながらそう言うと、さらに言葉を続け一也に語りだした。
「俺は、お前からこの女をやり損ねたと聞いた日から、ずっとお前を観察し続けいてた。今日までずっとだ。時には自分で、またある時には他人の目をかりて・・・。俺はお前を見続けた。一也、お前は腐りかけていたよ。殺しの世界でトップと目され『葬儀屋』と呼ばれたお前が、依頼されればガキにでも引き金を引くお前がだ、目の見えない女一人消すことが出来ない。
そんなお前を見て、『弱くなった』単純に俺はそう思ったよ。金子にしろ山波組しても、本当のお前だったらあっという間に片付けられたはずだ。だが、今のお前はどうだ?山波組に自宅を襲撃され、金子には不意の襲撃を許し続けた。原因は一つだ。お前が弱くなったんだよ。この女と出会って、お前は腐っていったんだ。盲目に対する同情からか、この女に対する愛情からか、お前にもそれ相応の理由があったのかもしれない。だがな、そんな事どうでもいいんだよ!」
哲は吸いかけの煙草を地面に叩きつけ、怒鳴り散らした。その怒鳴り声が広い倉庫に響き反響した。
「理由なんてどうでもいい。問題はお前が弱くなったということだ!俺が作り上げた最高傑作が、ただの凡作に成り下がったことその事こそが問題なんだ!」
哲の真意に、一也は言葉を失った。黙り続ける一也を置いて哲は口を動かし訴えるように話し続ける。
「俺がお前にどれ程の時間と労力を費やしたと思ってるんだ。数十年、俺の持つ技術全てを教え込み『お前』という完璧な殺し屋を作り上げたんだ!それなのに、何だこの様は!俺の苦労を無駄にして、俺の期待を裏切りって・・・お前にはがっかりしたよ。けどな、俺はお前を見捨てたつもりはない」
そう言って綾乃の首からナイフを離すと、哲は新たな煙草をくわえて火を付けた。
「この女を殺せ」
その言葉に一也の身体が小さくビクついた。哲にむけている銃口がそれに連動してかすかに揺れた。
「何度も言ったが、完璧だったお前をダメにしたのはこいつだ。その手に持った銃でこの女を殺せ。教えただろ?『問題そのものを消してしまえば、それは問題じゃなくなる』と」
「・・・俺には出来ない」
「大丈夫だ、今のお前なら出来る。俺が仕組んだ計画でお前は山波組の襲撃を乗り切り、金子との死闘に勝利した。この短期時間で何十人と殺してきたんだ。今のお前は強い。誰よりも強いんだ」
哲は立ち上がり一也の後ろへと回り込んだ。一也の視線の先にはからっぽになったパイプ椅子があるだけ。後ろに振り替えることの出来ぬまま、標的のいなくなった空間に銃口を向けている。
「隣を見てみろ」
言われるがまま隣の席へと視線を動かす一也。そこには綾乃が座っている。
「よく見てみろ。細い腕、華奢な身体、そして視点定まらぬ盲目の瞳。そんな女にお前が負けるはずないだろ?お前は強いんだ。引き金を引け。それで全てが終わる」
そう言って哲は煙草を吸って細く煙を吐き出した。煙が光の中に舞って消えていく。一也は目の前にいる綾乃の顔をじっと見つめた。口にガムテープを貼られ盲目の瞳に涙を浮かべ震えている。一也は銃を綾乃に向けて構えた。体は小さく震えていた。ゆっくりと引き金にかかる指に力をいれていく。あと少し、ほんの僅かな力を指に込めるだけで綾乃の命を奪うことが出来る。しかし、その指をうまく動かせないでいた。
自分のなかで絶対だと信じていた哲の言葉。その想いが揺らいでいた。一也は自分が求める『強さ』の本当の姿が何なのかわからなくなっていたのだ。
これが強くなることなのか?この軽い引き金を引くことが、本当の強さなのか?
自問自答を繰り返す中、一也の脳裏にあの日の光景が甦った。それは一也が綾乃を殺そうしたあの夜の記憶だった。あの時、綾乃に抱きしめられた時の記憶が一也の中で甦った。
「哲・・・。その女を返してくれ」
「なんだと?」
一也の突然の申し出に哲は驚きの声をあげた。
「女を返してくれ。俺は、俺はあんたを撃ちたくない」
一也は振り返り哲に銃口をむけた。その言葉に懇願の想いを込めて・・・。
「冗談はやめろ。俺はお前のことを思って言ってるんだぞ」
「哲・・・・」
一也の目にもう迷いはなくなっていた。
「バカ言うな!お前は殺し屋だぞ。この女を生かしといてなんになる?」
「俺にはそいつが必要なんだ!」
声を荒げて訴える一也。しかし、哲はその言葉に呆然とした表情だ。
「両親が死んで、俺はずっと一人だった。その頃とても怖かった・・・一人でいることが怖くて仕方なかった。だから俺は、殺しの世界に入った。あんたみたいに強くなりたかったから、一人で生きていけるくらい強くなりたかったんだ・・・」
「昔の話だ。今のお前は強い。この世界のトップさ」
「そうかもしれない。でも、それでも俺は怖かった・・・。常に誰かが俺を狙ってる。そう思うと夜も眠れなかった。俺にはその相手を殺す強さがあっても、その恐怖を打ち負かす強さはなかったんだ。そんな強さは、偽物だ。
そのことに気付かせてくれたのが綾乃さ。こいつは・・・綾乃は本当に強かった。盲目という自分の弱さを持ちながら、それも今の自分の一部と言える。こいつは自分の弱さと向き合って生きてきたんだ。俺のように力なんて持っている人間ですら勝つことの出来ない恐怖の闇と、こいつは懸命に戦ってきたんだ!
俺はその闇に勝てないだろう。これからもずっと・・・だけど、綾乃となら勝てる!綾乃は俺を支えてくれた。今にも崩れそうだった俺をその胸で抱き留めてくれた。俺には、俺には綾乃が必要なんだ!」
自分の想いをぶつける一也。後ろに座っている綾乃はその言葉に胸打たれた。思わず涙が溢れ頬を濡らした。
「頼む。俺たちを見逃してくれ・・・哲」
哲はしばらく何も言わずに黙ったまま立ち尽くしていた。その心中は怒りと焦り、そして悔しさで煮え繰り返っていた。
「一也、いい加減にしろよ・・・。その女を殺さないってだけじゃなく、一緒に見逃してくれだと・・・」
殺意が篭った声を絞り出す哲。一也の表情に緊張の色が走った。
「もういい・・・。お前は失敗作だ。女共々、俺がこの手で消してやる!」
「哲!」
叫ぶと同時に哲が腰から銃を引き抜いた。しかし、一也は哲が構える前にその手を撃ち抜いた。悲鳴を上げる哲。一也は後ろにいる綾乃を抱いて駆け出した。物陰に隠れると綾乃の口からテープを剥がし、「動くなよ」と言って再び哲のもとへと戻っていった。
哲は撃たれた右手を抑えて膝を付いていた。その眼光はまだ彼が死んでいないことを知らせるには十分すぎる鋭さを持っていた。
「哲、もうあきらめてくれ」
一也は哲に銃を向けてそう言った。引き金に指は掛けていなかった。
「ふざけるな!この失敗作が!」
その言葉が一也の胸を抉る。
「あんたにとって俺は、『物』でしかないのか?」
「それ以外になにがある!まさか、この俺を自分の親だとでも思っていたのか!」
「・・・そうだよ」
憎悪の念を瞳に抱き睨み付ける
「俺は・・・・哲を親父のように思ってた。怖くて厳しい、でも誰よりも俺のことを考えてくれる。そんな親父だと思ってた」
「・・・・」
「俺はあんたを撃たない。もし俺たちを追っかけてきて殺そうとしても、俺はあんたを殺さない」
一也はそう言って銃を降ろし、哲に背を向けて歩き出した。哲は一也の背を見つめながら口元を歪ませた。
「・・・甘いんだよ」
ナイフを取り出し左手で握った。
「・・・・こんなダメ親父は必要ないだろ」
巧みな手捌きでナイフを自分の首に走らせた。鮮血が吹き、哲はゆっくりとその場に倒れこんだ。薄れゆく意識とその視界に一也の姿を捉えたまま・・・・。
「おい、起きろ」
一也は動かない綾乃の肩を揺らしながら声を掛ける。恐怖から開放されて気を失っていたのだった。しばらくして目を開ける綾乃を見て、一也はほっと一息漏らしたのだった。だが、正気を取り戻した綾乃は何も言わず突然一也に飛びついて、ほっとしていた一也を再び慌てさせた。
「お、おい」
うろたえる一也。綾乃はその胸に顔をうずめて動かなかった。
「泣いてるのか?」
「・・・はい」
「怖かったのか?」
「・・・はい」
「もう大丈夫だ。すべて終わった・・・」
綾乃は一也の体を力一杯抱きしめながらその盲目の瞳を濡らし、声を上げてなき続けた・・・。
次回更新は6日です。