19 乱戦猛虎
虎二の言葉を聞いた組員はケイタイの通話を終了し、仲間に知らせる。
「やっちまえ!」
その声を聞いた仲間が玄関の扉を蹴り始めた。冬の乾いた空気を震わせ、衝撃音が繰り返された。
「おら!開けやがれ!」
「出てこいやぁ!」
派手に声を上げる組員。ついに扉は大きな音を上げ破壊された。その音を合図に、怒涛の勢いで組員が玄関へと押し寄せた。
押し寄せる組員。しかし、それは一瞬の出来事だった。時が凍りついたかのように、組員たちはその足を止めて動かなくなった。
「へ?」
一人の組員が訳もわからず間の抜けた声を漏らした。玄関に倒れている二人の男が視界に入ったのだ。
「なにやって―――」
切れる言葉。倒れる男。
その不可解な出来事に動揺しその場でうろたえる始める組員たち。敵の姿を探すも開け放たれた玄関から見える廊下に人影はない。
「ど、どうなってんだよ!」
足踏みする組員の後ろに溜まっているほかの組員の声が飛んできた。
「なにやってんだ!さっさと行かねぇか!」
その激を受けて意を決したのか、再び組員たちが勢い良く玄関目掛け飛び出した。
響く銃声。
悲鳴を上げながら突き進む組員たち。
今度は止まらなかった。玄関から廊下へ飛び出す。
「いたぞ!」
一人が標的の場所を指差す。
玄関の真上、天井に黒い影が張り付いていた。
銃を構える。
飛び降りる影。
組員が狙いを定めるより速く、地に付いた影は銃を構え銃弾を浴びせてきた。
倒れる仲間たち。
悲鳴と怒号が何重にもなって響き渡る。
影が廊下を後退し、左手に飛び込んで消えた。銃声が止む。
誰も動こうとしなかった。
その間わずか数秒、たったそれだけの時間で五人の仲間が動かなくなっていた。
その場にいたヤクザ仲間は、度重なる銃声のせいで耳鳴りがしてなにを喋ってもまともに耳まで届くことはなかった。各々が身を強張らせたままじっとしていた。コミュニュケーンが取れない組員。しかし、その場にいる誰もが感じていただろう。唯一つ、恐怖という感情を・・・・・。
居間の端、仏壇の影で一也は身を隠していた。
まさか本当に襲撃してくるとはな・・・。
一也は二階から不審な動きをする男たちの姿を見逃してはいなかった。襲撃に備え有利に動こうと自分から出て行くのではなく、奴らが絶対に通るであろう玄関の天上に身を隠し構えていたのだった。その作戦は見事成功。出端で五人を葬ることが出来た。
次の攻撃に備えて残弾数を確認する一也。家の構造を熟知している自分から攻め動き、敵に先手を打たせないようにする。右手に十三発、左手に十四発。十八発入りの予備のマガジンが一本。計四十五発。相手が何人で来ているかわからない今、無駄弾は許されない。
残弾を確認すると、一也は目を閉じ深く深呼吸をした。思考と止めて、ひとつのことに集中する。
『今のあんたじゃ無理だよ』
消えゆく思考の片隅で、その言葉が残った。
「・・・・やってやるさ」
そう呟き、一也は両手に持った銃を強く握り締めた。
ここで、こんなところで死ぬわけにはいかない。
一也は深く吸った息をゆっくり細く吐き出した。意を決した。
すばやく廊下に出る。
男が二人、不意を突かれ動かない。
右手で三発。
玄関にいる人垣に左で一発。
止まっていた時間が動き出したかのように、一斉に動き出す男たち。
震える空間。
銃声によって裂ける空気。
勢いに任せ雪崩込む敵。
横をかすめていく銃弾。
バックステップ。
左右の引き金をリズミカルに。
引く、引く、引く、引き続ける。
止まらぬ敵。
台所まで一気に下がる。机を倒しバリケードに。
止まぬ銃弾。
反撃。
弾け飛ぶ頭。廊下に広がる鮮血。
悲鳴。
うるさい。
撃つ。また悲鳴。
右が空。左残り四発。
激痛。
後方、左の残り弾をその方向に向けて全て吐き出す。
階段目指して、走る。
自室。
扉を閉める。
甦る思考。
「ぐっ・・・・!」
鋭い痛みが右腕に食い込む。
一也は舌打ちした。台所の勝手口を警戒していなかった。そこから侵入した敵に後方から狙われたのだ。
一也は状況把握に思考を巡らせた。
すぐに追い討ちをしてこないところを考えるとプロじゃない。しかし銃を持っている。考えられるのはヤクザ。そして自分を狙っていることから山波組だろうと推測する。しかし、一也には腑に落ちない点がいくつかあった。
扉が叩かれ、衝撃で歪み始める。
「考えてる暇はないな・・・」
二階の自室の出口は二箇所。今破られようとしている扉がその一つに該当する。
残りわずかな弾丸。不特定多数の敵。
数秒考え、一也はもう一つの出口を見つめたのだった。
「マジかよ・・・・」
目の前の光景に、根塚は呆然と立ち尽くした。
床を染める血の海。銃撃で吹き飛ばされバラバラに飛び散った肉片。そこには民家の面影などまるでなく、地獄のような光景が広がっていた。
隣でその光景を目のあたりにし嘔吐する仲間たち。根塚は村上のとき経験しているからか嘔吐こそしなかったものの、自分が見ているものが現実だと理解することに困難を極めた。
「おい、大丈夫か!動けるか!」
仲間の一人が必死に他の仲間に声を掛けていた。根塚は自分も何かやらなかればと歩み寄る。
「大丈夫か?」
声を掛けられている男は顔に返り血浴びて真っ赤に染まっていた。恐怖のせいか男の身体は震えて言葉もろくに喋れないようだった。
どこか怪我してないかと尋ねるも、男は答えてくれなかった。だが、その男が恐怖から呟くように言った言葉に根塚は凍りついた。
「黒、黒いバケモンに・・・・み、みんなころ、殺された・・・・」
震える声から、根塚は確かにそう聞き取った。
村上が殺された時の恐怖が根塚の中で鮮明に甦る。それと同時に原の底から怒りの感情が押し寄せてきた。
黒い男。
根塚は後ずさり、悲鳴にも似た怒号を上げてその場から駆け出した。
『よくも仲間を・・・・!』
二階へと続く階段を拳銃片手に駆け上がったのだった。
ピッピッピッピ・・・・。
鳴り響くケイタイの音に気が付き、虎二は通話ボタンも押してケイタイを耳へと運んだ。
『派手にやってるようだな』
低い声が鼓膜を揺らした。
「あんたか。悪いが勝手にやらしてもらったよ」
『そうみたいだな』
男の口調は冷静だった。まるでこうなる事を前々から知っていたかのように。
「あんたが誰だか知らないが、礼は言っておく。おかげで奴を殺せた」
『それはよかった。・・・・で、死体は確認したのか?』
「まだだ。だが結果は見えてる」
『じゃあ油断しないほうがいい。奴はそんなに甘くない』
「はっ!冗談言うな。プロだろうがハジキを持った男五十人相手に無事なはずねぇだろぅが!」
『もう一度言う、油断はしないほうがいい。死にたくなかったらな』
その言葉を最後に通話は終了した。
虎二はケイタイを強く握り締めた。怒りの形相でそれを睨みつける。
「まだ仕留められねぇのか・・・?」
側近グループの一人を状況把握のために向かわしたのだが未だ連絡が入ってきていない。
「ねぇ」
美加が虎二に呼びかける。
「彼、死んだと思う?」
「・・・・お前はどう思ってるんだ?」
表を睨みつけたまま、虎二は言った。その問いに美加はすぐに答えずじっくりと考えてから、「生きてるんじゃないかな」と答えた。
虎二は美加の答えに心の中で肯いた。
再び電子音が車内に鳴り響いた。画面には部下の名前と番号が点滅していた。
「どうだ?」
部下の報告に虎二は耳を傾けた。
『はい。二階の部屋まで追い詰めたみたいなんですが、そこから逃げられたみたいです』
「このっ・・・・ちっくしょうが!」
予想していたとはいえ、その事実に怒りがこみ上げてくる。
『今動ける奴ら使って探させてます』
「何人ぐらいやられた?」
『ひでぇ状態ですよ。家の中ぐっちゃぐちゃでして――』
「何人だって聞いてるんだよ!」声を荒げて問いただす。
『す、すいません。まだわからねぇんですけど、二十人近く殺られてると思います』
「二十だと・・・・?」
驚愕の想いが思わず声となって口から漏れた。
『へい。兄貴・・俺らの相手って、に、人間なんですか?』
部下の震えた声がケイタイのスピーカーから届く。虎二も同感だった。一人の人間が襲い掛かる二十人もの人間を殺せる事実を、簡単に認めることなど出来なかった。
「わかった。奴を探せ」
虎二は通話を終え、その身をシートに深く沈めた。
「私の勘、当たってたでしょ?」
嬉しそうに美加が言い寄る。
虎二は目を閉じて息を吐き出した。
「ああ、二十人殺して逃げたらしい」
「二十?」
「そうだ・・・」
「凄いわねぇ。でも、よかったじゃない。他人に殺されるんじゃなくて、あなたが直接止めをさせるじゃない」
銃を持った組員二十人を一人で殺すことの出来る男・・・。その実力を考えて虎二の身体に震えが走った。
「上等じゃないか・・・・」
口元に浮かぶ笑み、虎二は気持ちが昂るのを抑えようとはしなかった。自分の銃を手に持って、車から降り立った。
「いってらっしゃい」
手を振り、笑顔で見送る美加。
虎二は返事を返すことなく、無言でドアを閉めた。
街頭の光が届かぬ路地。一也はじっとその場でうずくまり隠れていた。
自室のもう一つの出口、窓から飛び出した一也はすぐにその場を離れ、小道から小道へ敵が待ち伏せしてないだろうルートをひたすら進んだのだった。
相手はヤクザ。攻撃力と人数は半端じゃないが詮索力はプロほどの脅威に値しない。しかし、この時間稼ぎも限界があるということを一也は十分理解していた。人数が多いことは詮索する上でもっとも有利である。このまま逃げても人海戦術で追い詰められるのは目に見えていた。
立ち上がり、短く数回息を吸い込み吐き出す。
右腕の出血は自室から持ち出したネクタイで縛り止めていた。が、痛みで正確な射撃が出来る自信はなかった。残りの弾は二十弾をきっていた。
決してベストではないこの状態で、逃げるのではなく勝つ方法・・・・。それは一つしかなかった。
敵の『頭』を潰すこと。
一也は左手に銃を握り締め駆け出した。注意を払いながらゆっくりと自宅の方に歩を進める。様子を伺ってみるが案の定、自宅の前には手下らしきヤクザ丸出しの男たちが見張りの目を光らしていた。しかしここに標的はいないと一也は確信していた。
あれほど大規模な攻撃を仕掛けてきたのだ。流れ弾の危険を考えれば『頭』は離れたところで指揮を取っている可能性は十分に考えられた。一也は自宅付近を離れ、人気のない道を進んでいく。
どこにいるんだ・・・。
辺りは騒ぎに気づいたのか少数の家々に明かりが灯り始めていた。それでもまだ薄暗い路地を進んでいく。不意に一也の警戒心が人の気配を察知した。急いで路地の植え木の影に身を隠す。その横を数人の男たちが通り過ぎていく。
外灯に照らされる数人の男たち。一也はその瞬間を見逃さなかった。街頭の淡い光に人一倍目をギラつかせた男がいるのを。
あの時の野郎か・・・・。
一也は春日崎低の周辺に居た二人組みのヤクザの顔を覚えていた。その兄貴分だった男がそこにいた。
一也はお決まりの深呼吸して集中力を高めた。
肩の力を抜いていく。
薄れ行く思考。
『あんたじゃ無理だって。今のあんたじゃ』
また聞こえてくる声。
「黙れ」
短く粒咲き捨てて、一也は飛び出した。
標的は六人。
左手で銃を構える。引き金を引いた。二発。
腕の痛みでぶれる標準。
一発命中して仰向けに倒れる男。『頭』じゃないことに舌打ちする。
重なる銃声。
横に飛んでかわす。
罵声。
黙らせる。
悲鳴。
二人の男が突っ込んでくる。
一也は横に走り、左に持った銃の引き金をすばやく三回。
撃つ。撃つ。撃つ。
相手の弾が左肩をかすめる。崩れる二人の男。
残り三人。
一旦息を整えるために路地に飛び込む。
左肩に痛みが走り、それに呼応したのか右腕の痛みも甦ってきた。
「遠野一也!」
いきなり名前を叫ばれて、一也は驚いた。
「村上さんの仇だ!殺してやるよ!」
叫び声と共に銃声が鳴り響いた。
どうして俺の名前を知っている? ―――思わず言葉を漏らしそうになりあわてて飲み込む。聞くのは後だ。
外灯に入った男をその場から撃ち殺し、一也は再び走り出した。
後方から銃声。振り向きながら撃つ。ハズレ。
走りこみ距離を縮める。
引き金を引く。
今度は確実に撃ちぬいた。
残るは一人。
「運がいいな」
一也は前方に立つ男に言った。
「俺はここからでもお前を撃ち殺せる。銃を捨てろ」
「てめぇ・・・」
怒りの表情で男はなかなか銃を捨てようとしなかった。一也は一歩一歩ゆっくりと近づいた。
「捨てろ」
銃を構えて、一也は男に言った。
「死にやがれ!」
男は引き金を引こうと指に力を込めた。しかし、一也のほうがそれよりも速く男の腕を撃ち抜いた。
苦痛の声を上げながら膝をつく男を見て、一也はさらに近づいて下がった頭部に銃口を突きつけた。
「次はない」
唾を吐く男。
「俺の情報を誰から聞いた?答えろ」
「くたばりやがれ!」
そう言って口元をにやつかせる。一也はそんな男に金子の顔を連想させられ、吐き気に似た怒りがこみ上げてきた。
「じゃあ、死ね」
引き金にかかった人差し指に力を込める。その瞬間、コンクリートを弾く様なヒールの高い音が耳に届いた。
一也は視線を上げた。視界の先に映った一人の女、近藤美加だった。
一瞬の停止。男はそれを見逃さなかった。叫び声を上げ、全力の体当たりをかまして銃を奪おうと取っ組み合いにもつれ込む。
仰向けになった一也に馬乗りになる男。一也は相手の顔面にストレートをお見舞いするも効果なし。この体勢からの攻撃しても威力が出ないことは当然だった。男が左手に持った一也の銃を奪い、顔面に二度のパンチをお見舞いした。形成は一気に逆転した。
「ざまぁねぇな!」
笑い声高らかに、男は言い放った。
「もう終わっちゃったの?」
男の隣に立った美加がつまらなそうに一也の顔を覗き込み言った。だが、美加の表情はどこか楽しげでもあった。
そんな美加を一也は睨み付けた。
「遠野君こんばんは。驚いたでしょ?」
「なんであんたがここにいるんだ?」
「彼・・・虎二って言うんだけど、実は私の彼氏なんだよね」
「・・・なるほどね」
「遠野君こそ、本物の殺し屋さんだったなんて・・・。私、驚いちゃった」
そう言って笑う美加。それは彼女が普段会社で見せる、そのままの表情だった。
「でも、ここでお別れみたいね。残念だわ」
「そういうことだ。あばよ殺し屋!」
虎二はその手に持った銃の先を一也の額に強く押し付けた。額から伝わってくる勤続の冷たい感触が一也の熱くなった体温を少しだけ奪った。
「遠野君のこと、忘れないから」
「・・・・気にするな」
謝る美加に一也は言った。
「くたばれ!」
歓喜の瞬間。
虎二は満面の笑みを浮かべ、自分の人差し指に力を込めた。
カチンッ!
「――― !」
冬の空に、金属音だけが響いた。
時間にして一秒にも満たない時間。銃に弾がないという事実を虎二が受け入れるのに要した時間。その一瞬で一也は右手で銃を取り出し、その銃口を虎二に向けた。
「おしかったな」
銃声が鳴り響き、虎二の顔から鮮血がほとばしった。
取っ組み合いになった時、一也は撃ち尽くした銃と弾の入った銃を持ち替えていたのだ。虎二が奪い取った銃は弾の入ってない空っぽ。一也の仕組んだ罠だった。
一也は起き上がり、命の火が消えた虎二の亡骸を見下ろした。銃弾が頭部を貫通し、その穴からどす黒い血が流れて夜の闇と同化していた。
一也は顔に付いた虎二の返り血を拭うことなく、右手に持った銃を美加へと向けた。
「残念だったな」
美加はその場から動かず、一也の言葉にも全く返事を返さなかった。その視線は傍らに倒れた虎二の死体に注がれていた。
「・・・本当に殺しちゃうんだね」
美加が呟く。
「それが俺の仕事だ」
「みたいだね・・・・。って、遠野君が『俺』って言ってるのなんか新鮮だ」
「あんたもな。こんなヤバイ男と付き合ってるなんて思いもしなかった」
美加の視線は虎二の死体から離れ、自分に向けられた銃口をも飛び越えて一也の顔を見つめた。
一也の冷たい目が美加の視線を受け止めた。
「ねぇ、私も殺すの?」
「当然だ」
「そっか・・・・」
一也の答えに、美加は特に恐怖の感情を覗かせなかった。その表情は、そう、子供がいじけたような表情だった。
「・・・・誰から聞いた?」
「え?」
「俺のこと。自宅の場所。誰から聞いた?」
「・・・電話。相手の男は名前も教えてくれなかったけど、その人から全部聞いたの」
「本当か?」
「どうせ死ぬんでしょ。ウソなんてついて地獄行きは嫌よ」
その笑顔と言葉から一也は近藤美加を少しだけ理解して、真実を述べているのだと確信した。
一也は引き金を引くことなく、構えを解いて歩き出した。
「殺さないの?」
「その話が本当ならな。作り話だったらまた来るさ」
美加はその場から走り去っていく一也の背中をじっと見つめて、何も言わずに見送った。
遠ざかる背中、その背中が遠くに消えていくのを自分の目で確かめると、美加はその場に座り込んでしまった。
銃を見たことは何度もあった。しかし、銃を向けられたことはなかった。その時間差で押し寄せてくる恐怖に美加の心臓は高鳴った。
「・・・好きになっちゃったかも」
そう呟き美加はイタズラっぽく笑ったのだった。
次回更新は29日です。