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微笑み。  作者: TYPE/MAN
17/23

17 親


 重い鉄製の扉を押し開けて、一也は哲の待っている部屋へと入っていった。クローゼットと丸い形のテーブル。そのテーブルを挟んで置かれた二脚椅子。薄暗いその部屋は外の世界から隔離された特別な空間なのだと一也は知っていた。

 哲と会い仕事の話をするこの狭い部屋、外部との連絡や繋がりを一切断ち切ったこの空間は正しく『別の世界』と言っても過言ではないのだ。

二脚しかない椅子の片方に哲は腰を下ろして待っていた。

「よう。久しぶりだな」

 片手を上げて挨拶する哲。

「そうだな」

「相変わらず無愛想だな。まぁ座れ」

 そう言って哲はにこやかに向かいに置かれた椅子を指差し一也に勧めた。一也は言われたとおりその椅子に腰を下ろした。

「お前がここに来るってことは・・・仕事を請け負うときとそれが終了したとき、だったな」

「ああ。その通りだ」

「じゃあ安心していいんだな」

「もちろんだ。女は殺したよ」

 一也は無表情でそう言った。その言葉に哲は大きく息を吐き出し、次に口元に笑みを浮かべた。

「助かったよ。お前に頼みたい仕事が溜まってるんだ。これで問題なく進めることができる」

「その件なんだが・・・・」

「どうした?」

「ちょっと待ってもらいたい」

 その言葉に哲のにこやかな表情は一変。無表情・・・それすら通り過ぎて無機質なものへと変り、その冷たい瞳だけが一也をじっと捕らえて離さなかった。

「初めてだな。お前がそんなことを言い出すなんて」

「そうかもな・・・。俺も休まずやってきた。少し疲れたのかもしれない」

「・・・・それは、仕事の成功を確実にする為の休息か?」

「もちろんだ」

「じゃあ何も言わない。休め」

「そうさせてもらうよ」

 席を立つ一也。その様子を見つめながら哲は煙草を取り出し火をつけた。

「復帰、早くしてくれよ」

 煙を吐き出し、無機質な表情のままそう言った。

 一也はその煙を避けるかのように扉を開け、外の世界へと出て行った。


 外に止めておいた車に乗り込んで、一也はしばらくエンジンをかけることが出来なかった。車のトラブルではなかった。そう、一也自身のトラブルといっていいだろう。一也は震えていたのだ。

 その原因は先ほどまでの哲とのやり取り。一也は綾乃を殺してなどいない。ましてや疲れてなどいない。全て嘘。偽りの報告だった。

 哲も綾乃のことなど忘れているだろうと、一也はうまくいくだろうと考えていた。しかし、甘かった。哲は忘れていなかった。真っ先に綾乃の生死を確認してきた。一也はそんな哲を前に嘘をつくことしか出来なかった。自分を育てた男。自分に殺しを教えた男。一也にとって絶対の存在・・・・それが哲なのだ。

深呼吸を繰り返し体の震えを止める。ハンドルを握るては汗で濡れていた。

幼き時代の地獄のような訓練、殺し屋として数え切れないほど超えてきた死線。今や殺しの世界でナンバーワンと囁かれている自分。だが、哲の前ではそんな肩書きや経験など無意味なものへと変わってしまうのだと、一也は実感した。己の力で麻痺していただろう『恐怖』という感情が甦ってきたのが何よりの証拠だった。

「くそ・・・」

 一也はアクセルを踏み込み車を発進させた。



 沈んでいく夕日の光に浮かぶ、美しくも怪しく揺れる二つの影。寄り添う二人に言葉は不要。ただ時間が過ぎていくその中で、お互いの体温を伝え合うだけで分かり合える。そっと肩を抱く腕。それに身を任せ胸に顔を鎮める。それだけでいいのだ。

「正美さん・・・」

「遠野さん・・・」

 愛し合う二人に別れのときは迫っていた。夕日が完全に沈むとき、それはやってきた。

「あらあら、もうこんな時間」

「そうじゃねぇ。寒くなると体が痛くて嫌じゃ」

 遠野良助は田中正美の肩に置いていたを戻しに腰を擦る。

「私も。お互い歳ですねぇ」

「なんの、わしゃまだまだ若い!」

「ほっほっほ。そうでしたねぇ」

 力こぶを作って見せる良助を見て、田中正美は小さく笑った。幼馴染のお隣同士、その友情は何十年という「時」を経ても色あせることはない。

「なぁ正美さん、わしと再婚せんか?」

 明後日の方向に顔を向けたまま良助は言った。いつも口にするこの言葉も本心からではないことを、正美は知っていた。

「そうもいかないでしょう。一也さんが怒りますよ」

「奴のことなど知ったことか!」

 これも嘘。

「さて、私は戻りますよ」

「おう。気ぃつけてな」

 良助はゆっくりと歩いて帰る正美を見送った。

 居間に戻ると、良助は一人でお茶を飲み、テレビを見始めた。ぬるいお茶が気分を害する。ふと、テレビの画面から視線を泳がし、良助は仏壇に飾られた遺影を見つめた。

「・・・ふん」

 目を伏せて、良助はぬるくなったお茶を一気に飲み干した。

「ただいま」

 玄関から声が飛んできた。良助は居間を出て行くと、そこには一也の姿があった。

「おお、帰ったか」

「ごめんね。仕事が忙しくてさ、なかなか帰れなかったんだよ」

「構わん、構わん。」

「田中さんとデート中だった?」

「そうじゃよぉ。お前が帰ってこなければもっと一緒にいられたんじゃ」

「相変わらず若いなぁ。僕なんてまだまだ・・・」

 その言葉に良助はしわの寄った口元に笑みを浮かべて近づく。

「一也」

「ん、なに?」

「お前、女できたじゃろ?」

 一也は良助の問いに一瞬体が固まった。

「まさか。彼女なんて僕にいるわけないだろ」

「そうかのぉ」

 にやにやと笑みを浮かべる良助。

「・・・・なんで、そう思ったの?」

「わしを誰だと思っとるんじゃ。そんなこと顔を見りゃ一発じゃよ。一発!」

 変なところで勘が鋭いな。

 一也は心の中で小さく悪態を付いた。

「くだらない。それより、僕今日はもう出かけないから、じいちゃん夕食はどうする?」

 話題を変え、一也は居間にコートを脱いで置き台所へいく。

「ふむ、どうしようかの・・・」

「なんだったら作っていくけど―――」

「そうじゃ!」

 一也の言葉を遮って、良助が声を上げた。

「田中さんと食事してくるわ!」

「ほんと、お盛んなことで」

「そうと決まれば膳は急げじゃ!行ってくるぞい!」

 元気にそう言うと、良助は上着を羽織り玄関へと急いだ。

「いってらっしゃい」

「うむ!」

 靴を履く良助、一也はその背中をじっと見つめていた。

「・・・・一也」

「なに?」

「つらいことがあるなら、わしに言え」

 背を向けたままそう言う良助に、一也は言葉が出なかった。

「なぁに顔を見りゃ一発じゃよ。わしを誰だと思っとる」

 良助はそう言って玄関から元気よく出て行った。



「虎の兄貴、お電話です」

「貸せ」

 車の後部座席から助手席へと手を伸ばし、虎二はケイタイを受け取った。

 低くて暗い、それでいて擦れがかった声が聞こえた。

「あんたか」

 虎二は言った。自宅の電話に連絡してきたのも美加のケイタイに連絡してきたのも、この男なのだ。

『今、どこにいる?』

「あんたに言われたとおりの場所にいる。ここに奴がいるのか?」

『焦るなよ。教えてやるって言ってるだろ』

 虎二はこの男を信用しているわけではなかった。名前も明かさない、姿も見せない。そんな男を信用できるわけがなかった。しかし、この男は村上を殺した男・遠野一也を知っているのだ。

「いいか、もしデマ教えやがったらお前を殺してやるからな」

 情報だけの関係。虎二はそう割り切った。

『怖いね。でも、情報は本物だ。その証拠を今確認させてやる』

 電話の男はそう言って虎二にいくつかの指示を伝え、一方的に通話の終了した。

「おい」

 虎二は助手席に座っている根塚を呼んだ。

「右の通り沿いに瓦屋根の家はあるか?」

「はい。えっと・・・あれじゃねっすかね」

 ガラス越しに指差す方向には確かに瓦屋根の家が建っていた。

「行って表札見て来い」

「え?」

「いいから行って来い!」

「へ、へい!」

 虎二の激を受けて根塚は飛び出していった。

「根塚さん可哀相じゃない?」

 虎二の隣に座っていた美加が言った。

「いいんだよ」

「まぁ部下ってのはそんなもんでしょうね。ってさっきの電話、あの人だったんでしょ?」

「ああ」

「やっぱりねぇ。なんだって?」

 美加が興味深い眼差しで虎二に詰め寄る。

「今にわかる」

 虎二はそう言って美加をあしらった。

「兄貴!」

 言われたとおり車を飛び出した根塚が血相を変えて戻ってきた。

「どうだった?」

「驚きましたよ!あの家の表札、『遠野』って書いてありましたぜ!」

 その報告に美加は驚き、虎二の顔を見た。虎二は口元に笑みを浮かべて、

「そうか・・・」と呟いた。

 情報は本物だった。虎二の心は歓喜で震え上がった。

「根塚、急いで人集めろ。ありったけだ」

「へい!」

 ケイタイを取り出し、連絡を取り始める根塚。虎二はそこから目を移し、そこから見ることのできる瓦屋根を睨み付けた。

 殺してやる・・・・。

 握り拳に力が入り掌から心地よい痛みが広がっていく。虎二は飛び出していきたい衝動を必死に堪えたのだった。



 日も落ちて、明かりを付けていない一也の自室は暗かった。そんな暗い空間で一也は吐息も静かに眠っていた。

 夢は見ていなかった。しばらくしてふと目が覚めて、一也はそのことに気が付いた。

「俺・・・また眠ってたのか・・」

 思わず口に出して呟いてしまうほど、一也は自分が眠っていたことに驚いていた。だが、不思議と嫌な気分にはならなかった。それどころかどこか身体もスッキリとしているように感じていた。

 部屋の明かりを付け、窓を開ける。夜風が吹き、身が引き締まる。夜となり、この辺りも一気に静かになっていた。

 不意に通りにいる一人の男が目に入った。暗い路地にいるので顔までは見えないが、ケイタイでなにやら話し込んでいるようだった。

 時計に目をやる一也。時刻はもうすぐ午後十時になろうとしていた。

 隣、良助の部屋からいつも聞こえてくるはずのいびきが聴こえてこないのに気が付く。一也は「田中さんところで酒でも飲んで、潰れたんだろう」と察した。過去にあったことで気にもしない。

 寝た影響なのか一也の気分は良かった。

「今日はこのままここにいるとするか・・・・」

 階下にある置時計が鳴り響き、十時を知らせた。




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