15 葛藤
「いったい何がどうなってるんだ?」
真二は黒煙の上がるビルの屋上を見上げて言った。
真二は綾乃と一也が店から出ると会計を残る芳江に任せて、自分も外に出て二人を尾行していたのだ。
町を歩き回る二人のあとを追いかけて、生まれて始めての尾行に(当たり前だが)真二は一也が辺りに警戒の視線で見回すたび、言いようのない緊張感に襲われた。
神経をすり減らしながらも尾行は続いた。やがて、二人が洋菓子店前に停めておいた車に乗り込もうとするのを見張っている時だった。衝撃音が真二の耳に飛び込んできた。そのあまりの衝撃音に銃声だと理解するのに少し時間がかかったくらい、あまりにも突然のことだった。そして綾乃を車に押し込み走り去っていく一也の後姿を、真二は呆けた顔でただ見ていたのだった。鳴り響いた銃声に街は軽いパニック状態に陥った。そして先ほどのビル屋上の爆発、街は大混乱は今なお続いている。
「まさか、あの男がやったんじゃないだろうな」
真二は一也の入っていったビルを睨んで呟いた。
だとしたらなんて危険なヤツなんだ。あんなヤツから早くお嬢様を救い出さねば。と、気合十分に綾乃の乗っている車へと急いだ。
真二は一也が帰ってくるの前にと急いで綾乃の乗せられている車へと走り、助手席の窓ガラスを叩いた。
「お嬢様、俺です!真二です!開けてください!」
大きな声で呼びかけながら何度も窓ガラスを叩くが綾乃からの返事はない。真二はドアロックがかかっていないことに気づき、勢いよくドアを開けた。助手席に綾乃はいた。その決して広くない座席の上で両足を抱え込み小さく蹲っていた。
「お嬢様!」
真二は安堵の表情を浮かべ、そう言いながら綾乃の肩を強く掴んだ。体が微かに震えていることに気が付くと真二は驚いて手を離してしまった。
それで気づいたのか、綾乃がぱっと顔を上げて、
「岡田さん?」
と、言った。その声も体と同様に震えていた。
「お嬢様、どこか怪我などされていませんか?」
「・・・いえ、どこも、怪我などはしていません」
綾乃の無事を知り真二の緊張は一気に解けていった。それと同時に目頭が熱くなる。思わず涙がこぼれそうになるのに気が付き堪える。
「よかった・・・・」
「でも、岡田さんがどうしてここに?」
「そんなことは後回しです。とにかく、急いでここから離れましょう」
真二の言葉を聞いて、綾乃は身を強張らした。
「・・・・いやです」
消えてしまいそうな声で言う。
「え?」
「・・・私、いやです」
その言葉の意味が真二にはわからなかった。混乱と動揺が真二の頭の中でいっぱいになる。
「な、何を言っているんですか。お嬢様は、とても危険なヤツといるんですよ。殺されるかもしれないんですよ!」
真二の言葉に綾乃は黙ったまま答えなかった。
真二は自分の耳を疑った。目の前が暗くなるのを感じた。自分の愛する人が自分の助けを断ったのだ。その現実に気が遠くなりそうになる。
「真二君!」
その叫び声で真二は遠くにいってしまいそうな意識を取り戻した。走ってきたのは芳江だった。困り果てていた真二の横まで来てピタリと止まる。
「どうしたの?」
立ち尽くす真二に疑問の言葉を投げかける。その問いに真二は助手席を指差しながら、
「あ、いえ・・・お嬢様がここに・・・・」
ゆっくりと、自分も確認するかのように答えた。
助手席に蹲る綾乃を見た芳江は、顔が安心の表情を見せて目には涙を浮かばしていた。
「お嬢様、お嬢様・・・・。本当に、よかった・・・・」
その場に泣き崩れる芳江。しかし、真二は立ち尽くしたまま動かなかった。
「芳江さん・・・・」
芳江に先ほど綾乃が示した意思を伝える。安堵の表情だった芳江の顔が、すぐに固いものへと変貌した。
「そんな・・・」
予想もしていなかった綾乃の言葉に、芳江も真二と同じく動揺した。
「お、お嬢様、自分が何を言っているんですか?」
綾乃に問いかける芳江。
「ええ、私・・・行きません」
「お嬢様!」
真二が声を上げる。それを制し、芳江は綾乃の手を握った。
「お嬢様、本気なんですか?」
綾乃は芳江の問いに、こくりと肯く。
「お嬢様が今一緒に居る人はとても危険な人なのですよ。お嬢様を殺そうとしているかもしれない人なんですよ。それでもここに残ると?」
もう一度、綾乃は首を縦に動かし肯いた。
「馬鹿げてる!」
真二は声を荒げた。
「お嬢様、ご自身を誘拐したような奴と一緒にいたいなんて・・・どうかしてます!」
「私・・・」
小さな声で言う綾乃。
「私はあの人と、あの人と一緒にいたいんです・・・」
小さな声、ほんの少しの騒音で消えてしまいそうなほどの、本当に小さな声だった。だが、綾乃はその言葉に自分の抱いている気持ちを精一杯込めようとしていた。
『自分を殺そうとしている男と一緒にいたい』
普通じゃない。異常なことなのかもしれない。しかし、その気持ちに嘘をつきたくなかった。
「あの人は、一也さんは本当は優しい人なんです。食事だって作ってくれますし、警察に見つかってしまうかもしれないのに、怖い人に襲われるかもしれないのに、あの人は私のわがままを聞いて外に連れ出してくれました。・・・・・私、怖くなんてありません。あの人は本当に優しい人なんです。だから、だから・・・一緒にいたいんです・・・・」
綾乃は泣いていた。涙を流し泣くじゃくるその姿は、本物の子供のように彼女を幼くし見せていた。
「お嬢様・・・・」
言葉に詰まる芳江。綾乃の言葉と様子に戸惑っているのだ。その隣りで、真二は身体を震わしていた。言葉にならない感情が次々と浮かび上がっては消えることなく心を埋め尽くす。
「真二君」
隣で身体を震わす真二を見て、芳江はそっと肩に手をのせた。
「お嬢様は動かないわ」
「芳江さん!」
「信じましょう。きっと大丈夫よ」
「そんなこと・・・・俺には、そんなこと出来ません!」
そう叫び、真二は芳江の手を払い、綾乃の手を掴み力一杯引っ張った。
ビルから出た一也は足取り重く、未だパニック状態の残る街中をゆっくりと歩いていた。時折、走り抜ける人と肩がぶつかったりもしたが一也は気にしなかった。いや、気が付かなくなっていた。
一也は自問自答を繰り返していた。
俺は弱くなったのか?
――そうだ。弱くなっちまったんだ。
どうして?俺は強いはずだろ?
――強かったさ。でも弱くなった。
何故だ?何故なんだ?
――女さ。
『女』?
――あの女だ。あの女が俺を弱くしたんだ。
でも、俺には殺せない。
――どうして?お前は強いんだろ?
ああ、俺は強い。
――なら殺せ。あの女に向かって引き金を引け。そうすれば・・・・。
そうすれば?
――お前は強くなれる。
自問自答、それはもう一人の自分との会話。一也は胸の奥に住む『もう一人の完璧な自分』との会話に集中していた。答えは出ていた。否、その答えは初めからわかっていることだった。
車に戻ったら乗車して移動、目立たぬ場所まで行き綾乃を殺す。哲に報告して、自分は元の生活に戻るのだ。標的を、男も女も老人も子供ですら殺すことの出来る強い自分に・・・・。
俯いた顔を上げ、一也は車の止めてある場所へと急いだ。
車まで戻ると、一也はその光景を目にして足を止めた。
目に映る光景、それは綾乃が今にも見知らぬ男に車から引き摺り下ろされそうになってりるところだった。
それを見た一也は銃を取り出し、全力で走り出した。
何も考えられなかった。
気が付けば綾乃の手を掴んでいた男を蹴り飛ばし、倒れた男の頭に銃口を向けて引き金に指をかけていた。
「うわぁ!」
「ぶっ殺してやる」
そう言葉を口にするも、ちゃんと発声されていたかもわからなかった。一也は引き金にかけてある指に力を込めようとした。その瞬間、
「やめて!」
綾乃の声が耳に届いき、一也は我に帰った。
目の前に倒れている男は震えながら頭を手で覆っていた。
「その人達は、関係ありません!」
綾乃は必死だった。歩み寄った一也の足に泣きながらしがみ付き、声を上げて訴えていた。
「一也さん、お願いです・・・。お願いだからこの二人は・・・・」
一也はそんな綾乃の表情を見て、指の力を抜いた。胸に痛みが走った。泣いている綾乃を見て、その光すら映りこまない瞳から大粒の涙を流す様を見て、一也は確かな痛みを感じたのだった。
「いくぞ」
短くそう言って綾乃の手を掴み立たせる。
「お嬢様!」
男に寄り添う女が言葉を震わせながら言った。
「芳江さん・・・」
芳江が倒れている真二から離れ、綾乃の手を掴もうとする。しかし、一也がすばやく二人の間に入って銃を芳江の胸に押し付けた。
「離れろ」
「一也さん!」
芳江は綾乃の手を取ることなく、その場から数歩後ろに下がった。銃口は未だその胸に向けられたまま動かない。
「お嬢様、私はお嬢様の味方です。旦那様でも、その方の味方でもありません。ですが、お嬢様がその方と一緒に居たいと言うのでしたら、止めません。私は止めません」
しっかりと立ち、向けられた銃口にも恐れずに、芳江は綾乃に告げた。
一也は芳江の言葉が終わると、無言で綾乃を車に乗せ自分も運転席へと乗り込んだ。
運転席に座り、一也はエンジンをかけ強くアクセルを踏み込んだ。車は勢い良く走り去り、その場から離れていった。
「お嬢様・・・・」
意を決して綾乃を見送った芳江は倒れたまま動かない真二の元へと歩み寄った。
「真二君、大丈夫?」
そう言葉をかけるも返事はなかった。
そうだろ。自分の好きな女の子を連れて行かれたのだ。いや、形はどうあれ綾乃自身が助けを拒んだのだ。真二にとっては心が砕かれる思いであろう。
心配そうに見つめる芳江に真二はポツリ、ポツリと尋ね始めた。
「芳江さん・・・・」
「どうしたの?」
「お嬢様は・・・・。綾乃お嬢様は・・・・どこへ?」
「あの男の人と一緒に、車で行ってしまったわ」
「そんな・・・」
呆然とした表情で真二は倒れたまま、動くこうとしなかった。
一也と綾乃、二人を乗せた車の中は静まり返っていた。
お互い言葉を口にせず、一也は黙々と車を走らせ、綾乃は俯いたまま未だ泣いているようだった。
車は高速に乗りさらにスピードを加速していく。一也はさらにアクセルを踏みスピードを上げた。車がいかにスピードを上げて他の車を追い越していっても、二人の間に出来た静寂を置き去りにすることは出来なかった。
隠れ家に到着し、プレハブ小屋に着くまで二人は一言も喋らなかった。一也はベットのある奥の部屋に綾乃を連れて行き、綾乃をベットに座らせ、自分は椅子に腰を降ろした。
数時間、時は過ぎて昼間に太陽は沈み、月明かりが照らす夜まで、二人はその場を動かなかった。
月明かりが差し込む廃屋で、二人の静寂は続ていった。
ホテルの一室。金子は高層階から見渡せる夜景を見ながら、酒を一口飲んで一人微笑んでいた。
金子は思い出していた。その頭の中で何でも、遠野一也が自分に見せた表情を。おどっろき、強がり、そして弱さを見せた表情を思い出しては何とも言えぬ満足感を口元に浮かべていた。
テーブルの上に置いたケイタイが着信を知らせるために電子音でメロディを奏でた。金子はケイタイを手に取り通話ボタンを押して耳へ運んだ。
『また失敗したのか』
「怒るなよ。次は確実に仕留めるさ」
声の主はあの依頼人だった。
『これで二度目だ。お前それでもプロか?』
「おいおいおい、いくら依頼人だからって今のは調子に乗りすぎだよ。それとも、僕に殺されたいの?」
しばしの沈黙。
『・・・・次はないぞ』
「もちろんさ。次は必ず殺すよ。それと、あんたが遠野一也に固執する理由なんだけど、僕、わかっちゃったかもね」
金子がいたずらな口調でそう言うと電話の向こうの依頼人は一方的に電話を切った。
「あぁあ、怒らせちゃった」
金子はそう呟きながら、再び夜景の街に目を落としたのだった。
「―――そう、わかったわ。ええ、約束するわ」
ベットに寝そべりながら、美加はケイタイ片手にそう言って答えた。その隣で、虎二が美加の会話にじっと耳を傾けていた。
「住所、わかったわよ」
通話を終えた美加が虎二に顔を向けて言った。その表情はどこか楽しそうでもある。
「よし。よくやった」
虎二も満足そうな笑みを浮かべている。
「でも、約束守ってよね」
「その事か・・・・、どうしてもダメか?」
「絶対ダメ。守ってくれないと私が殺されるかもしれないんだからね」
そう言って美加は未だに納得していない虎二に釘を刺した。
突然美加のケイタイに電話してきた謎の人物。その人物が『殺し屋・遠野一也』の居所を条件付で教えてくれるというのだ。そして、その条件とは『こちらが指定する日時まで絶対に動くな』というものだった。
当然、虎二は反対した。
得体の知れぬ人物からの情報提供。それだけでも怪しいというのに、『指定時間まで動くな』という条件・・・。今すぐにでも敵を討ちたい虎二としては歯痒いばかりであった。しかし、その情報が確かならばそれはとても魅力的な話でもあった。
考えに耽る虎二を横に、美加はケイタイをバックに戻して毛布をかぶった。
「おいおい。もう寝るのか?」
「あら、不満なの?」
「そりゃあ、横に女が寝てるのに何もさしてくれねぇとなりゃ不満だろうよ」
虎二が毛布の中から美加の腰へと手を回す。
「ふふ、この獣ヤクザ」
「何とでも言いやがれ!」
二人の体が重なる・・・・。その時だった。
「兄貴!」
二人の甘い不陰気を完璧に叩き壊して、根塚が部屋へと飛び込んできた。だが、そのことに気づいて本人の顔面が一気に青ざめる。
「根塚・・・てめぇはノックの一つもできねぇのか!」
虎二の罵声が飛ぶ。
「す、すんません!」
「全く、バカ野郎が。で、何の用だ?」
身体を起こして虎二が言った。
「へい。その写真の男なんですが・・・・。組員総出で探してるんですが、全然見つからないんです」
弱弱しく、そしてビクついた声で根塚が報告した。
虎二はその報告を受けて頭を抱えたくなった。まさかここまで見つからないとは・・・・。そして、決断した。
「おい美加」
「なぁに?」
「さっきの条件を飲んでやる。その変えわりその電話の相手に言っとけ・・・・」
「なんてよ?」
「『条件は飲んでやる。だが、やつの始末は俺が必ずつけてやる。邪魔をするな』って言いな」
先ほどの甘い声とは正反対の、冷たく殺意で満ちた声で虎二はそう告げた。
「わかったわ」
「よし。・・・・おい、根塚」
「は、はい!」
「今、外に出払ってる組員の連中を集めて来い」
「へい!他に必要なものとかは?」
根塚の質問に虎二は「奴の墓でも用意しとけ」と、口元をニヤリと歪ませたのだった。
次回更新は19日です。