10 交差する想い
どうしてだ?
一也は自問自答を繰り返した。『どうして撃てない?』のだと・・・・・。
拳銃の狙いは依然として標的である春日崎綾乃の額に定められたまま動いていない。引き金を引けば間違いなく仕留められる状態なのだ。しかし、一也は引き金を引くことが出来ぬままそこにいた。同情されて躊躇っているのかと思いもしたが、一也は自分に限ってそんな間抜けなことはないと頭で言って聞かした。
この女を殺せば全てが丸く収まるじゃないか。なのに、どうして俺はこの指に力を入れることが出来ないんだ?
いったいどれくらいの時間が経過したのだろう。十分・・・・二十分・・・・、実際は五分と経っていないのかもしれない。しかし、一也と綾乃は途方もない時間をそこで過ごしていたかのように感じていた。
「・・・・・あの」
「動くな!」
綾乃の言葉に一也は慌てて制止の命令を言い放った。
「動くな!黙って大人しくしてろ!」
その命令に綾乃は応えて再び黙った。しかし、いくら静かになっても一也の自分への動揺は大きくなっていくばかりであった。頭の中で哲から言われた言葉が蘇ってくる『何も考えるな。これが仕事なんだ』と。一也は同じ言葉を自分の中に言い聞かした。これが仕事なんだと、仕方がないことなんだと、しかし、そんな脳の命令を無視するかのように指は一向に引き金を引こうとしない。
「本当にその女が撃てないんだねぇ、葬儀屋さん」
その声は一也の背後からいきなり飛び出した。
「誰だ!」
声に反応して一也は背後へと振り向き拳銃を構えた。開かれた扉を背に立っていたのは一人の男だった。
「あらあら、反応も鈍いし今の一言で動揺もしてる。こりゃぁ本当にダメダメだね」
今時の若者といった金髪の頭に使用人が着ているタキシードを着込んだその男は、一也の様子を見てはふざけた口調で言った。
「質問に答えろ」
「質問?・・・・ひゃはっ、そんなこと聞くだけ無駄ってもんだろ」
「答えろ!」
一也は拳銃を構えたまま男へ一歩近づいた。
「うひゃひゃひゃ・・・・。いい加減気づいてくれよなぁ。俺は君と同じなのよ、同業者ってやつだよ」
男はそう言い放つと同時に右腕を前に出し、袖口から飛び出した小型の拳銃の銃口を一也に向けた。この一瞬で二人は銃口を互いに向け合った状態へと縺れ込んだ。
「ほらね、やっぱり鈍くなってる」
「・・・・・」
そのやり取りを後ろで聞いていた綾乃が状況を飲み込もうと声を上げる。
「いったいどうしたというのですか?」
「これは失礼しましたお姫様。同業者としてこの方に質問してるんですよ、『どうしてあなたを殺さないのか?』ってね」
「そんなこと・・・・・」
「思い出した。お前、金子雄介だろ?」
一也が落ち着き払った声で言った。
「嬉しいね、覚えててくれたんだ」
金子と呼ばれた男は薄笑いを浮けべて言った。
「ああ、同業者としては忘れたくても忘れられない名前だからな」
そう言って一也は踏み出した一歩を後ろに引いて間を取った。
「逃げるの?てか、逃げられると思ってるの?」
「もちろんだ・・・・」
二人が三秒にも満たない時間を沈黙で過ごした。そして次の瞬間、一也は金子に向かって二発の銃弾を放ち後ろで立っていた綾乃を抱え部屋の奥へと避難した。
金子は壁に隠れて銃弾をやり過ごし、拳銃を小型のものから標準サイズのリボルバーに持ち替えて奥の部屋に向かって一度発砲した。消音機が付いてないので銃声はかなりのものだ。
奥の部屋に隠れた一也は綾乃に「この部屋の出口は他にないのか?」と尋ねていた。
「で、出口はあの入ってきたところだけです」銃声に身を強張らせながらも綾乃が答える。
綾乃の答えに一也は短く舌打ちした。
「あの、先ほどあの人が同業者だって・・・・・きゃっ!」
鳴り止まぬ銃声に綾乃は短く悲鳴を上げた。
「しゃがんでろ」
「は、はい」
金子は奥の部屋に向かって二人に出てくるよう言い放つ。
「どうせ出口はここの一箇所なんでだから、さっさと出てこようよ」
その言葉に一也は軽く舌打ちをした。この状態は相手にかなり有利だと考えたからである。そして、瞬時に残りの銃弾を数えて自分の戦力を確かめると同時に、相手の戦力も計算していた。
5・・・6・・・7・・・。残り七発。
「おい、本当にあそこ以外に外へ通じる部屋はないのか?」
「それは・・・・」
金子が何発も撃ってくるのに一也は二発の銃弾を放ち応戦しながら答えを待った。
「窓なら鍵がかかっていますが、先ほどの部屋にあると思います」
それを聞いた一也はまた黙って綾乃の手をつかみ立たせたので、綾乃は再び短い悲鳴をあげた。
「ちょっと、あの、ここは二階なんですよ。まさか飛び降りるのですか?」
「そのまさかだ。・・・・・・今だ、来い!」
向こうの銃声が止むやいなや、一也は銃を打ちながら綾乃の手を引き勢い良く飛び出した。金子も一也の攻撃を壁越しにかわしながらも二人の狙いに気づき、そうはさせまいと応戦する。
窓を見た一也は三回窓に向かって引き金を引き、拳銃を持った手ですばやくガラスを叩き割る。その音を聞いた綾乃は体をビクつかせながらも一也の手をしっかりと握って離さなかった。
「そうはさせねぇ!」
金子が銃を向けて叫ぶ。
「弾切れだ」
一也が一言そう言って綾乃を抱え上げ、二人は叩き割られ開かれた窓から飛び降りた。
「俺の発砲回数と装填音を数えているとは・・・・・・流石だねぇ」
金子は空になったリボルバーを見つめそう呟いた。
鈍い音と共に一也は地面へと着地した。いかに地面がコンクリートではないからといって、人一人を抱いて降りた衝撃は小さいものではなかった。
「おい、離れろ。もういい」一也は自分の体にしっかりと捕まって離れない綾乃に言った。
「もう大丈夫ですか?」
「ああ」
綾乃はその言葉を聞いてやっとの思いで一也から離れ、地面へと足を下ろした。
「あ、あの・・・・ありがとうございました」
「・・・・・勘違いするな、俺は自分を守るためにやったんだ。お前を連れてきたのはあの場に残して何か言われるのを防止するために過ぎない」
「そうなんですか・・・・」
「わかったら黙ってついて来い」
再び綾乃は一也に手を引かれ歩き出した。
車内は異様な冷たさに包まれていた・・・・。
車は張り込みのためエンジンはかけたままヘッドライトが消された状態だった。もちろん暖房も点けている。しかしその寒さは違う所から来ていることを根塚はわかっていた。根塚が感じている寒気、それは今はいない虎二から感じているものだということを・・・・・。
虎二は爆弾と同じだった。わずかな刺激を与えればすぐさま爆発するとても危険な爆弾、根塚は外で電話している虎二を見てそう思った。『見て』といってもそれは数十分も前のことで、今は見ないでもその危険な状態を肌で感じ取れるまでになっていた。
そんな状態になったのも全ては夕方、道を尋ねてきた男を根塚は普通のサラリーマンだと思って追い返したこと・・・・・全ては根塚の失敗から始まったのであった。
勘の鋭い虎二はその話を聞いた途端、自分の求めていた獲物だと感づき飛び出したくらいだったのだ。
「これ以上失敗したら、奴を見つける前に俺がころされそうだぜ・・・・・」
根塚は泣き出しそうな声でそう呟いた。
気を紛らわそうと根塚は煙草に火をつけた。吐き出す白い煙が車内を充満することなく消えていく。
虎二の兄貴にとって、いや、組にとって俺はこの煙や煙草と同じ『使い捨て』なのだろう・・・・。根塚は手に持った煙草を見つめて考えた。
所詮、組の下っ端である根塚は使い捨ての駒と考えることはある種当然のことである。しかし、根塚はそんな自分自身を惨めなものに感じて仕方がなかった。もともと気が小さかった自分にこの世界は合っていないのではないかと考え出してもおかしくない。
根塚は煙草を灰皿に押し付けて消した。
「出てきてくれよ・・・・・。頼むから・・・・・」
車のフロントガラスから街灯が照らす薄暗い夜道にじっと目を凝らした。
「んぁ?」
薄暗い夜道、その夜道を走っていく人影が突然目に入ってきた。普通なら見過ごす根塚だったが、目に映ったその人影は記憶と重なるものがあったからだ。
小柄の女の手を引いていく男。
「奴だ!」
根塚はすぐさま虎二のケイタイに連絡するも、話中を知らせる機械音が鳴るばかりで一向に出てこない。しかし、ここで見逃してなるものかと意気込む根塚は、ライトを消したまま人影に向けて車を発進させた。
「死んでたまるか・・・・・」
根塚はジャンパーのポケットの中からインスタントカメラを取り出してフラッシュをたいた。通り過ぎざまに顔を撮ってやろうという作戦だ。
徐々に目標の人影との距離が縮まっていく。距離が縮まっていくとともに相手の顔が見えていく。根塚はその顔を見て確信を得た、間違いないと。
「もう少し・・・・もう少しだ」
車が二人の横へと差し掛かる。根塚は首を横に向けカメラを覗き込む、そこには二人の顔が見事に映りこんでいた。
「今だ!」
根塚はすぐさまシャッターを押し込み、この決定的瞬間をフィルムの中へと収めた。そして逃げ出すようにアクセルを踏んでその場を走り去った。
「やった・・・・やったぞ・・・・」
根塚は大仕事をやり終えた後のように、車内でガッツポーズを決めたのだった。
綾乃は一也に手を引かれるまま、どこに向かって歩いているのかもわからず歩き続けた。どこへ行くのかと尋ねたいのは山々だが、一也から『黙ってろ』と命令されているので迂闊に話しかけることも出来ない。しかし、綾乃は不安ではなかった。『どこへ行くのか?』と尋ねたいのは確かにあるのだが、今自分の手を握っている男に、恐怖という感情は抱いていなかった。
どこへ行こうとこの人がいれば・・・・・。綾乃はそう思っていた。
「おい」
「は、はい」
「今・・・・いや、何でもない」
一也は一度言いかけたが、綾乃が盲目であることを思い出しその言葉を飲み込んだ。言いかけたこと、それは今しがた通り過ぎていった車のことだった。確信はなかったが、夜だというのに車のライトが点灯していなかったこと、一瞬何かが光ったのではないかと思ったこと、それを綾乃に聞こうと思ったのである。しかし、それは綾乃に聞けなかったと同時に記憶の片隅へと追いやられていった。
しばらく歩き、二人は一也が止めておいた車へとたどり着いた。
「ここから車で移動する。さぁ、乗るんだ」そう言って一也は運転席へと乗り込んだ。
「あの・・・・」
「?」
「私、車一人じゃ乗れなくて・・・・助手席に案内してくれませんか?」と、綾乃が申し訳なさそうにお願いした。
「ああ、そうだったな」
一也は再び綾乃が盲目だということを忘れていた。なんとか無事に綾乃を助手席へと乗せて、車は夜の街道を走り出した。
「俺が運転してるからといって変な考えを起こすなよ。もしそんなことしたら――」
「わかっています。黙ってこの場でじっとしています」
「わかってればいい」
一也はここからどこへ行こうかと考えた。さすがに綾乃を連れたまま良助の待つ自宅へと帰る気に離れなかった。それにあの金子雄介のこともある。
「あそこに行ったほうが安全か・・・・」
そう呟き、これから向かう場所への道を思い出す。都内ではあるが、一也は一つ緊急用の『隠れ家』を持っている。
あそこならこの女がいてもしばらくは安全だろう。
そう考え、一也は綾乃に目を向けた。
「・・・・・のん気なもんだ」
助手席で静かに眠っている綾乃を見て、一也はそう呟いたのだった・・・・・。