1 黒の男(1)
十二月・・・、寒く冷たい風が通り過ぎては消えていく冬の季節。クリスマスが近いこのシーズン、都会の夜は光で満たされていた。道沿いに所狭しと並ぶ多くの店、街灯・・・それらの放つ明かりが、闇に包まれるはずの街を光が昼間のように明るく輝かしていた。
そんな街の中を一台の車が走っていく。
その黒いまるで鏡のような車体は、映し出その街をより一層妖しく、きらびやかに映し出していた。車はその光から逃げているかのように目的の場所へと走っていった・・・。車の進む先、そこには周りの建物より頭一つ飛び出した大きな建物が姿を現した。その大きさゆえ、まるでその建物がこの街の『城』のように見える。
建物―《ホテルP》の数メートル手前で車はスピードを落として停まった。車の中から男が一人、ゆっくりと降りてはその姿を現した。
その男はまるで影から生まれたかのようだった。
黒の背広に黒のズボン、靴も黒なら羽織っているロングのコートも黒。唯一の違いといえば首に巻いた真っ赤なネクタイがそれにあたる。
黒の男は袖をまくり、腕時計に目を向けた。時計の針はちょうど夜の十時を指していた。男は顔を上げ、歩き出した。その方向には前にある『ホテルP』に向かっていた。
入口の前には今しがた到着したのか、数台のバスが停まっており大勢の客が冷たい北風から逃れようとホテルの中へと入っていく。それを確認した男は、その大勢の客と共にホテルのロビーへと入っていった。
他の客が受付のカウンターへと歩いて行くなか、男は一人足を止めることなく進んでいってはエレベーターのボタンに手をかける。エレベーターの扉はすぐに開き、中へ乗り込むと扉を閉めて一人上へと上がっていく。
動き出した箱の中、男は着ている黒のコートの内ポケットから黒く光る拳銃を取り出した。その銃は不気味で、鈍い光を放っていた。別のポケットから同じ黒色の筒を取り出しては銃の先端に装着させる。
男はその銃を再びコートの中にしまってから深く深呼吸をした。その目には銃同様不気味に光る何かがあった。
ポーン!
目的の階層への到着を知らせる音がすると同時に、目の前の扉が左右に勢い良く開いていく。その先には鮮やかな赤い絨毯が一直線に引いてあった。
その赤絨毯の上を男は足音一つ立てずに進んでいく。
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そう札が付いているドアの前で足を止め、銃を取り出しノックする。
その扉の奥から出てきたのは中年の男、部屋の明かりは消えていて暗くなっていた。
「誰だあんたは?ボーイなど呼んだ覚えはないぞ」
「ねぇ、誰か来たの?」
奥のほうから女の声が男を呼ぶ。どうやらお楽しみの最中だったらしい。
「あんたが武藤さんかい?」
黒の男が低い声でそう尋ねる。
「そうだが。何か俺に用――」
言葉が途切れ、武藤と呼ばれた中年の男はその場に音もなく倒れ込んだ。
黒の男はもう命の無い武藤の体を部屋に入れてドアを閉め、部屋の奥へと進んでいった。
「何今の音?どうかしたの?」
ベットで横になっている女が言う。もう返事は返ってこないことなど知るよしもなく、命なき男の返事を待っている。
「ねぇ・・・聞いてるの?」
そう言って部屋の入口へと顔を上げ、向けた。そこにはさっきまで夜を共にした武藤の姿はどこにも無かった。黒を纏った男が一人、銃を自分に向けている姿が見えただけであった。考えることも、抵抗することも、悲鳴を上げることさえできなかった。女の命は次の瞬間、武藤同様もう消えていたのだから・・・・。
遠野一也は目を覚ました。・・・いや、目を開けただけと言ったほうがいいだろう。眠ってなどいない、ただ両瞼を閉じていただけなのだ。それで『覚めた』などと言う表現は間違っているだろう。
座っていた椅子から腰を上げ、窓に架けてあるカーテンを開ける。すると窓の外から太陽の光が部屋全体に広がっていく。
「―――朝か・・・・」
一也はクローゼットから、白のYシャツ・茶色のスーツとズボン・黄色のネクタイを取り出し着替え始める。ネクタイもしっかり首に巻いて机にある眼鏡をかけて部屋を出た。
階段を下りて一階へ、台所のテーブルに買い置きしておいた食パンを一枚掴みトーストにセットする。
一也は置いてある新聞に手を伸ばして広げては目を通す。数ある記事の中、一つの記事が一也の目に止まった。
《ホテルPで殺人。官僚の武藤仁志・愛人と共に殺される。》
焼きあがったパンにバターを塗りながら一也はその記事を眼で追った。
「何か面白いニュースでも見つけたか?」
後ろから声をかけてきたのは叔父の良助である。
「今日は早いんだね。まだ七時なのに・・・」
「年をとると朝が早いんじゃよ」
今年で七十三、その言葉はまだハッキリとしておりまだまだ呆けてはいない。
良助は椅子にゆっくりと腰を下ろして座り、
「わしは白いご飯が食べていんじゃが・・・・米はどうしたんじゃ?」
などと聞いてくる。
「今日は食パンだよ。昨日帰りが遅くて、それに疲れてたし・・・炊飯器のスイッチ押さないで眠っちゃったんだ」
一也は叔父にそう言って向けた視線を再び新聞へと戻した。
その答えに当の叔父は怒りの形相で、
「この大馬鹿者が!お前って彼奴は米のありがたさが全くわかっとらん!」
と熱弁。一気に説教へ突入!・・・・・・する前に一也は早々と台所から逃げ出した。
台所を出た一也は居間へと入っていき、前に置いてある仏壇に正座をしたまま合掌し目を閉じる。
数秒後何も言わずに立ち上がり玄関へと歩き出した。
「今日も仕事か?」
送りに来た良助が玄関で靴を履き、コート片手に立ち上がる一也にそう言った。
「そうだよ。じいちゃん忘れたの?一般社会人の休みは週末だけだよ。今日は夕食までには帰るから・・・・・」
「そうか。汗水流して頑張ってこいよぉ!」
大きな声で良助は孫の一也を送り出した。
「サラリーマンは汗なんて流さないんだけどな・・・」
外は雲一つない晴天に恵まれていた。しかし、そんな空の明るさとは裏腹に、体中に突き刺さるような北風が容赦なく吹き付けてくる。
駅に行くまでの道はいつも決まっていて、今日もその道で行く。何一つ変わらない、いつもと同じ道。駅までもう少しというところ、そこで一つの変化があった。
「へぇ、こんなのいつの間に出来たんだ?」
思わず小声で言ってしまった。そこには見事に出来上がった『女性の為だけ』と言っても過言ではないぐらいの《洋菓子専門店》――つまりケーキ屋があったのだ。ここが都会の真ん中ならば気にもならないのだろう、だが今立っているこの場所は都会から離れ、寂れた駅の前。何もこんな所に・・・と、思ってしまう。
別に一也は特別甘い物が好きというわけではないので、止まっていた足はすぐに動き出した。駅のホームで一也は、
「そういえば、最近ケーキなんて食べてないな・・・」
などと思い出していた。
駅に着き電車に乗って会社のある三番目の駅で降りる。
高層ビルの間、それぞれの会社へ向かって人々が歩いていく。そんな集団の中に紛れ、一也も自分の会社へと向かっていった。
何の変哲もない広告会社に一也は平の社員として勤めている。
会社の規模は小さいほうが一也には都合がよかった。大きい会社はいろいろと面倒なのだ。
しばらくの間歩いていると、周りの建物より少しばかり『くたびれた』感じの《(株)タイル広告》がその姿を現した。
『くたびれた』と言っても地上七階建て、正面玄関には自動ドアがついており、エレベーター搭載というまだまだ現役(?)の建物だ。
その自慢の正面玄関から中へと入るとエレベーターの扉の前で一人の女性が立っている。向こうもこちらに気づいたらしく、
「あ、遠野君じゃない、おっはよう!」
と、元気一杯に挨拶をしてきた。
「おはようございます」
エレベータの前に立っていた女性――近藤美加は一也と同期にあたる数少ない社員で、同じ部署で働く同僚である。
「今日も早いのね」
「そんなことないですよ。近藤さんも早いじゃないですか」
「そうかしら?でも、私って朝には強いのよね。それにこの会社の人達ってみんな朝弱いのよ。だから、早く見えるだけ」
「そうなんですか?」
「そうよ。しかし相変わらず地味なスーツ着てるのね。もう少しおしゃれしたら?」
二人が話していると待っていたエレベーターの箱が到着し、待っていた数人の社員と共に中へと乗り込む。
近藤美加が言った通り(?)、朝のエレベーターは空いており窮屈な思いはせずにすんだ。
『地味』・・・・社内では一也にそう言う人は少なくない。一也もその言葉が気にならないわけではない。しかしここではそれでいいのだ。
ビルの中を上がっていく箱の中、美加が何か言いたいのか一也の腕の辺りを肘でつっついてきた。そのことに気づいて顔を向けてみると、美加が小声で話しかけてきた。
「ねぇねぇ、この前頼んどいた見積書なんだけど・・・・どうなった?」
美加が覗き込むように一也の顔を見て尋ねてきた。
「ああ、その件でしたら僕がやっときましたよ」
「本当に?助かったわぁ。またあのタコ部長にお説教されるかと思ったわ」
一也の返事に美加は安堵の表情でそう言った。が、もちろん小声でしゃべっている。
エレベーターが自分たちの階に到着し、二人は廊下を進み《営業部》と書かれている扉を開けた。
「おっはよぉうございまぁす!」
室内へと進みながら、美加が元気一杯としか言いようのない挨拶をして入っていく。
「おはよう美加ちゃん。今日も元気だね」
「はい!」
室内には三人ほどがすでに席について仕事をしていたり、朝の朝刊を読んだりしていた。部屋の一番奥の机に小太りで頭が少しハゲかかっている男が品定めをするような目つきで座っている―――タコ・・・・いやいや、部長の内山である。
入社して数十年の古株であり、かなりの『頑固者』という話は社内では有名である。しかし、会社からはその『頑固さ』が『融通の利かない奴』とあっさり切られ、数十年勤めて、未だこの地位に居座ったまま動くことはない。そんな頑固者から近藤美加へ、さっそくお呼びがかかる。
「近藤君」
「はい、部長。なんでしょうか?」
事務的な言い方で美加が返事をする。ようするに美加はこの内山が嫌いなのだ。そして、内山は美加のことが気に入らないのである。
「この前の見積もりの件だが・・・・・」
美加はその言葉を待っていたかのように、余裕顔で自分の机の上から一也がやっといた見積もり書を持って提出した。
「これでよろしいでしょうか?」
「え?・・・ああ、そうだよ、これだよこれ。やれば出来るじゃないか。これからも頼んだよ」
そう言う内山は驚きの表情を隠せない。
「ありがとうございます」
美加はそう言って、勝ち誇りながら自分の席へ戻っては隣の席では仕事をしている一也にウインクをした。それを見た一也は何も言わず、目の前で起動しているパソコンに目を戻し仕事に集中したのだった。