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3階の高さから落ちたエリオットの身体はなんの傷もなく、着地に成功していた。
それは生まれつきの身体能力の賜物と軽く人並みはずれた才能があるゆえだが、それよりもまずエリオットは身を隠すために安全な場所へ走った。
途中、いる筈の警備隊の姿が見えない。連中に取り込まれたか、若しくは既に命がないか・・・。
外はパラパラと雨が降っていた。
エリオットが向かったのはフレーメルの建物の正面だった。本来ならそのまま敷地を抜け出すことも建物内に逃げ込むことも出来るが、相手の素性が分からない以上下手にフレーメル内を荒らされるわけにも、身一つで外に出て自分を危険にさらすわけにもいかない。
そこならば身を隠すところこそあれ、目立とうと思えば一番目立つ場所でもある。エリオットは其処の一角にある倉庫裏に身を隠した。
まずトラルフでフレーメル内部に警告を出す。それからまたエリオットは周囲に警戒を張り巡らせた。
暫くそこで息を潜めていると、ばたばたと騒がしい足音が聞こえてきた。
「チッあの餓鬼、何処行きやがった」
不穏な言葉が近くで聞こえる。さて、どうするか。多勢に無勢。いくらエリオットでも分が悪い。
細い道に誘い込んで応戦する手もあるが、そうなると万が一の場合状況はさらに悪くなる。
応援が直ぐに来ればいいが。
エリオットは溜息をついた。
焦りはない。どうにかできる自信はある。ただ、どう処理するのが一番理想的か。其処が迷うところだ。
「何をしてる」
不意に聞いたことのあるような声が耳に入った。
「何のことでしょう」
リーの猫を被った声が聞こえる。
「明らかにフレーメルの者じゃないとお見受けするが」
突然現れた男はどうやら連中と対峙しているらしい。
「フレーメルの者ですが・・・第3部隊連隊副長リー・ステルです。あの・・・失礼ですが、貴方こそフレーメルの人間ではないですよね?」
「リー・ステル。先ほど副長から警告が出された。『リー・ステル率いる一味が謀反を起こした。警戒せよ』とな。おとなしくお縄に着くんだな」
男は全くリーの言葉を無視し、言い放った。
その自信。無謀にも近い。
「邪魔をするなら斬って捨てるまで」
その声と同時に人の動く気配と殺気を感じた。
嗚呼面倒なことになったとエリオットは思った。
一対一、若しくはフレーメルの援護が来た後ならともかく、素性の知れない妙な男が割って入ってくるとは。
エリオットは仕方なく物陰から姿を現した。
その途端男とリーが剣を交えた。
では、そのほかの害虫退治でもするか。
エリオットは剣を抜かないまま偽騎士達に向かっていった。
1人目の男は剣を構えた。エリオットは体勢低く、剣を振ろうとしたその足を払った。そして男が倒れる前に後頭部へハイキックが決まる。
エリオットの背後から別の男が襲いかかろうとするが、蹴り上げた足を戻すと同時に回し蹴りがその男に炸裂する。
いとも簡単に伸びた男を前に残りの男達は少なからず萎縮したようだったが、それでも士気は下がらないようだった。
エリオットはまたふぅと溜息を吐いて男達を見た。
「諦めろ。お前達では僕に傷を付けることは出来ない」
「黙れえぇ!!」
男達は一対一がムリだと悟ったのか一斉にエリオットに襲ってきた。
馬鹿なことを。
エリオットは冷めた目でそちらを見、剣を抜いて地面に突き刺した。その瞬間、触れてもいない男達の身体がゆうに3メートルは吹き飛んだ。
弱い。弱すぎる。リーがこんな男たちを連れていることが信じられない。僕の見込み違いか、それともリーの気が狂ったか。
エリオットはそちらに視線を向けた。リーと素性の知れない男とが剣を交えているのが視界に入る。さすがに、リー自身は動きがいい。
リーは、エリオットと同じく騎士団の中でも珍しい武術制御装置使いだ。剣術の中にシクターで発動した術を織り交ぜている。
エリオットはその様子を傍観していた。
そして、考える。
いつも通り本調子の様子のリー。
それなのに、あの男はなんだ。リーと互角どころか押している…?
強い。
特別に動きが速いわけでも、パワーがあるわけでもなさそうだ。それなのに、リーが苦戦している。
戦い慣れている。巧いのだ。
シクターを使っている様子はないが、シクターの能力に対する反応が速い。次に発動される技が見切られている。
リーが得意とする風の能力の間を縫って男の剣が振るわれ、リーを追い詰めていく。轟々と鳴る風に力が衰えた様子はない。
それなのに。
激しい金属音が断続的に鳴り響く。
と、同時にリーの唸り声が上がった。そしてリーの剣筋がぶれ始めた。
不味い!!
「リー!!」エリオットは思わず叫んだ。
リーの体がビクンっと跳ねる。
そしてリーは剣を放し、体をゆらりと揺らして膝から崩れた。
カランっと剣が虚しく鳴った。
「何が…」
男は鳩が豆鉄砲喰らったみたいな顔をして棒立ちしていた。
無茶をする。リーがしようとしたのは、一歩間違えば自爆になる。
深いことは分からない。リーが何をおもったのか、何処に付いていたのか。それでも、目の前でリーが傷つけられるのを見たくはない。
お前がどうなろうと知らないさ。だが、命を投げ出すのは、違うだろう。
エリオットは足元で倒れているリーを見下ろした。
「で?お前は何だ」
「俺か?」
エリオットは男の方に向き直ったが、男は肩をすくめて笑った。
「わっかんねぇ?」
その声。
「まさか…」
男はニヤニヤと笑うと自分の髪を引っ張った。すると、髪はなんの抵抗もなくずるっと落ちた。
「ディドリー!?」
「おっす、エリオット。正義の味方参上ー」
落ちた髪から覗いたのは銀髪。口調も元の粗野なものに変わっている。
「なんでお前が」
「だぁから言ったしょ?大変なことが起こるって。その危機からエリオットを助けてやろうと思ったわけ」
意味が分からない。
「でよ、エリオット。お前一回俺んとこ避難しろ。お前、狙われてんだって。そいつもその一味だろうよ」
「なんでお前がそんなことを知っている」
「親方がよーそういうんだもん。俺ゃ詳しいことは知らねえよ。だけど、お前が危ないから迎えに行ってやれって五月蝿くてさぁー俺ゃお前なら平気だろっつったんだけど聞かねぇんだもんなー」
ディドリーは苦虫を噛んだように顔をしかめた。
親方か。そういえばディドリーのいるシクター工房のオヤジさんは随分情報通でなんか掴む度にお節介焼いていた。
彼なら確かにやりそうだ。
どうしようかと思案する。こいつの話が本当だという保障はない。そして、それが本当だとしても、エリオットが厄介になる理由にはならない。
だが、本音を言えば義理というものがある。オヤジさんには幼い頃から散々世話になってきた。
それこそ家族よりはよっぽど心を置ける相手だ。挨拶はしておきたいし、話が本当なら詳しく事情も聞いてみたい。
「いいから早くしろよ。俺ゃまた親方にどやされんのはやだぜ」
「…あぁ。厄介になろう」
少し戸惑ってから、エリオットは頷いた。
「おい、何処に連れて行く気だ」
「だぁから親方んとこ」
質が良く交通手段ほとんどの製造で知られる、件のMagunaHawks社製造の、派手にカラーリングされた家庭用飛行艦に乗せられたのが約30分前。飛行艦はオヤジさんの工房をゆうに過ぎて、ヘイケイの外れの上空を飛んでいる。
「いつ工房を移動した」
「2年前。工房も設備も、今のシクターには対応が難しいっつって尻を上げたんだよ。お陰でフレーメルに召集かかると糞面倒」
聞いていない。ディドリーならそれを利用して追加料金くらい請求しそうなものだが。
「お前、疑ってんだろ。俺があのごろつき共と同じじゃないかってな」
「リーと同じかは知らないが」
ディドリーはエリオットを見ると馬鹿にしたように鼻で笑った。
「ウチのシクター整備の腕は超一流。スパイだのなんだの対策で工房の場所は公表しないことにしたんだと」
「今日はやけに饒舌だな。何時もなら『知らねえ』で終わるくせに」
そう嫌味っぽく言ってやれば、ディドリーの曲がった笑みが小刻みに揺れる。
「やれやれ軍人は面倒だな。1から10まで疑ってかからなきゃなんねえなんてよ」
「性分だからな。相手が相手でもあることだ」
「ちげぇねぇな。ほら、ぐだぐだ言ってん間に付いたぞ」
ディドリーが顎で指した先は明らかに工房なんて物ではなく、要塞といった方が近い様子だった。
高い塀に囲まれていて中が全く見えないようになっている。
「おいっどこが工房だ」
「工房に行くなんて言ってねぇだろ。まあ、工房もそん中に入ってんけど」
そう言い合っているうちに目先に門が見えた。30メートルはあるかという巨大な門。ディドリーは段々と飛行艦を低空飛行にしていき、しかしスピードは落とさない。
そしてそのまま固く閉ざされた鉄格子のような門に突っ込んでいった。
「捕まってろー」
ディドリーはニヤニヤ顔のまま言った。
「おいっ」
あと10メートルのところでディドリーはアクセルのレバーを引く。
間一髪、ギリギリのところで門は招き入れるように開いた。
飛行艦は滑り込むようにその間をすり抜けて行った。
「ふざけるなよ?」
「びびんな、お子様!!」
そう言ってディドリーはケタケタと笑った。
それから暫くして、ディドリーは要塞の中央に立つビルのような建物の傍に飛行艦を停め、エリオットをビルに入るよう促した。
エリオットは当然抵抗しようとするがディドリーは聞く耳を持たず、「もう門は閉じた。どうやっても逃げらんねえよ」と低い声で言った。エリオットはそれに一度睨みつけ、腰に帯剣した剣を握り締めた。ディドリーはそれを一瞥して一度肩をすくめてから、エリオットの腕を掴んで半ば引きずるようにして連行した。
ビルの中はせわしなく動いていた。
エリオットがホールに入った途端、右往左往奔走する人々が次々に目の前を通っていく。
無機質な外装とは裏腹、中に入ってみるとどこかの高級ホテルのようだった。足元はふかふかのラグで疲れた足を包み込み、上を見上げれば輝くシャンデリアが下がっている。
「で、此処は?」
ホールを見回していたエリオットは振り返りざま尋ねた。
「『白刃の輪廻』で御座います」
そこにはこじんまりとした女性が立っていた。