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あの暑苦しい部屋から解放された後、エリオットたちは真っ直ぐにフレーメルの本部に帰った。
団長の珍しく真剣に思案に耽る横顔には何かしら感慨深いものがあったが、団長の心の中は計り知れるものではないのはとうの昔に分かりきっている。だからエリオットも詮索はしなかったし、自分自身考えることはある。
エリオットは今回の『白刃の輪廻』の起こしたことを振り返りながら帰路に着いた。そして今、寮の副長という身分に特別に与えられた一人部屋にいる。
簡素なエリオットの部屋。エリオットは部屋に物を置くことを嫌った。その必要最低限しか置いていない家具の一つであるパイプのベッドの上にいる。エリオットは疲れた頭を回し、窓からそよぐ湿った風に当てられながら事に考えをめぐらせていた。
あまりにも早く陥落した要人達。あらかじめ懐柔でもされていたかのようだった。しかし、恐らくはこれも深く詮索しても結局は答えが出ないのだろう。
エリオットはそんな確信があった。
そして、もう一つエリオットの考えが及んだのは戦争がなくなったことで、ある一定以上の人手は必要ではなくなるということだ。
フレーメルは国王の下の組織。運営資金は勿論のこと、方針や団長の決定まで国の会議で決定される。戦争がなくなったとなれば無駄な運用資金を出さないのは当然のことだ。
ゆくゆくはこのフレーメルもリストラだ何だと上から言い渡され人件費削減に乗り出すのだろう。
エリオットはもう既に幹部の地位にいるため、騒動に巻き込まれることはないだろうが現状は生々しく動いている。実際今日の午後は何ヶ月ぶりかの非番になった。
実力が物を言うこの世界。エリオットは非力で無能な人材を切り捨てることに何の感傷も沸かない。ただ、自分の直属の部下達や元上司が何も知らない国のお偉いさんに必要なしと判断されるのは流石に腹が立つ。
確かに一国民からすれば戦争など消えてしまえ、と願うのが自然である。
しかし、自分達騎士団は本物の平和が訪れてしまえば職を失ってしまう。そう思うと、やはり自分は人様の不幸や犠牲で食っているのだということを痛感させられる。
戦争がなくなったならば、正規の誓い通り陛下にお仕えして御身をお守りするに徹するのが一番なのかもしれない。いまから近衛に転属するのは難儀なものかもしれないが、元々陛下に捧げたこの身は誓いに沿わせるのが通理なのだ。
あまり乗り気はしないが。
エリオットはそこまで考えてから溜息をついた。
それから。
フォーダット・ジェクシア。
団長との関係はいい。エリオットが一々気にすることでもないだろう。だが、『白刃の輪廻』の傾倒の仕方は異常だった。しかし、それを考えるにもまた情報が少なすぎる。
エリオットは一度頭の中をまっさらにさせてからベッドに横たわった。あまり柔らかくないベッドは、緊張から来る疲労を受けたエリオットを包み込んで、ゆっくりと眠りへと誘った。
折角の非番だ。たまには何も考えずに怠惰な時間を過ごすのもいいかもしれない。そう思ってうとうとし始めた頃、部屋の外から幾つかの人の足音が聞こえた。
そうなればもう、職業柄暢気に寝ていられないのが性分である。
寮の中とはいえ、此処は他の部屋と違う階にある。訪れるのはエリオットと他の副長たち、それから団長くらいなものだ。しかも、今その中で非番なのはエリオットだけのはず。エリオットに用があるのか、それとも。
エリオットは疑り深くその足音を警戒していたが。直ぐにリーの足音だと分かった。
しかし、他が分からない。会った人全員の足音など覚えているわけではないからはっきりとは言えないが、恐らくは外部の人間だろう。
エリオットはベッドに座り直して剣を手元に引き寄せた。
すると控えめなノックの音がした。
「副長」案の定、リーの声がした。
「リー。なんだ、入れ」
エリオットがそう促してやればリーは扉を開けゆっくりと入ってきた。しかし、一人で。
「どうかしたか」
そう聞いたが、リーの目線はエリオットの手繰り寄せた剣のあたりで彷徨っている。
「はい。フレーメルとローン・グレイが和解したと聞きました。本当ですか」
やはり、おかしい。その話なら団長から直接説明があった筈だし、何よりその態度。いつものおどおどとした感じがなく、どこか興奮の色が見える。
「そうだ。我々は休戦。『白刃の輪廻』の思う壺、ということだ」
目線が合っていないのをいいことにエリオットはじっくりとリーを観察した。
「そうですか。副長は、そのことをどうお考えで?」
リーは、だんだんと焦っている様で、早口になっていった。歯軋りするような素振りさえある。
「別に。なるようになるだけだ」
しばらくの沈黙があった。
「聞きましたか」リーは外に向かって言った。
「副長、貴方のことだ。気付いているんでしょう」
それを合図のようにドアの向こうから見慣れない男達が入ってきた。服装こそフレーメルの制服だが、立ち姿からなにから、完全に余所者だ。そして、抜き身の剣がそれを明らかにしている。
そしてその剣は血で濡れていた。ここまで来るまでにどれほどの人を斬ったのか。
「リー…」相手の名前が口から漏れた。
「命乞いか?…世間知らずのお坊ちゃんが」
リーの口から漏れたのは、とても今までの人格からは聞けない辛辣な言葉だった。それもどこかの粗忽者のようなぶっきらぼうで下品な物言い。騎士のプライドの欠片もない。
しかし、この程度の安い挑発に乗るほどエリオットは初心ではなかった。
「一つ、聞きたい」
リーは応えなかった。しかし、その代わりにしっかとこちらを見詰めてきた。この場合、睨んできた、というのが正解だろうが。
「お前らはローン・グレイか、白刃の輪廻か」
「残念だが…答えるわけにはいかない。敵はあんただ。此処で仕留められるとも限らねぇ」
もう、リーの仮面は綺麗さっぱり消えていた。
折角の部下。エリオットがまだ新人の頃から知っていた仕事仲間。内心は複雑だった。
しかし、この時世。これが運命ならば、エリオットには逆らうという選択肢はなかった。
「そうか。残念だ。リー・・・僕はお前のことは信用していいと、思っていた。このような別れは正直辛い」
そう言ってエリオットは剣を掴んでベッドの上に立った。その間も男達はエリオットににじり寄っている。
「だが、僕はそんなに真っさらな人間ではない。本当に残念だ」
その途端、エリオットはぐらりと状態を後ろに倒した。
そして、開け放たれた窓からエリオットの身体はまっ逆様に落ちていった。