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エリオットは早足で本部に戻った。
堅く閉ざされたドアの前で足を止め、中の様子を窺う。
いつもの癖だ。建物や部屋に入る時扉が閉められていると、いくら毎日使っている部屋でさえ安全確認をする。
軍人としては当然なのだが。
それにしても妙に静かだ。PM3:17。この時間ならミーティングで幹部が本部に集まっているはずなのに。
耳を仰々しく装飾された扉に押し付けた。
声こそしないが人はいる。微かに聞こえるのは、機械音か。
エリオットは小さくノックした。出てきたのはリーだった。
「副長。入ってください」聞こえるか聞こえないかの小さな声で言う。
幹部たちは確かにいた。
いつもなら白熱する議論もせず、ただじっと一点に眼を向けて座っている。
「どうした」
聞いてはみたものの、そこにいる幹部たちの目線を追えばこの静けさは容易に推測できた。
「やはり…シクターの故障は人為的なものだったのかと…」
「だろうな」
彼らの目線の先にあったのはプレゼンに使う大きなスクリーンだった。
そこに映し出されたのは『白刃の輪廻』の紅い文字。
そこから流れ出るのは明らかに修正された機械的な声。
スクリーンをいじられたか。
「…お分かり頂けたら光栄だ…頂けなかったとしても…ふっまあ、私の知ったことじゃないがね。諸君の健闘を祈るよ…」
そこでブチッと音声は切れた。
憤然とする幹部たち。各々が机を叩いたりスクリーンに向かって罵倒した。
その中で一人団長だけが冷静にスクリーンを見る。
その先には明らかな脅迫メッセージ。
「今の録音したか」エリオットが誰にと言わずに問いかけた。
「勿論です」スクリーンの横に立っていた男が答える。
「最初から再生しろ」
「了解」
「フレーメル騎士団の諸君、久しいな。我々は『白刃の輪廻』だ」
『白刃の輪廻』…最近勢力を広めているギルドだ。首領の名も本拠地もはっきりしない正体不明の民営ギルド。
最近妙な動きも多く、騎士団に目を付けられ始めていたが…ついに行動してきたか。
「我々のことは記憶に新しい者もいると思うが…さて、我々は今回、随分諸君の醜い姿を見せてもらった。シクターが使えなくなっただけでなんだね。情けない騎士がいたものだ」
淡々と抑揚も感情もない機械音が騎士団を非難する。
こんな卑怯な手を使って、声も変えてどの面下げて騎士を語るか。
「この現状を民が知ったらどう思うね。こんな弱虫どもに命を預けているのかと、不安に駆られるとは思わんかね」
この程度か。この程度の脅しなら、脅しともいえない粗雑のものだが、相手するほどもない。
「率直に言おう。この程度で揺らぐ騎士道を持ち合わせているのならば、戦争なんてやめてしまえ」
エリオットは自分の手が震えるのが分かった。
軽々しく言ってくれる。戦争を今放棄すれば、ローングレイの矛先はお前ら民に向くのだ。
「我々は戦争なんてものは認めない。民の中で、本気で戦争を望む者が本当にいると思っているのか。しかし、諸君はどうせ、引っ込みが付かんのだろう。そこで我々が戦争終末に向けての舞台を用意してやった。明日の正午、南の無人島、カルバリン島のたった一つの建物まで来たまえ。戦争なんて終わらせるのだ。勿論ローングレイの連中も呼んである。諸君と提携している輩もな。皆快く引き受けてくださった。諸君らだけ行かないなどとは言わんだろうな」
そこで機械音は不自然な間が空いた。
「定員は2名。なにせ人数が多いものでな。入りきらないと困る。それから、15分遅れたごとにペナルティーだ。諸君らの支部を一つずつ破壊していく。我々の侵入技術と影響力は今回でよく身に染みただろう」
後ろで言っているのだろうか。途中で不気味な笑い声が微かに聞こえる。
「とにかく、我々は戦争というものが嫌いでね。諸君らの中にも本当はそう思っている人がいると思うが…我々の想い、お分かり頂けたら光栄だ…頂けなかったとしても…ふっまあ、私の知ったことじゃないがね。諸君の健闘を祈るよ…」
音声はそこで映像とともに切れた。
「『白刃の輪廻』か…情報を洗え。支部に連絡。各国王の安否も確認しろ」
『白刃の輪廻』の最近の勢力ははっきり言って脅威だ。
それに、一番の懸念はスパイの存在だ。いくら、『白刃の輪廻』の勢力が強くとも、最新技術を行使しようとも、我が騎士団のセキュリティーは破れない。もし破れたとしても、何かしらの情報は残るはずなのだ。
それにしても、何が目的なんだ。
戦争が嫌い?
そんな馬鹿な目的があるものか。戦争はこの世に人が存在している限り消滅することはありえない。我ら騎士団はその被害から民を守ってやっているのだ。
「リシェール国王と連絡が取れました!!団長、代わってください」
「ああ」幹部たちが並んでいる最奥で、団長が答える。
「エリオット様!!ヘイケイ領主とも連絡取れました。代わってください!!」
「ああ」エリオットは差し出されたトラルフを受け取った。
それを机に置き通信ボタンを押すと、トラルフの上部から映像が浮かび上がった。
東部リシェールの南側に位置し、独自の文化を築いてきたヘイケイ。その地域の領主の姿だ。
赤と金、青と色とりどりの民族衣装に身を包んだひょろ長い男。
「ジェオラ君。何の用かね。私は忙しいのだが」挨拶もなしに領主は言った。
「お時間を頂き、申し訳ありません。『白刃の輪廻』のことなのです」エリオットはトラルフの作り出した映像に向かって一礼する。
「嗚呼、そのことか!分かってるだろう!我々もそのことで忙しいのだ」
深々と腰を折るエリオットを一瞥して、領主は苛々とくるんと丸まった髭を撫で付けた。
「そうですか。その件ですが、我々フレーメルが対処いたします。領主様は…」
「私は要求を受けるぞ。諸君らの手出しは無用だ」
呆れた妄言に、エリオットは一瞬溜息が出そうになるのを堪えなければならなかった。
権力者は一様にして怠惰な者が多い。直ぐに対処しろとでも大口を叩いて責任を放り出すかと思ったのだが。
「しかし、危険が伴います。奴らは野蛮なギルドですよ。何を考えているかも分からない。領主様に危害を加えないとも限りません」
「いつから、君は私の行動制限する権限を持った」
同盟を組んだ同志とは思えぬほど憎憎しげに言い放った。その口調から、大体は予想が付いた。
この馬鹿、弱みを握られたな。
権力者に醜聞はつき物だ。あらかたこいつも何かやらかした経験があるのだろう。
「…領主様の身を案じての進言のつもりだったのですが」
「今度は口答えかね。私は君になんと言われようと行く。カルバリン島で会おう」
ヘイケイ領主はそう言い残して一方的に通信を絶った。
「どうでしたか」リーが問う。
「ヘイケイは行くそうだ。団長、そちらは」
「陛下もだ。確実に『白刃の輪廻』の手が回っているな。全く流石というべきか」
団長にとって驚くべきことなどないという様子で、平然と腕を組んで思案に耽る。
この人のことだ。きっと本当に何か思い当たる節があるのだろう。そして、それを僕たちに話すこともないのだろうな。
半ばあきらめのような感情がエリオットの中で渦巻いていた。
「この様子だとクーロイとショウリンも同じでしょう。リシェール国東領教会全てに、我々に気付かれず接触するなんて芸当、ただのギルドに出来るはずがないでしょうに…」
リーも眉に皺を寄せてモニターに躍る文字を見つめた。
「団長。ご指示を。我々も動かなければなりません」
エリオットが溜息混じりに言うと、団長も大きく溜息をはいて頷いた。
「副長。私と来い。リーは我々の代わりに他の副長たちに連絡して、奴らの指示を仰げ。私たちのようにはいかんだろうが少しはまともに指揮を執るだろう。戦闘もいったん中止。当然だがな」
団長はまた大きく溜息を吐いた。
カルバリン島。フレーメルとローン・グレイの境にある小さな無人島。
そこに待っているものは天国か地獄か。ただ分かっていることは、騎士団に決定権はないということ。
『白刃の輪廻』がローン・グレイと組んでいようがいまいが、騎士団に属する領主たち、まして国王、までが『白刃の輪廻』に動かされたとなれば騎士団も動かないでは済まされない。
「今日はひとまず解散だ。副長は朝一番で私の部屋に来るように。他は各自自分の持ち場で待機。我々が出ている間、絶対に問題を起こしてはならん。また、外部のものは鼠一匹通すな!いいな!!」
団長の命令にその場にいた幹部たちはいっせいに剣を額まで持ち上げ、敬意を示すポーズをした。
それがエリオットが見た最後の敬礼だった。