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またこの夢か。
エリオットは仮眠用のベッドの中で舌打ちした。
エリオットが戦争に参加して早五年。毎日のように同じような夢を見る。敵軍バース・ケヴァートの死。これはきっと現実だ。
いつもそうだった。夢の中で死んだ者は、目が覚めても死んでいる。自分と関りの無い人間が死ぬ様子を鮮明に夢で見る。
あんな夢ばかり見るのはこのような状況に身をおいているからだろうか。
ローン・グレイ軍事連盟軍とフレーメル騎士団連合軍の衝突が起こっている、リシェール王国。
約五十年にわたる大戦争。最早本来の目的も薄れてきた。
島国であるリシェールの海を越え、産業の拡大を図るローン・グレイとそれを抑えようとするフレーメル。
こうまで常に戦火が上がっていたのでは産業も何もあったものではないが、そんなことに構う者はもう誰もいなかった。
そんな戦争止めれば事は早いのだが、もう、両者とも後に引けないところまで来てしまった。
正義のために戦争をするのではない。意味のない戦いを続けるだけだ。自分の居場所を守るためだけに闘い、人を殺し、殺し、殺す。
エリオット・ジェオラはそんな戦争で重役を任されていた。若干十六才にして騎士団連合軍の副責任者を担う。騎士団に所属する約十万もの人を束ねる立場にいた。
彼にとって血で血を洗うのは当たり前になってしまっていた。赤く染まった服に不快感を覚えたのはもうずっと前のことだ。
人の命が何のためにあるのか、人の存在意味がわからない。毎日続く戦争。最早平和がなんであるか分からなくなっていた。
否定して否定して、殺す。
それしかなかった。
神がいるなら聞いてみたい。
何故人は生まれたのか。
何故人が殺しあうのをとめないのか。
しかし、今はそんなことを考える暇もなかった。目の前で人が殺される。殺している。
エリオットはベッドを出た。何もない殺風景な部屋を見回すと、自分が妙に虚しい気分になっていることに気づいた。
白塗りの壁に出来た茶色い染みや穴凹が、自分の心の内を象徴しているような気がした。
迷っている暇はないんだ。僕にはまだやらなくてはならないことがある。
誰にも気づかれないよう、静かに自分を奮い立たせた。
行くか。
エリオットは部屋の端に置いておいた自身の鎧を装備した。その矢先、ドアをノックする音が響く。
「なんだ」エリオットが問えば、音の主も答える。
「お休み中というのは承知していたのですが」
「御託はいい。入れ」
「はい」
おずおずと部屋に入ってきたのはエリオット直属の部下である男だった。
「リー。どうした」
「はい。実は…本部の機器制御装置設備が故障で全て停止してしまったとの情報が入りました」
リーはさも自分がミスでもしたかのように首をすくめて、器用にも自分より小さいエリオットを上目遣いで覗った。
この男は頭も切れるし、剣の腕も立つが、如何せん気が小さくていけない。
しかしリーが言った情報が本当ならば、それはかなりの一大事である。
何故、目が覚めて早々こんな嬉しくもないニュースを聞かされなければならないんだ。
シクターが壊れたということは、つまり騎士団の機能の大半が動かないということなのである。騎士団全ての機器の原動力はシクターであり、それが壊れるなど戦時中にあってはならないことだ。
まだ寝起きで頭の働かないエリオットはその頭を抱え、わざとリーに聞こえるように大きく溜息をついた。
「あっあの…すみません…」あてつけのように吐かれた溜息にリーは慌てて謝る。
「お前が謝ることじゃない。んで、原因は」
「いえ、まだ判明していません」
対応が遅い。シクター整備班は何をやっている。
「今、解析中との事で…」エリオットの考えを読んだかのように答えが返ってきた。
「迅速に対応しろと命令を出せ。団長には僕から連絡する。大事になるようだったらディドリーを呼んで直させろ」
「ですが、彼は…」意外なところから出てきた名前にリーがうろたえる。
「いいから、早く、動け!」
「はいいいいっっ!」
リーは気の小ささの割りに大きな体を竦め、パタパタと部屋を出てった。
エリオットはもう一度溜息をついて、鎧の下から通信機器を取り出した。それを指先ひとつで操作すれば直ぐに誰とでも通信できるのだが。
ここのシクターが壊れてるんだったな。
やはりシスターで動くトラルフが、今回の故障に影響されていないとも限らない。全く、シクターがなければ不便なことこの上ない世界だ。
エリオットは急ぎ足で団長を捜した。団長は恐らくもうこの知らせは知っている。だが彼は妥協も許さないし、対応が遅れたなんて知らせが入ったときには責任を取らされるのはこっちなのだ。例え副団長であろうと、規模が大きい決断に勝手な判断は許されない。彼はこの騎士団では確固たる人望を築いているが、エリオットは彼が実はかなり冷徹な人間だということを知っていた。
団長は、自分以外に手柄を作る機会を与えてはくれないのだ。それはある意味彼の団長という地位への妄執といっていいほどの執着故で、自分以外の誰も信用などしていないことの表れだろう。彼がそれほどまでに団長にこだわる理由は分からない。少なくとも名声や金なんて俗物が目当てではないことは明らかだ。団長は寧ろそういったことには淡白で、ただ団長という地位だけに固執していた。
だから、既に団長に知らせが行っていたとしても、早く上司である彼を見つけて指示を仰がなければならない。
団長もちょうどエリオットと同じ時間に休憩をいれていたからこの寮にいるのは間違いないが、むさ苦しい男ばかりを集め、宿泊しているこの寮は無駄に広い。
とりあえず思い当たる場所を片っ端から捜して回る。やっと彼を見つけたのは資料室だった。
人を射る様な鋭い眼光とオールバックにした艶やかなブロンドを持つ40近い男。
団長はわざとらしくシクター関連の資料を手に持ち、秘書や部下をわんさか引き連れて大名行列を作っていた。
「何をサボっている」資料室にノックもせず入っていったエリオットに、片眉を上げて訊く。
お前がウロウロする所為で、仕事が出来ないんだよ。
絶対に口には出来ないことを心の中で毒づいた。
それを口に出来ないのは彼を尊敬しているからというのもあるのだが。
「いえ、シクターの事で問題が」
「聞いた。何故現場に出ない」
勝手に行動すればするで文句を言うくせに、何をしゃあしゃあと。
「申し訳ありません。直ぐに」エリオットは仕方なしに頭を下げた。
それを見て団長は満足そうに鼻を鳴らす。
「いいだろう。整備班と協力し、雑用でも何でもやらせてもらえ」
「了解しました」
「今本部を襲われたら今までの苦労もふいになるぞ」
「はい。早急に」
エリオットもう一度頭を下げて資料室を出た。
それにしても妙だ。シクターの整備は毎日欠かさず行っているはずだし、人為的な故障は我が騎士団のセキュリティーを持ってすれば不可能である。
だが現状は、どこかの網は開いてしまっていたのだ。
エリオットは寮とマルチで繋がっている本部に早足で向かった。
途中、部下や同僚がエリオットに声をかけ指示を仰ごうとするが、それどころではないのだ。
関係者以外立ち入り禁止と入るな危険の文字が踊る張り紙の重い扉を開ければ、エリオットの頭はデカデカと騎士団の危機という文字で埋まる。
ワタワタと走り回る白衣の研究者たちとつなぎを着た整備士達、その中心にある巨大なシクター設備。
明らかな問題は、設備の要であるシクターが起動していない。
いつもなら眩いばかりの暖かな光を生み出しているその機器が、今は仰々しいだけのガラクタと変貌していた。だが、傷も歪みも何もない。エリオットの目にはどこもおかしな部分は見つけられなかった。
「原因は解析できたか」整備士を一人捕まえて問うたが、返事は曖昧である。
「出来たには出来たのですが。私達の技術ではどうすることも…」
全く、この連中は世界随一を誇る整備士ではなかったのか。
「ディドリーはどうした」
「えっ彼は…」リーと同じリアクションをする。
「いい。緊急事態だ。リーにも言ったはずだが」
「なら、直ぐに来ると思います」
「そうか」
彼が来るならひとまず安心は出来る。
ディドリーは性格には難があるが腕だけは確かだ。
「僕にも何かできることはあるか」
「いえ、とんでもない!技術は足りなくとも人手はあるので、エリオット様の手を煩わせるようなことは!!」
そうは言っても、この状況が打開できなければ折角練った戦術も何もあったものではない。しかしシクターについての専門知識のないエリオットは確かに無用なのも分かる。
エリオットは自分が今一番必要であろう場所に移動することにした。司令本部である。
しかし移動用ポートも、エレベーターも全て止まってしまっているので、無駄に広い敷地内を徒歩で移動しなくてはならない。それだけで既に軽い運動である。
ゆうに5分もかかって本部に着くと、そこもまた混乱状態だった。
「状況は」ちょうど同じタイミングで入ってきたリーに振る。
「だめです。シクターが動かない限りはなんとも」
「何年か前まで使っていたクレント機は」駄目元で提案してみる。
リーは一瞬眉をひそめたが、間を空けてゆっくり頷いた。
「エネルギーはほとんど賄えないでしょうが、現状は改善できるかもしれません。やってみましょう」そう言ってUターンした。
「エリオット様!エリアDの5番から侵入者です!」リーを見送った直後、本部内から叫ぶ声。
「映像は出せるか」
「駄目です!作動しません」
シクターの故障は人為的なものだったのか。進入ルートを確保するため…だが、どうやって。
目的は思い付けど、手段が大胆すぎる。もっとシンプルで気付かれずに動く方法もある。何故シクターを壊すなんて大掛かりなことを。
侵入以外に何か目的があるはずだ。
エリオットが必死に頭を動かす最中、耳を劈く爆音が聞こえた。
「今度は何だ!?」
次から次へと。幾つ問題を起こせば気が済むのだ。
「モニターが復活しました!!」
爆音とは対照的な朗報。本部が沸いた。だが状況がつかめない。
「侵入者の映像入手!!…これは…」叫んだ本人が肩を落とす。
「ご覧になりますか」
エリオットのほうを向いてそう言うので、エリオットは頷いてモニターに顔を向けた。
その映像を見た途端、エリオットは自分の顔が熱くなるの分かった。歯を噛み締め、張本人に会いに本部を出、走った。
門もない、塀から侵入したそいつは、騎士団の正面玄間の前で大声を張り上げていた。
「たのもーう!!もーし!!呼ばれたから来てやったのに、この態度だよ」ちぇっとむくれたような声が聞こえる。
「お前の所為だ、この大馬鹿者!!」らしくもなく、エリオットは大声で怒鳴った。
「おう!!エリオットじゃん。元気してたー!?」
エリオットの罵倒も虚しく、侵入者は山のような荷物を投げるように置き、ニコニコ笑ってエリオットに向かってきた。
「馬鹿者!!何故来客者用の門から入ってこない!リーから今の状況を聞いていただろう!!何故態々更なる混乱を招くようなことを…!!!」
どうせ何を言っても聞かないということを、分かっているから尚虚しい。
「まあま、落ち着いて」怒りの矛先に立つ張本人は無駄なまでに明るい。
「シクターは直ったっしょ?なあんも問題ないじゃーん。俺様、何様、ディドリー様ー。もうマジ俺ってば天才ー」
赤と銀のメッシュの髪を掻き上げてへらへらと笑うその様が、余計に頭にくる。
確かに、ディドリーが騎士団に着くとほぼ同時にシクターの故障は改善された。天才という称号も、強ち間違ってはいないというのも認めることは出来る。だが。
「んで?」ディドリーが急に真顔になる。
「今回の報酬は?」
「今回は僕の独断でお前を呼んだからな。あまり出せんぞ」
「エリオットのポケットマネーかよ。うわ、期待できねー。俺この間さ、研究に1億4千ぺストぐらい使っちゃったんだよねー。どうにかなんない?」
1億4千…ほぼエリオットの3年分の給料と変わらない。またか。ディドリーの金遣いの荒さは有名である。
「なるか、馬鹿者。とはいえいつもより大規模だった」エリオットは用意していた小切手をディドリーに渡す。
「一、十、百、千、万、十万、百万…500万か。こんなもんかね。ん、オッケー。用は済んだし、帰るよ。エリオットも戻ったら?怒られちゃうよー」ディドリーはまた、へらへらと笑う。
「余計なお世話だ」
エリオットは妙な疲労感を感じて溜息をついた。
「親切で言ってんのにね…今日は忙しくなるよ。じゃあ、ね」
ディドリーは意味深な言葉を残し、よっこらせ、と若者らしからぬ掛け声と共に荷物を担ぎなおして、また塀から帰っていった。
忙しくなる。ディドリーはそう言った。それがただのいつもの妄言じゃないとすれば、まだ何かあるということだ。
シクター修理で何がわかったというんだ。そして、何故そういう重要なところだけ言わない!!