19
剣同士の交わる音、火薬の臭い、暗い視界。
その空間は紛れもない戦場だった。自分はまた、戦場に戻ってきた。
見慣れた光景、馴染み深い感覚。
ガラスが割れ、彩り豊な鉢植えが倒れ、真っ赤なカーペットが赤黒くなる。
エリオットもその騒乱に身を投じようと剣を抜いたが傍らにいたフォーダットに抑えられた。利き手をフォーダットに掴まれ、剣を持ったまま間抜けに立ちすくんだ。
周りを戦いの喧騒が囲むが、フォーダットと腕を掴まれたエリオットは団長と対峙し両者睨みあったまま動かない。
「退却ゥゥーーーーー!!!!!」
どこからともなく声が上がった。すると引き潮のように一斉にギルド員が退いていった。戦いを切り上げ、建物の外へ溶けるように消えていく。
「此処から先は私が相手です。生きたければ剣を捨てて外に出なさい。剣を持ったまま外に出ようとするならば私が相手します」
残された何百人の騎士達を前にフォーダットは単身ですっくと立った。凍り付くほど冷えた目で、団長を真っ直ぐに見据えていた。
「貴方も外にいていいですよ」
「…構わん。此処にいる」
半分意地だった。騎士団との対立を見過ごせない。
「いいですけど、手出ししないように。それから、元同志を殺されて見ていられますか」
フォーダットは淡々と言った。それは一方的な殺戮であるかのように、殺される、と
「…大丈夫だ」
フォーダットはそうですか、と返事をして少し笑った。そして団長に向き直り、声を張る。
「リュー…あなたが私の事を一番よく知っている筈です。どんな戦い方をするか。どれだけヒトを殺す事に慣れてしまっているか。皆さん後生ですから武器を置いて下さい。そうでなければあなた方は私に殺され、信頼しているリューに殺されます」
団長は表情を見せなかった。
「総帥以外は殺せ」
まるでただの演習であるかのように。侵攻演習でもしているかのように。
そしてその矛先には僕も入っているのか。まだ此処であったことは団長に言っていない。辞めたと確定していないこの状況下で団長は、この僕でさえ殺せと。
分かってはいた。団長が僕をただの人形のようにしか見ていない事を。信頼などされていない事を。
だけど。
「フォーダット・ジェクシア。悪いが手出しさせて貰う。止めてくれるな。剣も使うが、文句は聞かん」
「今だけ、ですよ」
僕の居場所だった。唯一僕を認めてくれる場所だった。
歯の奥に力が入る。頭に血が登っているのが自分でもありありと分かった。
辞めたのは自分の意志のようなものだ。
だけど団長。僕は貴方に憧れていた。貴方のように強くなりたかった。貴方が僕を切り捨てるなら。
僕は騎士団を切る。
揃って敵は剣を構えた。その一枚岩たるや流石というべきか、所詮と言うべきか。
「お前達、僕はたった今『白刃の輪廻』に加担することを宣言する。お前達の敵はこの僕だ!」
敵の陣に動揺が走るのをはっきりと感じ取った。
フォーダットはクスクスと笑って杖を床にコンコンと打った。途端、空気がビリビリと震えた。常を覆し、フォーダットの造り出す空気となる。
体中の皮という皮が引き連れてしまうような感覚。痛いくらいだった。
「10数えます。最後のチャンスですよ」
その場に不釣り合いなほど騎士達に柔らかく言う。
「10、9、8、7」
勧告に誰も剣を置くようなことはなく、僕ら2人を囲うように摺り足で動く。二重三重にも連なる包囲網に穴はない。
「6」
背後から1人が飛び出した。
覚えのある顔。確かリーの隊だったな。
明らかにフォーダットを狙った太刀筋だったがその剣先をエリオットが受けた。
「5」
先駆けの1人に続きわらわらと向かってくる。
エリオットは1人1人払っていったがフォーダットが動く様子はない。
「4、3」
何人が同時に剣を向けようと、杖を使って軽く受け止めるだけしかしない。ちょうど僕と戦ったときにしたように。
視界の片隅に団長が映るった。何もせず、フォーダットを見つめるばかりだ。
「2」
フォーダットが杖を握り締めた。一層ビリビリと空気が震える。
エリオットは多勢に無勢で戦う中、かなり息も上がっていた。元副長とは言え流石に無理があり過ぎる。
すまない、皆。これは僕のエゴで、自己満足だ。本当にすまない。僕はお前達の骸を越えて行く。
もう手加減する余裕もない。
血が飛んだ。顔に飛沫がかかる。
エリオットは脇腹から鎧の隙間に剣を正確に突き立てていく。それに応じてかつての仲間の頭が重そうに後ろに倒れていく。
「1」
マランツ、ハイト、ケイ。
カヤル、シャンクス、アナイ、ジャックル。
僕という奴は本当に。
ー--すまない。
エリオットの剣が光り、無から精製された氷刃が容赦なく宙を切り裂く。
血が舞い、体は崩れ、エリオットの足元に積み上がる。
「0」
カウントは全ての終焉を数えた。
けたたましく交わる剣同士の音は静寂に覆われた。エリオットは硬い静寂に耳鳴りを感じ、吐き気を催した。視覚と聴覚の矛盾。水を失った魚の様に騎士達はぱくぱくと口を動かし、音がない。体が思うように動かない。ゴム質の膜に全身をくるまれたような感覚。あるべき世界は消え、狂った世界が精製されていた。
そして、それは爆発した。
世界はひっくり返り、静寂は一瞬にして破られた。
飾り立てられたホールのシャンデリアが大きく左右に揺れ、床が波を立てる。静寂の間中の音を吸収してそれを一気に放出したかのような爆音。
それでもまだ体は上手く動かない。
そんな中、1人フォーダットは悠々と騒動の中心を歩いた。爆音の中にやけに大きなヒールの音が響く。フォーダットはそのままエリオットの手を掴み、優しく微笑んでから抱き寄せた。
「終わりましたよ、歩けますか?」
エリオットは頭を振ろうとしてすんなりと頭が動く事に気が付いた。
「放さないようにして下さいね」
フォーダットに手を引かれ、導かれるままホールの出口まで直線に歩く。騎士達の視線を一斉に受けているのが分かるが、水の中にいるような動きしかできない彼等の切っ先がエリオットに触れることはない。自分達以外の全てがスローモーションで、自分達の方が異端であるかのような感覚。妙な映像の中に迷い込んだかのような奇怪さ。
ディドリーやカイユラ、キキュタからフォーダットの強さは聞いていた。しかし、これでは夢の中だ。強いなんて話ではない。僕や騎士達では特化した力のベクトルが違い過ぎる。そのベクトルがどこを向いているかさえ僕には分からない。
ホールから出て外に出ると日が高く昇っていて酷く眩しかった。
フォーダットが手を放したが、エリオットはもう通常通りに動けるようになっていた。
「フォーダット、あいつらは…」
「可哀想なことですが。もっとも、このまま放っておけばあるいは…」
そう言ってフォーダットはちらりとエリオットの顔を見た。
僕はそんなに優しい人間じゃないんだ。
エリオットは頭を振った。
「エリオット、恐らくこの先の門の所で皆が待っていると思います」
「フォーダットは…」
「これの後処理をしなければなりません。今のままではいつ鼠が逃げるか分かりませんし。さぁ、行って」
エリオットは留まってもフォーダットの邪魔になると思い、素直にその場を離れることにした。ディドリーの船に乗せられて通った巨大な門を、記憶を辿りながら真っ直ぐに走った。エリオットは背後に建物が崩れていくのを感じた。
フォーダットがまた僕には分からない力を使っている。
それは恐怖だった。未知の力に身を晒す恐怖。
そして、もう引き返せない。