17
ディドリーと別れ自室に戻る間、エリオットは悶々とフォーダットのことを考えていた。
謝らなければならないだろう。曲がり無くとも一応は上司だ。上司に散々な口調で食って掛かったなど言語道断。ギルドなんぞに礼儀作法を気にするのもどうかと思うが、これは気持ちの問題だ。騎士団を無断で辞めた上、これ以上自分の格を下げるような真似をするのは自分自身が許せない。騎士団のことにしたって今度の転職は僕が勝手にしたものだ。けじめはつけなければとは思う。このままでは余りにも不誠実だ。だが、団長に会わせる顔がない。
届けも、儀式もしていないのに、今更団長にどんな顔をして会えばいいというんだ。
すっぱり辞めると言うとしたって、理由がはっきりとしない。正直、首領の賭けに乗ったのは衝動的なのだ。そして今現在騎士団がどの程度混乱しているかにもよる。リーの謀反を放ってきてしまった。今更ながらに後悔が募る。そもそもが親方に少し話しを聞くだけのはずだった。しかしディドリーに引きずられ、首領の口車に乗せられ、フォーダットの手腕に魅せられて。
エリオットは苦笑した。
馬鹿だな、僕は。
考えたって仕方がない。抗おうという方が無理な話だ。剣を志す身で、このギルドの魅力に抗える者があるものか。
騎士団のことにしろ、先日のことにしろ自分の立場を自分で悪くするような馬鹿はさっさと過ぎたことにするのが一番だ。でも。
またあの男と話をするのは億劫でならない。
嗚呼、なんであんな男がいるんだろう。
いままで僕は、どれほど剣を振るってきたんだったか。
なんで、あんなに簡単に地に膝を着く様な無様な真似を晒さなければならなかったのか。
どれほど、今まで、僕は。
すると廊下の先にフォーダットの姿が見えた。杖を握り、装飾された廊下を颯爽と歩いている。
エリオットは一瞬その姿を見て目をそらした。
フォーダットの言うことは正しかった。僕の中にある才能。フォーダットは何も、僕の今の実力を否定しているわけではなかったのだ。僕には実力なんてものは無く、その才能のためだけに繋がれていた道具。そう言っている訳じゃなかった。
だって、騎士団では『然術』なんてものは期待されていなかった。寧ろ存在さえ知られていなかった。フォーダットにとっての、最も欲しい才能だったということなのだろう。
奴がこのまま、僕に気がつかなければいい。そうしたら、また今度…。
しかし、フォーダットは期待に反してこちらを視界に捕らえたらしく、小さく会釈をした。
エリオットは唾を飲み込んで通り過ぎようとするフォーダットの後を追った。声をかけるとフォーダットは立ち止まって真正面からこちらを向いた。
「この間はその・・・本当にすまなかった。あんな風に言うつもりじゃなかったんだ。いきなり理不尽に怒鳴られて憤慨しただろうか」
「いえ、気にしませんよ。きっと私がまた何か気に障るようなことを言ってしまったのでしょう。私、あまりそういったことに気が回らなくて」
すみません、と笑ったフォーダットは本当に気にしている様子はなかった。
その懐の深さが嫌になる。せめて少し不機嫌にでもなってくれていたほうが救われた。これじゃ、僕なんぞは気にする対象にもならないと言われているようなものだ。実際、この男にとって僕はその程度の認識なのだろう。
剣を使う少年A。僕の役目はそれだ。元騎士団副団長が笑わせる。
「そうだ、ディドリーからちゃんと説明は受けましたか?」
「ああ」
「良かった」
フォーダットは本当に嬉しそうだった。切れ長の眼を綺麗に細めて唇の端が僅かに上がっている。
「では、これからは私と共に行動して貰います」
思わず目を見開き、口からは?と間抜けな声が漏れる。
それに引き換えフォーダットはキョトンとしていた。
「聞いていないのですか?」
エリオットは黙って頷く。そんな話は聞いていない。
「『然術』の適合者はその使用法、抑制法など、様々な技術についての講義を受けます。その講義は、『白刃の輪廻』の現職者の『然術』適合者がマンツーマンで行います」
フォーダットは一瞬間を置き微笑んだ。
「適合者は少ないですから、忙しいのです。それで、私が自ら講師をと」
それは…どうなのだろう。きっとこのギルドではフォーダットの講義を望む人間は多いのだろう。しかしはっきり言ってエリオットはフォーダットが苦手だった。目の前で微笑まれるとどう反応していいのか分からないのだ。
「お嫌ですか?」
フォーダットが一歩ずいと詰め寄る。エリオットは身を引こうとしたが、いつの間にか手を取られていた。失礼に当たらない位に手を引き抜こうしても、ビクともしない。
「嫌なら嫌と仰ってくれて結構なのですよ…?」
エリオットの苦手なふわりと甘い微笑みが向けられる。
「別に…っ嫌じゃない…」
「それなら良かった」
手は逃れられない。
「私はスパルタですから、覚悟して下さいね」
そっと手が返され、フォーダットは身を引いた。
「それと、あなたは暫く剣の使用を禁じます」
「なん、で」
「向いてないんです、あなたは。身体も小柄で力が強いほうではありませんし、接近戦は無理があります。暫くは『然術』の強化に当たったほうがいいでしょう。これから先、剣はいざという時のみの使用に留めるべきです」
…剣士として生きることは全否定か。
剣を生業としてきたのに向いてない、とは。
どんな能力が超人的だろうが、並以下だろうが、剣の適性がないと言われたことに比べれば大した問題ではない。
これからずっと剣で生きていくつもりであったというのに。
「そう落ち込まず。私も剣は適性があまりないのですよ」
視界の横からフォーダットの困ったような顔がにゅっと侵入する。
「…人に留めを刺す時は何時も剣でしていた」
フォーダットは口を噤んだ。
「相手の肉の感触、間近で見る相手の表情。自分が、相手の命を奪ったのだという紛れもない事実。そういったものを感じる必要がある」
「そんな」
「詭弁かもしれない。だが、そうしないと、命の重みを感じられない。それじゃダメだ」
僕の、たった一つ守ってきたポリシーなんだ。
命を奪った事に対する責務を、遊びでする的当てみたいに撃つ銃で軽くしたくない。
「他人の命より、自分の命を大切にして下さい。」
フォーダットの顔は真剣だった。
「どうしても貴方が留めを剣でする、というなら止めません。ですが、天性のある能力は伸ばしてもらいます。足手まといにはなって欲しくないので」
何を…!!
何でこんな所に連れて来られて足手まとい何ぞと言われなければならないんだ!
「だったら!『白刃の輪廻』から連れて行けばいいだろう!カイユラやキキュタ!僕より使い易いだろう!!」
フォーダットはエリオットの荒げた口調に微かに眉を上げ、小さく溜め息を吐いた。その仕草がまたエリオットの鼻を付く。
ちらちらと脳裏に後悔の念が点滅するが、もう後の祭りだ。
「また、私は言葉が少なかったようですね」
もう一度小さく溜め息を吐くと、フォーダットは目を覆っていない側の髪を邪魔そうに耳にかけ、それからふわりと笑んだ。
「いいですか?これから戦わなくてはいけない相手はヒトだけではないかもしれません。ヒト相手なら貴方は今までの力で十分通用するでしょう。しかし、私が今まで見て来た魔物達には通用しない」
ヒトじゃない。それはエリオットにとって思わぬ展開だった。今まで対人用の戦闘しか訓練してこなかった身としては不安要素だらけだ。
「カイユラやキキュタでも同じです。彼らの実力ではどうしようもない。けれど貴方が本気で能力の上達に乗り出したならば、私にとってそれ以上心強いことはありません。貴方の能力の才能というのはそういうことです。剣では」
フォーダットは首を横に振った。
通用しないということか。
「ヒトの身体能力というものは限界があります。剣では限界があるのです」
『然術』には限界がないとでも。そんな馬鹿な。
「相手が只のヒトなら彼等を連れていきますよ。いえ、1人で行きます」
馬鹿馬鹿しい。だったら一人でどこにでも行けばいい。僕を巻き込むな。
エリオットは口には出さずに押し黙った。
もうこの男に突っかかるような真似はしたくない。暖簾に腕押しも同然で疲れるのもこっちだ。そしてあとでまた後悔するのも時間の無駄。
既に声を荒げはしたが、しかし、もう謝らない。挑発するような発言はそっちからだ。
「理解は…して欲しいですが、今すぐにとは言いません。慣れてしまえば、何事も巧くいくものです。…では、これで」
フォーダットはまたふわりと微笑んで、身を返した。
黒いコートが翻り、エリオットの前を通り過ぎようとしたが、エリオットは思わずそれを引き留めた。
「フォーダット、さん」
フォーダットの体はもう一度此方を向き、フォーダットは首を傾げた。
「フォーダット、でいいです。私もこれからエリオット、と呼ぶので」
エリオットは頷いた。
「…どうかしましたか?」
フォーダットの隻眼を真正面から受け、口ごもる。
言いたいことは山ほどあった。だが、どこまで言ったら良いものだろう。
「これから先は長いです。エリオット、私と行動を共にするのなら、話をする機会など無限にありますよ。焦らず、ゆっくりと話しましょう」
諭されるようにそう言われ、エリオットは頷くしかなかった。