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エリオットは今度こそ言われたとおりに研究室に向かった。しかし、待っていたのはディドリーではなく、白衣を着たつり目の女性だった。
その研究室では無数のパイプが床を這い、それらは全て中央に置かれた椅子に繋がっていた。さながら実験台か何かのようだが、目の前の白衣女性は挨拶も無くぶっきらぼうにそれに座るよう言った。
騎士団のシクター整備室を思い出す。そして最後に見た凍結状態のシクターも。
これに座って、僕もあの状態にならなければいいが…。
「何躊躇ってんのよ!!ビビるのは分かるけど、さっさと座りなさい!!」
女性はエリオットを無理矢理突き飛ばすようにして座らせた。
「ディドリー・ティンバーがいると聞いて来たんだが」
「私はディドリーじゃない」
それは見れば分かる。ディドリーが何時の間に女になったと言うんだ。
「ディドリーは今私の飲み物を買いに行っているから、いないの」
それは…所謂俗世間で言うところのパシリというやつにさせられているということだな。ご愁傷様なことだ。
「私はシンドよ。あんたの検査の担当になった」
検査。初耳だ。
あの、フォーダットとか言うやつ・・・!!なんでそういうことを言わないかな!
直接対峙した時に表せなかった苛立ちが今になって襲ってきた。
「ジェオラだ」
シンドの自己紹介に短く返すと知ってるわよ、とそっけなく言い返された。
「無駄話はいいわ。私、あなたなんかに興味ないの」
「その言葉、そのまま返す」
あまりの言われようにむっとしたが、それはシンドのほうも同じらしい。
どうしても馬が合わないタイプだ。
「いいわよ、そのほうが面倒くさくないし。じゃあ早速説明するわ。あんたの検査は適性検査。脳の中身をちょこっと覗いてどういう頭してどういう考えで行動できるのか、また身体がその考えにどの程度ついていけるのか、なんてものを見る検査ね。簡単に言えば、このギルド内であんたに向いている仕事を見つける検査よ」
「検査内容は」
「黙んなさい。あんたに発言権を認めた覚えは無いわ。私は話の最中に腰を折られるのが一番嫌いなの」
なんて女だ。いや、なんて奴だ。
そのなんて奴は傍に垂れ下がったパイプの一本の持ち上げてエリオットの眼下で振った。
「あんたはそこで全身にこれを繋がれてじっとしてりゃいいのよ、それ以上でもそれ以下でもないわ」
ちゃんと説明する気はないらしい。冗談じゃないが拒否する権限もなさそうだ。力ずくで離れるという手もあるが、そんな無駄な労力を使わなきゃいけない理由も見あたらない。
もう、さっさと済ましてくれ。
半ば自暴自棄気味に身体の力を抜くとシンドは満足したようににんまりと笑い、パイプを大きく掲げた。
検査自体は特に痛みも無ければ違和感があるわけでもなかった。
シンドの予告通り全身にパイプをクリップで留められただけで後はそのパイプの末端についている機械をシンドが弄るだけだった。こちらはただ椅子に身体を預けて人体実験をされている多少の不快感になでられているのを我慢していた。
「何これ!」
5分ほどたった頃、機械を弄っていた最中にシンドは大きく叫んだ。
水を失った魚のように何度も口をパクパクと開閉して機械のモニターを凝視している。
「有り得ないわ。でも、これならフォーダットさんが自ら推薦したっていうのも分かるし、あのディドリーが執心なのも頷けるわね…でも、まさか、こんな…」
「あの、何がどうだったのか聞いていいか…?」
「うっさいわね!!黙ってなさいよ。ちょっと待ってて」
そう言うとシンドは説明もないまま慌しく部屋を出て行った。
一人残されたエリオットはパイプに繋がれたまま椅子に座って待ち続けるしかなかった。黙って座っていると段々と繋がれたクリップが煩わしくなって来る。クリップについているゴムのお陰で痛くはないが痒みを感じた。全身のクリップが気持ち悪くなって身じろぎをすると、触ってもいない場所のクリップが案外簡単に取れてしまった。もう随分と待たされて、その間に何度か身じろぎを繰り返すうちに大方のクリップは取れていった。待っててとは言われたが動くなとは言われていないと勝手に解釈し、残った数個のクリップも取ってしまった。
開放された体で伸びをして、改めて研究室をぐるりと見回した。 先ほど立ち寄った親方の工房と同じように物が乱雑に積まれているが端にある机の上だけは綺麗だった。
何も置かれていない机の上に、ぽつんと装飾された台座に置かれた水晶玉があった。
なんだ、これ…。
エリオットは机に近づき、その水晶玉をまじまじと見つめた。
水晶の中は透明なのに、中で何か銀色のものが渦巻いている。
好奇心に負けて、エリオットは恐る恐る手を伸ばした。指先がそれにちょんと触れた途端、それは一気に藍色に染まった。
とても澄んだ藍色。その藍色の中に映った自分の姿を見て、エリオットは夢で見たハデスの髪を思い出した。
ハデスは、一体、何をしていたのだろうか。
バースの死。断末魔。
あんな夢を、何故僕が見る…?
エリオットは無意識に水晶玉を手に取った。
ピキッ!
明らかに硝子の割れるような音がして手元を見ると、それは真ん中から大きくヒビが入っていた。
おいおい。何もしてないのに脆いな。
エリオットはそれを元の場所に置くと、水晶玉は手を離す前に粉々に砕けた。
エリオットは呆気にとられてその破片を眺めた。
何もしていないのに!
これは流石に、あのシンドとやらに殺されるな…。
「何してんの!!ああああぁぁぁぁー!!然晶がぁぁぁ」
とてもタイミング良く(エリオットからしたらひどく悪く)叫び声があがった。
入り口のほうを見るとシンドがこちらを指差して立っていた。
「触っただけだ!落としても、叩き割ったわけでもない!!」
「馬鹿!!そんなことじゃ割れないわよ!!全くどうしてくれんの!!これ、希少なのよ!冗談じゃないわ!!」
そうシンドが怒鳴り散らすと、その後からディドリー部屋に入ってきた。
「落ち着け。こいつ然晶を粉々に、したんだぞ」
ディドリーが意味深にそう言うと、シンドは言葉を詰まらせた。
「…そうだわ。いい?あなたのこの所業は私の寛容な心で許してあげる。ただ、検査は徹底的に付き合って貰うわよ」
「だから別に僕はなにも」
「黙んなさい!!だったら弁償する!?これ一個で何十万すると思ってんの!?ああ、貴族には端金かしらね!!」
「いいかげんにしろ、シンド。これ以上エリオットに食って掛かるんだったら俺が許さねぇよ」
ディドリーが宥めるがシンドはふんと鼻を鳴らしてエリオットを睨み付けた。
あの水晶を壊した以上抵抗するわけにもいかずエリオットはまた先程と同じ椅子に座らされ、体中にパイプを取り付けられた。
「さっきより、大きい付加が身体に掛かるわ。それ相応の覚悟をして」