12
賭けが、始まる。
エリオットの向かいに立つフォーダットは動き難そうな黒のロングコートに、不安定なピンヒールのブーツを身に着けていた。手に持つは綺麗に装飾された杖。片目は髪に覆われて、とても見えてはいない状態だ。そして、奴は真意の見えない顔で微笑んでいた。エリオットを、完璧に舐めてかかっているようにしか思えない。
しかしエリオットは真剣に剣を構えざるを得なかった。
先ほどカイユラに付き合ってもらってキキュタと対戦したが、はっきり言って楽勝とは言えない戦いだった。剣だけの練習試合だったが、キキュタは相当な手錬と言えた。しかし、本人曰くキキュタはこの『白刃の輪廻』では強いほうではないのだとか。
それにあちこちで聞いたフォーダットの名の影響もあるし、何より雰囲気が常人の物ではないのが原因だ。思わず手に汗を握るようなオーラが漂ってくる。
エリオットは戦闘狂ではない。しかし盲目的な無抵抗主義でもないのだ。洗礼された型を見、その動きを自分の物に吸収していく過程は好きだ。しかし、今そんなことを言っている余裕はなかった。
微笑むそのフォーダットの顔を見ていると気持ちの悪い冷や汗が背中を伝った。
お互いを見つめあい、一定の距離を開けて様子を窺う。そうし始めてからもう幾分かの時が経った。
先に動いたのは此方の方だった。
ふっと息を吐くと同時に風を切り、一気に距離を詰める。
しかし攻撃を繰り出す前に奴体が揺れたと思うと、すぐに距離を取られた。
俊敏な動き、判断の速さ。
もう一度詰めるが、同じようにかわされた。
見極めろ。相手の小さな行動も見逃すな。
今度は突っ込む勢いで詰めるが、しかし奴はエリオットの後ろ側に回る。
よし、見えた。
タンッと踏み込む。
キンッ!
エリオットの剣とフォーダットの杖が激しく交わった。
奴は少し驚いたような顔をして、すぐまた微笑んだ。
「なるほど…」
呟いたその言葉がエリオットに届く事はない。
続けざまにキンキンッと何度も交わる音が続く。
フォーダットの素早く動く前にする癖。片足の爪先が微かに其方に向く。ちゃんと体を其方に向けてから移動をしている。
それを掴んだエリオットはフォーダットの動く先を読んで攻撃を次々に仕掛ける。
激しい攻防が続くが、此方が圧している訳でもないのにフォーダットからの攻撃はない。
余裕、ということか。
続けて攻撃を仕掛ける中舌打ちした。
すると奴がふっと消えた。
「なっ!!?」
何処に、何故…。
エリオットは呆然として辺りを見回した。
「駄目ですよ。目を離しちゃ」
とんっと背中を軽く杖で押される。
振り向き様に剣を殴るが軽く杖で受け止められた。
そして奴は、にこにことさも楽しげに微笑みを浮かべていた。
クソっ遊ばれてるな。
攻撃をかわすための移動をするときに、やけにモーションが大きいのも余裕の現れか。
余裕はない。そろそろ、身体も温まってきたか。
息を整えて、間合いを取った状態で剣を横殴りに振る。その瞬間音速の衝撃波が奴を襲った。奴はそれを軽く跳躍することでかわした。
しかし、その瞬間ほんの一瞬自分からフォーダットが目を離したのを見逃さなかった。その間にシクターを発動させた。
放つ!
エリオットが剣に力を込めた途端、それは起こった。
奴がいる場所目掛けて鋭利な氷塊が空中で無数に精製されて飛ぶ。
間、2秒。
地面にそれが衝突した所為で一面に水蒸気が立ち込める。
手応えが、ない。
水蒸気が目隠しになっている今、何が来てもおかしくない。エリオットは瞬時に保護術を発動させ自分の身の前に障壁を作った。
しかし奴の影が動かない。水蒸気が引いていく中で段々と奴の姿が現れた。
奴は身じろぎ一つせず、当初のまま微笑んで此方を見ていた。
舐めやがって…!!
「いいですか?私も攻撃してみても」
正面に立つフォーダットはにこやかに訊いた。
勝手にしろ、と心の中で呟きならエリオットがまた剣を殴ると、先ほどと同じように衝撃波が奴を襲った。
しかしカン、と音がしたと思うとその衝撃波が霧散する。
フォーダットの笑みが一層広まったのを確認した時、突然ピッと肩に痛みが走った。そこに手を当てると覚えのない血が流れていた。
いつの間に!?
眉をひそめた途端、今度は体中到る所から痛みが走る。
トバッと少量の、しかしそこら中から血が流れ始める。
何だこれは…何をされた。何時!!
落ち着け。攻撃の発端が分からない以上防ぎようがない。集中しろ…!!
これ以上やられる前に…放つ!
その瞬間地面が割れその隙間から水が噴き出す。その水は意志を持ったように奴を襲った。
黒の影が揺れる。
当たって…ない!糞っ
これは…本当に本気を出す必要があるな。エリオットは舌打ちした。
エリオットは瞬時に『気』を練る。
『気』が全身に回ったことを確認して、エリオットは一直線に奴のもとに跳んだ。
エリオットがしたのは身体強化。人間の暈を外さずに限界まで身体の力を引き出す技だ。
奴の一歩手前で軽く跳躍し、と言っても奴の遥頭上だが、そこから全体重をかけて剣を振り下ろす。
勿論それは軽く流され横に払われるが、その力を利用して背後に回り、斬りつける。それも杖で軽く防がれる。
その状態から斬り込んでいくが、どれも余裕を持って防がれる。
速い。
身体能力と反応速度に差が有り過ぎる。
ならば。
あまりこういうことはしたくないのだが…仕方ない。
エリオットは態と大振りに剣を殴った。杖はそれを防ぐが、エリオットは構わず力を込めた。
奴は押し切られないように杖を支えながら怪訝そうに此方を見た。
バチッ!
交わった武具の間から火花がとぶ。
途端奴は飛び退いた。
この状態でまだ立っているとは…
エリオットは感心しながらもまたシクターを発動させる。
終わりだ!
エリオットは地面に剣を突き刺した。
途端前の技で亀裂の入った地面が盛り上がっていく。
奴がまだ動けないでいるのを目尻で捉えた。それにエリオットは勝利を確信し、盛り上がった地面は確実に奴を飲み込んでいった。
ふう…とエリオットは溜め息を付いた。
ここまでの強敵は久しぶりだ。
エリオットは地面に刺さったままの剣を引き抜いた。
すると、それに反応するように急に全身から力が抜けた。
何…が
地面に倒れ込む寸前、エリオットの体は柔らかく支えられた。
「貴方の敗因は、私の手の内を見なかったことです」
そうエリオットの耳元で言ったのは、間違えることなくフォーダット・ジェクシアその人だった。
どうなっている。奴は確かにあの中に取り込まれた筈で。