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衝撃発言を投げ込んだその女性は、深々とお辞儀をしたあと、人当たりの良い笑みを此方に向けてきた。
女性と言っても、エリオットよりも年下だろう。少女と言ったほうが近いかもしれない。
くりっとした幼い目に似合わず、落ち着いた物腰だ。
「ティンバー様。お客様でしょうか」
口調も柔らかいが、どこか無理をして大人ぶっている風がある。
「うん、そー。親方とフォーダットさんから頼まれた子」
子、という表現に少なからず引っかかったが、頼まれたというのがもっと気になる。此処が『白刃の輪廻』だということが分かった以上、警戒を怠る訳にはいかない。
そしてまた、フォーダットの名。節々に出てくるその名が一番気になる。
「へぇ、あなた様が。わたくしはシナ・ヤヒョールと申します。どうかお見知り置き下さいませ」
シナはまたエリオットに深々とお辞儀をして、微笑んだ。
「あなた様のお噂はかねがね拝聴しております。お若いのに随分優秀でいらっしゃるとか」
若いのに、とは。
自分より年下に言われ苦笑したい気分になったが、それよりもその媚びを売るような言い方が癪に触った。エリオットが騎士になったと知った途端取り入ろうとしてきた貴族共みたいだ。
そういうのは好きじゃない。肩書きや名声だけですり寄ってくる奴らはみな。
「謙遜はしない。だが明らかなお世辞は聞き飽きている」
冷たくそう言い放ってやると、シナは焦ったように弁解した。
「お気に触られたのなら謝罪いたします。ですが、フォーダット様のお眼鏡に叶ったお方でしょう?お世辞などではありませんわ」
そのとき、ホールにコツコツと一つの硬い靴の音がやけに大きく響いた。
その音を響かせた男を前にして、エリオットは息を飲んだ。まず、本当に人間かというのを疑った。男に美しいという言葉を使おうと思ったのは初めてだ。
藍色がかった髪は朝日を受けた小川のように輝いていたし、真珠色の肌は絹のように艶やかだった。切れ長の眼は汚れを知らない銀色で世界を見つめていた。
背はエリオットよりも頭2つ分は高く、けれど細長い感じも、圧迫感のある巨漢なわけでもなかった。恐らく黒のロングコートの下にはしなやかな筋肉を纏った肢体が隠されているのだろう。
エリオットは彼が全うに仕事が出来ることに驚いた。確かに本人自体は何でも出来る神がかった雰囲気を醸し出しているが、それよりも周りが見とれてしまって仕事に成るはずがない。
どれだけ位の高い貴族だってこれほど高貴な、且つ嫌味のない上品さを持ち合わせることはできないだろうし、どれほどの美女でさえこれほど人を魅了することは叶わないだろう。
事実エリオットでさえ開いた口が塞がらなかった。
きっと彼には、常として世に蔓延る羨望や妬みなどを浴びたことはないのだろう。そんな事を思い浮かばせもしないのだ。
そんな彼に唯一否があるとすれば、それは鬱陶しく右目を髪で覆っていること位だった。それが妙に不気味に見える。
「止めておきなさい、シナ。彼に余計なことを言わないで下さいね?」
「フォーダット様!わたくしは…」
男が声を発した。エリオットはその事に驚く自分が可笑しかった。
彼には人間らしい行為がこの上なく似合わない。彼は陰に一輪だけで咲いた大輪の薔薇だ。その中性的な頭をゆったりともたげる姿が花弁を散らせる儚さを感じさせる。
シナの声は強張っていた。
彼女は今どんな気持ちでいるだろうか。この男にやんわりとたしなめられて、焦らない方がおかしい。
エリオットはフォーダットを一心に見ていた。
嗚呼この人が、と。
団長が一目置き、この『白刃の輪廻』が畏怖する存在。分かる気がする。しゃんと自分を持っていなければ自然と頭が下がってしまいそうだ。
「シナ。貴方の言いたいことは分かりますよ。他意なんてなかったんですよね?」
フォーダットはふわりと笑った。シナの緊張が少し緩んだのを感じた。
「ですがシナ、次のお客様がお見えですよ。仕事なさい」
「はい…」
「さて、はじめまして。フォーダットと申します。シナのことをあまり悪く思わないでやって下さいね。あの子はただ大人びたことが言いたいだけなんですよ」
「僕も言い過ぎたな、謝ろう」
「いいえ、お気になさらず。まぁ、立ち話も何です。首領がお待ちですので、ご案内させて頂きますね」
フォーダットはそう微笑み、ディドリーに向き合った。
「ディドリー。応接室にジェオラさんをお連れして下さい」
「えっフォーダットさんは?」
ディドリーは慌てたように言った。
「私はこれから緊急会議です。次に備えなければなりませんし。では、頼みましたよ。エリオットさんも、また」
フォーダットはそう言い、ディドリーの頭をポンと撫でて、黒のロングコートを翻した。
「すげぇ人だろ。いるだけで空気が違う。あの人に張り合える人なんて全世界探したってぜってぇ見つかんねぇ」
ディドリーは奥へ引っ込んでいくその姿を見ながら破顔一笑し、さも誇らしげに胸を張った。
窓一つない薄暗い廊下を淡い黄色の灯りが照らす。壁に点々と掛けられた絵画といい、一見すればどこかの貴族の邸宅に迷い込んだようだ。
エリオットは応接室までのその道中、ディドリーから今回のあらましを掻い摘んで聞き出した。
2年前に工房を此処に移動したのは本当で、『白刃の輪廻』に親方さん共々ヘッドハンティングされたとか。
「親方さん、どっかに取り込まれるのは嫌だと言ってなかったか?自分の行動が制限されるのは冗談じゃない、と」
「それが。フォーダットさんの力だよ。あの頑固の親方をうまいこと言いくるめてさ。まぁ、あの人に頼まれたら断られないか」
ディドリーはさも他人ごとのようにへらへらと笑った。
エリオットが何者かに狙われているということは諜報部が偶々掴んだらしい。それをディドリーの親方さんが聞いてフォーダットに言ったところ、フォーダットは会ったこともないエリオットの救出作戦をディドリーに言い渡したらしい。
それはただのお節介という訳ではなく、元々エリオットに目を付けていたから絶好の機会だっだからだと言った。
「目を付けていたというのは?」
「そのまま。エリオットもヘッドハンティングの対象ってこと。この後首領からラブコールがあると思うぜ」
それを聞いて、エリオットは今の内に逃げるべきかと思案する。
しかし、もう既に後の祭りだろう。
更に分かったのは、あの騒ぎになったシクター騒動はディドリーの仕業だったということだ。前々からこの日の為に騎士団のシクターに誤作動を起こす装置を付け、修理と見せかけて装置の電源を切った。それに騎士団はまんまと踊らされたと言うわけだ。
そしてその修理に来る時、正門から入って来なかったのはエリオット救出の為、至る所に監視カメラを設置するためだ、と。
警備兵にしろ、一般兵にしろ、それに全く気付かなかったのは、やはりシクター騒動によるパニックの所為だろう。
つくづくシクターに頼り切った生活をしていると認識させられる。
何をするにもシクターが登場し、戦争に至っては、『シクターを制する者が戦いを制す』と言われる程だ。
しかし今まで共にビジネスをしてきた相手とはいえ、ここまで敷地内で好き勝手されるとはいくらなんでも騎士団の警戒態勢が低過ぎると言える。
「騎士団ともあろう組織が情けないな…」
「まあそう落ち込むな!俺のパーフェクトな侵入技術が相手だったから悪かった」
「パーフェクトさよりも、お前の日頃の行いの悪さが助長したんだろ」
ディドリーがちぇっと膨れた風におどけて見せた。
その後、まだエリオットからすれば疑問は残るが、一通りは話したらしいディドリーとの間に沈黙が漂う。
その沈黙の中、コツコツという2人の白いタイルを打つ足音と、どこかの部屋から聞こえてくる喧騒と機械音が響く。
ディドリーのへらへら笑いも次第消え、その視線は一直線に前を向いていた。
その先には銀の装飾がされた扉。きっとそれが首領が待つ部屋なのだろう。
ディドリーの顔はそれに近づくに連れて真剣になっていく。
エリオットは、常にこの位真面目な顔をしていればいいのにと思った。
「おう、おめぇさんがジェオラか」
その重い扉を開けると、貫禄のある男が天鵞絨の肘掛け椅子にどっかりと座り、目だけを此方に向けた。
エリオットがその問いに頷くと、男は片頬だけを釣り上げて、にっと笑った。
なかなか迫力がある。
フォーダットとはまた違う、強烈なオーラを纏っている。
「俺は『白刃の輪廻』首領だ。よろしく。悪いが名は名乗らんよ。必要がねぇ」
「構わん。首領と呼ばせてもらう」
「おう」
首領は、腰も上げずに簡単な挨拶を済ますと、顎で自分の正面の椅子を指した。エリオットはその意を汲み取ってそこに座り、首領の品定めするような視線に耐えた。
フォーダットを薔薇と例えたが、それならこの人は野獣だ。ぎらついた瞳は捕食者のそれを思い出す。
恰幅の良い筋肉質な体型といい、後ろに撫でつけた金髪混じりの白髪といい、とても表社会では見つけられない何かがある。
「で?僕を何故こんな所に連行した?」
エリオットは沈黙を破り、重い口を開いた。礼儀も何もなく、わざと不躾に聞く。これくらいのことで嫌な顔をするようでは、高が知れるというものだ。
「あん?ディドリーから聞いてねぇのか」
案の定、この男はニヤリと余裕の笑みを浮かべたまま気にする風でもない。
「聞いたさ。口上の建て前はな。僕を守る?そんな事、『白刃の輪廻』にしてもらわなくても、自分の身くらい守れる。ディドリーの所なら厄介になろうかと考えたが、直接接触もないこのギルドに恩をなすりつけられるのは御免だ。それとも、このギルドは慈善活動をしているのか?」
半分本音ではある。恩を擦り付けられて、見返りを求められるなんて冗談じゃない。
「いけ好かない餓鬼だな、おめぇさんよう。好意はありがたく受け取っておくもんだぜ」
「それで?ありがたく受け取ったあと、僕に何を要求する?僕は『フォーダット様のお眼鏡に叶った』んだろう?僕に目を付けていたと聞いたが。理由は?」
首領は、またエリオットを品定めするようにじろりと見つめ、腕を組みなおした。
「知らん。言っただろうが。『フォーダット様のお眼鏡に叶った』ってな。俺はフォーダットが何を考えているのかなんて知らん。だが、お前さんがウチの役に立つなら大歓迎だ。例え貴族上がりだとしてもな」
貴族上がり。貧民や商工業を営むものが、貴族に向ける侮蔑の言葉だ。
試されているのだろうか。エリオットが先ほどから大口を叩いて相手の反応を見るように、挑発に乗るかどうか。
しかし、エリオットにとってその言葉は何の意味も持たない。エリオットは確かに貴族の生まれではあったが、エリオット自身、貴族というエリオットを取り巻く人種は嫌いなのだ。
「歓迎はありがたく思うことにしよう。それで、僕はそのフォーダットとやらに推薦されて此処にいる?」
「そうだ」
先ほどの、あのフォーダットが。ディドリーだったらそれこそ乱舞するほど喜ぶのだろうが、エリオットからすればなんとも言えない感情になる。
「…そうか。しかし、その本人がいない。悪いが僕にも用事というものがあるんでね。失礼させてもらいたいのだが」
「この状況下で俺がみすみす帰すと思うか?」
間髪いれずに言葉が返ってくる。
「そうだな。しかし、僕にもプライドがある。言われるが儘に一介のギルド員に成り下がる訳にはいかないんだ」
「成り下がるときたか。俺のギルドに言ってくれる」
首領はここで始めて険悪な顔をした。怒気を含んだ顔はこちらを威圧するように眉間に深い皺を彫って、突き刺すような眼差しを送ってきた。
エリオットは別に、騎士団に思い入れがあるわけではなかった。騎士団に入ることを決めたのは自分だし、自分のいる騎士団を侮辱されれば腹も立つが、だからといって何が何でも騎士団の精神を守り抜きたいわけでもなければ、騎士団に生涯を捧げるつもりがあるわけでもない。
しかし、転職先がギルドとなれば話は別だ。荒くれ共の寄せ集めに加わるわけにはいかない。貴族としての体裁や、薄っぺらの人の視線なんてものはとうに捨てる覚悟は出来ているが、ギルドなんて無法地帯にいては自らの身を堕とすだけだ。
「自分のしていることが分かっていないようだな。これは脅迫だぞ。リシェール帝国刑法第32条『人身の自由』、加えて第41条『職業選択の自由』に反する。これは、違法行為だ」
「はっ!!俺達ギルドは国を捨てている。国なんかにゃ俺達は縛られねぇ。勿論法にもだ。その代わり、国の保護も受けてねぇ。おめぇさんは知らんだろうが、国は俺達ギルドの人間となんか付き合いたくねぇって、面と向かって言いやがったんだよ」
首領の顔はこの上なく真剣で、騎士なんかよりもずっと多くのものを背負った表情だった。
国を捨て、その代わりにとてつもなく多くの責任を被ったか。面白い。筋の通った人間は好きだ。付いていくなら、こういう人間がいい。
「いいか、俺達は法なんかじゃ動かねえぜ。今、お前が自身の身を守るのはその一振りの剣だけだ」
首領はエリオットの剣を指差して、もう一度脅すように言った。
「・・・僕が断ったら殺すつもりか?」
「殺しゃあしねぇさ。だが、下の牢には入ってもらう」
「牢ね。僕は抵抗するがいいな?」
そう言いながらも、実はエリオットは既にこのギルドに惹かれ始めていた。首領の信念の強さは口調からいやというほど伝わってきたし、何より「フォーダット・ジェクシア」の存在が胸に引っかかる。
「そこだ。そこが問題だ。俺としちゃあなるべくウチから犠牲を出したくはねぇ。お前さんはウチに捕まりたくない。互いに言い分つぅもんがある。ならば、恨みっこなし、賭をしねぇか」
「賭、だと?」
再び首領の顔ににやりと笑みが広がる。
「そうだ。1対1の真剣勝負。お前さんが勝ちゃあ俺達ゃ大人しく退いてやらぁ。だが、俺達が勝ったら、お前さんも大人しく従って貰うぜ」
「ふん。割に合わないじゃないか。僕に得が何もない」
騙した上での取引など、正当であるはずがない。自分達のリスクが何もない賭けなど、賭けですらない。その掛け金の合わないやり口にギルドらしい卑劣さを感じて興ざめする。
このギルドは他とは違うと思ったのだが。
「…ふん、確かに。そうだな、おめぇさんが勝った時にゃ奴らの組織と今後の動きを調べて、無料でお前さんに情報提供してやる」
「情報が対価か」
「そうだ、どうだ」
どうだもなにも。それくらいの調査なら騎士団でも出来るだろう。大した対価にはならない。
「対価の引き上げを要求する」
「…全く、強かだねぇ。いいだろう。その情報にプラスして、ウチの手の内を見してやらぁ」
「手の内?」
「そうさ。シクターなんざ無くても戦える術をな」
戦術を見せると来たか。しかも、負けたらということはエリオットという外部の人間に、そのギルドの心臓とも言えるものを差し出すと。
それ相応の覚悟はあると見た。いいだろう。
「…乗った」
その夜は案の定、嵐が来た。