第五章 告白の夜
夜の京都は冷たく澄んでいた。
吐く息が白く消えていくたびに、
胸の奥で小さく疼く記憶がひとつずつ呼び覚まされる。
川沿いを歩きながら、
私はポケットの中のスマートフォンを何度も確認していた。
> 『少しだけ話せますか。』——蓮
その短い一文が、夜の静寂を震わせていた。
指定されたカフェは、
以前ふたりで入った店とは違っていた。
小さな路地の奥、暖色の灯りがぽつんと浮かぶ。
ガラス越しに見える蓮の背中は、
どこか哀しくて、それでも凛としていた。
ドアを開けた瞬間、
カラン、とドアベルの音が響いた。
「……こんばんは」
「こんばんは」
彼は微笑んで席を勧めた。
湯気の立つカップが二つ。
ミルクティーの香りがほのかに甘く漂う。
私たちは、しばらく何も言わなかった。
言葉を選ぶよりも、沈黙の方が楽だった。
けれど、沈黙の重さに耐えられなくなったのは、私の方だった。
「……私、嘘をついています。」
カップの縁に指を添えたまま、目を伏せた。
蓮は驚かなかった。
ただ、静かにこちらを見ていた。
その視線が痛いほどに優しかった。
「まだ、終わらせていない人がいます。
でも、もう……その人を好きではないんです。」
その瞬間、
自分の声がかすかに震えていることに気づいた。
「長く付き合ってきました。
だけど、最近はもう……
笑顔も、言葉も、全部嘘みたいで。」
手が少し震えた。
蓮は何も言わず、そっとティーカップをテーブルに戻した。
「人は嘘で生きられる。
でも、嘘の中では愛せない。」
彼の声は低く、静かで、心に沁みた。
「あなたは嘘つきなんかじゃありません。
本当のことを言える人ですよ。」
涙がにじんだ。
その言葉が、あまりにもやさしかったから。
視界が滲み、
ぼやけた灯りの中で、彼の輪郭だけが鮮明に見えた。
「私……もう、誰かに愛される資格なんてないと思ってました。」
「資格なんて、誰が決めるんですか?」
蓮の言葉は、
あたたかくて、でも真っ直ぐで、逃げ場をくれなかった。
「あなたはただ、傷ついてるだけですよ。」
次の瞬間、涙が頬を伝って落ちた。
拭う暇もなく、彼の指が私の頬に触れた。
その手は驚くほど静かで、震えていたのはむしろ彼の方だった。
「泣かないでください。
嘘のない涙は、いちばんきれいだから。」
心が溶けた。
胸の奥で、長い間眠っていた何かが、音を立てて目を覚ました。
窓の外では、雪が舞い始めていた。
街灯の下で光るその白が、まるで世界を浄化していくようだった。
「……怖いんです。」
「何が?」
「もしもこの気持ちが本物だったら、
もう戻れなくなる。」
蓮は少し考えてから、
まっすぐ私を見た。
「戻らなくていいですよ。
前に進めばいい。」
その一言で、胸の奥が静かにほどけた。
> ——その夜、ふたりはまだ何も約束しなかった。
> けれど確かに、嘘のない心がひとつ、息を吹き返した。




