第四章 大阪の窓、終わりの手前
年の瀬の大阪。
梅田の街はイルミネーションに包まれ、吐く息すら光に溶けていくようだった。
私は黒いドレスの裾を整え、鏡の中の自分に小さく微笑んだ。
けれど、その笑顔はどう見ても他人のものだった。
桐原悠真に誘われ、医師仲間たちが集まるパーティに来ていた。
会場は高層ラウンジ。
窓の外には夜景が果てしなく広がり、シャンパンの泡がグラスの中で踊っていた。
「桐原先生、先日の学会での講演、素晴らしかったです」
「いや、まだまだですよ」
悠真はいつものように落ち着いた笑みで応えていた。
その姿は完璧で、少しの隙もない。
そんな彼を誇らしく思うはずなのに、
私は、まるでその場の“飾り”のように立ち尽くしていた。
「紗季、飲み物は?」
「ありがとう。大丈夫。」
彼の優しさは、形式のようなものだった。
心がそこにないと気づいたのは、いつからだろう。
隣のテーブルで笑う女性の声が耳に刺さる。
悠真が軽くその方向を見て、静かに微笑んだ。
その笑顔を見て、胸の奥が小さく軋んだ。
——私たち、もう恋人ではない。
ただ、過去を惰性でつないでいるだけ。
「……少し、外の空気を吸ってくるね。」
彼の返事を待たずに、私は会場を出た。
ホテルの屋上テラスには、誰もいなかった。
冷たい風が髪を揺らし、遠くの観覧車がゆっくりと回っていた。
ビルの光が川面に反射し、波紋のように滲んでいく。
スマートフォンを取り出す。
指が、自然とあの名前を探していた。
神谷蓮。
画面に触れるだけで、胸が少し温かくなる。
あの夜の川辺、彼が言った言葉が蘇る。
——「今だけは、嘘のない時間にしましょう。」
メッセージを開く。
何を書こうか迷った末、
指先が勝手に動いた。
> 『元気ですか。今夜は星がきれいです。』
送信ボタンを押した瞬間、
胸の奥で何かが“静かに終わった”音がした。
風が強く吹き、髪を頬に押し当てた。
その冷たさが、涙と間違えるほどやさしかった。
ラウンジに戻ると、悠真はまだ笑っていた。
白い歯、整った姿勢、計算された表情。
まるで彼の世界に、私はもういないかのようだった。
「遅かったね。外、寒かったでしょ。」
「うん。でも……気持ちよかった。」
そう言って笑ったとき、
彼はもう、私の心の言葉には気づかなかった。
> ——この夜、私は確かに気づいていた。
> “終わり”というのは、突然壊れる音ではなく、
> 静かに遠ざかっていく足音のようなものだと。




