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嘘のない人生〜完全版  作者: つなかん


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第一章 お詫びの再会

雨の気配が残る京都の午後。

 私は、木の扉を押しながら小さく息を吐いた。

 あの日、グラスをこぼした彼——神谷蓮から届いた、

 たった一枚のカード。

 “改めてお詫びさせてください。コーヒーでも、ご一緒できたら。”


 迷いながらも、その文字に宿るやわらかさに背中を押された。

 初めて来るカフェの中は、静かな音楽と焙煎豆の香りが混ざり合っていた。

 窓際の席に座る彼を見つけた瞬間、

 胸の奥で何かが小さく弾けた。


 「こんにちは。……覚えてますか?」

 「もちろん。スカートにウイスキーを浴びせてしまった男なんて、忘れられません。」


 彼の冗談に、自然と笑いがこぼれた。

 笑うことが、こんなに久しぶりだったなんて思いもしなかった。


 「神谷蓮さん……ですよね。俳優の。」

 「はい。でも今日は“ただの蓮”でいさせてください。」


 コーヒーが届き、二人の間に湯気が広がる。

 彼の指がカップを包む様子は、どこか慎重で、やさしかった。


 「映画って、不思議ですよね。」

 「不思議?」

 「カメラの前で嘘をつくのに、嘘じゃない瞬間がある。」


 その言葉に、胸が少し痛んだ。

 私も嘘をついて生きていたから。

 “看護師を辞めても、後悔していない”

 “彼との関係は、うまくいっている”

 ——どれも、心の奥では崩れかけていた。


 「あなたは?」

 彼が問いかける。

 「看護師をしていました。今は、少しお休み中です。」

 「お休み中、ですか。」

 「はい。ちょっと、息ができなくなって。」


 その瞬間、彼の目の奥の表情が変わった。

 何も言わず、ただ静かに頷いた。


 窓の外では、木漏れ日が通りを照らしている。

 人々の足音、カップの音、コーヒーの香り。

 それらの全部が、日常の中の奇跡のように思えた。


 「……こうやって話すの、久しぶりです。」

 「誰かと、ですか?」

 「はい。心で話すのは、ずっとしていなかった。」


 彼は少しだけ微笑んで言った。

 「なら、今日はちゃんと心で話しましょう。」


 その一言で、胸の奥の糸がふっとゆるんだ。


 気づけば、窓の外が少し暗くなっていた。

 会話は止まらない。

 映画、音楽、旅、そして“孤独”の話。


 沈黙の時間さえ、なぜか心地よかった。

 別れ際、彼は財布から一枚の名刺を差し出した。


 「またいつか、偶然でも会えたら。」

 「偶然じゃなくてもいいです。」


 自分の口からそんな言葉が出たことに驚いた。

 でも、嘘じゃなかった。


 店を出ると、冷たい風が頬を撫でた。

 手に残る名刺の紙の感触が、妙に温かい。

 夜空の端で、小さな星がひとつ瞬いていた。


 ——あの日、あの香りと一緒に芽生えた何かは、

 きっともう、偶然ではなかった。


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