12月18日 裏方は表に出るべきではない
可哀想な人が奮起してがんばるけど、やっぱかわいそうな物語って鉄板だよな……(ヒトリゴト)
創作日記なんだから創作できない日は書くことがないんだよなぁ……(笑)。
今週は本当にその余裕がない。イベント創作?の進捗について話してもいいんだけど、俺は本名の自分と矢久勝基という作家を、完全に切り離したいと思っている。
矢久勝基なんか、物語を描くだけの架空の人物でいいのだ。どんなに有名になっても顔も知られず、隣に住んでる住民ですらその存在に気づかない。そんな姿があらまほしい。
これは非難するわけでは絶対にないんだけど、いつの頃からか、声優という存在は、顔をさらすことが当たり前となった。声媒介のある……例えばアニメやゲームなどでは、そのキャラよりもその声優の名前で売ってるんじゃないかみたいな感じでキャラクターが紹介されるようになった。
……俺は、その時代の流れが好きじゃない。
理由は、ディズニーランドのミッキーマウスの着ぐるみを着たアクターが、人の前で顔を取り外してはいけない、ということだ。
キャラクターにはキャラクターのイメージがある。そのキャラクターがイメージされるべきは声優の声や姿ではなく、その物語におけるキャラクターの役割に準じたイメージでなければならない。
声優はあくまでそのキャラクターのイメージを容易にするための裏方であり、その中身がたとえスターだとしても、ミッキーマウスよりも目立ってしまってはいけないのだ。
ミッキーの中身で売るってのは、オーバーに言えばミッキーに対する冒涜ともいえるわけで、例えば作家ディズニーだって、そんなことは望むまい。
そういう作家脳の俺は、声優が顔を出して、
「~~役を演じております。○○です!」
という映像を見ると、ほとんどの場合、がっかりする。
作家だって同じだ。
作家の場合、顔出しそれ自体よりも、その作家の思想や生活などが露見することが、俺はいいことだとは思っていない。(ここでそれをしているけれど)
確かに、それが良い方向に向くこともあるだろう。しかしそれは物語とは関係のない要素であり、物語の正当評価にはつながらない。
逆にその作家の思想などを聞いてがっかりするユーザーがいるとすれば、それだって物語とは関係ない。その作家がどのような人間であれ、作品は別の物として評価されるべきなのだ。
大切なのは作品であり作家ではない。
夢を売る人間は、その夢に出張ってはいけない。そういう意味で、作家の顔出しも声優のそれと似ていると、俺は思っている。
そんなわけで、矢久勝基は矢久勝基であって、俺ではない。
作品は有名になりたいが、俺なんか有名にならなくていい。
……としたいのだ。
とりあえず、紙幅は埋まった。(大笑)




