11月1日 とりあえずこれまでの経緯
生まれてこの方、創作が好きだった矢久は、小さい頃から絵を描いて漫画を描いて、すごろくを作って、ノートにフィールドを書いたドラクエ風RPGを作ってクラスのヤツにやってもらって……
学校でもらった歌集の知ってる歌は、歌詞の下に全部替え歌が書き込まれていて、同じ歌集の端にはペラペラ漫画が四作(ページ始点から終点、終点から始点、それをヘッダーとフッター(上と下)に描いて四作)
動画は作るわ、イベントのDVDは作るわと、半生、とにかくいろんなものを創って生きてきた。結婚式のプロデュースとかも創作に数えていいなら、数々のイベントも手掛けてきましたよと。
文章もそうで、小学校の学校課題で書かされたものから始まって、『ドラクエ』に影響されまくった冒険小説や、『僕らの七日間戦争』に影響されまくった社会小説的なナニカを書いてきた。
それで、高校くらいになってやっとまともな作品が描けるようになってきたんだけど、まさか自分が作家などになれるとは思わず、ちょぼちょぼっと短編賞に応募するくらいで、真剣にはならなかった。
一度、「プレジデント社から折り返してほしいとの問い合わせがあった」と電話を取った母親が言ってたのだが、実はそれだけ描くのが好きでも、自分が描いてるところを親に知られるのが極度に恥ずかしくて、
「え、知らないよ」
って、すっぽかしたことがある。
え、まさかこの時連絡返してたら、人生違ってた?
……などと取らぬ狸を数えてみたりするけど、ま、かけ直してこないんだから実際は大した用事でもなかったんだろうとは思う。
それで、作家に対して本気になったのが十数年前。
それまでいろいろなことをやってきたけど、全創作の中で最も深く強く、自分の内に秘めるものを表現できる媒介が文章だったから。
『名も無き物語』という二十三万文字作品を皮切りに、今まで十九篇の長編作品(八万文字以上の作品を長編として)と、数多くの中編、短編作品を手掛けてきた。
折よく『小説家になろう』というサイトを見つけ、「ああ、これは公募の新人賞より肩張らなくていいから、ここから広げていけばいいじゃん」と考え、しばらくweb小説投稿サイトに全力を投じたわけです。
いや、売れると思ったさ。おもしれーし。(大笑)
ところがところがどっこいしょ。どこにも相手にされねーでやんの。ウケる。
『小説家になろう』や『カクヨム』でも、まるで読んでもらえない。……というよりも、気づいてもらえない。
「読まれたいなら読まなきゃ」とか、コミュニティに入るとか、全然興味がなかった。誰にも気づいてもらえなくても、出版社の目に留まれば何の問題もない、と。
しかし、カクヨムのいずれのコンテストに出してもカドカワのお眼鏡にかなうことはなかったし、『小説家になろう』でも同じだった。
つまり、『矢久勝基の物語は、売れない』と判断されたのだ。
つづく




