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矢久勝基、日記  作者: 矢久 勝基


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11月24日 休日にしみじみ思ったこと

 五年生になる娘が、「今日は私が朝昼晩のご飯を作る!」と張り切っていた。

 今、小学校には『総合』という授業があるらしく、自由課題みたいな感じで、自分の課題をそこに設定したらしい。

 効率が悪いものだから、朝ご飯を作り終えて片づけをしたら、もう昼ご飯を作り始めないと間に合わない。

 三時のおやつもセットだったようで、昼ご飯が終わったらおやつを作り始め(手作りバナナケーキ)、それが終わったら夜ご飯を作るという、一日炊事に明け暮れた休日だった。

 ……そんな夕ご飯を囲んで、家族全員で「いただきます」と言って、娘の作ったご飯を「おいしいよ」と言って食べる。娘は「疲れた」と言いつつも満足そうな笑みを浮かべて、自分の作ったものをお腹いっぱいになるまで食べていた。


 親が見守って、子が育つ。

 この当たり前の光景が、今は当たり前ではない。

 政府は共働きを奨励し……というか、共働きでやっと生計が立てられる価格に市場が設定されている。もちろん片方が日本の平均年収の倍近くもらっていればその限りではないのかもしれないが、そういう家庭はむしろ少ない。実際、平均年収(460万らしい)って、一部の高給取りが引っ張り上げてるだけで、実際の分布を示せば日本人は多くが400万にも届かないのが現実らしい。

 だから共働き。少子高齢化で人口の現象が不可避な日本だから、政府もそれを奨励しているわけだが……。


 親はいなくても子は育つ、と言う。実際、そういう子たちの方が表面はしっかりしていると思う。

 でもな。やっぱり子供にとっては、学校から帰ってきたら「おかえり」と出迎えてくれる母親の存在が必要だと、俺は思うのだ。

 本業の仕事柄、子供たちと接する機会も多い俺としては、親にあまり構われてない子というのは、いくら表面しっかりしていても、まるで看板だけ大きくて実力の伴わない店のように、裏側がもろい。

 細かい話は省くとしても、子供たちを健全に成長させていくのなら、やはり幼少期はしっかりした親のサポートが必要なのだと思う。いやなにより、きっと、その方が子供の子供時代が、幸せなのだと思うのだ。


 うちはそんなわけで全然金がない。

 だけど、ウチの娘たちは毎日笑って泣いて喧嘩して、とても幸せそうに見える。たぶん、子供にとっては幸せかどうかは金ではなく、親に今日やった事を話す時間だったり、日々の素朴な疑問を話し合える環境だったり、自分がやった事の成果を見せることだったりするのだ。

 それを、子供が幸せだと感じるとするならば、せめて子供の時代くらい、その幸せを提供するのが、親の役目ではないだろうか。


 「そんなのは家庭次第だ」「余計なお世話だ」と、誰かは呟くかもしれない。別にその価値観を押し付けるつもりはない。

 だけど、ウチはだから、どんなに家計が厳しくても、稼ぐのは俺一人で行きたい。

 それを飲み込んで、やりくりが大変でもなんとか家計を切り盛りしてくれて、娘たちの面倒を本当に良く見てくれる嫁が、本当に宝だと思う。

 ……そんな嫁に恩返しをするために、俺はもっと金が稼ぎたい。

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