11月10日 矢久作品の得意分野
二十六篇目、『神の振ったサイコロ』をアップしましたよー。
(とりあえずカクヨムの話です。『小説家になろう』でも、徐々にアップすることにしましたので、御用とお急ぎでない方はお待ちください)
正直、この日記にも時間が取られて、百篇短編が思うように進まない部分もあるはある。自爆してんじゃーん。
……って思いつつ、描いても描いても気づかれない今までを考えると、自己プロデュースをするなら、この日記でなくてもこれら広報活動に励まなければならない。いやマジで俺は作家になりたいのだ。どんなきっかけでも、それで何かを掴めるならやっていきたい。
だいたい、矢久という人間は営業能力が0だ。人に自分をアピールするとかすごい苦手で、作品の宣伝もまた然り。
その分野に自信がないものだから、たまーに宣伝してみたりしても、効果がないなと思ってすぐにやめてしまう。
いや、本来宣伝ってヤツは長くしつこくやるべきものなのに、わかっちゃいてもなかなかやっていけない。
やっぱな……〝向かない〟と自分で限界点決めちゃうと、やれるものもやれなくなっちゃうんだろうね。
しかし、ともあれ、だからこそ、この日記はまず頑張ってみようと思う。
こんなところでつぶやくPRがどれほどの効果があるかなんか分からないけど、〝逆恨みも恨みのうち、空回りも回転のうち〟なのだ。え、そんなことわざ聞いたことないって?……矢久が今作ったんだから仕方ない。
さて、そんなわけで二十六篇目を迎えた百噺。十三篇目くらいで一回さぼってるから正確には二十五篇だけど、とにかくこれの狙いはコンスタントに、〝別の〟話を出すことによって、いろんな人の注意が引けたら……っといったところだ。
自称ではあるが、わりとマルチにいろんなジャンルで描ける気はするところが強みといえば強みだとは思ってる。(まぁターゲットが絞れないところが弱みといえば弱みなのかもしれないけど)
しかしやはり、一番得意な分野はファンタジーなのかな。
切った張ったと命ギリギリのやり取りができる世界を描いて、登場人物の生き様、死に様を描くのが好きなのだ。生と死が隣り合わせの世界で、彼らは何を考えて、何を成して生きて死ぬのか……。
現実世界だとなかなか『弁慶の立ち往生』みたいなのは描けないけど、ファンタジーならいくらでもそちらの方向へと誘導していける。
そういう、どちらかといえば任侠の世界?……まぁヤクザモノでもいいんだけどさ……命のやり取りをもって人生の主題とする登場人物たちのファンタジーが描きたいので、ファンタジーといっても「俺強えーーー」だったり「ハーレム」だったり、「追放からのざまぁ」みたいな優越感からは縁遠い。
前、どこかで言われたんだけど、
「今の主人公は悩まない。葛藤しない」のだそう。
そこへ行くと、俺個人的には〝葛藤あってこその物語〟だと思っている。てかさ、物語ってそういう要素を乗り越えていくから感激があるんじゃないかと思うのだ。
そんな……葛藤のあるファンタジーを描くのが本来のスタイルなんだけど……。
以下次号




