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第3話

 電車を乗り継ぎ、三十分ほどで着いた場所は、テーマパークくらいの広い庭園だった。チケット渡してすぐのところに、色とりどりの紫陽花(アジサイ)が咲いている。

「綺麗だね」

「写真撮ってー!」

 黄色のワンピースを着た未幸が青と紫の紫陽花の前に立った。反対色の紫陽花が未幸の後ろ姿を引き立てている。僕がスマホを構えると、風に吹かれてスカートが揺れた。その姿がとても美しくて、思わずシャッターボタンを押し忘れてしまう。かろうじて撮った一枚を見ると未幸の顔がブレていたため、カメラをもう一度構えた。シャッターを切ったタイミングで未幸がこちらに振り向く。


 写真に写った未幸は、花を咲かせているような笑顔で、背景の花がとても幻想的に感じられた。自然と涙が零れる。

 驚いた顔をした未幸がこちらに向かって走ってきた。そして、下から顔を見上げて首を傾げる。

「どうしたの?」

「ごめん。美しすぎて」

 先ほど撮った写真を未幸に見せる。未幸は口を開いてこちらを見ていた。そして頰を掻きながら微笑みを浮かべる。

「私には分からないけど……でも、なんか嬉しいな」

 少し頰を紅らめながらハンカチを取り出す。そしてそれを僕の頬に当てた。

 顔が近づき心が跳ねた。鼓動が速くなり息苦しくなってくる。なぜかその鼓動が心地よかった。

「とりあえずベンチに座ろっか」


 未幸は僕の手を引き、二人でベンチに腰を下ろす。僕の頬を拭いながら言葉を紡いだ。

「朝とは逆の光景だね」

 未幸の息が顔にかかりさらに鼓動が速くなる。思わず下を向いてしまった。すると未幸は僕の前で膝をつけて座り、見上げるようにして涙を拭く。嬉しさより息苦しさがほんの少しだけ勝ち、躊躇しながら言葉にした。

「大丈夫。自分で拭くよ」

 久しぶりに出した声は鼻声で聞き取りづらかった。未幸はすぐに手を離しこちらにハンカチを差し出して、口角を上げて頷く。

「うん。分かった」

 もうすでに空は茜色に染まってきている。胸だけではなく頭にも痛みが生じていた。落ち着くために深呼吸をする。紫陽花の淡い香りとシトラスの軽やかな香りが溶け合い、僕の鼻をくすぐった。


 ようやく涙は止まったが、頭の痛みは治らない。ずっとここにいても仕方がないので、最後に一呼吸し、言葉を発した。

「よし。もう大丈夫」

「ほんとに?」

「うん。この通り」

 勢いよく立ち上がった代償に頭がズキリとしたが、その痛みには気づかなかったことにする。

「そっか。次、見に行く?」

「行こう。暗くなる前に」


 未幸も立ち上がり次のエリアに足を進める。紫陽花を見ながら歩いていると、バラとラベンダーのエリアにたどり着いた。赤やピンクのバラが上品に咲き、紫のラベンダーが爽やかな香りを漂わせている。紫陽花の淡い青紫とは対照的に、赤やピンクのバラが堂々と咲き、力強い存在感を放っていた。

 未幸は僕に声をかけずに走って花に近づく。僕はすぐにスマホを構えて写真を撮った。上品な背景に天真爛漫な未幸が対比され、味のある一枚となった。


 撮った写真を見ながら二人で歩いていると、茶屋が目に入って未幸と目を合わせる。心が通じ合い、どちらからともなく足を進めて店に入った。

 みたらし団子ときな粉餅を一本ずつ購入し、外にある縁台に腰をかける。香ばしい匂いとほんのり甘い香りが僕の食欲を刺激した。みたらし団子を食べていると、ふと隣から鋭い視線を感じた。未幸の方に視線を向けると獲物を狙うような目つきでみたらし団子を見ている。

「食べたいの?」

「……うん!」

 一瞬で表情が明るくなる未幸に心が揺れる。

「もう口つけちゃったから……」

「だめ?」

「……」

 下から潤んだ瞳で見上げられたら断れない。僕は人形のように頷いた。

「……いいよ」

 串を手で渡そうとすると、それを拒み口を開いた。


 ――もしかして食べさせろって?

 思わずため息が出てしまいそうになるのを必死に堪え、団子を未幸の口の前に持っていく。

「あーん……」

 大きい一口でそれを食べると串から抜き取り咀嚼した。そして、未幸の持っていたきな粉餅をこちらに向ける。

「お返し。はい、あーん」

 躊躇いながらも口を開くと、勢いよく押し込まれた。慌てて噛み切り口から遠ざける。

「ちょ、入れすぎ」

「えへっごめん」

 未幸はいつも通りの笑顔を見せている。僕の顔はきっと真っ赤に染まっているだろう。見なくても分かる。


 食べ終わりお店を出て、最後のエリアに向かった。少し歩くと、今までとは比べ物にならない広さいっぱいに、向日葵が敷き詰められている。その光景に圧倒され思わず足を止めた。胸がざわつくのに向日葵から目が離せない。近くにいる子どもの声が遠くから聞こえる。背景が少しずつぼやけてきた。

 

 ぼーっと眺めていると未幸の声が聞こえて、現実に引き戻されたようだった。

「大和くん!写真撮ってー!」

 未幸が大きい声で向日葵の前から僕を呼んでいる。スマホを構えて未幸にピントを合わせる。

 ――シャッターが切られることはなかった。


 カメラに未幸の姿を写した瞬間、胸のざわめきと猛烈な頭の痛みが襲ってきた。思わずスマホを落としその場にしゃがみ込む。未幸が走ってきているのが音で分かったが、声を聞く余裕はなかった。

 痛い。痛い、痛い。

 向日葵みたいだな――頭の中に僕の心の声が聞こえてくる。

 違う。これは、僕の心の声なんかじゃない。実際に言った言葉だ。じゃあ、いつ?いつなんだ……思い出せ、思い出せ。

 頭を抑えながら必死に痛みに耐える。頭ではなく、胸の痛みで涙がこぼれ落ちた。ぼやけた視界で向日葵を見ると、カメラに映る未幸の姿が頭をよぎった。すると、記憶になかった映像がスクリーンのように僕の頭の中に流れ込んでくる。

 

 ――思い出した。

 

 視界と音声が鮮明になっていく。やがて彼女の声が聞こえてきた。

「大和!大和!」

 必死に僕の名前を呼ぶ彼女の方に顔を向ける。息を切らした彼女が眉を顰め心配そうにこちらを見ていた。

「大和くん!大丈夫?」

 彼女の顔をじっと見つめる。涙を流したままの顔に笑顔を浮かべて名前を呼んだ。

「……美幸!」

 無意識に彼女に抱きついていた。そして、高揚した心で言葉を紡ぐ。

「美幸!思い出した、思い出したよ!」

「……え?」

 美幸は心底戸惑っているように感じられたが、記憶が繋がった喜びで美幸を気にかける余裕はなかった。

「思い出したって、ほんと?」

「あぁ、本当だよ」

 そしてこの言葉をつぶやく。

 ――君は向日葵みたいだね。

 

 その言葉に、美幸の瞳から一粒の涙が零れた。

「大和くんおかえり!」

 そして、美幸も僕を抱きしめ返した。


 二人で落ち着くまで抱き合っていると気づけば閉園前のアナウンスが流れた。

 最後に一枚だけ向日葵の前で写真を撮ろうとすると、美幸が僕のスマホを奪った。

「ほら!一緒に写るよ!」

 美幸の向日葵のような笑顔が、背景の光に溶け込む。それでも、その温かさは静かに僕の胸に残り、いつまでも揺らめいているようだった――


 帰りの電車に揺られている中で、僕は疑問に思ったことを口にする。

「なんで未幸だって嘘をついたの?」

 優しく問いかけるように首を傾げる。

「だって……」

 言葉を選んでいるような間の後、心が高鳴る理由を告げた。

「……大和くんが隣にいないと私は幸せじゃないから」

 その意味を僕は一瞬で理解した。こんなにも僕を幸せにしてくれる彼女を一生離さない、と心で誓い、隣に座っている彼女にキスを落とした――。


 未だ見ぬ幸せが美しいものであると願って__。

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