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 時間になるとロックスが応接室に案内された。


 最後に見たのは一年前。お母様の誕生日。


 背はあまり変わっていない。髪はいつも通り短いまま。お母様に似た濃いグレーの瞳がよく見える。


 「リフォルド公爵。急な訪問を許して頂き感謝致します」

 「妻の弟は私の家族だ。気にすることはない」


 上辺だけの笑顔。内心では礼儀知らずと罵っている。


 「姉さん。結婚おめでとう」

 「あ……」


 ありがとう。そう言わなくてはいかないのに言葉に詰まる。


 私達の結婚は祝福されるようなものではない。そもそも私達がしたのは形だけの結婚だけで、夫婦ではないのだ。


 「そうだ。これ。姉さんが好きだったクッキー。バターをたっぷり使った」


 花柄の缶に敷き詰められた丸型のクッキーはロックスのお手製。


 平民の頃からお母様の手伝いでよく料理をしていたロックスは、とても手馴れている。


 料理長達も感心していた。手際が良すぎると。


 一枚を手に取り食べた。懐かしい味が口いっぱいに広がる。


 いつぶりのちゃんとした料理を食べたのか。


 美味しいのはまともな料理だからではなく、ロックスが私のために作ってくれたからだ。


 「姉さん?どうしたの?」


 心配そうな声。子犬のような幼さ残る瞳。


 伸ばされた手は私を叩くわけでもなく、流れた涙を拭ってくれる。


 「すまないが。妻は体調がまだ回復していないんだ。今日はこの辺にしてくれ」

 「風邪でも引いたの?大丈夫?」

 「ええ。私は大じょ……」

 「急な環境の変化に体が慣れていないだけだ。医師にも看てもらったが、しばらく安静にしていれば良くなる」

 「そうか。寝込んでいたんだ。だからそんなに、やつれていたのか」

 「心配かけて、ごめんね。私は大丈夫だから。ほら、お父様とお母様に会いに行かないと。ロックスのことだから一番に私に会いに来てくれたんでしょ」

 「当たり前じゃないか!僕は姉さんを愛してる。姉さんの幸せは僕の人生になくてはならないものなんだから」


 嘘をついてしまった。こんなにも私を大切に想ってくれている弟に。


 自分が惨めで情けない。


 助けを求められないことではなく、嘘をつかなくてはならない自らの弱さが。


 「今日は本当にごめんね。体調が悪いのに、押し掛けて」

 「いいのよ。久しぶりにロックスと会えて嬉しかったから」


 私よりも背が高く逞しい体をしたロックスは、甘えるかのように私を抱きしめてくれた。


 ──温かい。


 人の温もり。ずっと忘れていたものを思い出したかのよ。


 アレクサンダー様はじっと私を睨む。余計なことを伝えないように。


 「また来るね」

 「ええ。今日は本当にありがとう」


 ロックスは帰って行く。


 両親に挨拶をしたらまた隣国に行ってしまうのだろうか。


 今度はいつ会えるのか、もうわからない。


 アレクサンダー様がたった一日でも私を実家に帰すわけがないのだ。


 家族の誕生日を祝うことすら許されず、私はまたあの部屋に閉じ込められる。


 「平民にしては整った容姿だったわね。でも、アレクが一番だけど」

 「おい。貴様。何をしている?誰がその缶を持っていっていいと言った」


 力ずくで奪われては、蓋を開けて中身を床にバラまいた。


 それだけではない。踏み潰した。粉々に。一つ残らず。


 「メモの類でも入っていると思ったが杞憂だったか」


 たったそれだけを確認するために、こんな酷いことを?


 ロックスが私のために作ってくれたクッキー。急いで作ったのか焦げている部分もあるけど、それさえも味のアクセントになっていた。


 「まぁ!ジュリアンさん。もしかして泣いているの?平民が作ったクッキーなんて、穢らわしいだけじゃない。処分してくれたアレクに感謝するべきじゃない?」


 彼女が言っているのは血筋のこと。だってもし、身分のことだとしたらロックスではなく自分が平民だと認めることになるのだから。


 平民に落ちながらも、アレクサンダー様から望む物が与えられるからこそ貴族令嬢として振る舞える。


 例えそれが、分不相応だとしても。


 公爵夫人になったつもりでいるオリビア様……いや。貴族ではない彼女に敬称で呼ぶのはおかしすぎる。


 どんなにアレクサンダー様の愛する人だとしても私公爵夫人であることに変わりはない。

 公の場に顔が出せないのであれば、妻ではなく愛人。


 アレクサンダー様の大切な人を私も大切にすれば、いつかは誤解も解けるのではと淡い期待を抱いていた。


 私という存在が憎まれ疎まれているのなら、無駄だったというのに。


 それでも。好きな人に誤解されているなら解きたいのは普通。


 一度は諦めた命だったけど、彼らの思い通りになるのは癪だ。


 今の私は無力で何も出来ないけど、生きていることが都合が悪いなら生き続けるしかない。


 彼らは私に罪の意識を感じながら死を選び、自分の意志で死んで欲しいと考えている。


 だからこその用意されたロープであり、遺書を書かせるための紙とペン。


 「アレク!怖いわ!ジュリアンさんが私のことを睨んできたの!今にも殺しそうな目をしているわ!!」

 「なっ……この!!薄汚いたかが伯爵如きの貴様なんかを、公爵家の敷居を跨がせてやったというのに!私の愛するオリビアを殺そうとするなど!」

 「なんて野蛮な!いくら嫉妬しているからといって、奥様を殺そうとするなんて!!」


 とんだ茶番劇。私は泣いて俯いていただけ。オリビアを睨んでいなければ、見てもいない。


 それなのに。私が睨んだと叫んでは、他の人はオリビアを殺そうとしたなんて騒ぎ立てる。


 由緒正しき公爵家にあるまじき姿。


 外からは決して見えることのない内側。


 謝罪をしない私に腹を立て、ついには顔を殴られた。


 叩いたのではない。殴ったのだ。拳を握り締めて、正義のヒーローにでもなったかのように、悪を倒すかのように。力の加減をすることなく。


 さっきまで感じていたクッキーの味はなくなり、変わりに鉄の味が広がる。


 麗しいアレクサンダー様の顔は醜く歪む。


 起き上がろうとする体を踏み付けられ、こちらも加減のない蹴り。


 「私達の仲を引き裂いた悪女を生かしてやっているだけでも有難いと思え」


 殺される。直感した。


 迫り来る死に身構えていると、オリビアがアレクサンダー様を止めた。


 取り乱し冷静さを失うアレクサンダー様を宥める。


 一方の私はまた、痛みに負けて意識を飛ばしてしまう。


 遠のいていく意識の中で、誰もが私に興味なんて持たない。

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